第7話
…………………
目が醒めると、僕の視界には白い天井が映った。
目覚めて始めて思った事は………
「……知らない天井だ。」
これをやりたかった、という事だった。
(我ながらつまらない奴だな……)
そんな事を思いながら、僕は上半身を起き上がらせる。
(ここは……病院か?)
その予想は当たっていた。
僕が眠っていたベッドの横には、点滴器具が置かれている。
回転椅子の台車部分に繋がれた杖のような物だ。
それをぼおっと眺めながら、僕は先程の夢を思い出そうとした。
…だが、覚えている事はひとつだけ。
一ヶ月前に聞いた言葉と殆ど同じだったのだが、ひとつだけ違う事があった。
「自らの恐怖を受け入れ、自身の一部とする時、救いが訪れる」
“境遇”が、”恐怖”に変わっていたのだ。
つまり、僕は自分の”境遇”を受け入れたという事なのだろうか。
(…………分からない。…………でも”恐怖”が何を意味するのかは分かる。)
それは、僕が気絶する前に会った少女………
いや、正確には、僕が彼女を見て感じる恐怖心だ。
(………無理かも知れない。でも、やってみないと分からない。)
自分が逃げる事を考えなくなった事にも気がつかないまま、僕は自らの恐怖心を克服する事を決断した。
(………まずは、僕の事情を全て説明して、謝らなきゃな………)
僕がそう思った時、病室のドアが開いた。
「拓海……起きてるか?」
その声は聞き慣れた大輝のものだった。
「ああ。起きてるよ。今起きたところだ。」
僕は大輝に返答する。すると、病室のカーテンを開けて大輝が侵入してきた。
「少しは遠慮しろよ。」
「……なんだ?やましい事でもやってたのか?」
「アホか。」
頭の悪そうな、それでも何時ものようなやり取りを僕らは交わす。
ちゃんとツッコミを入れられる僕を見て、大輝は安心したようだ。
……検査方法がムカつくが。
「僕、何時間くらい寝てたの?」
現在で一番気になっている事を僕は大輝に聞いた。
「一日だ。」
「へえ、一日……そんなに寝込んでたの?」
思ったよりも重症なのかもしれない。
「おう。もうぐっすりだったぞ。お陰で悪戯も出来たしな。」
そう言って大輝は僕の左腕を見た。
そこには、とぐろを巻いた固形物や、鼻の長い動物を思わせるような何かが………っておい。
「ガキか。」
考える事が低俗すぎて、逆に笑ってしまった。
「まあまあ、俺たちまだまだ三年生だし?」
「お前………幼稚園からやり直してくるか?」
大輝の言いたい事がすぐに分かった僕も、アホの一員なのかもしれない。
それからしばらく話した後、僕は大輝に真面目な頼み事をした。
「僕が気絶する前に会った女の子。あの子を連れて来れる?」
大輝は何を思ったのか、心配そうな表情をする。
恐らく、僕と彼女に何か関係があると思っているのだろう。
「言っておくけど、僕と彼女は初対面だよ。」
すると大輝は驚いたような表情をした。
やはりそう思っていたのか。
「とにかく、ここに連れて来てくれない?………あ、今はいないか………」
すると大輝は首を振った。
「あの子はいるぞ。個室に閉じこもってるけど。」
(やっぱりか…………悪い事したな………)
「とにかく、事情を説明したいんだ。それと、僕が吐いたのは彼女の所為じゃない。」
大輝は不服そうな顔をしていたが、渋々僕の頼みを聞いてくれた。
そして、三十分後。
「し、失礼、します………」
怯えた様子の彼女が入ってきた。
大輝は僕に目配せすると、病室から出て行ってくれた。
取り残された彼女は、どうして良いか分からずに視線を彷徨わせている。
(全く……僕がいじめてるみたいじゃないか……)
……半分事実なのだが。
「……取り敢えず、そこの椅子に座ってくれる?」
「………はい。」
ゆっくりと椅子に近づき、姿勢良く彼女は座った。その姿はまるで絵画のようで、僕はまた見惚れそうになり、慌てて頭を振って煩悩を振り払う。
そして、今から話す事を頭の中で反芻した。
…それが終わった後、僕はやっぱり彼女の目を見れないまま、窓の外を見ながら話し出した。
「…まず、謝らないといけない。結果的に君を傷つける事になってしまったから。」
「………いえ……私の方こそ。」
彼女はやはり清らかな声で答えた。だが、その声は震えている。
だから、僕はなるべく柔らかい物腰で行く事にする。
分かりやすいように、順に真実を伝えながら。
「……多分、君は誤解していると思う。」
「……何をですか?」
彼女は不安そうな表情になった。
僕はそれを見て、やはり誤解していたのだと悟る。
「僕が吐いたり、倒れたりしたのは君のせいじゃないよ。」
ガタン!
それを聞いた瞬間、彼女は突然椅子から立ち上がり、威嚇する獣のような眼差しで僕を睨みつけてきた。
次の瞬間、彼女は大声で怒鳴る。
「嘘つかないで下さい!」
「いや、嘘じゃ---」
「あの状況で、よくそんな事が言えますね!?『君のせいじゃない』ですって?
いいえ!私のせいでしょう!?」
彼女の豹変と正論に、僕は息が詰まった。
だが、絶対に肯定するわけにはいかない。肯定してしまったら、僕の中にある何かが壊れてしまいそうだから。
「落ち着いて聞いてくれ。全部説明するから。」
しかし、そんな言葉は無意味のようだ。彼女はリミッターが外されたかのように怒り狂っている。
「説明って?他に何があるんですか!?私の顔を見たから吐いた。それだけでしょう!」
「違うんだよ……そうじゃないんだ……」
「言い訳するのはやめて下さい!もう素直に認めたらどうですか!?私の顔が嫌いだって!」
「ちがう!!」
突然僕が大声を出した事で、彼女は驚いて固まった。
僕は彼女が静かになったのを見て、もう一度、彼女がまた怒り出す前に無理矢理説明を始める。
僕が"悲劇"と揶揄している人生を。
自分の出生の事。
母親に捨てられた事。
いじめられていた事。
一方的に失恋した事。
僕の人生を順に話すたびに、彼女の表情は怒りから驚きに変わっていった……
*
語り出してから三十分。
僕は最後の説明に入っていた。
「僕は昨日、君の顔を見て吐いて倒れた。それは事実だ。……だけど、君の顔が嫌いだとか、そんな理由じゃないんだ。」
「……………」
彼女は頷いて、続きを促した。
「君の笑顔……あの時僕に見せた笑顔は、本物の笑顔じゃないだろう?」
「え?………」
彼女は予想外だと言うように声を出した。
そして、少し考えた後に頷く。
「ええ。確かにそうです。」
僕はその答えを聴き、満足する。
「僕は君のあの笑顔を見て、さっき話した女の子を思い出したんだ。」
「そうなんですか……」
彼女は俯いてそう言った。
更に僕は続ける。
「そして、君の目を見た瞬間……母さんを思い出したんだ。……母さんも、君のような真っ黒で綺麗な瞳をしていた。」
「…………」
彼女は、もう何も言わなかった。
「そして、情けないけど、吐いた。母さんの事を思い出して。」
「……………」
「………………」
沈黙の中、僕は逸らしていた視線を彼女に向けた。真っ直ぐにその瞳を見つめる。
彼女は僕の視線に気付くと、こちらを見つめ返してきた。
「……………」
「……………」
深い深い、湖のように漆黒に染まった、その静謐な瞳はやはり母さんを思い出させる。
……だが、今の僕にはもう影響は無かった。
「…………」
「…………」
……何故なら、彼女の瞳は僕の母親など比べ物にならないくらい美しかったから。
……あの日、母さんが出て行った日に見た瞳は、濁りきっていた。
こんなに澄んではいなかった。
僕はその途轍もなく純粋な瞳に向かって謝った。
「ごめんね。辛い思いをさせてしまって。」
……すると、なぜか彼女は目に涙を浮かべ、震える声で答えた。
「……違います……辛い思いをしたのは貴方なのに、私はっ!……」
僕はそれを首を振って否定した。
彼女に非は一切無いのだ。
「……いいや、僕が過去を割り切れていないのが悪いんだ。」
「……ですが!」
その言葉を遮って僕は言う。
「でも、君のお陰で少しは楽になったよ。ありがとう。」
「貴方に比べたら、私の人生なんて…っ!」
遂に彼女は泣き出してしまった。
僕が寝ているベッドに顔を伏せ、嗚咽を漏らす。
そんな彼女にどんな言葉を掛けていいのか分からず、じっとその様子を見つめていた。
* * *
しばらく彼女はベッドに顔を埋めて泣いた後、顔を上げた。そして、真っ赤に染まった目をこちらに向けて言う。
「ごめんなさい。取り乱してしまって……」
「うん。」
僕はそれだけ言った。そして、彼女が泣いてからずっと考えていた事を口にする。
「ねえ……」
「……なんですか?」
「…もうお互い様って事で、この事は水に流さないか?」
彼女は俯いて、
「……でも」
と言った。
僕は彼女を納得させる為、これもまた考えていた事を言う。
「君は僕に傷つけられた。僕は………うん。僕も傷ついた。だから、痛み分けという事だ。」
そう言う内心、僕は自分がした事を振り返り、自分に失望していた。
(勝手に傷つけて、勝手に傷ついて、それでこんな事を言うなんて…………僕って、最低な人間なんだな………)
そんな事を思いながら彼女の返事を待っていると……
「……分かりました。私は勝手に傷ついた。そして、貴方も勝手に傷ついた、という事ですね?」
「え………」
……言葉が出なかった。
彼女は、僕の内心を見抜いているとしか思えないような事を言っているのだ。
「どうして……」
すると彼女は微笑んで言った。
「表情に出過ぎです。考えてる事が手に取るように分かりますよ?」
僕はオロオロしながらも、突然攻勢に出た彼女に聞く。
「…で、でも、それならなんで……」
「貴方が正直な人だからだと思ったからです。それに……」
「……それに?」
「……いえ、なんでもないです。とにかく、今回の事は水に流しましょう。引きずっても、互いに何の利益も生みませんし。」
「そ、そうか……」
「ええ。そうです。」
「…………」
「…では、私達は今から友達ですよね?」
「え?…は、はい。」
友達?ともだち…トモダチ……あぁ。
そうか。友達だ。
「……私は今から敬語を辞めます。友達に敬語なんておかしいですから。」
「そ、そうだね。」
彼女は一つ息を吐き、本当に敬語を使うことをやめた。
「…次は自己紹介。簡潔に行くよ?」
彼女はどんどん話を進める。
「り、了解。」
「私の名前は月城
「僕は結城 拓海。よろしく。雪菜。」
「っえ!?」
僕の名前を聞くと、雪菜はひどく驚いた顔をした。
「どうしたの?」
「な、なんでもない。これからよろしくね。拓海。」
「…うん。よろしく。」
こうして、僕達はようやくお互いを知った。
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