住所

 今までの人生の中で、何度か引っ越しをしている。


 昨日何気に考えていると、驚いたことに、今いるこの家が、一番長く住んでいるところ、ということになったようだ。


 産まれたのが東京の世田谷区で、すぐに引っ越してまた世田谷区で、そこに10歳まで住んでいた。


 小学校の5年生の夏休みに、両親が多摩ニュータウンの端っこに分譲の団地を買い、引っ越した。そこには会社を辞める30歳までいた。


 その後屋久島に行ったり、帰ってきて佐川急便で働いたりしていたが、34歳の時に結婚してカミサンの実家の仙台に行った。これが2000年の秋である。


 今年の秋で丸22年になる。


 夫婦共々転勤や移住でやって来たのとは違い、カミサンがこっちの人なので、郷に入ったら郷に従えという教えに則って、こちらに染まっている。


 訛りは強い方に影響されるらしいが、カミサン曰く、かなりこっちの喋りになっているらしい。最近ではコロナ禍で行くこともないが、東京の同級生などと喋っていると、彼らの喋りが軽く、かっこつけているように聞こえるようになった。かつて暮らしていたときは気づくはずもなかったが、こちらに比べると喋りはじめの、声が出るところが高いのである。こっちは寒くて口を開くのもおっくうなのか、出だしが低い。こちらの方が落ち着くようになった。


 屋久島にいるとき、集落によって言葉が微妙に違うので、少し話をするとどこの集落の人なのかわかる、と言っている人がいた。私なんかみんな屋久島訛りという一括りで、同じに聞こえたのだけれど、やっぱり微妙に違うらしいのだ。


 東北然りで、これもまた、県ごとに微妙どころではなくて、全く違う。これは、ちょっと喋れば大体わかるようになった。


 カミサンは亡くなったお母さんの影響を受けており、その地域の訛りがある。家に一緒に住んでいる義父は、石巻の先の女川という所の出身なので、これまた独特のイントネーションがある。こちらの親戚達は、皆同じ言葉を話す。


 私も興奮したり、一瞬何も考えずに反射的に出る言葉が、産まれ育った所のものになることがあるみたいだ。時々あるのだけれど、これが出るとカミサンが「何かっこつけてんだやこいづ」みたいな変な顔をしたり、不敵な笑みを浮かべたりしながらこちらを確認する。


 今の会社には東北各地から様々な人たちが集まっているので、言葉は全く問題ない。運転が仕事なので、標準語だろうが訛っていようがそれ程関係はないのである。

 

 何とか馴染むことができたので、ここで人生を全うしようと思っている。やっぱり屋久島では距離があり、島ならではの不便さもあるので、難しかったのかもしれない。親に何かあれば新幹線で2時間と少しあれば東京に行くことはできるし、400キロ位の距離なら、交通機関が発達した今ではそれ程遠いと感じることもない。


 ということで、最後の所を何とか上手くやろうと思っている。上手く行きますようにと、まずは念ずることと、一般公開することから始めてみましょう、という次第なのであった。


 

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