72話 エアスト村④
青空教室の時間は気づけば終わってしまい、さくらは子供達に惜しまれながらもその場を後に。
「意外と楽しいんですね、先生の仕事って…!」
やり遂げた達成感と皆と仲良くなれた嬉しさから、さくらはつい顔を綻ばせる。ニアロンもまた、やって良かったろ、と笑っていた。
「ところで、これからどうします?一回竜崎さんのところに戻ります?」
―そうだな…丁度いい。行きたい場所があるんだ、そっちに向かってくれないか?―
そう頼むニアロンに従い、さくらはとある場所へと赴くのであった。
ニアロンに道を指示されながら着いた先には一つの祠。静かに祀られているそこには、誰もいない。
…いや、1人だけ居た。それは、クレアの息子であった。 名をカイルというのだが、彼がその祠周りを掃除していたのだ。
「あれ、カイルくん?」
昨日クレアの家に泊まり、食事や歓談を共にしたため、さくらも彼の名を知っていた。そしてむこうも同じく。カイルは気恥ずかしそうに、祠の裏に隠れてしまった。
―なんだカイル、掃除してくれていたのか。ありがとな―
ニアロンにお礼を言われ、照れながら出てくるカイル。そして、小さく呟いた。
「お母さんの代わりに…」
―いつもすまないな。 良い子だ―
ニアロンは彼の頭をよしよしと撫でる。カイルは決まりが悪いのか、少し逃げるようにさくら達から軽く距離をとってしまった。 …だが、嬉しそうな顔をしていた。
「ここって何ですか?」
改めて祠を眺め、問うさくら。 それに、ニアロンが懐古するように教えてくれた。
―ここは、私が呪いと共に閉じ込められていた洞窟があった場所だ。呪いを清人に移し、私もあいつに憑りついたから、取り壊して祠を作ってもらったのさ―
その言葉に、さくらは息を呑んでしまう。しかし黙っているわけにも行かず、もう一つ質問をした。
「…なんで祠に?」
―慰霊のためだ。 前にも話した通り、呪いを広めないためとはいえ、私は罪のない人々を幾人も殺めてきた。 彼らに贖罪なんてできないから、せめてもの、な…―
そう語り、祠の前で黙祷を捧げるニアロン。その姿は、魔界で戦没者を悼む竜崎の姿と似ていた。
それに倣い、さくらとカイルも自然と手を合わせたのだった。
「戻りました、竜崎さん」
他にも色々見終え、さくら達はトンネル工事の現場に戻る。竜崎は変わらず障壁を張っていた。
「お。お帰り、何してきたの?」
―青空教室でさくらが教師役を任されてな。子供達と戯れてきたよ―
「へぇー、それはいい。仲良くなれた?」
「それはもう!」
にっこりなさくらを見て、竜崎も自然と微笑む。そして、空を見上げた。
「そろそろ日も暮れてきたし、クレアの家に戻っておいて。私は多分、帰れるの深夜になりそうだから」
「えっ?そんなにトンネル工事がかかるんですか?」
思わず聞いてしまうさくら。いや、トンネル工事が一日足らずで終わる方がおかしいのだけど…。 しかし竜崎は、笑いつつ否定した。
「いや、それはもうそろそろ終わるんだけどね。宴会があるらしくて、誘われちゃったんだ」
―いつもの流れだな。よっと―
ふわりと、ニアロンは竜崎の体に戻る。まるで待ってましたと言わんばかりなにんまり顔。
―ということださくら、クレアに伝えておいてくれ。まあ織り込み済みだとは思うけどな。なんなら参加してもいいが、おっさん共のどんちゃん騒ぎを見る嵌めになるが―
…流石にそれは嫌だ…。さくらは参加を謹んで辞退した。
「ということらしいです」
「やっぱりね。夫も準備してたし」
トントントンと夕食の準備をしているクレアにそのことを伝えると、やはりわかっていたらしく笑いながら調理を続ける。さくらが手伝おうと申し出ると―。
「大丈夫よ、さくらちゃんはお客様なんだから、ゆっくりしていて。今日は本当に助かったわ、子供達があんなに喜んで授業を受けているのは久しぶりかも」
嬉しい一言である。ついでに、気になっていたことを聞いてみることに。
「ここって学校とかあるんですか?」
「そっちの世界みたいに立派なのは無いわね。読み書き計算を教えるところはあるけれど、精々村の有志か王都からたまに来る魔術士が教える程度。それもこの村が大きくなったから出来ることで、小さな村だと全然ね。実際、私が子供の頃、清人がこちらの世界に来た頃がそうだったわ」
「そうなんですか…。じゃあ『学園』って珍しい存在なんですか?」
「えぇ、学園は厳しい試験を切り抜けた者しか入れない訓練所よ。他の国でも、あそこまで整った魔術士の教育施設はないわ」
そうだったのか、とさくらは舌を巻く。 …ということは、ネリー達もその試験とやらを合格して入ってきたということなのだろう。
それはつまり…モカとアイナはともかく、あの騒がしいネリーも、ある程度は優秀だということ。彼女には悪いが、なんかちょっと信じられないさくらであった。
―と、そんな時。一足先に帰っていたらしいカイルがひょっこり顔を出した。
「お母さん、お風呂湧いたよ」
「ありがとうカイル。さくらちゃん、一番風呂をどうぞ」
「はふうー…」
浴槽の中で、さくらは大きく息を吐く。普段は教師寮の大浴場を利用しているさくらにとっては、久しぶりの家庭的なお風呂。ついつい気持ち良さからそんな声が出てしまったのだ。
「水の魔術、皆喜んでくれたなぁ…」
ふと思い立った彼女は、以前ナディに見せてもらったような水精霊を出してみる。指を振ると、それに合わせぱしゃぱしゃと水の塊がお湯を上を跳ねた。
なんとも奇妙な図が、笑いを誘う。しかし……。
「ナディさんのようにできないなぁ…」
ぼそりと呟くさくら。あの時ナディは、最初に一言告げるだけで使いこなしていた。術式が違うのか、はたまた経験の差なのか。
先程子供達に魔術を教えたおかげで自身もやる気を出したさくらはああでもないこうでもないと水精霊をいじくっていた。
すると――。
「さくらさん、お湯加減はいかがですか?」
「へっ!?」
突然のカイルの声に、思わず体を湯に深く沈めるさくら。声の出どころは、外。
どうやらお風呂の火の調整に出てきてくれたらしい。昨日はクレアがやってくれていたため、少しびっくりしてしまった。
「大丈夫ですか?」
「あっ、うん!大丈夫!ちょっと驚いただけ。そういえばどうやって火を起こしているの?薪?」
慌てて話を逸らすさくら。すると、聞こえてきたのは否定の声。
「ううん、火の精霊石です。 魔力を伝えられる火ばさみでやってます」
「へえー…。そうだ! カイルくんが入るとき、火の管理、代わりにやってあげるよ」
ふと思いつき、そう提案するさくら。 客人にそんなことをさせるわけにはいかないと思ったのか、カイルは惑う様子。
「え、でも…」
「いいからいいから!お礼代わり!」
「どう?丁度いい?」
「はい、気持ちいいです…!」
今度は変わってカイルが入浴、さくらが火を担当する。 ある程度ほっといていても良い機構なのに、さくらが湯焚きを買って出たのには理由があった。
勿論、この世界に転移してきた時に色々と世話を焼いてくれたカイルへのお礼もあるが…あの水精霊マッサージを試してみたかったのだ。要は、体のいい実験台である。
「ねえ、カイルくん…。もっと気持ちいいことに興味ない…?」
さくらは悟られぬよう、そう聞いてみる。最も、彼が遠いアリシャバージルでの、しかも女子銭湯での一幕を知っているわけはないのだが…やましさ故に、変な聞き方になってしまった。
「えっ…!?」
そのせいで少しドキっとしたのか、若干声がうわずるカイル。 それを了承と勝手にとらえ、さくらは持ってきていたラケットを取りだす。
そして中位水精霊を複数作り出し、命令を下した。
「カイルくんをマッサージしてあげて!」
主の命に従い、水精霊達は窓の隙間から湯船へと飛び込んでいく。ぽちゃんと水音が次々と響いた。
「な、なんですかこれ……あっはははははは!?」
内部より、大爆笑が聞こえてくる。 あの時、後から入ってきたイヴが、マッサージされていたさくらの笑い声を『狂ったような』と評したが…ほんとにそんな感じである。
「どう?気持ちいい?」
「ひいっひ…! あはっはっはははっ!!」
そしてカイルも、あの時のさくらと同様、答える余裕はなさそうであった。
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