― 大切なものが ―

319話 巨躯の獣人

「なんだ兄弟。転移魔術を使う余力すらねえのか。ハッ、ざまあねえなぁおい」


のしりのしり、泰然たる態度で竜崎達の元へと歩いてくる赤ローブの巨躯の男。さきほど僅かに見えた拳が獣毛で覆われていたことから、獣人だということはわかる。


しかし、顔はわからない。ローブについたフードを深く被っているためである。だがそれでも、いやそれだからこそ、脅威はひしひしと伝わってきた。



彼…巨躯の男は今、天井を壊し上から降りてきた。既に謎の魔術士によって大穴が空いているのにも関わらず、自分で通り道を作り上げてきたのだ。


それが示すのは、彼にとってその穴まで移動し降下するよりも、厚い岩を叩き壊す方が楽だということ。


しかもパッと見る限り、剣や魔導書はおろか、手甲すらもつけていない。素手である。素手で砕き、土煙を打ち払ったというのか。




ふと、さくらの脳裏にはあることが浮かぶ。少し前に連れていってもらったモンストリア。そこでのひと騒動を。


獣母の遺骸盗難事件の端で、さくら達はモンストリア内部に魔獣を引き入れた、洗脳されたらしき『獣母信奉派』の獣人を捕まえた。


それは同行していた学園教員シベルとマーサによって牢屋で見張られていたはずなのだが…そこでとんでもないことが起きたのだ。



なんと、その牢屋が襲撃を受けたのである。その場の壁は大穴を開けられ、家具等は砕かれ、洗脳獣人のいた牢屋の檻は引きちぎられていた。


そして防衛についていた兵士達、あろうことかシベルまでが立ち上がれないほどに全身に大怪我を負ったのだ。


およそ軍隊の介入があったとも思える破壊痕。しかしシベルによると、なんと単独犯。赤いローブを纏った巨躯なる人物だった。勇者アリシャのような怪力無双ぶりを見せ、あっという間に洗脳獣人を連れ去ったという。


それが、今目の前にいる男と被る。いや、牢屋襲撃直後に別の場所で賢者ミルスパールが対峙したのは『小汚いローブの謎の魔術士と赤いローブの巨躯の男』だったと聞く。十中八九間違いないであろう。




竜崎もそれに思い至ったのだろう。ゆっくり歩いてくる巨躯の男に止まれ、と叫び問いただした。


「少し前のモンストリア襲撃、牢屋を襲い捕まえていた獣母信奉派の男性を拉致したのはお前だな?」


それと同時に、雷の上位精霊ポルクリッツが巨躯の男に狙いを定める。大人しくその場で足を止めた彼は、フッと笑った。


「あー、そのことか。あいつは俺の知り合いだったからな、変に喋られる前に回収させてもらったぜ。今は俺の側近として色々やらせてる」


ま、別に俺の正体なんてバレても構わんが、兄弟がなんとかしろって煩くてよ。巨躯の男はそう大きく笑い飛ばす。


と、それで何かを思い出したのか、彼は竜崎に問いを返してきた。


「そうだそうだ、そん時遊んでやった獣人がいてよ。一緒にいたシスターと連携攻撃を仕掛けてきて、その前にのしてやった兵士達よか強かったぜ。まあ数発ぶん殴ってやったら瀕死になっちまったが」


シスターと一緒にいた獣人…間違いない、あの場にいたシスターはマーサのみ。つまり、その獣人とはシベルのことを指している。


「そんでよ、その後がウケてな。ほとんど身体を動かせねえくせに、シスターを庇って吠えやがるんだ。『俺を殺しても良いから、こいつシスターには手を出すな』ってよ!」


巨躯の獣人の笑い声に、竜崎はギリ…と歯を軋ませる。怒っているようだ。


さくらもまた、巨躯の男は救いがたい外道であると認識しようとした時だった。巨躯の男は肩を竦め、妙な言葉を続けた。


「全く、泣かせる自己犠牲だぜ。あいつ、お前の教え子だろ? そっくりだったぜ、あの時のお前によ。怖がりながらも飛び出してきた、な」




「あの時…? 会ったことがあるのか…?」


思わぬ台詞に、竜崎は眉を潜める。すると、巨駆の男は自らのフードに手をかけた。


「ゲホッ…おい…!やめろマヌケが…!」


と、竜崎達の横から絞り出すような掠れ声が。謎の魔術士である。しかし巨躯の男はどこ吹く風。


「まーまー、もう良いだろ兄弟。正体明かしたとこで、何も変わらねえっつーの」


半ば強行する形で、巨駆の男はフードを外す。謎の魔術士のように顔隠しの魔術をかけているわけじゃないようで、その素顔は容易く晒け出された。


その大胆不敵な表情を浮かべた彼の顔は、全体を焦げ茶の獣毛が包んでおり、まるで熊のよう。


加えて、ローブと同じ赤色を用いた化粧?がところどころに覗える。それは僅かに隈取を彷彿とさせた。


その化粧と獣人という特色もあいまり、正確な年齢は見定められない。だが、そこまで若いというほどでもないらしい。竜崎と同じか、あるいはそれ以上であろう。



「ふー、暑苦しんだよこのローブ。兄弟に着ろって言われてるけどよぉ。なあリュウザキ、ニアロン。俺の顔に覚えはえか?」


足を止めたまま、自らの顔を指さす獣人。少し離れたところにいる彼を竜崎達は目を凝らして見つめるが、ゆっくりと首を捻った。


「…どこかで見たことあるような気はするけど…」


―あぁ、私もだ。だが…うーん? わからんな…。誰だお前―



「おいおいマジかよ…。まあ、あん時ちょいと顔合わせただけだし、あれから俺も毛色とか変わったしなぁ。しゃーねえか」


頭をガリガリ、溜息をつく巨躯の獣人。しかし名乗ることはせず、おもむろに頼み込んできた。


「なあリュウザキ、兄弟が欲しがってる『何か』を渡しちゃ貰えねえか? そうすりゃ大人しく帰るって約束するからよ」


「…断る」


勇者に並ぶ力を持つと目される彼の依頼を、少し怯みながらも拒否する竜崎。巨躯の獣人は舌打ちをした。


「チッ、面倒だな。まあお前らを人質に取って、勇者のヤロウを誘き出すのも面白いか!」


その瞬間さくら達の目は、獣人の背後がゆらりと捻じ曲がり、膨れ上がる様子を捉えた。そして、それが強大な闘気によるものだと確信できてしまった。


いや、それだけでない。化粧だと思っていた獣人の赤い隈取が、紫色に発光し始めたではないか。



「ポルクリッツ!」


即座に竜崎は指示を飛ばす。数瞬の差も無く、ポルクリッツはチャージしてあった雷撃を獣人に向け放った。だが―。


「へっ!」

ドッッ!


地を蹴り飛び消える獣人。さくら達は再度捉えた。ポルクリッツの雷光と、獣人の紫の輝きが交差した一瞬の出来事を。


「おらよ!」

ドグォッ!


「ギュイッ…!?」


直後、ポルクリッツの断末魔が響く。見ると、獣人はポルクリッツに肉薄し、その身体を拳で穿ち抜いているではないか。


シュウウと消えていくポルクリッツを、竜崎達は呆然自失と見送るしかなかった。この刹那の間に、雷撃を交わしつつ高速移動し、上位精霊を一撃の元に沈めたというのか。


「おいおい、気ぃ抜いてる暇あんのか!」


「―! しまっ…!?」


その僅かな隙を突かれてしまった。獣人は目で追えぬほどの速度で竜崎に迫り、そして―。


「兄弟の分、返しとくぜ!」

ドゴッ


「がっ…!!」


盛大に殴りつけられた竜崎は、そのまま勢いよく壁まで吹き飛ばされていった。

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