56話 勇者『アリシャ』と竜崎


時は少々遡り、竜崎サイド。彼は勇者がいるエルフの国に向かっていた。




「お。ご主人、見えてきましたよ。神樹ユグドルが」


「ほんとだ。よし、もうひと踏ん張り頼むよ」



タマを激励してスピードを上げさせる。そこから更にしばらくして、ようやくエルフ国内に入ることができた。




「さて、ここからが長いんですよね…」


「頑張ってくれ、約束通りエルフ秘蔵の果実酒飲ませてあげるから」


「もちろん頑張りますよっと」



巨体ながらも猫らしく、軽やかにジャンプするタマ。国を覆う壁に飛び乗り、スタスタと歩き出した。






アリシャバージルも含めた他の国は幾つかの都や街、村々で構成されているのが常。だが、エルフの国は違う。



神樹ユグドルを中心に広がるその国は、その周囲だけで完結している。そのためとんでもなく広い。端から端までの距離は、下手すれば道中で一泊しなければいけないほどである。




そもそも20年前の戦争で生やした牙のような根を勇者達が取り払っている理由は、国の拡張工事のために他ならない。敷地を増やし、外界と繋がる道を増やすのが目的なのである。









「さて、ここだな」



タマにより壁の上や道を進み、住宅街を抜け、未だ天を衝く木の根が残るエリアに到着した竜崎。ここには兵の見張りもなく、近づく人もいない。



「タマ、どうする?休んでいていいよ」


「お言葉に甘えていいですか?休んだら戻りま~す」



ここまで竜崎と荷物を背に乗せ走ってきたタマはヘトヘト。果実酒を買うお金を貰い、ふらふらと街の方へ向かっていった。




それを見送り、竜崎は持ってきた荷物を背負い直す。…が。



「うっ…ニアロンがいないと荷物が重いな…」



普段は彼女と共に支えているため、急にずしりとくる重みに腰を痛めかけたのだ。しかしすぐに跳躍魔術をかけ、ひょいっと白壁を越えていった。







「よっこいしょっと……」


彼が着地したのは白壁の反対側、鬱蒼とした森が眼前に広がる。そして、誰もいない。




「あれ、ここにいた跡はあるのに…」


何者かがさっきまで生活していた形跡はあるが、肝心の本人がいない。見慣れた癖から勇者のものとはわかるが、どこにいったのか。きょろきょろ見回す竜崎だったが―。




ズズ…ズルズル……。





ふと、森の奥から何かを引きずる音が聞こえる。常人ならば化け物か魔獣を警戒して身を隠すだろう。



だが竜崎が起こした行動は…顔に手を当て、溜息をつくことだった。



「キヨト。久しぶり」



姿を現したのは、20年前から見た目の変わらぬ美しい、『勇者』であるダークエルフの女性。…ただし、ボロボロの服を着て、仕留めたと思しき熊を引きずって来たのだ。





「アリシャ。だからまともなご飯を食えって…」




苦い表情を浮かべる竜崎。すると『アリシャ』と呼ばれた彼女は、誤解だといわんばかりにふるふると首を振った。



「これは違う、さっき熊が欲しいって人が来たから。ご飯ならキヨトが作ってくれるし」



「そうか。…いやいや今日だけの話じゃないよ、他の日は何食べてるの?」



一瞬納得しかけてしまった竜崎は、慌てて問い直す。するとアリシャは、手にした熊の死体を軽く持ち上げた。



「ん。狼とかこれとか。…しっかり焼いて食べてるよ…?」




ちょっと不安そうに付け加えるアリシャ。竜崎は二度目の溜息をついた。






「やっぱり…。壁超えて少し行けば食事処が幾らでもあるだろう。なんで行ってくれないんだ…」


「お金無いから」



「またか…。今回はどうしたんだ、前回来た時に袋一杯に詰めた生活費は?」


「困ってた子がいたからあげた。服とかも」



平然と答えるアリシャ。竜崎は頭を仕方なさそうにポリポリと掻いた。



「いつものか…。ということは風呂にも行っていないな?水浴びで済ませてるだろ」



その問いに、勇者はコクンと頷く。竜崎は三度目の以下略。







「全くだからか…。折角の綺麗な肌と髪がボロボロじゃないか。風呂作っといてやるから、その熊届けておいで」



「わかった」



嬉しそうにコクンと頷いた勇者アリシャは、重そうな熊を掴んだまま軽くジャンプ。白壁を越え、どこかに消えていった。




「さて―。」



その間に竜崎は壁から少し離れ、ほんの少し奥まった場所に手慣れた様子でお風呂を作りだす。



ノウム土の上位精霊で地面に穴を開け、土が溶けないように補整。ウルディーネ水の上位精霊で穴に水を満たし、サラマンド火の上位精霊にお湯を沸かしてもらう。



あとは冷めないように、手持ちの火の精霊石を幾つか入れて即席温泉の完成。手を入れてチャプチャプと温度を確認し、立ち上がると―。




「もう入っていい?」



いつの間にか戻ってきていた勇者は既に全裸。ボロボロの服は脱ぎ捨てられていた。



しかし竜崎はそれを見ても恥ずかしがることなく、いつもやっているように手招きをした。



「まずはこっちで軽く汚れを落としてからね」






シルブ風の上位精霊で温風を制御し、温かな洗い場をも作る。周囲から丸見えだがここは森の中、精々除くのはリスなどの獣だけである。



「ニアロン、いないの? いつもは何か言ってくるのに」



かけ湯をしてもらいながらアリシャは不思議そうに尋ねる。竜崎は彼女の身体についた泥を手で優しく擦って落としてあげながら、それに答えた。



「ちょっと別な子を見てもらっていてね」


「そう。…キヨトから今まで嗅いだことのない匂いがする。でもどこか懐かしい、初めて会った時みたいな匂い。 その子の?」



首を捻ってフンフンと匂いを嗅ぐアリシャ。竜崎はちょっと驚いたような表情を浮かべた。



「そんな匂いするのか。実はね―」





アリシャの身体をくまなく濡らしてあげながら、竜崎はさくらのことを説明する。そして彼女が異世界…即ち自分が元いた世界から来た事も。



「そうなの…? 予言?」



勇者は少し驚いたようだが、他の人のようにオーバーな反応はしなかった。竜崎もそれが彼女らしい反応とわかっているため、特に突っ込むことなく質問に答えた。



「ううん。今のとこ予言は降りてきてないみたいなんだ。誰かの魔術かもって疑っているけど、ただの偶然かもね。 はい、湯船に浸かっていいよ」




軽くアリシャの髪を纏め上げ、そう促す竜崎。彼女は頷いて立ち上がり、ちゃぽんと温泉へと入っていった。






「気持ちいい……」



全身の力を抜き、たゆたうようにお湯に体を委ねるアリシャ。全力でお風呂を楽しんでいる彼女を確認した竜崎は持ってきた袋を漁り調理器具を取り出す。



そして少しだけ離れた場所で、煮炊きの準備を始めた。






「キヨト、一緒に入ろ?」


ぱちゃりという水音と共に、アリシャの声がそう誘ってくる。しかし彼はそれを軽く受け流しながら調理を続ける。



「ご飯作っているから無理だよ」


「ニアロンだったら一緒に入ってくれたのに…」


「また今度ね」



食材を切り、水を張り、火をつける。精霊術を学ぶと水や火はその場で呼び出せるから実に楽である。


ただ、それだけじゃ基礎魔術と変わらない。調理における精霊術の真骨頂は別なとこにあるのだが…。






「キヨト、体洗って」


と、重ねてくるアリシャ。どうやら言う事を聞いてくれる様子はないらしい。竜崎は一応の抵抗を試みる。


「それぐらい自分でできるだろ。 ―あぁもう、わかったわかった。濡れた体のままこっちに来ようとするなって」



じゃぱんと湯船から上がり、こちらへ歩いてこようとするアリシャをそう止めた竜崎。彼は妖精のような姿をしている中位精霊を何体か呼び出し、こうお願いした。



「鍋が煮立ったら火を弱めてこの食材を入れて、もうひと煮立ちしてくれ。あとこっちに水を張って沸騰させておいてくれないか」




主の頼みを精霊達は快諾し、すぐさま作業を開始してくれる。これが精霊術の良いところ。彼らに託すことができるのだ。





調理を精霊達に任せた竜崎は、勇者アリシャの元へと。すると彼女は椅子に腰かけ、洗われるのを心待ちにしていた。



「もう子供じゃないんだから自分で洗えるだろうに…」



ぶつくさいいつつも、これまた持ってきた石鹸を泡立て、アリシャの体を前も後ろも洗っていく。汚れを落とすために力強く、しかし肌を傷つけないように優しく。よほど気持ちいいのかアリシャの顔は柔らかに綻んでいた。



「髪も」

「はいはい」



身も頭もワシャワシャと洗われ、全身泡だるまになったアリシャ。そこにお湯がかけられ、ようやく艶やかな褐色肌が露わになる。再度髪が湯船に入らないよう綺麗に巻いてあげ、竜崎は立ち上がった。



「お湯の汚れは取り除いておいたからゆっくり温まってね。じゃ、戻…」



ぐいっ



「ちょっ!?」



バシャンッ!!







盛大な水音。アリシャが竜崎の服を掴み、無理やり温泉内に引き入れたのだ。熊すら仕留める剛力に敵うはずもなく、彼は熱いお湯にダイブしてしまったのである。



「もう。まだ調理最中だってのに…」


「だってキヨト、顔に疲れが残ってる」



「そうかい? さくらさんが来てから色々あったしなぁ」


「キヨトもゆっくり休もう」



アリシャは逃がさないように竜崎の手を掴み、ぎゅっと抱き着く。もはや抵抗できず、彼は観念した。



「わかったよ、少しだけ浸かっていくよ。 …とりあえず、服は脱がせてくれないか…?」













「…結局長湯しちゃったな…」



暫く後、一足先に風呂から上がった竜崎は、乾かしておいた服をさっと纏う。そして、少し遅れて上がってきたアリシャの身体を拭いてあげていく。




「これでよし、と。 後は髪だね」



褐色肌に纏わりつく水滴を拭きとった彼は、アリシャを椅子に座らせ、持参したドライヤーを当ててゆく。



このドライヤー、内部には火の精霊石と風の精霊石が組み込まれており、微弱な魔力を籠めるとそれに作用し温風が出る仕組み。



竜崎が元の世界の知識を活かし思いつきで発案し、ソフィアが実用化させた品である。今ではどの家庭にも一台はあるほどの普及っぷりを誇っている。







「こんなものかな。あと気になるところは自分でやってね、鍋任せっきりにしてるんだ」



乾かした後に櫛で梳き、アリシャの髪を整えた竜崎。そう残しその場を離れると、調理に戻った。



途中精霊達に追加のオーダーもしたが、彼女達はその通りに作ってくれていた。出来栄えは申し分なく、彼は精霊達にお礼を言い、持ってきた食器を取り出す。







「あのスープ、作ってくれたの?」



そこに、まともな服を着た勇者が戻ってくる。近場の席につき、ワクワク顔で配膳を待っていた。



「好きだっていうから作っているけど、戦争の際に即席で作ってた野営スープなんて美味しい?」



竜崎はそう問いながらもそれをお椀に注ぎ、アリシャへと手渡す。それ一杯で腹を満たすために具材は多め、腹に溜まる野生の食材を選んで作った戦闘食である。



流石にあの頃より質は上がっているが、アリシャの要望により、当時に近い味を維持していた。…絶品というには程遠い、その味を。




「はい、こっちも出来たよ。おかわりはあるからゆっくり食べて」



そのスープに加え、ステーキやパン、付け合わせを乗せたワンプレートと薬草茶も共に渡す。勿論その食材類も持参品。




アリシャは嬉しそうに受け取ると、手を合わせ食べ始める。



「やっぱりこれが一番好き。 キヨトの味」



そして一口スープをすすり、そう呟いた。










アリシャが頬張っている間、周囲の簡単な掃除をしていく竜崎。すると、蔓で編んだ簡易的な箱を見つけた。




「ん、これは?」


「貰った手紙、入れてある」


「へえー。見ていい?」



モグモグとしながら頷く彼女を確認してから、竜崎は箱の蓋を開けてみる。中には正式なお礼状から子供の拙い文字のもの、手紙ではなく折り紙や誰かの宝物らしき石ころまで入っていた。



「どこに置いているかと思ったら、しっかり保管してたんだね。お、これは新しいやつだな」



一つ一つ見ていた竜崎は、一枚の手紙を開いてみる。かなり最近貰ったであろうそれには、少女の字で先日命を救われた礼が書かれていた。



それを読んだ竜崎は、満面の笑みでアリシャへと目をやった。




「相変わらず、アリシャは勇者だね」





かつての戦争から早20年、当時から変わらず英雄である彼女を誇らしく思う竜崎であった。












「これが今月の生活費。毎度口を酸っぱくして言っているけど、足りなくなったら連絡してよ。誰かにあげて無くなるのも織り込み済みなんだから。それでこれが当面の服武器等諸々、あと日持ちする食材とお酒も置いとくよ。鍋とかも置いていくからね。たまには国内に行って身なり整えて。…やっぱり来る頻度増やそうか?」




持ってきた他の道具類を手渡しつつ、都会に子供を送り出した心配性の母親のような世話焼きをする竜崎。そんな彼を見て、アリシャは微笑んだ。



「ううん。キヨトは忙しいんだから無理しないで。会いたくなったら自分から行く」



「そうかい? なら良いけど…」




新品と交換したボロボロの服や武器を袋に詰め、帰り支度を始める竜崎。そんな彼の後ろ姿をアリシャはじっと見つめていた。



「キヨト」



ふと、竜崎の名を呼ぶ彼女。唐突に呼びかけられた彼は振り向く。そしてチョイチョイと手招きをされるまま、深く考えず近づいていく。




すると――。





ムギュっ



「わっぷ!」



拒む暇すら与えられず、竜崎の顔は勇者の胸に埋められる。呼吸が困難になるほどに抱きしめられ、彼は思わずタップした。




「お礼代わり」


「お礼なんて要らないって、あと息苦しいから離してくれ…」



すると手の力は緩み、ようやく解放される。息を整える竜崎の横で、アリシャは腑に落ちないといった感じだった。



「エルフのおばちゃん達はこうすればキヨト喜ぶって」


「交流があるようで何よりだよ…。あとやるならもっと優しくしてくれ、首が痛い」


「じゃあもう一回」



再度手招きする彼女に竜崎は苦笑いを浮かべた。



「もう充分だよ、気持ちは受け取ったさ」











諸々の準備を終え、とうとう帰りの時間。 すると、丁度良いタイミングで…。



「ご主人ー!勇者様ー!」



壁を越え、空中に躍り出る猫が一匹。小さくなったタマである。そのまま自由落下をしてきてアリシャにキャッチされた。



「お久しぶりです勇者様!帰る直前になって申し訳ありません!」



「タマ、久しぶり。お酒臭い」



「エルフの果実酒頂いちゃいました!」




アリシャの腕の中でぐでんぐでんと楽し気に動くタマ。その様子で察した竜崎は、驚きの声をあげた。



「まさか…用意して貰っていた取り分、全部飲んだのかい?」


「飲んじゃいました!」


「参ったな、ニアロンの分が…。怒られても知らないぞ」




竜崎は、本日幾度目かの溜息を吐くのだった。









そして、べろんべろんに酔っぱらったタマに乗って帰るわけには行かない。とりあえず、竜を借りて帰ることに。



発着場にまで見送りに来てくれた勇者にしばしの別れを告げ、竜崎達は飛び立っていった。







「行っちゃった…」



空に消えていく彼の姿をボーっと、それでいてどこか寂しそうに眺めていたアリシャ。見えなくなったのを確認しいつもの作業に戻るため踵を返す。




―と、勇者がここにいると聞いたのか、焦った様子のエルフの女性が駆け寄ってきた。



「申し訳ございません勇者様…! 実は、部隊の竜達が一斉に暴れてしまいまして、鎮めるお手伝いをお願いしてもよろしいですか…?」



「ん。わかった、手伝う」




その頼みに直ぐに頷いた勇者アリシャは、すぐさま駆けていくのであった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る