第13話 氷の精霊




 ーー 皇家直轄領 アルディス湖の畔 屋敷 メレスロス ーー





 寒い……


 ああ……またフラウのせいね


 冷たい……凍ってる?


 私はまぶたをそっと開け部屋を確認すると、天井と窓と絨毯にテーブル。そして私の眠るベッドまでが凍りついていた。


 うっ……身体が重い……また私の魔力を勝手に奪って暴れているのね。

 ここ50年余り幾度と繰り返され、年々酷くなるあの子に対して私はもうわずかな抵抗しかすることができない。


 それほどあの子は強くなってしまった。でもこのままじゃ、またこの屋敷ごと凍らせられてしまう。そうなればまた多くの犠牲が……


 私はベッドから身を起こし、氷の精霊であるフラウを制御するべく精霊契約に基づき魔力を込めた命令を発した。


「フラウ! やめなさい! 部屋を凍らせないで! 」


《 フフフフ……イヤ……フフフフ…… 》


「くっ……抑えきれない……言うことを聞きなさい! 」


 私はさらに残り少ない魔力を込めてフラウへ命令をした。


《 フフフフフ……ウルサイ 》


「あくっ……うう……また腕が……」


 しかしフラウは氷の霧を私に放ち、私の左腕を凍らせた。私はその精霊魔法にまったく抵抗することができなかった。


 駄目……やっぱり私では制御できない……また左腕を凍らせられてしまった……早く3等級ポーションを飲まないと……お父様にまた負担を掛けてしまう。


 お父様には私が四肢を失う度に貴重な2等級ポーションを使わせてしまっている。いくら皇帝とはいえ、貴族たちにダンジョン攻略を厳命している以上、ダンジョン攻略に必須の2等級ポーションはそうそう手に入らない。お父様の現役時代の蓄えと、マルス公爵とハマール公爵自らが上級ダンジョンの下層で手に入れた物をお父様に献上してくれていなければ私はとっくに四肢を失っている。


《 フフフフ……ヨワイ……フフフフ…… 》


「くっ……ああーっ!」


 私がテーブルの上にあるマジックポーチを取りに行こうとしたところ、フラウの発した氷の槍が私の凍りついている左腕を撃ち砕いた。


 ああ……腕が砕けて……なぜ……なぜ言うことを聞いてくれないの……お父様とダンジョンに行きランクも上げたのになぜ制御できないの……寒いのはもう嫌なの……私を抱きしめてくるお父様をもう凍らせたくないの……お父様ごめんなさい……また腕を失ってしまいました……


《 フフフフフ……キライ……メレスキライ…… 》


「くっ……また魔力を奪われ……フラウ……どうして……」


 なぜこんなに嫌われているの……100年前にやっと契約できた時は言うことを聞いてくれたのに……私のランクが上がり、フラウの力が強くなるにつれてまったく言うことを聞いてくれなくなった。どうして……お父様に言われた通りにしているのになぜ制御できないの……


「メレス様! 」


「リリア来ないで! 下がっていなさい! 」


 私が失った左腕を押さえ蹲っていると、異変を察知したのか隻腕の侍女のリリアが部屋へと飛び込んできた。

 そしてリリアは部屋中が凍りついていることに一瞬驚きつつも、私のもとへとすぐに駆け寄ってきた。

 来たら駄目……貴女の残りの腕まで凍らせられてしまう。


「下がりません! 『炎壁』! フラウ! 静まりなさい! 《 こちらリリア・リヒテンラウド。火属性のスキルを持つ雪華騎士よ、至急メレス様の部屋に! フラウの暴走です! 》 」


 リリアは部屋中を飛び交う氷の礫を炎壁のスキルで防ぎ、私に3等級ポーションを渡してから魔導携帯で私の専属の騎士たちを呼び寄せた。


《 フフフフフ……キライ……キライキライキライ……ミンナキライ…… 》


「あぐっ! くっ……『炎壁』! フラウ! また私たちと千日手をやりますか? おとなしくしてください! 」


「リリア! くっ……フラウ! 従いなさい! フラウ! 」


 リリアの炎壁にフラウは氷の塊をぶつけ、炎壁をすり抜けてリリアの腹部を殴打した。それでも防具を着けていない侍女服姿であるにもかかわらずリリアは耐え、よろめきながらも炎壁を二重に張りフラウに静まるよう言い放った。同時に私も必死にフラウにこれ以上魔力を奪われないよう抵抗していた。


 そうした状態を1分ほど続けた頃、部屋の外から私の騎士たちがやってくる音が聞こえた。


《 フフフフフ……フフフフフ……オシマイ……》


 フラウは形勢が不利になったと思ったのか、氷の吹雪を収め私の身体の中へと戻ってきた。


「ハァハァハァ……メレス様腕が……くっ……申し訳ありません。気付くのが遅れました」


「気にしなくていいわ。私が未熟なせいだから。リリアに怪我がなくてよかったわ」


 私のせいでもう人が傷付くところは見たくない。これまで多くの雪華騎士と侍女が四肢を失い去っていった。


 私の存在を知る貴族はリヒテン伯爵家とライムーン伯爵家にマルス公爵とハマール公爵のみ。

 だから私の周囲にはリリアと、その各家とお父様が用意してくださった20名の女性のみで構成されている雪華騎士のみしかいない。でもそのリリアも右腕を失い、雪華騎士のほとんどの者が足や手、耳や目などどこかしら欠損している。きっと私を恨んでいることでしょう。


 もう2等級ポーションは無い。お父様が若い頃に集めたポーションも、マルス公爵とハマール公爵が譲ってくれたポーションも全て1ヶ月前のフラウの暴走で使い切ってしまった。それを知ったお父様は上級ダンジョンへ潜ると言ってリリアの高祖父、リヒテンラウド宰相に止められたと聞く。


 精霊契約があるので私はフラウによって殺されることはない。でもいずれ四肢が無くなり寝たきりとなるでしょう。その時は覚悟を決めている。私自らがこの命を……


 でも……でも最後に暖かい部屋で人の温もりを感じたかった。

 一度でいいから人を愛するということをしてみたかった。

 優しくて強くて逞しくて、そしてお父様のように凛々しい顔立ちの素敵な男性と恋をしてみたかった。


 でもそれは叶わぬ夢……


 私はいにしえより禁忌とされていたテルミナ人とエルフの子だから……


 生まれてきてはいけなかった存在だから……


 私はこのお母様の眠る湖から一生出ることのできない、この世界に必要のない存在なのだから……









 ーー 桜島総督府ビル4階 帝国桜島連絡所 所長 上級文官 オリビア・マルス ーー





「オリビア様、今からアクツ総督のところへ? 」


「ええ……頼まれていた調査報告と別件の報告もあるから行くわ」


 私が執務室を出ると2等文官のソラーニャが後ろから私を呼び止めた。

 私は報告する内容を思い返し憂鬱な気持ちになっていた事を悟られないよう、なるべく明るく答えた。


「あの……実は彼……スラエン準男爵との婚約が決まりました。陛下から祝福のお言葉を頂いて……それで父が陛下がお薦めになる男性なら将来性があると。これもアクツ総督のおかげです。是非お礼を言いたいので同行させていただいてもよろしいでしょうか? 」


「え!? まさかクリスマスの時の!? それは凄いわ! おめでとう! 良かったわね! アクツさんは本当に陛下に……なんて人なのかしら。あっ、でもお礼は日を改めた方がいいわ。ちょっと、いえかなり良くない報告をしに行くところなのよ」


「そうですか……それならまた日を改めることにします。失礼しました」


 ソラーニャは残念そうにしながらも、そう言ってオフィスへと戻っていった。


 しかし驚いたわ。本当にアクツさんは陛下に身分違いの二人の仲を取り持つように言ったのね……伯爵家の次女が準男爵家と婚姻なんて本来ならあり得ないことよね。あの時、この世界のクリスマスというイベントの翌日にこの連絡所にアクツさんが来た時に、暗く沈むソラーニャに声を掛けて幸せをプレゼントしてあげると言ってたのは冗談ではなかったのね。



 アクツさんと私を含めた連絡所の職員に警備をする帝国兵は、今ではとても良好な関係を築いているわ。

 半年前に初めてこの桜島にやってきた時とは雲泥の差。あの時は皆が死を覚悟した。それだけのことを私たちはアクツさんにしてしまった。父から多大な功があり、陛下も認めた人族であるということは聞いていた。決して怒らせてはならないと厳命もされていた。


 でも私は帝城勤務からいち占領地の、しかも小さな島の総督府の連絡員に任命された事が不満だった。それは同行した文官も兵士たちも同じ気持ちだった。それゆえにアクツさんに対して傲慢な態度を取り怒らせ、兵を死なせ私たちも命の危機に瀕した。


 怖かった……突然身体中の魔力が抜け、胸の神石の魔力しか感じられない状態があれほど恐ろしいものだとは思わなかった。そして初めて漏らしてしまった。




 あの時……

 私は命からがら父の元へ逃げ帰り全てを話した。占領地の総督が帝国兵を殺したと、公爵家の次女である私も殺されそうになったと。すぐに討伐軍を組織してアクツを討つべきだと。


 私は心の中で復讐に燃えていた。公爵家の次女であり、高等文官で帝国一の才女と呼ばれた私に恥をかかせたアクツに死を与えてやると。しかし父は私のために兵を挙げなかった。それどころか父は烈火の如く怒り、私の頬を思いっきり叩いた。


 ショックだった。父に叩かれたことなど生まれて初めてであった私は動揺した。私はいったいなぜ叩かれたのか理解できなかった。母が驚き止めに入っても父は母を一喝し、口を挟むことを禁じた。普段仲の良い父と母からは信じられないやり取りだった。


 そして私に愚か者と、そこまで増長していたのかと父は何度も私を叩いた。そしてそのまま地下室に引きずられて入れられ、外に出ることを禁じられた。


 地下室では私は泣き続け、そして泣き疲れ生きる気力すら失っていた。一つだけ。私は怒らせてはいけない人を怒らせてしまったのだということだけ理解した。あの三等国民の総督はただの人族ではないと。私は陛下が認めた人族であるということをもっと考えるべきだったのだ。


 そうして後悔の日々を1ヶ月ほど過ごした頃、地下室に父がやってきた。父は反省したかと私に言ったあと、アクツ殿の赦しを得たからもう一度桜島に行くようにと私に告げた。私はまさかまたあの恐ろしい男のもとに行かされるとは思っていなかったので、心臓が止まるほど驚いた。


 しかしここで父に嫌だと言えば勘当されてしまう。私は頷きつつも、この1ヶ月疑問に思っていた事を父に聞いた。あのアクツという男は何者なのかと。陛下や父がなぜそこまで三等国民に気を掛けるのかと。このままでは部下の者を抑えられる自信が無いと。

 父は数分ほど押し黙り、そして決して他言無用だと真剣な表情で私にアクツという男の素性を話してくれた。そして私は父の話が耳に入る度に、身体から血の気が失せていくのを実感していた。


 アクツ・コウという男は悪魔だった。


 そうは言っても本物の悪魔ではなく、コビール侯爵領や帝城を襲撃したあの悪魔だった。

 コビール侯爵軍を全滅させ、隣接する貴族軍も壊滅させたのちに帝都に乗り込み十二神将を殺したあの悪魔だったの。


 そして驚く事に彼はあの【魔】の古代ダンジョンの攻略者だった。それはつまり古より世界を手に入れることができるスキルを手に入れたということ。


 私は父の話を聞き、自分のやったことの愚かさをこれでもかというほど痛感していた。一歩間違えれば公爵家、いえ、帝国を滅ぼすところだった。父があれほど怒るのも無理もない。父は私を可愛がってくれて、私を信頼していてくれていた。それなのに私は父を裏切ったのだ。


 私は父に泣きながら地に頭を擦り付け謝った。父の顔に泥を塗ってしまった。家を滅ぼすところだったと。

 泣きじゃくる私を父は抱きしめ、最初に全てを話せてやれなくてすまなかったと言ってくれそして許してくれた。


 父の言うとおりだ。こんなこと話せるわけがない。


 この話をほかの貴族たちが知れば大変なことになる。あり得ないと信じない者がほとんどだろう。特に武闘派のロンドメル公爵など鼻で笑うことだろう。でも確実に信じ確かめようとする貴族はいる。そうなればその者たちは彼にちょっかいを掛ける。そう、私のように。それは帝国にとって危険過ぎる。それに万が一貴族に彼を取り込まれたら帝国は滅ぶ。


 それから地下室から出た私は心を入れ替え、つまらない自尊心など全て捨ててアクツさんに奉公するつもりで再度桜島へと渡った。部下の者にはかなり厳しい対応を取った。もしも桜島の住人に危害を加えようものなら、家の力を使い帝国にいる一族全てを地獄の苦しみを与えた上で処刑すると。それだけ逆らってはいけない相手なのだと。私にそんな事をさせないで欲しいと頭を下げて皆に伝えた。


 その甲斐あってこれまで問題は起こっていない。兵士たちは獣人たちに罵詈雑言を浴びせられてもひたすら耐えていた。そして桜島警備隊に人手が足らない時は、率先して手伝いに行かせた。家や道路のの建築も手伝わせた。


 私も必死にアクツさんの欲する情報を集め、彼が欲しい物を手に入れるために帝国の技術省に交渉にも出向いた。そしてクリスマスの翌日。私たちはアクツさんに認められた。私たちの働きに満足していると。よくやってくれたと言って私たち全員にプレゼントをくれた。兵士たちには黒鉄の武器とマジックアクセサリーを、文官たちにはそれぞれ地球製の時計やアクセサリーを渡してくれた。私には疲労と体力回復にと3等級の祝福の指輪にその……刺激的な下着をくれた。



 男性から生まれて初めてプレゼントをもらった事で、私は浮かれていたのね。だからその時はよく考えていなかったけど、こんな下着をもらっても見せる相手がいないと軽く落ち込んだわ。アクツさんが見たいという意味だったのかしら? いえ、まさかそんな……でももしかしたら……


 アクツさんはその日は高級な竜肉とお酒を皆に振る舞ってくれたし、年明けの時も労ってくれた。今では私にとても優しい。そしてきっと彼と一緒にいれば幸せになれる。それはエスティナたちを見ていればわかるわ。あの子たちとても幸せそうだもの。


 エスティナとは仕事でよく話すうちに打ち解けた。彼女からはいつもアクツさんとの惚気を聞かされている。お見合いをしても男性に逃げられると言った私を慰めてもくれた。私がモテないのではなくて、公爵家と釣り合う高位の貴族家の男は馬鹿が多いからだとも言ってくれたわね。それはその通りで、どの男もプライドが高くて少しでも意見する女は嫌がるのよね。


 でもエルフがあんなに優秀だったなんて……ずっと戦闘奴隷としてしか見ていなかったからショックだったわ。なによりあのアクツさんを完全に掌握している。それは凄いの一言に尽きる。


 それに帝国人を恨んでいるはずなのに、それを微塵も感じさせない。それどころか私にお友達になりましょと言ってくる始末。公爵家の私に友達になりましょうなんて、平気で言える人なんて同じ公爵家の者以外いない。


 私はエスティナに勝てないと思った。私がしてきた苦労なんて、この子たちに比べたら本当にたいしたことがないことなんだって。だからこんなに懐が深いんだって。気が付いたら私から是非お友達になってとお願いしてたわ。そしたらリズとシーナとも食事のセッティングしてくれて、打ち解ける機会を作ってくれた。あの子たちもとてもいい子で。そして全員がアクツさんを大好きで羨ましかったわ。


 私も当事者である彼女たちだからと、帝城の一件を知っていると話したの。そしたら誰かに言いたくてたまらなかったのね。コビール侯爵に捕まった彼女たちを、アクツさんが帝国を敵に回す事を覚悟で命懸けで助けに来てくれた話と、帝城での陛下との戦いに奴隷解放の交渉の時のことを聞かされた。その話を聞いて私は、ああ……これは惚れなきゃおかしいわと思った。話を聞いていた私ですら惚れそうだったもの。


 顔はともかくいい男過ぎよ。世界を支配している帝国を敵に回してまで、好きな子を助けに行くなんてそんなことができる男性なんていないわ。この話を聞いた時からまたアクツさんへの見る目が変わったのよね。最近は会うとドキドキしてきたりする。私にも白馬の皇子様に憧れる少女の時の気持ちが残ってたのね。


 そして今度はソラーニャの身分違いの恋を成就させてしまった。いち文官の恋を叶えるために陛下を動かすなんてカッコ良すぎよ。


 だからこそ今からアクツさんに報告に行くのが憂鬱なのよね。

 なぜ私が伝えないといけないのよ……通常は貴族院から人を派遣して伝えるべきことよ。なのになぜ……いえ、わかっているわ。貴族院の文官じゃ偉そうに伝えて、彼が心底望まない物なのに平気で跪いて頭を下げて受け取れと言うでしょうからね。


 そんなこと言ったら命はないわね。


 だから私しかいないのよね……この男爵の地位の叙爵を告げることができるのは……


 貴族嫌いのアクツさんに、貴族になりました断れませんと伝えなければならないなんて……


 彼、絶対怒るわよね?


 この嫌われる役目誰か代わってくれないかしら?


 ほんと憂鬱だわ……








  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る