第91話 葉月との恋人代行⑨

 葉月の車で24時までの営業しているファミリーレストランに足を運んだ二人。


「いらっしゃいませ〜、2名様でよろしかったですか?」

「ええ、間違いないわ」

 入店口までやってくる愛想の良い店員の声かけに頷く葉月。


「出来れば禁煙席が良いのだけれど……空いているかしら?」

「はいっ! お空きになってますよ〜! ではこちらの席にどうぞ〜!」


 言葉遣いが少し間違っているような気がするが、この遅い時間でも元気たっぷりな店員の指示に従い、葉月と龍馬は対面するようにして禁煙席の一つに腰を下ろした。

 柔らかい生地なのは間違いないのだろうが、GT-Rの高級シートに座っていた分どこか硬いような違和感がある。


「あの……いきなりなんですが、葉月さんはたばこ吸わないんですか? 禁煙を選んでいたので」

「ふふっ、本当にいきなりね。私のこと気になるの?」

「それもあります。自分は喫煙席でも特に気にしませんから、もし吸うのでしたら——」

「——もぅ、背伸びしちゃって。副流煙は思っている以上に危ないのよ? 私のことを気遣うより、斯波くん自身を気遣ってくれた方が私は嬉しいわ」

「あ、ありがとうございます……」


 たばこの煙を我慢しようとしたことを察したように微笑を浮かべる葉月。これが大人の女性の力なのか、たった一つ気遣われただけで心から嬉しくなる。照れてしまう。

 お世辞抜きに葉月には敵わない龍馬である。


「さて、話を戻すけれど斯波くんは私がたばこを吸っていると思う?」

「あ、あんなこと言ってなんですが、吸っていないじゃないかなとは思ってます。葉月さんからたばこの臭いもしませんから」

 むしろ良い匂いしかしない。と胸中で呟く龍馬だったが——予想は簡単に狂わされる。


「残念、不正解」

「えっ!? 吸ってるんですか!?」

「ふふっ、私が吸っているって言うとみんな驚くのよね。印象が悪く映るかもしれないけれど、加熱式のたばこを吸っているわ」

 絵に描いたような二度見をする龍馬を見て面白おかしそうに表情を崩す葉月。バッグから長方形の形を青色のたばこ本体を取り出し、ひらひらと見せてくる。


 葉月が吸っているたばこはライターを使わない次世代たばこと呼ばれるもの。

 大きく分けて『電子たばこ』と『加熱式たばこ』の2種類があり、その違いを簡単にまとめるならニコチンが入っているか入っていないかだ。

 ニコチンが入っていない電子たばこは禁煙グッズとして分類され、葉月が使用している加熱式たばこはニコチンが含まれている。加熱式、その名の通りたばこの葉を加熱することで楽しむタバコなのだ。


「一箱使い切れず湿気でダメになったりするくらいに吸う頻度は低いけれど、それも時と場合によるわね」

「……意外です。自分の前で吸ってるところは一度も見たことがありませんでしたから」

「加熱式たばこでも臭いには気を付けているもの。あと、私が代行の依頼中にたばこを吸い出したらもう終わりよ」

「どう言うことですか?」


 加熱式たばこをバッグに戻した葉月は真剣な面持ちで怖いことを言う。ここで聞き返さずに聞き流せるような相手はまずいないだろう。


「私がたばこを吸う時は仕事が行き詰まったりでむしゃくしゃしたり、精神的に苦しくなったり。そんな時にたばこに逃げないとやっていられないのよね」

「そ、その理由でたばこを吸っているとなれば確かに代行相手は終わりですね……」


 葉月がたばこをする理由は仕事が大きく関わっているのだろう。それでも代行相手に対し精神的に苦しくなればたばこを吸うわけでもある。

 代行人側としてはなんとも恐ろしい理由である。


「でも、斯波くんが予想を外してくれて嬉しかったわね。私が非喫煙者だって誤魔化せているわけだから。さっきも言ったけれど女性がたばこを吸うってイメージは悪いものね」

「確かにそんな人がいるのは否定できませんけど、自分は違いますよ」

「あらそう? なら斯波くんお得意のフォローを聞かせてもらおうかしら」


 期待するような眼差しを向けてくる葉月は完全にからかい気味だ。それでもふざけて良い理由にはならない。

 龍馬は自身の考えを真面目に伝えることにする。


「フォローが得意ってわけじゃないですけど、子どもの前でたばこを吸わなかったり、相手を気にかけていたり。そんな最低限のマナーを守っていれば印象悪く映ったりはしません。葉月さんのことですからそこら辺はしっかり守っていると思いますし」

「そんな捉え方をする人もいるのね。……勉強になるわ」

「もちろんですよ。ただ、たばこは健康面に影響するので自分的には辞めさせたいところではありますけど」


 と言っても龍馬は葉月とお金で繋がっている関係だ。

 たばこをやめるように! なんて無理強いや、これ以上の追求をすることはできない。心配をしているとは言え、深く干渉することはあまり良い印象を与えない。


「たばこを吸う目的は憂鬱さを晴らすためよ。……私を癒してくれる、慰めてくれる存在が出来たのなら今すぐにでも辞められるのだけれどね?」

「な、なんですかその意味深な顔……」


 綺麗なつり目を細め、口角を上げながら手を当てる葉月。その一方の龍馬は膝に置く左手の甲を右の爪で摘む。痛覚を刺激することで冷静を保とうとした。

 どんな表情でも似合うなんてチート級の能力だろう。


「ふふっ。やっぱり私、彼氏、、と言う存在に憧れがあるのよ。斯波くんは私の理解者だから、斯波くんが私の彼氏でも傷つける可能性は少ないわよね……って」

「今はこうですけど、彼氏になった自分は案外うるさいですよ? 嫉妬深さなら誰にも負けない自信ありますから」

「あら、私もそうよ? 心でも体でも愛してくれなければすぐに熱が冷めるわ」

「……未経験なのによく言いますよ」


 龍馬も龍馬で目を細め、葉月をからかうような表情に変える。さっきの仕返しをしているわけである。


「そっ、それは関係ないでしょう? ……もう斯波くんにはバレているでしょうから言うけれど私って甘えたがりなのよ」

「自分は構ってほしがりですね」

「相性良いのね。私たちって」

「そうなりますね」


 話の道筋、プロットが作られたように会話がスルスルと進む。


「……もうこの際にお付き合いしてみる?」

「っ、ムードもなにもない告白ですね。……ほら、軽口はそろそろやめて注文にしましょう」

「そ、そうね……。そ、その前に私、御手洗いに行ってくるわ。注文が決まったら先にしてて大丈夫だから」

「は、はいわかりました」


 立ち上がる際、どこか不自然に横髪を抑えて顔を隠した葉月は、小走りでトイレに向かっていった。


 葉月が見えなくなるまで見届けた龍馬は、無表情のまま隅にあるメニュー表を立てるようにして広げ、ドンとテーブルに頭を置く。

 授業中の居眠りを誤魔化すような形になって——

(なっ、なんだったんだよ今のナチュラルな告白……ッ! 一瞬心臓が止まったんだが!?)

 胸中で叫んでいた。

 龍馬は見た。ベテランキラーの真髄を。

 あんな風に言われたことはもちろん初めてのこと。冷静に振る舞えた自分に拍手を送りまくっていた。


(俺、そんなの慣れてないんだって……!! そんなのは駄目なんだって……)

 軽口、ジョークでも、本気のトーンだったからこそタチが悪かった。からかいのレベルが高すぎなんだと心の中で龍馬は訴えていた。


(注文どころじゃないよもう……。早くこの顔戻さないと……)

 龍馬は両目を思いっきり閉じ、その上から手を当てる。葉月がトイレから戻ってくるまでの間に、赤くなっているだろう顔色を戻す努力をした。


 ——自ら軽口を言った葉月。だが、御手洗い場の中で龍馬と同じ努力をしていたのである……。


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