328話 取引

「馬…鹿…! な…んで…来た…!」


血を吐きながらも、ニアロンを叱りつける竜崎。だがそれを上回るように、ニアロンは怒鳴りつけた。


―馬鹿はどっちだ! 馬鹿!―


その剣幕に、竜崎は何も言えなくなる。彼女のその声が、涙で震えていたからだ。



『竜の魔神』ニルザルルと違い、ニアロンの霊体姿は言わば不完全。宿主の魔力を消費することで生き永らえていると言っても過言ではない。


そんな彼女が、単独で飛んできた。それは即ち、この世から消滅してしまうリスクを承知の上だということ。


事実、彼女の身体の端は微かに消えかけていた。速度重視、及び獣人に一矢報いるため、省エネモードである童女形態には戻らず、あえてそのまま来たからである。


ニアロンはまさに自らの命をかなぐり捨てる勢いで、竜崎の元に戻ってきたのだ。





「チッ…! 面倒なタイミングで…面倒な奴が…! テメエそんなに飛べたのかよ…!」


殴られ混濁した頭を正気に戻すようにブルっと振り、予想外の乱入に顔を顰める獣人。不意打ちの一撃だったが、彼を昏倒させるまでには行かなかった。


ニアロンの怒りの一撃とは言え、宿主無しかつ焦っていたということ。そして獣人が呪薬による強化体になっていたというのが大きいか。ともあれ、獣人はラケットを構え直してしまった。


だが、そんな彼に向け、ニアロンは驚くべき提案をした。




―…さっき言ってたことは本当だな…!―


「…あん? なんのことだ…?」


追加の敵と見据えた相手から、妙なことを言われ若干戸惑う獣人。ニアロンは苛立ったように言葉を続けた。


―とぼけるな! 『魔導書を渡したら、すぐさま撤退する』って言っていただろう! 聞こえていたぞ!―


「あぁ、そのことか…。おうよ、約束してやるぜ。 ぶっちゃけ、俺だって腕叩き切られてんだ。無理やり血は止めてるが、さっさと帰って治療したいとこだしな…」


そう答えながら、獣人は腕を見せる。裂けた赤ローブに包まれた傷口からは、ポタポタと血が垂れ続けていた。いくら強化した身とはいえ、出血を完全に抑えることはできていない様子である。


それを聞いたニアロンは、獣人をキッと睨むようにしてこう述べた。


―なら、渡す…! 魔導書はやるから、これ以上は清人もさくらも傷つけるな!―






双方大ダメージを負っているこの状況、出来ることなら早期の決着が望まれる。でなければ、どちらか、あるいはどちらもが命を失うことになるだろう。


だというのに竜崎も獣人も、一切引く気はない。だが、立てないほどのダメージを受けている竜崎に対して、獣人は手こそ一本断たれているものの比較的元気。加えて、神具の鏡まで手にしている。


どちらが不利かなぞ、誰の目にも明らか。だからこそ、ニアロンは竜崎達を守るため、取引を持ち掛けたのだ。


だが、それに待ったをかけたのは…やはりというか、竜崎であった。




「やめろ…ニアロン…。それ…は…駄目だ……」


声を絞り出すように、ニアロンを引き止める竜崎。獣人達が魔導書をどのように使うかは知るべくもないが、数々の悪行から碌でもない使い方なのは想像できる。


そうすれば、どこかの誰かが必ず不幸に見舞われる。だからこそ、渡してはいけない。それこそ、



竜崎の口調、そして長年共にいた経験から、ニアロンは彼のそんな考えを見抜いていた。だから…だからこそ、彼女は一層苛烈に、言い返した。


―なんでお前はいつもいつも…!そうやって命を投げ出す!? 昔からそうだ!誰かを助けるために、必ず無茶をする! 魔物からオズヴァルドのような村人達を救出する時だって、ソフィアを助ける時に相手の命を奪った時だって、私のとこに生贄になりに来た時だって…!―


普段飄々としている彼女の姿からは想像出来ぬほどの、怒声と大粒の涙。その剣幕に竜崎は呆然としてしまう。


そんな彼の頭を、ニアロンはかかきしめる。そして、呟いた。


―もう…これ以上お前を傷つけられたくないんだ…。頼む…言う事を聞いてくれ…!―




涙ながらに説得する彼女。その頭へ竜崎は震える手を伸ばし、優しく撫でた。


「ごめん…そんなに心配させちゃって…。でも…魔導書は渡せない…」


頑なな竜崎に、ニアロンは悲しげに顔を歪める。それを慰め励ますように、彼は少し微笑んだ。


「だけど…来てくれたおかげで助かったよ。おかげで…」


と、竜崎はそこで言葉を短く区切る。それと同時に、ニアロンの頭を撫でていた手を、まるで銃のような形に変え…。


「こっちも応急処置は済んだ!」

ドンッドンッドンッ!


その指先から、獣人に向け複数の魔術弾を撃ち出した。





「うおっ…!? がっ…!」


突然の急襲を躱しきれず、直撃を食らい怯む獣人。その隙を逃さず、竜崎は素早く立ち上がり戦闘態勢をとる。


「はぁ…はぁ…かはっ…」


血を吐き、コヒューコヒューと酷い呼吸音を鳴らしながらも構える竜崎をみて、軽く距離を取り態勢を立て直した獣人はフッと笑った。


「お涙頂戴の劇場かと思ったら…裏でしっかりと回復してやがったか…! 抜け目ねえ野郎だ…!」


彼が見抜いた通り、竜崎は臥したまま治癒を行っていたのだ。しかし、精々がなんとか動けるようになった程度。万全とは言い難い。


「ニアロン、戦うぞ…! お前がいてくれれば、まだ勝機はある…!」


だがそれでも、竜崎は前を向く。彼の相棒もまた、急ぎ目の涙を拭い取り、獣人の前に立った。


―来るなら来い! 清人を殺させはしない!―




再度開かれかける戦端。だが、その時であった。



「きゃあぁぁっ!!!」


突如、絹を裂くかのような悲鳴が辺りに響き渡る。竜崎達も獣人も、何事かと一斉に声の元を見やる。


「―!!」

―な…―

「おいおい…!」


全員が、声を詰まらせる。何故なら…装置から少し離れた岩場で、魔術士がさくらの身体をのだから。

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