第21話 姫乃と龍馬の密会

 現在の時刻は最終の5コマ目に入っている。

 空きになっている教室は思ったよりも簡単に見つけることができ——龍馬が椅子の向きを変え、長机に対面して座る。


「食べていいよ」

「あ、ああ……ありがとう」


 龍馬は早速と言わんばかりに姫乃の雰囲気に呑まれていた。

 姫乃がバックを開けたと思えば、キーチェーン付きのハート型ポーチを取り出し、その中に入っていたキャンディーとキャラメルを一握り。机上に置いたのだ。


「チョコも食べる? クマの形したの。別のポーチにある」

「も、もう大丈夫。こんなに飴とキャラメルあるからね」

「……ん、わかった」

 クマ型のチョコを見せたかったのか、チョコを食べさせたかったのか、ちょっと悲しげの姫乃だが、表情筋が動かないせいで龍馬にきちんと伝わらない。

 もし伝わっていたのなら、龍馬は後出しジャンケンのように『ほしい』と言っていたことだろう。


 そして、今は本題に移れるような空気ではない。

 ボクシングで言うジャブから龍馬は仕掛けることにする。


「もしかしなくても、甘いものが好きだったりするの?」

「ん、これくらい好き」

「一体何個入っているんだろうねそれ……」

 ポーチを開いて中身を見せてくる姫乃。机に出しているキャンディーとキャラメルが大量に詰まっている。

 自宅で一人、この量を姫乃が詰めている様子を思い浮かべるとなんだか微笑ましくなる。


「数える?」

「じゃあ数えてもらおうかな?」

「いち、に、さん、よん、ご……」

 姫乃はポーチの中に入っているキャンディーとキャラメルを本気で数え始める。なぜ数を数えさせるのか、もちろんこれにもワケがあってのこと。


「そんなに緊張しなくてもいいよ、姫乃」

「っ!?」

 数えていた姫乃の手が止まる。その代わりにバッとこちらに顔を見せてくる。艶やかな銀髪が大きく揺れるほどの勢い。動揺を露わにしている。


 龍馬には分かっていた。姫乃が心の奥底に隠していることを。

 今はその気持ちを拭い去るための時間。拭い去って気楽になってもらうための時間なのだ。


「さっきも言ったけど怒るつもりはこれっぽっちもないからさ。……あ、わざとやらかしたわけならちょっとは注意するけど」

「わざとじゃない……」

「それならまた謝ろうとしなくてもいいし、何をやらかしたのかも言わなくていいよ。なんとなくだけど姫乃がどんなミスをしたのか分かってるから」

 今まで姫乃とは大学で話したことすらない。その事実を踏まえ龍馬が関わっているやらかしと言えば恋人代行の件しかない。


 周りの皆に彼氏がいると勘違いさせた……なんて予想くらいは簡単。

 姫乃に彼氏の存在があったとしても、顔さえバレなければまだ厄介な問題は発生することはない。


 もう一つ言えば、姫乃は彼氏がいると周りに知られてしまったばかりにこれから恋人代行を定期的にすることになる。

 友達に見られている以上、相手をコロコロと変えるわけにもいかない。


 この件、よくよく考えてみればお金を稼ぎたい龍馬にとって有利に働いているのである。


「この空き教室に来たのは姫乃がどんなミスをしたのか話すためだったけど……今日は気軽に喋る会的な感じにしよう? 姫乃が出してくれたお菓子もあることだしね」

 降水確率が落ちる18時まで龍馬は大学に残ることを決めていた。姫乃のフォローをしながら言いくるめているが、喋り相手を作って楽しみたいからでもある。


「じゃあアメ、食べよ?」

「そうだね、ありがと」

 姫乃の唐突な促しにも少し慣れつつある。

 龍馬がぶどう味のキャンディーを取った後、姫乃もぶどう味のキャンディーを取った。まさかの同じ味である。


「姫乃もぶどう好きなの?」

「マスカットの方が好き」

「そ、そっちか……」

 このキャンディーの味は5種類。ぶどう、めろん、いちご、みかん、りんごである。

 キャンディーの封を開け、口の中に含む二人。


「シバ」

「どうしたの?」

 キャンディーのせいでほっぺたが小さく膨らんでいる姫乃。


「許してくれて、ありがとう……」

「そ、そんな改まって言わなくても……」

「ちゃんと言いたかったから」

 キャンディーを口に含みながらだったのは少しでも恥ずかしさを抑えるためだろうか、その本意は姫乃にしかわからない。

 寡黙な姫乃のことをまだまだ知らない龍馬だが、こんな時間を楽しんでいる自分がいた。


「……シバ」

「どうした?」

「ひ、姫乃と……お友達になって」

 またしても突然の言い分。いつも通りの仮面を被ったような表情。

 しかし一つだけ変わったところがあった。

 ——顔色が紅葉に染まっていること。色白の姫乃だからこそ人並みよりも目立つ。


「俺はもう姫乃のこと友達のように思ってたよ。代行時はまた変わるけどね?」

「シバはうそ言う。姫乃を避けようとしてたのに」

「そ、それはあの時の状況についていけてなかったって感じで……」

「じゃあ連絡先、交換。……お友達だから」

「……ッ。そ、そうだね。友達……だからね」


 どこか不自然な笑顔を見せる龍馬は、姫乃に完璧な一本を取られていた。

 友達なら連絡先を持っているもの。恋人代行という立場はもう関係ない。

 この状況を狙っていたのか狙っていなかったのかは定かではないが、ここで拒否することなどできるはずがない。


 お互いにスマホを取り出し電源をつける。

 プラスチック製のシンプルなスマホカバーをしている龍馬とは対照的に、デカデカとした猫型のシリコン製スマホカバーをつけている姫乃。これを見るのも二度目。姫乃の小さな手では少々難がありそうだった。


「ラインでいいかな?」

「……姫乃ツイッターしかしてない」

「あぁ、ツイッターか……。一回アカウント作ったんだけど、使い方が全くわからなくてそのまま放置してるんだよね」

「アカウントあればいい。姫乃とDMできる」

「ダイレクトメッセージってやつだっけ?」

「ん、個人メール」

「ちょっと待っててね。立ち上げるから」


 流行りになっていたから……と、Twitterアプリを入れてみただけの龍馬。やり方が何も分からずに何ヶ月も放置していたアプリである。


「えっと、これがアカウントだけど……」

 龍馬はそのままの画面を姫乃に見せる。

 プロフィール画像とヘッダーは初期のもの。自己紹介も何も書かれておらずフォローもフォロワーも0人。できたてほやほやのようなアカウントだった。


「まず姫乃のアカウント教える。やり方も覚えて」

「ありがと。助かるよ」

「まずキーワード検索押す」

「はい」

「次に『でびる』って調べる。ひらがなで」

「でびる?」

「ん」

 龍馬は姫乃に言われた通り『でびる』と検索する。すると『でびる』の名前が入っているアカウントが一列に表示された。


「うわ、こんなに同じような名前あるのか……」

「一番上にあるの、姫乃のアカウント」

「一番上だから……コレ? でびるちゃん」

「なっ、名前言わなくていい……から」

 確認を取るように姫乃に視線を送ったが、ぷいっと顔を背けられた。

 自分でつけた名前であるはずなのにどこか羞恥心を感じているようだ。


 龍馬はでびるちゃんのアカウントを押し、プロフィール画面に飛ぶ。


「へぇ。フォロワーさんがたくさん……って、え? 一、十、百、千、万……13万……? え? 漫画家……」

 桁数を確認後、呆けた顔で姫乃を見る。


「な、なに」

「あのでびるちゃん!?」

 思わず素が出てしまう龍馬。いや、書店で働いている龍馬だから人一倍理解がある。


「本……書店に出してるよね……? ラブコメ系のやつ4巻か5巻くらい」

「……コミケ、だけ」

「そ、その嘘は意味ないんじゃないかな……。プロフィールにも『書店発売中』書いてるし……」

 姫乃は恋人代行終了後に言っていた。『学生だけど稼げてる』と。

 ペンネーム、でびるちゃん。ラブコメ漫画の大物作者といっても過言ではない。

 間違いなく、稼ぎがある側の漫画家であった。


「シバ。は、早くフォローして。もう見ないでっ」

「ご、ごめん、びっくりしちゃって」

 まさかの人物。驚嘆状態の龍馬に強制的に話をプッチンする姫乃。

 そもそも姫乃は龍馬が書店でバイトしていることなど知らないのだ。第一に漫画に詳しくないと思っていた。

 突っ込まれることはないと勝手に解釈していたのである。


 そうして、龍馬がでびるちゃんをフォローした数秒後、フォローバックされる。相互フォローの完了だった。


 フォロー数870人、フォロワー数13万人のでびるちゃんアカウントが、初期アカウント。フォローもフォロワー数も1のアカウントをフォローしている。

 周りから見たら『なんでコイツがでびるちゃんにフォローされてんだよ』なんて感想を持たれるのは避けられないだろう。


「もういい。あとはこの手紙のボタンを押せばいい」

「そうしたらDM画面に飛ぶってことだよね? なにか送ってみてもいい?」

「大丈夫」

 姫乃から了承が出る。

 龍馬は手紙のボタンを押しDM画面に移る。しばしメッセージの内容を逡巡させ、送信した。


「……っ、ばかシバ」

「あははっ」

 メール内容を見た後、正面にいる姫乃から直で言われる罵倒。だが嫌味さは全く感じない。照れ隠しのようなものだ。


「こ、このアカウントが姫乃だって、誰にも言っちゃだめ」

「もちろん分かってるよ」

「約束、だから」

「了解」

「ん」

 龍馬は知り得ない。姫乃が仕事用のアカウントを教えてくれたことの意味を。姫乃がリアルで教えたのは龍馬だけであることを。

 そして、仕事用のアカウント以外にもリアルアカウントを姫乃が持っていることも龍馬は知らない。


 ——仕事用のアカウントを教えた理由。それは姫乃にとって仕事用アカウントの方が運用時間が長いから。


 龍馬からの連絡にすぐ気づくことができるから。早く返信することができるからであった……。



 ****



「……」

 その夜、姫乃はソファーにお山座りをしたままスマホを見つめていた。


『今日はレクチャーありがとう。次はヘマを犯さないようにね、でびるちゃんさん』

 その文面は、今日龍馬が送ったDM。からかいを交えた、本当に怒ってはいないことを伝えるようなメール。


「……ばかシバ」

 一人で悪口を言う姫乃だが、その顔にはかすかな笑みが浮かんでいた。


 そのDMの画面を表示させたまま、電源ボタンとホーム画面を同時に押す姫乃。

『カシャ』と、スクリーンショットの音。


(いつか素のシバ見てみたいな……)

 そんな密かな想いを乗せ、姫乃は“お気に入り”と設定したアルバムに写真を保存するのであった。

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