第92話 葉月との恋人代行⑩
「は、葉月さんは本当にそれだけで良いんですか?」
「ええ、遠慮しているわけじゃないから気にしないで」
龍馬が注文したのはハンバーグの単品とコンソメスープ。葉月が注文したのはシェア用のフライドポテトとシーザーサラダのみ。龍馬から見て小腹を満たすには不十分と言ってもいい注文。
それが現在、テーブルの上に配膳されている。
「——と言っても……斯波くんの性格上、そんなことが出来ないんでしょうけど」
「それはそうですよ。葉月さんのお仕事は大変なんですからちゃんと食べないと」
「ふふっ、心配してくれてありがとう。でもこれが私の当たり前なのよ」
「そ、そう……ですか」
当たり前と言われたらそれ以上は踏み込めないラインに入る。龍馬としては諦める他なく、ソコを察しての言葉選びをした葉月である。
「なんだかとても不服そうな顔をしているわね?」
「はい。本当に心配してますから」
——恥ずかしがる様子もなく、当たり前だという顔で伝える龍馬。
「……っ。そ、それが斯波くんの嫌なところよね」
「え? 嫌!?」
「そうやって隠すことなく本心をぶつけて相手の気を惹こうとして……。上辺で言っていないことが分かるからセコイってことよ」
「セコい!? そ、そんなこと初めて言われましたけど……」
まばたきの回数を多くして右往左往に視線を飛ばす葉月はどこか棘のある声音を作る。
その一方で、フォークとナイフを使ってハンバーグを取り分け途中の龍馬はなんとも言えない顔をしていた。
「斯波くんは大学生よね? その技を持っているのならモテたりもするでしょう? 私が言うけれどモテないはずがないのよ」
「いや、本当にそんなことないですよ。友達も一人……いや、二人しかいませんし」
同じ学年の雪也が一人。もう一人は後輩でもあり、依頼人でもある姫乃だ。
そして龍馬は言い忘れている。大学時はワックスもコンタクトもつけていないことを。
「斯波くんってそんなにお友達が少ないの……? 私が大学生ならすぐに斯波くんとお友達になろうと考えるけれど」
「嬉しいお言葉ありがとうございます。サークルに入っていたら増えるらしいんですけど、自分は未所属でもありますから」
大学では友達を作る場が極端に少ない。授業を受ける生徒も毎回違ければ、一人一人の時間割だって違う。サークルなどに入らない限り、第一コミュニケーションがなかなか取りづらいのだ。
「でも、そのお友達二人の中に異性が含まれているでしょう?」
「そ、そうですね。一人だけですけど」
「
「あははっ、そんなことはないですよ」
こんな意味深なことを言われてもなお、全く気にする素ぶりを見せない男がいる。——誠に残念な龍馬だ。
普通なら、引っかかりを覚えるところだろう。『葉月さんは自分のことを異性として見ているんですか?』と。
「あら、どうしてそう思うのかしら?」
「それはなんて言うか……勘です」
「一番頼りのないことを言うのね……。失礼を言うけれど斯波くんは自分が鈍感なこと知らないでしょう?」
眉を中央に寄せる葉月。呆れたような顔もまた似合っている。
「いや、これでも鋭い方ですよ? 自分で言うのもなんですが、相手の気持ちの変化とか気づいたりしますから」
「それは斯波くんが優しい心を持っているからよ。私が言いたいのはまた
「え? ツッコミ……?」
「はぁ、私ってばなんでこんな厄介な人を……」
目元に手を当てて小さな息を吐く葉月は、小指から順に薬指、中指、人差し指の爪をテーブル当て、馬の足音のような打音を鳴らしている。
なんだか、かなり困っているような顔と仕草だった。
「や、厄介な人ってなんですか!? な、なにか自分悪いことしました……?」
「ええ、あなたは十二分にいけないことをしているのよ」
「そ、それは……?」
「ヒントなら教えてあげても良いわよ。ここまで鈍いのなら気付いた後の反応を見てみたいもの」
「な、なんかそうやって濁されると怖いですね……。いけないことをしたようですし……」
「ふふっ、どうする?」
「…………」
さぞかし楽しそうに心理戦を仕掛けているような葉月。この時になっていいようにしてやられていると感じ始める龍馬。
ここで生まれるのは仕返しをしたいという気持ちである。
ベテランキラーの女王とはいえ手玉には取られたくない、なんて思いは今も継続されていること。
「わかりました。ヒントをいただきたいのでハンバーグを一口どうぞ」
龍馬はプレートの上に切り分けたハンバーグを、そのまま葉月に近付けた。まだ口をつけていないからこそこう言えるわけでもある。
「え、えっ? ど、どうして食べなければいけないの……?」
「ヒントをもらうお礼です」
「い、いらないわよそんなの。全く、その機転の利かせ方は一体どこから取り寄せてるのよ……」
「姉譲りです」
『葉月さんのお仕事は大変なんですからちゃんと食べないと』
なんて少し前に促していた龍馬。こうしてヒントのお礼と条件を出すことで、少しでもハンバーグを食べさせ、栄養を取らせようとしたのだ。
「お礼は素直に受け取るものと言うのは社会人の葉月さんが一番にわかっていることだと思いますけど」
「……そ、そうね」
「はい」
龍馬は葉月の真面目な性格を上手いこと利用した。これで手のひらで踊らされることはなくなった。なんてふっとした気持ちは一瞬で狂うことになる。
「……それなら、食べさせてもらおうかしら? ハンバーグの一口を」
「ッ!?」
「驚かなくても良いでしょう? 私は斯波くんからのお礼を受け取ろうとしているのだから」
「え、あ……そ、そうですけど……」
「お礼を受け取らせるには、受け取らせるなりの態度があるわよね? それを無しに素直に受け取らせようとするのは無理があるんじゃないのかしら」
「……そ、そうです……ね」
龍馬は今になって
葉月に完璧なカウンターを決められた瞬間だった。
「ほら、斯波くんは私にお礼を受け取らせたいんでしょう? ならしてくれるわよね?」
「……い、いいですよ。やってやりますよ」
「ふふっ、それでこそ代行人ね」
ヤケクソの龍馬に、さりげない仕草でロングの髪を耳にかけた葉月は微笑みながら体を少し前傾にさせる。
「あら、手が震えていないかしら?」
「そ、そんなことないです」
「食べやすいように小さく切ってくれたのね、ありがとう」
「い、いえ……」
屈しない。こうして動揺させようとした狙いには。
龍馬はフォークで小さく切ったハンバーグをフォークで刺し、左手をお皿のようにしながら葉月の口元に近づける。
「で、では……あーん……」
「ん、あーん」
その近付けたハンバーグを葉月は髪を押さえながらパクリと小ぶりの口で食べた。
ふんわりと漂う葉月の甘い匂い。龍馬の持つフォークに葉月が咥えた時の力が加わり、口から離れるとすぐに軽くなる
「ん、とっても美味しい……」
「ど、どうも……」
口元を隠しながら率直な感想を言う葉月に、弱った姿を見せる龍馬。恋人を連想させるような行動……。これに慣れていないのだ。
「ふふっ、斯波くんが食べさせてくれたからかしらね。こんなに美味しく感じられるのは」
端にある紙ナプキンを取った葉月は、色素のある唇を上品に拭きながら不敵な笑みを見せてくる。
「……え、えー、で、では教えてください。自分がいけないことをしたって言うヒントを」
そう、龍馬はこのヒントを聞きたいがために葉月にハンバーグを食べさせたのだ。取り乱している暇はない。
「それならもう終わったわよ」
「お、終わった?」
「今のがヒントだから」
「え……は? い、今のが……? え……ヒントって……」
「ふふっ、これでも分からないのなら次はどうしようかしらね」
あの『あーん』から、とあるスイッチが入った葉月。だからこそ誰よりも今の状況を楽しんでいた。
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