なぜマスケット銃は選ばれたのか

 今回は度々論争が巻き起こる話題を扱います。

 本編にてマスケット銃が未熟な兵器だと書きましたが、書き損ねたことがあるので補足も兼ねて書いていきます。


 異世界に転生した主人公が黒色火薬や銃器を開発しようとすることはよくありますが、その選択は説得力のあるものなのでしょうか。

 自らの命運をかけた選択なのですから、マスケット銃の開発を進める前に、実際にはそこまで良いものではなかったことを、転生主人公は認識しておかなければならないでしょう。


 マスケット銃の利点、欠点はどんなところにあったのでしょうか。


・議論の根本的な問題点

・マスケット銃の欠点と打開策

・クロスボウの技術発展

・運用コストについて

・銃の優位性


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・議論の根本的な問題点


 ロングボウ、コンポジットボウ、クロスボウ、マスケット銃の話はインターネット上で度々議論が巻き起こります。

 そして場が荒れに荒れ、決着が付かないままに別の話に移行するということが良く起こります。


 これにはいくつか原因があります。

 マスケット銃が使われた時期が長く、その間に性能が進化していくこと。

 戦場に赴く階級が変わり、軍隊の様相が変化していくこと。

 地域における地形の差を無視すること。

 そして我々が日本人であるということです。


 マスケット銃はとにかく世界中で長い期間使われた武器です。

 マスケット銃が及ぼした影響や、なぜ使われるようになったか、どう使われたかといったことは、一口にまとめられるものではありません。


 一文一文で会話しなければならない場では到底扱えるような題材ではないでしょう。


 また度々引き合いに出される、日本における戦場の在り方は独特な物があります。


 武士の考え方や平地が少ないという特殊な状況、どれもこれも輸入技術であるという点、前提技術の有無。欧州各国でおこった流れと日本での流れを同じに見るという事が無意味です。



 今回はマスケットとクロスボウが比べられたときに、なぜマスケットが選ばれたのかを考えていきますが、"クロスボウよりマスケット銃の方が威力が高いから"という明白な理由はいったん置いておきます。


 性能だけで見るとそれを上回るほどのデメリットをマスケット銃は持っており、単に威力が高いだけでは採用に至った理由としては不十分だったと思えるからです。


 マスケット銃の利点はあとで書くとして、欠点は何だったのでしょう。



・マスケット銃の欠点と打開策


 マスケット銃自体の性能に関する欠点を見てみます。


 マスケット銃は何といっても命中率に難がありましたが、その性能は目を覆うほどの物だったようです。

 100メートルの距離で着弾地点が目標から70センチもずれるという話があり、命中率はコンマ以下だといいます。

 とてもではありませんがまともな武器とは言えないでしょう。例え威力が高かったとしても、当たらなければ意味がありません。


 原因は火薬の過剰な爆発力が不必要に弾丸を回転させてしまうことにあるようです。よくわかりませんが、野球ボールに回転をかけて軌道を変えるのと同じ現象が起きてしまっているというのです。適切な火薬の量が分かるといくらか改善したようですが、それでも精度は期待できなかったことでしょう。


 また、発射までに複雑な手順を要するというのも致命的な弱点でした。撃つまでに時間がかかってしまいますし、兵士の負担も大きくなります。

 さらに射程もそこまで長くなかったために、敵が近づくまでに限られた回数しか打つことができないという問題も発生します。



 このようなマスケット銃の欠点を、当時の指導者たちは運用によってカバーしました。


 射程が短く発射に時間がかかり、敵の騎馬兵の接近を許してしまう問題は、パイク兵と併用して解決しました。

 命中率が悪い問題は一斉射撃をすることで解決します。


 他にも天気に左右される、不発率が高かった、棒立ちで射撃しなければならない、機動力が低いといった問題が挙げられますが、これらは運用でどうにかなるものではなく、武器自体の技術革新を待つしかありませんでした。


 性能にまつわる欠点を上げるだけでこれだけあり、他にも専門性や生産性といった問題も抱えていますが、ここで一度他の武器も見てみましょう。



・クロスボウの技術発展


 本編では冒険者は扱わないだろうとしてスルーしてきたクロスボウについて書いてみたいと思います。

 

 クロスボウを語る際に欠いてはいけないのが装填方法です。

 弦を引く際には弓の弧の部分を地面にむけ、持ち手の先端を腹に押し当てた状態で弦を掴み、背筋を使ってグイッと引き揚げます。背筋測定器のようなイメージでしょうか。

 そして敵に向かって引き金をひけば、鎧を貫通するほどの威力を持つボルトが発射されます。


 クロスボウに関する大きな技術は、クロスボウの先端にくっついている輪っかです。

 この輪に足をかけて踏ん張ることで、装填速度を格段に上げる事ができたのです。中国ではすでに1000年辺りから使われていたようですが、欧州では1300年に開発されました。


 しばらくして矢が木材から鋼鉄に変わり、それから巻き上げ機が着いて、クロスボウの開発は終了することになります。1300年代が終わるころの話です。


 その後研究者たちの興味は火薬兵器の研究に移っていきました。マスケット銃が登場し始めるのは1400年後半でしたので、クロスボウは活躍するものの、暫くしてマスケット銃に移っていくことになったのです。



 兵器の攻撃力と防御力の間では開発競争がおこると本編でも書いてきましたが、クロスボウと鎧の間でも開発競争が行われます。


 指導者や技術者にとって火薬というロマンあふれるものが登場(大砲の原案は1300年初め)したことで、クロスボウは防具との開発競争に敗北、より高威力なマスケット銃がされるようになりました。

 これがマスケット銃が選択された一つの要因でしょう。



・射撃兵器の運用コストについて


 戦争で用いる以上、どの兵器でも基本的には数を揃えなければならず、したがって運用コストがどうかということも考えなければいけません。

 武器の優劣を見る際に、一つのポイントとなってきます。


 その点では、クロスボウはどうだったのでしょうか。

 


 持ち運び可能で威力も高いクロスボウの欠点の一つはここにありました。

 装填の際は自力でえいやっと弦を引き上げなければなりませんでしたので、体格のいい男を揃えなければ、クロスボウはまともに運用できませんでした。


 "だれにでも強力な矢が放てる"と思われがちなクロスボウですが、実は使用するためにはある程度の体格や筋肉量が必要だったのです。


 "クロスボウが誰にでも使えて、雑兵でも騎士を打ち倒せる"というイメージは、おそらく"リチャード獅子心王が名もなき兵士のクロスボウによって死亡した"というエピソードに起因するのでしょう。


 しかしクロスボウの専門性の低さというのは、騎士に比べての話である点に注意しなければなりません。

 マスケット銃も複雑な手順によって専門性という問題を抱えているのでもちろん訓練を施さなければなりませんが、それでも初期投資額はマスケット銃の方が安いのです。体格ばかりは一朝一夕の訓練でどうにかなるものではありません。

 ちなみに本編で触れた"訓練によってマスケット銃の専門性が上がる"ということが起こったのは、1600年ころになって軍事教練が開発されてからです。



 ではクロスボウ自体の価格はどうだったのでしょうか。

 巻き上げ機がどれくらいの力を要するのかは分かりませんが、仮に小さい力で使用できた(人件費を下げることができた)としても、当時としては精密機器に属したであろうその機工と技術は、クロスボウの価格を跳ね上げる要因になります。

 イタリアの都市国家が独占していたという理由もあったかもしれませんが、クロスボウは高価になっていきます。


 対して、同時期の火砲はまだ原始的なもので、金属の筒に棒を取り付けただけの実にシンプルな機構でした。そこから技術の進歩に合わせて徐々に複雑化していきます。



 話はそれますがロングボウやコンポジットボウは、コストという点でどうだったのでしょう。


 複雑な機構を持たないロングボウの武器価格は安く、クロスボウやマスケット銃の数倍の発射速度と射程を誇ります。

 しかしロングボウを撃つには非常に長い訓練期間が必要でした。イギリスから両手の長さが違う兵士の骨格が出土したという話もあります。専門性の高さと、熟練射手の存在を示すものでしょう。


 中世のイギリスは貧乏でしたが、その分人件費も安かったのです。時間も比較的余裕があったものと思われます。領主は弓の訓練を奨励し、フランスの騎士に対抗しました。

 しかし戦争が長引くにつれて熟練した射手が足りなくなり、ロングボウ隊は崩壊します。


 ここから見るに人件費や訓練費としては、高い順に、ロングボウ、クロスボウ、マスケット銃というようになるのでしょう。



 以前も書きましたが、コンポジットボウは環境の変化に弱く、高い技術力と作成時間を要したため非常に高価でした。

 武器自体が高価な上に射撃技術も重要で、十分な訓練時間が必要でした。和弓の欠点もそこにあります。


 リカーブボウも和弓も限定した地域でしか登場していないというところを見ると、やはり限られた状況でしか活躍できなかったのです。



・銃の優位性


 時代が進むとさまざまな地域で戦争が起こり、兵数が多くなってきます。兵士の負傷率が高くなり、入れ替わりが激しくなります。


 そうするとやはり兵器は強力で安価で容易に扱えるものが好まれました。


 威力、価格、専門性のバランスをみて、当時の指導者たちは現状にあった武器を選択していったことでしょう。いつの時代もそれは一緒で、戦後世界中でカラシニコフが好まれた理由もこれにあてはまります。使用難度の低さは兵器の優秀さの一つの指針でした。



 マスケット銃は史実中世後期という時代にマッチしていて、大きな利点(高威力、比較的安価)があったために採用され、研究が続けらました。

 逆に考えれば、もし主人公がファンタジー世界で精鋭部隊を組織できるのであれば、銃を採用する理由はそこまでないでしょう。


 そもそも相手の防御技術が未熟であると予想(クロスボウが登場しないため、甲冑が発展しない)されるので、マスケット銃はオーバースペックであると考えられるのです。


 武器は必ず敵の装甲を破るのに必要な力が求められて開発され、そこを無視したものはあまりありません。

 そして防具も脅威となる武器を防ぐために開発されます。

 つまり、技術は攻撃力と防御力がある程度近しい状況にあって進歩していく事になりますし、クロスボウもマスケット銃もその中で生み出され進歩していった兵器です。



 もし採用したいのであれば、技術が発達する土壌も作らなければなりませんし、他兵種との連携という、戦闘技術(バトル・アーツではなくウォー・アーツ)を磨く必要もあります。火薬兵器だけで戦場が回るほど、中世近世の銃は優秀ではありませんでした。


 歴史上に火砲に打ち勝つ騎馬隊というのはいくつか存在しましたし、例えば銃の性能が大きく発達していた普仏戦争でもフランスの騎馬隊の突撃戦術は有効だったのです。

 その事実を見れば、例え火薬兵器を独占したとしても無双できるわけではないということが分かります。



 現状に本当にマスケット銃が必要なのか。既存の射撃兵器の能力や運用方法を進化させた方が効率的ではないのか。

 剣の話もそうですが異質な世界を生み出す以上、史実の流れの中で生まれた兵器を取り出してきて登場させるのは、多くの矛盾を生み出してしまいます。


 転生主人公は出回っている武器と防具、そして敵の状態をよく観察し考える必要があるでしょう。


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