209話 若かりし『魔王』①

「父上!どうかお考え直しを!」


時は20年前、当代魔王が居を構える『魔王城』。謁見の間の扉を力強く開き、配下の兵に抑えつけられながらも必死に何かを訴える青年がいた。


「頭が高いぞ」

グシャッ!


「ぐぅ…!」


だがその場に足を踏み入れた青年は即座に床へと倒れこむ。頭を地へ擦り付け、体は僅かにしか持ちあがらない。渾身の力を籠め体を戻そうとするが、四つん這いとなるのが精いっぱいである。


当然、自らの意思ではない。謁見の間最奥、豪奢な椅子に座り、空間を揺るがせるほどの瘴気を放つ巨躯の男、時の『魔王』。彼が青年を睨みつけたのだ。ただそれだけで青年の体は自由を奪われ、床へと縛り付けられた。


だがまだ彼は抵抗している方である。先程まで青年を抑えつけていた兵達は軒並みが床に突っ伏し、呼吸するのすら困難なほどに。


「お…お考え直しを…!人界側に総攻撃をしかけるなど…!」


それでも青年はなりふり構わず訴える。魔王を囲む配下の内、幾名かは青年の惨めな様子に思わず笑いを漏らす。


そんな中魔王は大きく溜息をつき、空気をビリビリと震わせながら窘めた。


「アルサーよ、我が愚鈍なる一人息子よ。何をのたまうかと思えば…。人界の征服、それは先代達の悲願である。失われたはずの禁忌魔術が蘇った今こそが、世界の全てを魔で包む好機だ」


「その過程で幾万の無辜なる民の命が失われるとお思いですか!? しかも、『獣母』を始めとした禁忌の再現に既に優秀なる魔術士達が幾百人も命を落とし、兵を生産するために獣だけでは飽き足らず民を生贄としていることも聞き及んでおります! それが王たる父の…!」


「騒がしい」

ドガッ!


「うぐっ…!」


それ以上は語ることを許されず、青年は床へ打ちつけられる。


「アルサー、お前は跡継ぎとして命を残しておいたが…。それ以上歯向かうのならば、その首、ねじ切るぞ」


「そうやって…必要が無くなれば殺すのですね…!母上のように…!」


「そうだ。要らぬものは捨てるのが道理だ。…反抗的な目は消えぬな。勿体ないが、


まるで何か細い枝を摘み上げるかのように、魔王は指を動かす。と、青年の体は宙に浮きあがり、締め付けられる。


「うっ…」


自らの意思とは関係なく、首があらぬ方向へ曲がり始める。ピキ、ピキと小さい音が響き始め、このままいけばボキリと…。


「魔王様!お取込み中のところ失礼いたします!」


「なんだ」


「『観測者達』が人界側に勧告を…!」


「ほう…?あの臆病者達がか?」


急に駆け込んできた伝令に興味を惹かれたのか、魔王は指をピッと払う。それと同時に空中に縛り付けられていた青年は床へ落ち、死を免れた。


「次は無いと思え」


青年にそれだけ言い残すと、魔王は伝令の話に耳を傾ける。その間に青年は同じく解放された配下の兵とともに這う這うの体でその場を後にした。


「魔王様、アルサー様についてですが…一つ、提案があります」


「なんだ。…ほう、それは良い使い道だ。許そう」


幹部の1人と魔王のそんな会話を耳にせず…。





その夜、青年の寝室。彼は窓から街を見下ろしていた。深夜だというのに、街は煌々と灯りがついている。だがそれは正しき営みの光ではない。魔王の指示の元、昼夜問わずに鎧武具の増産が行われているのだ。民の顔からは既に生気は失われ、青年が視察に赴いた際にはただ魔王軍への恨みの視線、そして叶わぬ陳情のみがぶつけられた。


「どうすれば…!」


各地に魔神が棲むこの魔界、人が収める国はここ一つ。青年の味方はほぼ存在せず、力では敵わない。命が今あるだけでも奇跡と言っていい。


それに、ほとんど幽閉の身なのだ。魔神に協力を仰ごうとも、不可能である。そもそもこのような人同士の戦い、魔神達は自らに害が及ばぬ限り不干渉を決め込むのが常であった。


それをいいことに、魔王は人界支配に乗り出したのだ。人界側に棲む魔神はただ一人、『聖なる魔神』のみ。しかしその魔神に戦闘力はなく、拠点である『神聖国家メサイア』に気をつければいいだけのことである。


八方ふさがり、外を見ることすら辛くなった青年はベッドに体を横たえる。


「―!」


遠くから何かが聞こえてくる。それは足早に兵達が駆けてくる音。数はかなりのものである。次々と青年の部屋の前に足を止め―。


バァン!


勢いよく扉が開かれる。続いてドヤドヤと入ってくる兵達。


「やれ」


率いる老爺の掛け声で、兵は一斉に膨らむベッドへと槍を刺す。


「…!アレハルオ様!これは…!」


兵の報告にハッとした老爺が布団を捲ると、そこには丸まった別の布団。


「何者だ。見慣れぬ顔だな」


響く声に老爺が顔を上げると、ふわりと浮き見下ろす青年。手には魔術を練り上げており、不審な動きをした者は仕留めると圧をかけていた。


「これはこれは…アルサー様、お初にお目にかかります。私はマリウス・アレハルオ。辺境の貴族でございます。此度は貴方様を捕らえる命をとある幹部の方から受けまして」


「私を…?」


「なんでも、『獣母』の贄として貴方様は実に有用だとか。魔王様に匹敵する魔力、とても良い餌になりそうですなぁ。一体貴方様だけで何千、いや何万体もの人獣が作り出せることやら」


「そういうことか…結局私は処分されると」


「話が早いですね。やれ!」


マリウスの合図と共に兵は捕縛魔術を飛ばす。だがー。


「させるか!」


青年は手にしていた魔術を解放。飛んできた捕縛魔術は全てが反転し、逆に兵たちを捕らえた。


「流石は魔王様と同じ念魔術の使い手。一筋縄では行きませんね。しかし五体満足で捕えろとも言われておりません」


マリウスの言葉を皮切りに次々と武器を構える兵達。多勢に無勢、窓から逃走を図る青年だが…。


「ちっ…!」


想定内のようで、浮遊魔術を使う兵達が幾人も現れたのだ。



と、そんな時だった。


「アルサー様!こちらへ!」


飛んできたのは青年配下の兵達。魔術兵を抑え、逃走経路を確保していく。


「ここは我らに! ぐあっ…!」


だが数の差に押され、すぐに鎮圧されかける。


「早く…お逃げを…! 後の世は、貴方様にかかっております…!」


「くっ…! すまない…!」


次々と仲間が命を落としていく中、青年は血が出るほどに唇を噛み締めその場を後にするしかなかった。

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