335話 噴き出した呪い

「あ…あぐ…ぐあ…!」


竜崎の口から、苦悶の声が漏れだす。腹部を中心に、血管は泥水が流れ込んだように淀み出す。それと同時に、肌には呪いの紋様が絡みつくように伸び始めた。




「うおお…!? 兄弟…!お前何して…!?」


突如、自らの血だまりへ倒れ悶え始めた竜崎を見て、獣人は後ずさる。一方の魔術士は、大きく高笑いをした。


「こいつの身体に巣食うと噂の『呪い』を自由にしてやっただけだ…!ふふっ…クックック…!苦しめ!苦しんで…死ね!」





―清人!!!―

「竜崎さん…!!!」


ニアロンとさくらは竜崎に駆け寄る。だが、その時であった。


「く…る…なァ…!!」

ドッ


「きゃっ…!」


さくらの身体は、竜崎の手によって突き放される。その衝撃で、彼女は尻もちをついてしまった。


―待ってろ…!今…!―


そんなことに構わず、ニアロンはさくらの身から飛び出そうとする。しかし―。


「来るなと…言ってる…だろ…!!ニアロン…!! 絶対に…絶対に…来る…なァ!!」


目を血走らせ叫ぶ竜崎に、ニアロンは硬直してしまう。彼は、更に言葉を続けた。


「守れ…!さくら…さん…を…!守ってくれ…!!」



―…!! ふ…ふ…ふざけるな!!! お前…!―


キュンッ!


―な……!?―


吼えたニアロンの頬を掠めたのは、一発の魔術弾。それは魔術士達から放たれたものではない。竜崎が、震える手で撃ち出した一撃だったのだ。


友から弓を引かれ、茫然とするニアロン。と、竜崎はその手で周囲を指し示した。


「周りを…見ろ…!」


その一言で、彼女はハッと気づく。そこには―


「グルル…」

「ギャウウッ!」


大量の魔獣達が囲み唸りをあげていた。



「逃がすか…!全員この場でブッ殺してやる…!」


魔術士の声と共に、獣の円は距離を狭めていく。ニアロンは内心焦燥し、追い詰められていた。



本当に呪いが噴き出したのならば、竜崎は十中八九死ぬ。かつて竜崎が生き残ったのは奇跡に等しいのだから。しかも今、彼は腹に風穴を開けられ、全身に大怪我を負っている。万が一にも耐えきれる保証はない。


しかし、さくらの元を離れたら、彼女は獣達に蹂躙されるだろう。神具を失い、戦意も喪失しているような少女だ。奇跡など起ころうこともなく、手足を引きちぎられ、頭を嚙み潰されるのは明白。


数秒程度の猶予で、決められるわけもない。せめぎ合いに揉まれるニアロン…その一方で、竜崎は1人、抗い続けていた。






痛い、痒い、痛い、痛い痛いイタイイタイ……!!!


この痛み…間違いない…! 20年前、ニアロンから渡された、あの呪い…! 暗闇の中、全身を呪いの紋様に包まれ味わった地獄の苦しみ…!


掻き毟りたい…!腹に空いた槍傷から手を突っ込み、内臓を抉り取りたい…!



そんな思いを、竜崎は口内を噛むことで無理やり堪えた。しかし、苦しみを誤魔化すため、内頬の肉が削げかけるほどの力をかけてしまう。


そのせいで、彼の口の中には未だ赤みを湛えた血が。それは喉奥から上がってきた、呪いで淀んだ血に混じり、醜悪な色へと。



(まだ…まだだ……!)


竜崎はそれを出来る限り強く吐き捨てる。そして…詠唱を始めた。




「――。――。ぐっ…。はぁ…はぁ… ―――。―――!」


押し寄せる痛みに耐え詠唱しながら、竜崎は一つ安堵をしていた。呪いの進行速度があの時よりも遅いということに。



彼ら…竜崎とニアロンは長年かけて、呪いをどうにか消滅させられないかと様々な知恵を借り、あらゆる方法を試みた。結果、消し去ることはできなかったが…。


それでも、弱化、鈍化の成果は出ていた。甲斐はあり、呪いの蝕む速度はあの時よりも数段遅い。瞬時に全身を包むはずの呪い紋様が、未だ胴を登るさ中。




ならば、まだ、間に合う…!


急げ…! 苦しみで意識を失う前に…呪紋が身を支配する前に…呪いが撒き散らされ、さくらさんを蝕む前に…!






「ニ…アロン…!」


―!? 清人…!―


「後を…託した…!」


竜崎がそう呟いた瞬間、彼の周りに幾つもの魔法陣が作り出される。空中、地面、身体の表面…至る所に現れたそれは、淡い光を放つ。


その直後だった。魔法陣から飛び出したのは、聖魔術の文言が描かれた鎖や布帯、光の紐。それらは一斉に竜崎の身を縛り、包み、貫いた。


「ぐっ…」


小さく悶える竜崎。と、思わぬことが起きた。なんと…聖魔術が絡んだ点を境に、呪い紋様の侵攻が止まったのだ。



…呪いが消えていない。ならば、いつかこのような時呪いの再発が来るというのは想像に難くなかった。


だから、彼は備えていた。呪いが復活した際、抑えることが出来るようにと仕組んでいたのだ。聖魔術…呪いの歯止めとなる、唯一の魔術を。






「良かった…」


さくらは思わず息をつく。ハリネズミのような姿となった竜崎だが、死ぬことは無くなった…


―いや…!よくない…!あれはただ、抑えるだけの魔術だ…! 気を失えば…!―


ニアロンの切迫した声が、さくらの緩みかけた心を強く縛り絞めた。数多の賢人の力を借り、されど消えなかった呪い。それを完全に鎮圧するには、ニアロンの力が不可欠である。


加えて、竜崎は命の危機。腹に穴が開いている状態で、長く生きられるわけもない。今意識を保っているのがおかしいほどである。


ならば、やることは一つ。魔獣を蹴散らし、竜崎の元に…!




…だが瞬間、さくら達の頭に一抹の不安がよぎる。それは、魔術士と獣人が健在だということ。


いくら弱っているとはいえ、魔術士は神具ラケットを持っている。獣人は今でこそ静観気味だが、魔術士がわめけば仕方なしに動くだろう。


勿論、魔導書を渡した後に魔術士が襲い掛かってくる可能性がある。…いや、十中八九殺しにかかってくるはずである。


だが、それが分かっていたとしても…魔導書を渡すしか…。それしか道は残されていないのだ。


魔術士がどう動くか、魔導書をどう悪用するかなぞ、考えている余地はない。竜崎を、助けなければ…!


さくらとニアロンの内心が、そう一致した…その時だった。





「ニア…ロン……!」


獣の雑踏に紛れ、聞こえてくるは竜崎の声。ハッとさくら達が顔を向けたその時、彼は…声を振り絞った。



シルブ風の上位精霊…で…シルブで…! 『 @/;:p[--:%/、$(%$$"{* 』!!!」

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