第20話 姫乃との再会

「ウッソだろ外雨降ってんじゃん」

「お前天気予報見てねぇの? 16時から降水確率90%だったぜ」

「見てねーよ。朝あんなに晴れてたし……」

「しょうがねぇから俺が傘入れてやんよ」

「マジ!? 助かるわー」

 今日の講義が終わり、ルンルン気分で帰宅しようとしていた龍馬。しかし、見知らぬ在学生の会話を聞いてしまったことで顔に憂愁ゆうしゅうの影が差していた。


(雨降ってるってマジか……)

 講義中、天気が怪しくなっていることは確認していたが、今現在雨が降っているなんて思いもしなかった。

 龍馬は天気予報を見ていない、傘を持ってきていない一人だったのだ。


(小雨なら濡れて帰るか……)

 親友の雪也は午前中で帰っている。残念なことに龍馬に頼れる人物はいない。

 この大学の近くにコンビニがあるが、傘を買うにも値段も高い。


 姉のカヤに今の状況を伝えたなら『傘くらい買え。お金出すから』なんて言われるだろう。しかし、家に傘があるために勿体ない精神が先に働く。濡れてでも節約した方がマシという思考回路になるのだ。


(せめて小雨でいてくれ……)

 そんな願いを秘め、重い足取りで大学の玄関口に向かう龍馬。

 だが……お天道様は残忍であった。


 玄関から外を確認した瞬間——龍馬の願いを一撃でぶち壊すように豪雨に変化したのだ。

 斜め横に降り注ぎ、コンクリートにぶつかり跳ねる粒。霧のように曇った風景。

 傘なしでは近場のコンビニにすら足を運ぶことはできないほど。


「うっそぉ……」

 胸中の思いが声に出てしまう。

 講義が終わり、自宅という名の天国に帰ろうとした矢先にコレなのだ。足止めを食らうのは気持ち的にかなり辛いこと。


「……はぁ」

 雨の影響で外に出られない。龍馬は肩を落としながらこの先の時間の天気予報をスマホで調べる。

 この先、ずっと雨が続くのならびしょ濡れで帰ることを覚悟しなければならないが——お天道様は救いの手も差し伸べていた。


 18時、降水確率は40%と下がり天気は曇りとなっていた。二時間も待たなければいけない。ラッキーのような、ラッキーじゃないような、そんな気持ち。


(18時まで時間潰すしかないよな……)

 この大学には図書室があり、その場を借りて自習をしている在学生も多い。

 スマホゲームをしない龍馬の余った時間の使い道は勉強するくらいだ。


 気持ちを切り替え校舎に入ろうと龍馬は体の向きを変えた途端、龍馬の視界に2つの足があった。

『え?』なんて感想を持つのは当然。そのままゆっくりと上に顔をあげ——絶句した。考えもつかない状況に。

 目を見開いた龍馬に映し出されているもの。今、龍馬の正面にある少女がこちらを見てじっと佇んでいる光景だった。


「……ッ! さ、さて行かないとなー!」

 なんて白々しい龍馬の声。それは今ある状況を打ち消したいように。


「待って」

「これから勉強だなぁ」

 独り言のような少女の声は龍馬の声によって上書きされる。

 そのまま少女の隣を過ぎ去ろうとする龍馬だったが、そう上手くはいかなかった。


「……待ってって、姫乃、、言った」

「ちょ!?」

 正面にいた少女、姫乃は龍馬の腕袖を掴かんだ。

 あの恋人代行サービスの依頼人、姫乃が何故かすぐそこにいたのだ。

 か弱い力。簡単に振り払うことができるはずなのに、龍馬は行動に移すことをしなかった。相手が自分より小さいとこうなってしまう。


「ど、どちら様ですかね……」

「シバなのはわかってる」

「……」

 言葉で抵抗する龍馬だったが、姫乃は簡単に見破っていた。ワックスをつけていない姿を見るのは初めての姫乃だが、断言した口調で一殺する。


「バ、バレてるんだね……あはは。よく俺のことが分かったね……。今の俺メガネだし髪セットしてないのに」

「匂いでわかった」

「え? そ、それって俺が臭いからとかじゃないよね……?」

「シトラス系。男の人つけるの珍しい」

「そ、そうなんだ……?」

 一度会った時と同じ、表情を変えることなく淡々と伝えてくる。綺麗な紫水晶の瞳を向けて。


「姫乃とお話しよ……」

 なんて言う姫乃の片手には折りたたみ傘があった。龍馬は姫乃と帰るタイミングが偶然重なっていたのだ。

 姫乃にとってこれは僥倖ぎょうこうのこと。このチャンスを逃すわけにはいかないのである。姫乃は一刻も早く伝えなければならないことがあるのだから。


「いやだったら、お金あげる……」

「っ!?」

 子犬がエサをねだるように上目遣いで訴えてくる破格の条件。大抵の男はこの可愛さを含め頷いてしまうのだろうが龍馬は違う。


「依頼中じゃないんだからお金はもらえないよ」

 依頼時の声色、口調も変えて姫乃のストップをかける。

 お金は喉から手が出るほどほしいが、姫乃は龍馬のリピーターになりつつある。好感度を落とさないためにもガメつくわけにはいかない。素の態度を出して落差を作るわけにもいかない。


「じゃあ今依頼する」

「代行サービスを通してご利用ください」

「じゃあシバとお話だけする」

「……」

 どこか焦燥している姫乃は食い気味だった。今、この状況を気にする余裕さえなさそうに。それは龍馬にとって気がかりなこと。


「姫乃も分かっているとは思うけど、お互いに大学内じゃあまり関わらない方がいいと思うよ……?」

 恋人代行サービスの依頼者と代行者。そして大学生という年齢。厄介ごとが起きてもおかしくないのは簡単に予想できること。


「わかってる、けど……」

 姫乃の顔がしょんぼりとなる。龍馬の言葉を理解してもなおの反応……。代行デート中、こんな表情は一度も見たことはなかった。


「ど、どうかした……?」

 思わずそう聞いてしまう龍馬。


「姫乃がドジしたの……」

「ドジした?」

「ん。だから……そのこと、謝りたい……。話し合いたい……」

「も、もしかして取り返しつかないくらいの……やらかし?」

「……ごめんなさい……」

「そ、そうなんだ……」

 掴んでいる小さな手に力がこもり、姫乃はか細い声で頭を下げる……。

 それは、心の底から謝っている気持ちが龍馬に届くほど。

 ここまで申し訳なさそうにしている姫乃を見て突き放せるほどの人間は、憤っている人間だけだろう。


「じ、じゃあ……人気のないところで話そうか。怒るわけじゃないから安心して」

「怒ってもいい……から」

「そ、そこまで言われると本当に怖いな……」

 どんなミスを犯してしまったのか……なんとなく想像を働かせる龍馬は身が縮む思いをしながら姫乃と共に空き教室を探すことになる。


 姫乃が何をしてしまったのか気が気でならない龍馬は、彼女が腕裾を掴んでいることなど二の次だった。

 一方、こんなスキンシップを全然取ったことのない姫乃は龍馬に指摘をされなかったために、いつどのタイミングでこの手を離せばいいのかわからなかった。


 その末、廊下を歩いている間、姫乃が龍馬の腕裾に掴みながら歩いているという構図が完成してしまう。


『お、おい……あのロリリンが変な根暗彼氏にイチャついてんだが……って、あれが彼氏なのか!?』

『いや、あんなヤツがカレシなわけねぇだろ。どう考えても』

『罰ゲームじゃね?』

『そうだな。あれ彼氏だったらロリリン見る目ないぜ?』

 周りからは当然の反応。後ろ指をさされまくっていることに当の本人達は気がついていなかった。




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