両親
親に電話をした。
400キロ離れている東京に住んでいるので、そう頻繁に会うことはできない。
コロナも拍車をかけている。
カミサンの病気を心配して、自分達の蓄えから、貴重なお金を送金してくれた。
長い間心配をかけてしまっていたけれど、何とか仕事ができているということで一区切りがついたので、この辺りで報告せねばとの思いから、実家へ電話をした。
少し前までは父の携帯にかけていたが、母親の耳が遠くなってきたので、これからは家の電話にかけてくれと父から要望があった。
父は昭和9年生まれの86歳、母は昭和10年生まれ、12月に誕生日が来ると85歳になる。介護も頼むことなく、何とか二人で暮らしてくれているので、自分勝手な長男としては助かっている。
20回以上鳴らし、ようやく繋がった。振り込め詐欺防止の為、録音しています、のアナウンスの後、父が出てきた。江戸っ子らしく声は軽やかで、とても85を過ぎているとは思えない。
「何?」
父はそっけない。
「おー久しぶり。かあさんに変わるから」
阿吽の呼吸ではないけれど、こっちのニーズを的確に捉えている。
「ほら、かあさん、椅子持ってこいよ。息子からの電話だ」
とか何とか、母をせかしながら電話口に呼んでいる。家の電話には子機がもちろんあるのだが、母は子機を使うことなく、玄関にある電話まで行って話をする。
電話に出た母に、状況を説明した。母も10年以上前に脳梗塞になり、入院したことがある。カミサンの病気がどのような病気なのかを身をもって知っているので、彼女の悩みが痛いほどよくわかっている。
幸いにも母は、父がすぐに救急車を呼んで、病院に連れて行ってくれたこともあり、マヒや痺れなどの後遺症が全く残らずに完治し、今も元気に生活する事ができている。
カミサンの状況を伝えたところ、母は心から喜んでくれていた。お互い、話して会ったら泣いちゃうね、と言っている。
私がこっちへ来てからは、毎年カミサンと帰省して、親と一緒にいろいろな所へ旅行をして来た。関東の人が良く行く、富士山、伊豆、箱根、熱海、遠くは長野、岐阜の境の乗鞍あたりまで行った。東北から出たことのないカミサンは、親と一緒にとても喜んでくれた。
はじめの頃は父も車を持っており運転していたが、10年ほど前に潔く手放した。その後は私が運転していたが、数年前からトイレが心配だからと外出を遠慮するようになり、今では近所への買い物に、ようやく行けるか行けないかという感じである。
私が屋久島に行った時はまだまだ元気で、飛行機に乗って屋久島まで来てくれた。
これからはいろいろと考えなければならないことが出てくるだろうけれど、ここまで育ててもらい、自由にさせてもらった事への感謝の意を込めて、きちんと対応して行かねばな、と思った。
幸いにも近くに姉がおり、最近ではかなりの頻度で買い物などをしてくれているようだ。
何だか申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまった。
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