第121話 代行会社社長、千秋と〇〇
時刻は23時10分。
長方形の木看板に『Close』が掲げられ、静まりきった喫茶店に一人の女性客が乱入していた。
「……あのなぁ千秋。営業時間ならまだしも閉めた店に来ないでもらえるか? 連絡すればいいって話じゃないだろう」
「昔馴染みなんだからちょっとくらい多めに見てよー、
カウンターでやり取りする店主の久美と昔馴染みの千秋。
方や喫茶店の責任者。方や恋人代行会社の社長。なかなかの組み合わせが作られている。
「確かにお金を落としてくれるのはありがたいが、営業時間外に来るやつがどこにいる。閉店の20分から30分前に来るのが常識だろう」
「ウチも本当はその時間に来たいんだよ? 来たいんだけどその時間まで仕事だから。あともう一つ言えば閉店後じゃないと久美ちゃんとゆっくりお話できなくて」
他人がこんなことをすれば出禁になってもおかしくない。
知人であり、なおかつそれなりのお金を落としている相手だからからこそ許される行為だ。
「……あのねぇ、これでもワタシは暇じゃないんだよ」
「それを言ったらウチもだからおあいこ!」
「揚げ足を取って来るんじゃないよ。ほら、タコさんウインナー焼けたよ」
来店すれば毎回のように注文するタコさんウインナー。千秋はこの形が特に好きらしい。
久美は皿の隅にからしマヨネーズをつけて提供する。
「ありがとー! ここのウインナーは特に美味しい……って、これタコさんウインナーじゃないじゃん! ソーセー人にしてるじゃん! ウチはタコさんウインナー注文したはずだけど!?」
「嫌がらせだよ。迷惑分のね」
「お客さんの前でよく言うもんだねぇ……。逆にこっちの方が手間かかるでしょ」
「慣れたらどっちも一緒さ」
喫茶店を切り盛りする久美。その腕前はもちろん人並み以上であり、包丁さばきはずっと見ていられるくらいに洗練されている。
「クッ、ここに来て料理できるアピールか! 羨ましい!」
「そうか? ワタシは千秋の持ってる年季ものの酒が羨ましいがな。年季ものの酒は誰にでも買えるものじゃないだろう?」
「ん? 久美ちゃん何か飲みたいものでもあるの?」
「
「はぁー!?」
ネイティブな発音を見せながら目の色を変える久美。
この酒は世界中のワインファン
当然ながら値も張り、簡単に飲める酒ではない。
「あのワインはねぇ……高いんだよ!? ホントに!」
「お、それなら人を集めて飲まないかい?」
「なんでそうなるの!?」
「その時はワタシがイイモノを用意するからさ。千秋が喜ぶものをな」
「えっ、なになにその
「鴨肉だ」
「きゃも肉!? あの!?」
「それも千秋好みの味に調理しようじゃないか。低温加熱で中をピンク色にしてもいい」
「ッ!!!!」
今度は千秋の目の色が変わる。店を経営しているだけ久美は世渡り上手だ。
自身の腕を使って超高級ワインを飲ませてもらうだけの価値を付ける。
「……うーん。うん! よし、そこまで言うなら飲もう! 葉月ちゃんも追加で」
「お、良いメンバーじゃないか」
千秋の紹介から、店主の久美と仲良くなっているエリアマネージャーの葉月。
多忙な日々を送っている分、頻繁に来るような客ではないが随分と打ち解けている二人でもある。
「葉月ちゃんどう? 最近このお店来てる?」
「一ヶ月に一回は来てくれてるな。って、そもそもあの葉月が飲み会に来るのか? 酒はあまり得意じゃないだろう」
「お酒はちょっぴりしか飲まないと思うけど、大好物の鴨肉には釣られるよ絶対」
「ほぅ、葉月も鴨肉が好きなのか。なら多めに用意するとしよう」
「ありがとーッ!」
「だが、珍しいな千秋。ラ・ターシュをああもアッサリと了承するなんて。普通に断られるかと思ったが……仕事が順調なのか?」
ラ・ターシュはコレクションに加えられるほど価値のあるワインだ。
そのワインを熟考することなく『飲もう!』と言えるあたり、何か良いことがあったに違いないのだ。
「正直に言わせていただきますと〜順調に行かせてもらってます。あっ、久美ちゃんが
「そ、それはどうかわからないが……今日も一人めぼしい客が来たな。前の子と比べるのはアレだが、胆も座っていたし女性慣れもしていた。前回紹介した子より上だろう」
「えっ、ホント!? ウチの会社のこと紹介してくれた!?」
「いいや、それが従業員の元彼でね。別れてからも一途に狙っているもんだからパスしたよ」
「えー、超気になるんだけどその人!」
こんな呑気に話している二人は知らないのだ。
お互いがその人物と接点を持っていることを。この元彼こそ斯波龍馬であることを。
「気持ちは分かるが代行の仕事には向かない子だよ。真面目で優しすぎる。上手く立ち回らせないと収集がつかなくなるだろう」
「正直、そんな子ほど欲しいんだけどなぁ。裏を返せば人気になる要素を持ってるってことだし、会社目線で言えば無理をさせてでも……って感じ」
「利益のことだけを考えたら足元をすくわれるからな?」
「身に沁みてますよぉ……。だからそんなことはしない。素直に諦めますよ」
ため息をつくこともなく、ソーセー人に齧りつく千秋に違和感を覚える久美。
長年千秋を知っているからこそ諦めが悪いことを知っている。もう少し粘ってくることを予想していた分、この反応は驚きだった。
「あの千秋が素直に諦める……か。よほどの代行者を招き入れたんだな」
「そう、その通りなんだよ! なんたってあのベテランキラーの女王から指名を入れられるくらいなんだからっ!」
「んっ、ハアッ!? あの葉月が指名ィ!? おいおい変な冗談はよしてくれ」
「こんな冗談は言わないって。会社のベテランをどんどん潰してきた葉月ちゃんを止める実力。凄い新人でしょ?」
「にわかに信じられんが……その評価はどうなんだ?」
「一回目の評価が4.8で二回目が評価
この会社は代行後に5段階評価をつける。つまり数字が大きいほど評価が高くなり……この流れから千秋の発言がおかしいことは明白。
「二回目の評価が1……? ははぁ、代行者が二回目でドジったわけか。なら指名された意味が無くなったも同然だろう」
「いやいや、
「……」
「おーい、久美ちゃーん」
「こ、言葉が見つからないんだが……。わざと下げた評価を出したってことは、他の依頼者からの代行を防ぐためってことだろう?」
代行会社の紹介役を密かに行なっている久美は大半の仕組みを把握している。もっと言えば代表取締役直々に説明されたこと。
誰よりも分かりやすく教えられた人物と言っても過言ではない。
「そうそう。特に今月はクリスマスがあるでしょ? 依頼回数が少ない子でもそれだけ評価が高ければ会社からのオススメされてポンポン取られちゃうからさ? 先取りされないための計画的手段。特に葉月ちゃんはいつ仕事に余裕が出るかわからないだろうし、その新人クンは一件クリスマスの予約を獲得してるくらい人気ぶりだし」
「は、早すぎる予約だな……。それにあの葉月がそんな理由でマイナス評価を……」
「ぶっちゃけるとこれは依頼者あるあるだから、適正評価とそうじゃない評価、会社で二つを出してるじゃん? その人の適正評価は4.5以上あるからね。葉月ちゃんはその点数を見越してあからさまな1をつけたわけですよ」
好みの代行者を取られたくないと思うのは人間として当たり前の心理。だからこそ行なっている取り組みがコレ。
リピーターが2人以上付いている者のみ適正評価と適正外評価。この二つを反映させる。
代行者の依頼予約が埋まっている時には適正外評価で通し、埋まっていない時には適正評価に変えることで新しい依頼を獲得できるようにする。
代行者の負担を増やさない。を一番に、リピーターが好みの相手を取りやすいように、新規依頼者にも高確率で人気代行者を回せるように、そして代行者が円滑に依頼を獲得出来るように。
このシステムを取る千秋の会社が今の人気に繋がっている。
「評価1はいくらなんでも厳しすぎるだろうに……。葉月はそれほどまでに気に入っているってことなんだろうが」
「だねぇ」
「何者なんだい、その子」
「誰だと思う?」
片側の口角を上げて意味深に微笑む千秋。
「何言ってるんだい。ワタシが知るはずないだろう」
「じゃーあ覇道の女神、の弟……と言っても?」
「…………」
その言葉にポカーンと口を開ける久美。その面白い表情にぶはっと笑いを吹き出す千秋は言葉を続ける。
「血は争えないねぇホントに。ちょっと前だけど電話があって、その女神さまの弟だって判明した時はウチも変な声が出ちゃったくらいだよ」
「そ、そりゃびっくりするだろ! でも……どうしてあの
「それだったらウチの会社が天下取れるんだけど……弟が許可無しにこのお仕事をしてたからだって。一般的なお仕事ならまだしも特殊なお仕事だから当たり前だよねぇ」
それはもう
皿に盛り付けられたソーセー人の顔も、見る人によっては悲しげであった。
「じゃあ辞めさせられるのかい? その有望な子は」
「とりあえず2週間は代行のリストから外してほしいって言われてる。そこまでに話をつけさせますって。正直、辞めさせられそうなんだよねぇ……。当時人気No.1の彼女だからこそ一番に知ってるはずだろうし、姉としては体験させたくないはず。……このお仕事の嫌な部分をね」
会社の経営が傾かないためにも、葉月が再びベテラン潰しの道に進ませないためにも龍馬を辞めさせるわけにはいかない千秋。
もし辞める場合には、一度対面して説得しようとしているほど。
「……もし辞めるってなったら葉月が悲しむだろう? ……あぁ、その話を含めてラ・ターシュの飲み会をするってわけか。相変わらず抜け目がないね」
「まぁねー。もし辞めるとしたらクリスマス前になるから指名するために1評価つけた意味もなくなるし……やっぱり顔合わせて話しときたいなぁって」
「大変だな」
「今一番に辞められたくない代行者なのにさぁ……。もうお金積んでも止める覚悟でいるよコッチは。女神さまの件からずっと後悔してるし」
同じ失敗、後悔はしないように心に刻んでいる千秋。その目は本物だ。
「突っ込みすぎたら伝説にキレられるぞ? 多分だがブラコンだ」
「そりゃあ大事な弟さんだろうし当然でしょー。でも、ウチの会社にも必要不可欠な人に違いない。だからやるだけのことはするよ。辞められたらだけど!」
「怖さ恐れず……だな」
「よく言われる。でもそうじゃなきゃ務まらないよ、この立ち位置は」
「確かにな」
そうして重い空気が充満しようとした途端、
「……って、めっちゃ長話しちゃった! 次、チャーハンお願いー!」
「はいよ」
上手く話を切り替えた千秋。
ラ・ターシュを飲もうとするのはこの不安な気持ちを払拭したいからでもあったのだ。
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