383話 ある男の回顧⑦


再度自分竜崎の前に浮かび上がる、瓦礫となりし転移装置の情景。先程それを目にした際は、悔悟や憤懣、絶望や諦観が身を包んだ。




だが、ひとつずつひとつずつ思考を…自らの悔いや、ニアロンやアリシャ達への想い、そしてさくらへの願い…そういった『心の内』を整理し、自省を行った今。その感情は、別のものに変わっていた。




言うなれば、この一人ぼっちの真っ暗な空間深層意識にいるからこそ去来した……。



いや、、純粋なる自分自身のためだけの感情。それこそが―。





『もう、生贄にならなくて良い』―。





そんな…虚無感とも混じり合った、安堵の気持ちであった。















生贄―。 その言葉は、自分が元居た世界にも存在した。


歴史の教科書や参考書にほんの稀に描かれる、化学も何もかも発達していない古くに行われていた非道の文化。



いや…人に限らないのならば、今も世界の何処かで行われているのかもしれない。生き物の命を神に捧げ、それにより恩恵や、赦しを得ようとするために。




それでも、当然の如く関係ない事だと思っていた。そんな非科学的でナンセンスなこと、自らの身には起こり得ない―。そう確信して生きてきた。








――だというのに。目の前に現れたのだ。その生贄の儀式が。 …ただし、異世界で。




初めてそれを耳にした時、自分は怪訝な顔を浮かべた。 魔術がある世界だとは聞いていたが…阿保みたいな文化があるものだと。




しかしその生贄が信仰の類などではなく、生きるために必要不可欠なものであることを教わった時、全身に戦慄が走った。 不治の病の蔓延を抑えるための、苦肉の策なのだと理解したから。




更にそれが自分を含む若者から選ばれること、そしてクレア命の恩人に白羽の矢が立った時…身がまともに動かぬほどに竦んだ。 ……村から逃げ出したい気持ちにさえなった。




そして…今まで良くしてくれた村の人々から、完全なる敵意の目を向けられた時…。頼っていた村長夫妻クレアの両親から恨まれた時…。悟った。 自分は、誰からも必要とされていない、ゴミような存在だと。



いや、もしかしたら…このために、この犠牲のためだけに転移してきたのかもしれない。 そう考えることでしか、精神を保てなかった。 心が黒ずみ、腐り崩れ去っていく気がした。








――――しかしそれも、過去の話。先程も述べた通り、既に綺麗に水に流した。



ある意味それは、暗黙の取引だったのかもしれない。自らが受けた仕打ちと、身に残留した呪いとその主であるニアロンの罪を帳消しにするための。




なにせ、誰も悪くは無かったのだ。呪いを抑え続けていたニアロンも、生贄を強要してきた村の人々も。 そこに下卑た思惑なぞ混じることなく、皆が純粋な思いで動いていただけだったのだから。






今では、笑い話にこそしにくいが…思い出深い記憶。その点についての考えは、それで変わらない。そして、それがさくらには味合わせたくない痛みだというのも、同じく。








だから、そうではない。そこではないのだ。自分が怯えているのは、安堵した対象は、『生贄に選ばれる過程』についてではない。




もっと単純な、シンプルな、原始的な―、感覚。 それ即ち、『身体的な痛み』。




つまり…『生贄になった時の激痛』である。













もし、何事も無かったら。装置の起動が成功し、さくらを転移させられたなら。そして…残念ながら、この異世界の何処かに転移するだけに終わってしまっていたら。



その時には幾度も条件を変え、何度も装置起動を繰り返す気だった。身が装置による光の槍に幾度貫かれようとも、少女を元の世界へ送り返す『生贄』として。




そう心の底より決めていた。一度生贄になった身、ならば二度や三度でも人身御供となり、且つ、同じように耐えきり生き残って見せよう。 その覚悟はあった。



それに備え、鎮痛魔術や治癒魔術などを学んできた。 そしてただの傷程度ならば、ニアロンも問題なく治せる。




だから、挑んだ。 20年前の生贄よりは、軽いと信じて―。











――しかし…今や…その気は、その覚悟は、ぐちゃぐちゃになっていた。ニアロンとさくらの前で披露したあの威勢は、ぶちぶちと千切れ、消えかけていた。




理由は、一つであった。……あの『呪い』が、20年前に鎮まったあれが、死ぬ時まで蘇らないと思っていた呪印が、再度蠢き出したから…。















謎の魔術士により、幾多の保護をかけていた呪いは、再度呻き声をあげ出した。それはあの時の寸分変わらずに全身に広がりだした。




―刹那、化物のように襲って来た、思い出したくもない痛み。…全身が腐っていくような、皮膚を削ぎ落したくなるような、肉を抉り取りたくなるような、おぞましき激痛。20年前に味わった、惨烈なる感覚。




反射的に麻酔魔術や聖魔術を始めとした対策を講じ、即座に抑えつけた。しかし痛みを消しきることはできず、呪いはなおも自分の身を蝕もうと暴れ続けた。まるで、あの時のように…。





…瞬間、蘇ってしまったのである。その痛みを契機として。20年前のトラウマが。





赦したはずの…忘れたはずの恐怖が、痛痒つうようが、空虚が、惨苦が、絶望が、暗澹あんたんが…。津波の如く怒涛に、押し寄せて来たのだ。





―そして…。 『死にたくない―』 …と、純粋に、思ってしまった。











…情けない話である。あれだけ豪語したというのに、怖くなってしまったのだから。



だから、自らの最期を決める魔術弾を撃てなかったのだろう。先は美辞麗句で飾り付け自分自身を誤魔化したが…。なんのことはない。怯える少年のようになっていただけなのだ。





全く…【英雄】が聞いて呆れる。結局、20年前から自分は何も変えられていない。全てが、弱いまま。




装置も少女も、相棒すらも守り切れず、死にたくないと怯える―。 


自身1人の心の中だというのに、この結論から逃げるように弁じ立てて、最後にようやく諦めて受け入れる―。




そんな、力も心もグズグズな、愚か者―。…それが、『竜崎清人』の本性なのだろう…。












――…。…こんなことを言ってはいけない。そうわかっているのだが…。転移装置が壊されたで、希望と共に懸念も消え去ってくれた。




生贄にならなくて良い―。かつてのような辛さを、再度味合わなくて良い。そんな嬉しい気持ちが、呪いの発現以降、仄かに浮かび上がってきてしまったのだ。




…さくらには、悪いと思っている。けど…それが事実なのである…。













…なら、賢者の登場タイミングは、案外ピッタリだったのかもしれない。



あのタイミングで来てくれたからこそ、装置が壊されてくれた。装置の起動が出来たとしても、大怪我ですぐには実行不可であった。


そして何より―。生贄になる気を、失ってしまっていたのだから。






…いや、もしかしたら…それも賢者の策の一つだった可能性がある。



自分竜崎の身に怪我を負わせ、装置の起動を延期させる。 または、その傷をそさくらに見せつけることによって、転移装置の使用を敬遠させる。そしてあわよくば、装置自体を魔術士達に破壊させる―。



…それを、狙った節があるのだ。






もし装置が無事だった場合、自分が目覚めたらどんな行動をとるか。先も言った通り、再度装置を起動しに向かうつもりだった。



…しかし正直言って、それを望む者は自身とさくら以外には存在しない。賢者当人も、ソフィアも、ニアロンも、アリシャも、誰もが望んでいない。それはわかっていた。




しかし、彼女達手ずから装置を破壊なぞできない。リュウザキの行動を止められきれない。―故に、悪漢に任せた。



彼らが装置を壊してくれる可能性を視野に入れて、そしてこちら竜崎の心が折れるのを僅かに期待して。






勿論これは、自分一人の想像であるのだが…。あの爺さんなら、やりかねない。抜け目のない彼ならば、織り込み済みではありそうなこと。




そう考えるとなると、魔導書を奪われるのも彼にとって計算の内だったのかもしれない。装置が無事な場合でも、起動不可にさせるために。 且つ、かけてあるはずの追跡魔術で、連中の拠点を発見するために。







流石は『賢者』、賢なる者だと言うべきだろうか。此度の事象は、ほとんどが彼の手の上だったのかもしれない。




だが、仮にそうだとしても…怒る気にも、恨む気にもならなかった。それどころか、やはり多少の寂寞と共に安心感を覚えていた。









転移装置を失ったのは悲しむべきことだが、そのおかげで、生贄にならずに済む。



…そして、今後アリシャやソフィア、ニアロン達にあんな顔をさせずに済む―。




そう…あんな、悲しみに暮れた表情を―。








……あぁ。結局ここに戻ってきてしまった。ループするかの如く、折り返すかの如く、自省の起点へと戻ってきてしまった。









……ならばそろそろ、目覚めの時なのであろう。
















子供のように好き放題自分をなじり、気は多少楽にはなった。ならば…後は『大人』としての責務を果たすべき。『俺』から『私』に戻る時だ。





自分を責めて、負い目を感じたとしても…それで全部が許されるわけはない。



自分だけなのである。それで償った気になったのは。誰にも知られぬ、心の内でだけの出来事なのだから。





皆が自分の事を赦すか赦さないかは、直接問わねばならないこと。償いは自らの心の内で行うのではなく、彼女達に直接しなければいけないこと。







だから…このまま逃げるように眠り続けているわけにはいかない。なにせ自分はさくらの親代わりであり、『先生』なのだから。





先に生き、後から続く者を先導するのが自らの役目。ならば、どんなに辛くとも、前を見なければいけない。 





目を、覚まそう。そして、前を向こう。



こんな愚か者を赦してくれなくとも、罪を贖い続けよう―。






今度こそ、そんな『覚悟』を心に決めて。 彼は…竜崎は、深層意識の暗闇に別れを告げ、微かに灯った光の元へと――――

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