イタリア戦争にみる攻撃と防御の競争
傭兵を取り扱った際、イタリアが欧州全体の発展の理由の一つだと書きました。火砲に関する成果の確認がイタリア戦争で行われたのです。
"都市国家だらけという状態になったイタリア"にやって来た諸国が、一世紀近く都市国家をめぐってイタリアで戦ったのがイタリア戦争です。どこまでをイタリア戦争とするかは諸説ありますが、定説では1499年から1559年(1450年あたりから争いは始まります)を言うようです。
参加した主な国は、フランス、神聖ローマ帝国、スペイン、オスマン、イングランド、スコットランド、スイス、それにイタリアの都市国家があります。
当時としては、フランスが強力な国力を有していました。
今回は中世終盤というタイミングで起こったイタリア戦争で活躍した兵器が、どのような運用をされ、どのような発展を遂げるのか見て行きます。
・軍事革命
・大砲の話
・歩兵の話
・騎兵の話
・三つ巴と技術競争
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・軍事革命
各国は自慢の兵器を携えてイタリアにやってきます。
15世紀(1400年代)は大砲がようやく実用的な性能になり、マスケット銃が登場し始めたという軍事にとって重要な変化が起こった時期です。一般に軍事革命とも言われています。
フランスは最新型の大砲で、イタリア(都市国家)に攻め込みました。
イタリアはこの大砲の威力にびっくりし、フランスは大砲に自信を得ます。
スペインは熱心に研究したマスケット銃の運用で、そんなフランスに勝利をおさめました。スペインの軍隊は陣地構築技術が高く、騎兵突撃やスイス傭兵の突撃槍兵に頼ったフランスに対して有利に働きます。
そしてオーストリアでは1498年にライフリングが発明されています。様々な問題から実用化はされませんでしたが、ミニエー弾が開発されて普及する300年以上も前からライフル銃の発想はあったのです。
当時の強国はそれほど火砲に情熱を傾けていました。
各国の軍隊は各々が開発した軍事技術をイタリアで競い、その経験はそのあとに続く時代の進歩に大きく貢献しました。
・大砲の話
イタリア戦争では攻城戦が重要でした。いくら野戦で敵の軍隊を滅ぼしたとしても、都市を手に入れなければ目的は果たせなかったからです。
大砲を持っていなければ、富を生み出す都市を奪い取ることはできません。この戦争の主なやり方は、堅固な要塞を数か月の間包囲して大砲をその場で鋳造し、砲撃を加えて攻略するという様子でした。
この戦争はいくつかの大きな変化を生み出しました。
―たとえ野戦で勝利したとしても、覇権を得ることができなかった。
―大砲への対抗策として、イタリア式築城技術が生み出された。
―攻城戦によって騎士がだんだんと無用の長物になっていった。
中でもイタリア式築城技術の開発というのが、欧州の発展の一つの鍵となりました。
イタリア戦争(-1559年)が終わった後、マルタ包囲戦(1565年)にて、神聖ローマ帝国によってマルタ島に領土を与えられたヨハネ騎士団(とスペイン)が、火薬と海軍の帝国、オスマンの攻撃をしのぐという結果を残しました。
ヨーロッパの勢力はオスマンの強力な砲撃に対して、有効な城壁を築くことができたのです。
当然オスマン帝国の驚異的な火砲技術は欧州全体が知るところであったので、"大砲といえど進歩は必要である"という認識を欧州が得ることができました。大砲を改良しようという意識が起こったのです。
軍事技術を秘匿するという、現代では常識のようなルールがまだなかったため、いまでいうオープンソースのような形で大砲は進化します。宮廷、工房、現場、あらゆるところで敵味方関係なく積極的に技術交換が行われ、火砲は急速に発達することになります。
こういった認識を得ることができず、大砲という究極兵器に胡坐をかいていたロシア(モスクワ大公国)、トルコ(オスマン朝)、インド(ムガール帝国)は、欧州に大きく後れを取ることとなります。
技術の進歩を嫌うというのは今の価値観からは信じられませんが、究極兵器と信じて配備を進めていたものを時代遅れにしかねない新技術を、支配者が嫌ったというのも頷ける話です。
新技術を国家が独占運用できるほど、社会はまだ成熟していませんでした。
また大砲の小型化によって野戦砲という兵器が登場し、野戦では歩兵、騎兵、大砲の運用を軸にする三兵戦術が生まれることになります。
野戦砲の目的は相手の歩兵が形成する陣形を崩すことです。槍衾に穴をあけるだけならそこまで大きな大砲でなくても良かったのでした。様々な野戦砲が登場しているところを見ると、戦場でも大きな役割を負っていたのだろうと考えられます。
しかし輸送路の問題や運用にかかる時間差によって、野戦砲が出遅れることも珍しくありませんでした。
・歩兵の話
イタリア戦争のころはまだ大砲は重くて仕方がなく、野戦においては取り回しの悪い大砲では戦機をつかむことができません。海についての話でも書きましたが、輸送が困難な兵器は、戦場で重要な役割を果たすことができないのです。
そこで槍兵をずらりと並べる基本的なやり方と、騎兵突撃は相変わらず効果を発揮しました。ここでも攻撃力と防御力の競争は行われているといえます。
騎兵の攻撃力を生かすには、やはりどうにかして槍兵の陣形を崩す必要があります。騎兵にとっては大砲も脅威ではありません。
野戦砲を配備できれば歩兵部隊を崩すことは簡単でしたが、いつも用意できたわけではありません。そこで用いられたのはマスケット銃兵でした。マスケット銃の一斉射撃で相手の槍兵の陣形を崩し、そこに騎兵で突撃するといった流れです。
ここでおこった問題が槍と銃のバランスです。
マスケット銃を多くすれば敵の陣形を崩しやすくなりますが、敵騎兵の突撃を防ぐための槍兵が減ってしまいます。
では総数を増やせばいいかというと、そういう話でもなかったようです。
当時のフランス将官が"号令をかけるには5000程度が良いだろう"と残しています。一つの軍隊の兵力の上限は大体5000人程度だったのです。
これは指揮系統を正しくを保てる数で、確かに太鼓を鳴らしてもラッパをならしても、距離に限界が出てしまえば運用ができなくなってしまうのは問題です。
当時の歩兵の事情はこのようなものでした。
・騎兵の話
対して高火力高機動力な騎兵は相変わらず脅威です。有名どころだとポーランドの有翼重騎兵フサリアでしょう。
起源は貴族の戦闘部隊です。
パイクよりも長い槍、鎧も貫く超長剣、叩き切る大剣、なで斬りにする曲刀、至近距離で使う戦斧やメイス、飛び道具としてピストルを、さながら弁慶のようにすべて装備していたというのです。
突撃前にはしばらく準備がかかったようですが、巨大な馬にまたがって突撃し、敵を蹴散らしました。
フサリアはポーランドの財政が息切れするまで、圧倒的な強さを誇っていました。騎兵は火砲に敗れたわけではなかったのです。
このフサリアは各国にフサール、ユサール、ハサーなどと名前を変えて広がり、フランスではしばらく後に大敗北を喫するまで、やっぱり戦の締めは騎兵突撃と考えられていました。
騎士という意味での権力は下がりましたが、騎兵の攻撃力が落ちることはなかったのです。
近世に登場したウ―ランや胸甲騎兵(キュイラシェ)という騎兵も有名でしょう。
突撃のためのサーベルや長槍と、相手の陣形を崩すためのピストルで武装しました。中世が終わると火砲が進歩して全身鎧が時代遅れになってしまい、騎馬隊は機動力を重視し始めたのです。
彼らはピストルで歩兵の戦列を乱したのち、抜刀突撃を仕掛けました。
・三つ巴と技術競争
このように役割はある程度流動的ではありましたが、大雑把に見れば歩兵は騎兵に強く、騎兵は大砲に強く、大砲は歩兵に強いという特性が生まれてきます。
そしてお互い相手を打ち砕こう、相手の攻撃を無力化しようと技術を高めていきます。攻撃と防御の技術競争が起こるのです。
この技術競争はクロスボウと板金鎧、マスケット銃と全身鎧、大砲と城壁、槍兵と重騎兵とみていくと、大抵攻撃側が勝利しするようですが、それでも不敗の兵器というのは存在しません。なぜならそれに対抗するために新たな技術が生み出されるからです。
こういった社会レベルでの技術競争はファンタジー世界であまり見ることがなく、あくまで個人レベルの技術競争に収まっています。中世では大体100年程度の周期で起こるようなので、それより短い期間を取り上げることが多いのが一つの要因でしょう。
一つ例を出すのであれば、魔法に関する話で攻撃魔法が異様に発達している件について書きましたが、こんな理由があるとして考えを広めるのも面白いかもしれません。
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