menu70 はじめての冒険
試験に合格し、ディッシュは冒険者になった。
これで条件付きで山に暮らせるようになったのだが、時々成果を上げて報告しなければならない。
少し面倒だが、仕方がない。
それがフォンとの約束でもあった。
山から街に下りてきて、ディッシュはギルドに向かう。
中は武器を持った冒険者でひしめいていた。
おかげでギルドのエントランスは汗臭い。
ディッシュの鼻は、ウォンほどではないが敏感である。
ちょっと顔を顰めながら、受付に並んだ。
フォンはちょうど外に出ているらしい。
受付は他の人でもできるそうだ。
ディッシュは言われるまま、オススメのクエストを確認する。
近郊の依頼ばかりだ。
新米はたいてい近くの平原や街の中のクエストをこなすらしい。
「なあ、山の中のクエストないか?」
「山ですか? でも、ディッシュさんはまだ新米冒険者ですよね」
フォンがいれば、すぐに話を通してくれたかもしれない。
だけど、目の前の受付嬢は、ディッシュのことを知らないらしい。
弱った……。
出直すことも考えたが、また街にくるのも面倒だ。
「お願いだ。今度、美味い飯を食わせてやるからよ」
「う、美味い飯……」
受付嬢は思わずごくりと息を呑んだ。
だが、すぐに頭を振る。
気を取り直し、反論した。
「だ、ダメです。職員を懐柔しないでください」
「ダメか……」
「それじゃあ。私たちに作ってもらおうかな」
背後から声が聞こえた。
振り返ると、武装した男女が立っている。
冒険者だろう。
1人は人族の女性。
もう1人はエルフ族の男性だった。
「ヘレネイさん」
受付嬢は女の方の名前を呼んだ。
「私たちが付いていれば問題ないでしょ」
「それは――」
「じゃあ、決まりね」
ヘレネイは強引にねじ込む。
ディッシュの方を見て、ニコリと笑った。
「私はヘレネイ・ヘンネベル。こっちが……」
「ランク・ディーツェだ。よろしく」
「ディッシュ・マックホーンだ。よろしくな。……でも、いいのか?」
「いいわよ。美味しいものを食べさせてくれるんでしょ?」
ヘレネイは軽くウィンクする。
なかなか魅力的だった。
「おう。そいつは期待していていいぞ」
ディッシュはにししし、と笑う。
そして再び山へと向かうのだった。
◆◇◆◇◆
「お、大きいわね」
ヘレネイは目を丸くする。
桃色の瞳に映っていたのは、大きな狼だった。
その上にディッシュが乗っている。
人間を乗せているのに狼は、嫌がることもなかった。
のっしのっし、街道の土を掻いている。
「こいつの名前はウォンだ。俺の相棒だな。ウォン、挨拶しろ」
「うぉん!」
低い声で吠える。
それを聞いて、ヘレネイはケラケラと笑った。
「狼に自己紹介されたのは初めてだわ」
ヘレネイは滲ませた涙を拭う。
その横でランクが身体を傾け、眉根を寄せていた。
「狼は狼なんだけど……。こんなに大きな狼いたかな?」
だが、首を傾げるばかりである。
「触っていい?」
ヘレネイはウォンに触れようとする。
だが、すげなくかわされてしまった。
「悪いな。こいつ、気を許した人間以外に触られるのを、極端に嫌がるんだ」
「そう……。残念。でも、まさかディッシュが【
「おいおい。ヘレネイ……。冗談でも、それは落ち込むぞ」
「あんたはいつも暗い顔してるでしょ!」
びたん! と音を立てて、ヘレネイはランクの背中を叩いた。
少し猫背気味に歩いていたランクの背筋が伸びる。
だが、すぐ困り顔になり、背中をさすった。
「仲良さそうだな、お前達。恋人ってヤツなのか?」
「そういう時代もあったかしら」
ヘレネイは遠くを見つめる。
慌てたのは、ランクだった。
「なにを遠い目をしているんだい、ヘレネイ! 僕たち恋人同士だろ?」
「知ってるわよ。腐れ縁のね」
ヘレネイは肩を竦めた。
すると、ランクはため息を吐く。
「へぇ。恋人同士で冒険者ってのも珍しいんじゃないのか?」
「そうでもないかな。割と結婚資金とか貯めるために、冒険者になる人とかいるわよ。ちゃんとクエストをこなせば、実入りもいいしね」
「じゃあ、ヘレネイたちもいつか結婚するんだな」
ヘレネイは手の平をヒラヒラと動かした。
「そんな計画性は私たちにないわ。どっちかというと成り行きよ」
きっかけはランクが、前職を辞めて冒険者になったことだった。
恋人の性格をよく知っているヘレネイは、心配になり、自分も冒険者になることを決めたのだという。
「この人はおっちょこちょいで、小心者で、虫も殺せないほど優しい性格なの。はっきり言って、冒険者には向かないって思ったのよ」
「あのね。ヘレネイ……。そういうことは、僕が聞こえないところでいっておくれよ」
ランクはがっくりと項垂れる。
本気で落ち込んでいた。
まるでコメディアンの笑い話を見ているようだ。
ディッシュは思わず笑ってしまった。
「でもよ。そんだけランクのことを、ヘレネイが心配してるってことだよな」
「そ、そんなわけ――」
ヘレネイは目を背ける。
ちょっと唇を尖らせながら、顔を赤くした。
ディッシュはまたにしし、と笑うのだった。
◆◇◆◇◆
山まで戻ってきた。
装備を確認し、いざ登り始める。
ヘレネイたちが請け負ったのは、野草の採取である。
しかも、群生地の周りには最近、ゴブリンが出てきて、冒険者を邪魔するらしい。
依頼には、その討伐も含まれていた。
「ゴブリンっていっても、油断しないでね。弓ぐらいは作れる程度には頭がいいし。物陰から狙撃されることもあるわよ」
「ああ。大丈夫だ」
ゴブリンが厄介なのは、ディッシュも昔イヤというほど思い知らされたことがあった。
力は弱く、背も低いから油断しがちだが、その心の隙間をついてくるほど、彼らは賢いのだ。
しばらく山の中を歩く。
もうすぐ陽が天頂に来る頃合いで、目的の群生地に辿り着いた。
「とりあえず、まず荒らされていないみたいね。今のうちに薬草の採取をしましょ」
「いや、いるぞ」
「え?」
すると、ウォンの形相が変わる。
大きく顎門を開いた。
「うぉぉぉおおおおおおおぉぉぉおぉおぉおぉおぉおおぉおお!!!!」
耳をつんざくような吠声が山に響き渡る。
びりびりと空気を震わせた。
「すごっ!」
ヘレネイは感嘆する。
直後、茂みが動いた。
丸い禿頭と顔のサイズに似合わぬ大きな耳。
猛禽を思わせるようなギロリとした目が、こちらを見ていた。
ゴブリンだ。
先に発見された。
慌てて剣を握る。
だが、それよりも速く襲いかかったのはウォンだった。
近くにいたゴブリンに襲いかかる。
体重を載せ踏みつぶした。
再び顎を開けて威嚇する。
完全にゴブリンは
ウォンは大きな尻尾を回す。
周りのゴブリンをあっという間に打ち払ってしまった。
「すごい……」
もうその言葉しか出ない。
ヘレネイは呆然とした。
その時である。
「ヘレネイ、危ない!」
突然、ランクが飛び込んでくる。
恋人に抱きつき、伏せた。
すると、矢が飛んでくる。
ランクの肩をかすめた。
「ランク!」
「しっ! 伏せて!」
ランクは弓を絞る。
茂みの奥にいたゴブリンを見つけた。
その手には、弓を持っている。
ビィン!!
鳴弦が響く。
矢は森の空気を引き裂いた。
「げぇ!!」
見事、ゴブリンの眉間を貫く。
そのまま後ろに倒れた。
「お見事!」
ヘレネイは反射的に叫んでいた。
だが、ヘレネイとランクの戦果といえばこれぐらいしかない。
あとは全部、ウォンがやっつけてしまったのだ。
「大丈夫か、お前達?」
ウォンに乗って、ディッシュがやってくる。
ゴブリンの数はおよそ十数体。
1匹1匹は恐るるに足りない雑魚魔獣だが、これだけ揃うとなかなか脅威だ。
なのにディッシュは飄々としている。
戦闘に入る前と後で、まるで表情が変わっていない。
常に自然体だった。
「え……。ええ……。すごいわね、ウォン」
「ははは……。その言葉は、ランクにも言ってやれよ。ヘレネイを守ったんだぞ」
「そ、そうね。ランク、ありがとう」
すると、ランクはヘレネイに寄りかかる。
キュゥと恋人の顔が赤くなった。
「ちょっと、ランク。ディッシュくんがいるのよ」
初めは冗談だと思っていた。
だが、聞こえてきたのは荒い息だ。
それに身体が熱い。
慌てて額に手をやる。
熱が出ていた。
しかもじっとりと汗が浮かんでいる。
何度も息を繰り返す。
名前を呼んでみるが、明確な返事が返ってこない。
ランクは半ば意識を失っていた。
「まさか……!!」
ヘレネイは慌ててランクを寝かした。
先ほどの矢傷を見る。
腕に付いたそれは、青紫に腫れ上がっていた。
「毒だな、こりゃ」
ディッシュは目を細める。
おそらくゴブリンの矢尻に毒が塗られていたのだろう。
ヘレネイは慌てて道具袋を覗く、
だが、すぐに唇を噛み、渋い顔をした。
自分の迂闊さを呪う。
毒消し草を切らしていたのだ。
「ディッシュくん、毒消し草を持ってる?」
「うん? わりぃ。持ってない」
彼は新米の冒険者である。
山のことはあまり知らない。
準備も万端というわけではないだろう。
責められる筋合いはない。
責めるのは自分だ。
何年、冒険者をやっていると思う。
「ディッシュくん。ウォンに彼を乗せて、街まで」
「悪いな、ウォンは俺以外の人を乗せるのは嫌いなんだ」
「そんな……。やだ……。このままじゃ、ランクは」
ヘレネイの頬に涙が伝う。
慌ててごしごしと拭った。
泣いている場合じゃないのに……。
でも、このままじゃ。
すると、ヘレネイの頬にザラザラとした触感が襲いかかった。
びっくりとして顔を上げる。
大きな狼の顔があった。
「うぉん!」と吠える。
「落ち着けよ、ヘレネイ。大丈夫だって」
「大丈夫って……」
「俺じゃねぇよ。ウォンが言ってんだ」
「ウォンが……」
すると、ウォンは地面に寝ているランクに近づく。
傷口をペロペロと舐め始めた。
最初は一体何をしているのだろう。
ヘレネイはわからなかった。
だが、しばらくも待たないうちに変化が起こる。
まるで火ぶくれのように膨らんでいた患部が、徐々に小さくなってきたのだ。
同時にランクの顔色もよくなってくる。
発汗も収まり、呼吸も安定してきた。
やがて患部は綺麗になる。
毒の痕どころか、矢傷さえ癒えていた。
「す、すごい!!」
まさに奇跡だ。
ヘレネイは顔を上げる。
少年が跨がる大狼の顔を見つめた。
気高さすら感じる。
まるで神の御使いのようだ。
「ありがとう、ウォン」
ヘレネイは抱きつく。
だが、ウォンにすげなくかわされた。
主以外に心を許していないというのは、本当のようだ。
それでも助けてくれた大狼に感謝した。
「う、ううぅぅん……」
ちょうどランクが起き上がる。
全く問題ないらしい。
むしろ本人的には、出発前より元気になっているという。
「良かった!」
抱きついたのは、ヘレネイの方だった。
少し涙を溜めながら、恋人に甘える。
まだ事態を把握していないランクは、ただそっとヘレネイを抱きしめた。
「なんだ。やっぱりお似合いのカップルじゃねぇか」
ディッシュは、にししと笑うのだった。
◆◇◆◇◆
ヘレネイたちが、一喜一憂する中。
その近くでは、別の恐ろしいことが始まっていた。
ずずっとウォンが倒したゴブリンが引きずられていく。
やがて地面の中に飲み込まれていった。
3人と1匹は、この時は知らない。
まだ危機は去っていないことに……。
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