CHAPTER 13:パンプキン・キャリッジ

 アゼトとレーカが街外れの工場に帰ってきたのは、夜も白みはじめたころだった。


 工場の入り口にはケイトのトラクターが横付けされている。

 平たい荷台ベッドの上に佇立しているのは、ヴェルフィンとカヴァレッタだ。

 闘技場コロシアムでの試合が終わったあと、ケイトがここまで運んできたのである。

 どちらの機体も試合を終えたばかりということもあって、外装はひどく汚れているが、損傷らしい損傷は見られない。

 消耗した燃料電池フューエル・セルとオイルを交換すれば、今夜の試合にも問題なく出場できるだろう。


 トラクターの運転席のあたりでひょっこりと小柄な影が動いた。


「あれえ――――兄ちゃんと姉ちゃんだけかよ。お師匠は?」


 カナンはひらりとトラクターから飛び降りると、アゼトとレーカのほうへ駆け寄ってくる。


「ケイトならまだプリケルマ男爵と呑んでいるはずだ」

「なーんだ、お師匠は朝帰りかよ。男と遊びに行くのはいいけど、相手がよりによってあの落ちぶれ吸血鬼じゃなあ……」

「おまえも男爵のことを知っているのか?」

「知ってるもなにも、うちとはもうずいぶん長い付き合いだよ。あいつマッチメイカーのくせにてんで人を見る目がなくて、いっつもロクでもない試合を組んでは大損こいてるんだぜ。みんな陰ではバカ男爵って呼んでるよ」


 言って、カナンは意地悪そうな忍び笑いを洩らす。


 至尊種ハイ・リネージュ――吸血鬼は、生まれながらに絶大な権力をもつ支配階層である。

 安全で快適な塔市タワーに暮らす彼らは、多くの配下にかしずかれながら、生涯にわたって何不自由のない生活を送ることが出来るのだ。

 もっとも、一見優雅にみえる吸血鬼の世界も、その内実は人間社会とさほど変わらない。

 権力や財産をめぐっての骨肉の争い、男女間の愛憎劇、そして政治闘争……。

 同族間の些細な争いは、しばしば流血をともなう武力衝突の火種にもなる。

 もっとも、たとえ争いに敗れたとしても、貴族である彼らが刑罰を課せられることはない。

 そのかわり、敗れた者は、同胞の平和を乱した責任を取るという名目で自主的に塔市タワーを退去するのが慣例とされている。


 天上の楽園を追放された彼らを待っているのは、仮借なく照りつける太陽と、劣等種と見下していた人間からの蔑みの視線だ。

 陽が昇るたびに暗がりに逃げ込み、夜ごと盗人ぬすびとのように血を啜って、ようよう日々を生きながらえる……。

 やがて寿命が訪れるそのときまで、苦しみから解放されることはない。

 プリケルマ男爵も、そうしたのひとりであるはずだった。


「俺は先に休ませてもらう。朝になったら起こしてくれ」


 アゼトはそっけなく言うと、その場でくるりと踵を返す。

 最強の兵士である吸血猟兵カサドレスも、脳内に埋め込まれたチップを除いては生身の人間と変わらない。

 十全のパフォーマンスを発揮するためには、定期的な休息が不可欠なのだ。


「あっ、おい、兄ちゃん――――」


 カナンが声をかけるまもなく、アゼトの背中は工場内へと消えていった。

 レーカのほうに向き直りながら、カナンはため息をつく。


「あーあ、行っちまった。出かけてるあいだにシャワー直しといたから、寝るまえに浴びてけば……って言おうとしたのにさ」

「シャワー?」

「たしか大昔のとかなんとかいうヤツさ。地下水の汲み上げ装置がぶっ壊れててしばらく使えなかったんだけど、オレがジャンクのなかから使えそうなパーツを見繕って修理したんだ」


 カナンは得意げに言って、胸をそらしてみせる。

 

「姉ちゃんもどう?」

「私はべつに……」

「自分じゃ気づかないかもしれないけど、ウォーローダーのコクピットってけっこう臭いんだぜ。さっきオレとリズ姉ちゃんで使ったばかりだから、お湯もすぐに出て……」


 カナンが言い終わるが早いか、レーカはカナンの両肩を力強く掴んでいた。

 そのまま前後にはげしく揺さぶりながら、レーカははげしく詰問する。


「貴様、いまなんと言った!?」

「なにって、二人でシャワー浴びたって……」

「裸でか⁉」

「当たり前だろ。服着たままじゃびしょ濡れになっちまうもん。リズ姉ちゃんは眼に光が当たるとよくないからって、ずっと布きれ巻いてたけどさ。服の上からじゃ分からないけど、リズ姉ちゃんってけっこう胸でかいよなあ」

「こ、この狼藉者……!! 子供とはいえ、よくもそんな破廉恥な真似を!!」


 満顔に朱を注いだようになったレーカに、カナンは当惑しきった面持ちで首を横に振る。


「なんでそんなに怒ってるのかしらないけど、で裸になって悪いんだよう」

「なんだと?」

「だーかーら、オレは女だって!! 女らしい格好してると面倒ごとに巻き込まれるから、自分の身を守れるようになるまでは男のフリしてろってお師匠に言われてんの!! ウソだと思うなら、を見せてやってもいいんだぜ」


 レーカがあっけにとられたように脱力した一瞬を逃さず、カナンはするりとその腕を振りほどいていた。


「ったく……裸を見せあったくらいで大騒ぎするなよな。アゼトの兄ちゃんなんか、リズ姉ちゃんともっとスケベなことしてたぜ」


 カナンがぽつりと呟いた言葉を耳にして、レーカは雷に打たれたみたいに身体を硬直させていた。

 やがてレーカが我に返ったときには、カナンは工場の奥へと消え、朝焼けの淡い光が周囲を照らしはじめていた。


***


 翌日の第二戦も、アゼトとレーカは難なく勝利を収めた。

 対戦相手はアーマイゼ重装甲型ヘビィ・カスタムを駆るベテランコンビである。

 本来なら新参者が戦えるような相手ではないが、プリケルマ男爵が無理を言って対戦カードを組んだのだ。

 ”新兵殺しリクルート・キラー”戦で見せたみごとなコンビネーションに較べれば、多少としたところは目立ったものの、戦いは終始二人の優勢のまま終わった。


 下馬評をくつがえし、実力派の闘士を立て続けに破ったことで、アゼトとレーカの声名はにわかに高まりつつあった。

 それも当然だ。

 闘技場のランキングは、チャンピオンであるレディ・Mを頂点にほぼ固定されている。それにくわえて、マッチメイカーによる露骨な試合や、闘士による勝ち星の売り買いといったイカサマがなかば公然とまかり通っているのである。

 無名の新人による番狂わせは、刺激に飢えた観客たちをおおいに興奮させたのだった。


 その後もおよそ二日に一度のペースで試合が組まれ、そのたびにアゼトとレーカは順調に白星を重ねていった。

 通常形式の試合ばかりではない。

 三対二あるいは四対二の変則マッチ、機体同士をあらかじめチェーンで結びつけたチェーン・デスマッチ、リング内に無秩序ランダムに対ウォーローダー地雷を埋設したサドン・デスマッチ……。

 まともな闘士なら即座にはねつけるリスキーな試合も、二人は文句も言わずに引き受けたのである。

 条件が合いさえすれば、一晩のうちに三試合をこなしたこともある。

 はたして、最初は空席が目立った客席は立ち見が出るほどの盛況を呈し、賭け金のレートも右肩上がりに上がっていった。


 そうして三週間が過ぎたころ――――

 アゼトとレーカは、デビュー以来二十戦目となる試合に勝利した。

 二十戦二十勝。黒星も引き分けもない完全勝利だ。

 それは、長い闘技場の歴史のなかでも、これまでレディ・M以外だれも達成したことのない快挙であった。


***


「ではでは、記念すべき二十連勝の大記録を祝して、乾杯――」


 プリケルマ男爵は上機嫌に言って、合成アルコールのグラスを掲げる。

 アゼトとレーカ、ケイトは、やれやれといった風にそれぞれのグラスを打ち合わせる。

 いつもの安酒場である。

 試合が終わったあとには、この店で祝杯を上げるのがお決まりだった。

 

「いやあ、お二人のおかげでマッチメイカーの私もずいぶん儲けさせてもらいました。こんなに懐が温かいのは何十年、いや何百年ぶりでしょうかねえ」

「冗談じゃないよ。めちゃくちゃなスケジュールの試合を組んで、おかげでこっちは身体じゅうガタガタさ」


 ケイトはため息をつくと、コキコキと肩と首の骨を鳴らしてみせる。

 過酷な試合をこなすためには、腕のいい整備士チューナーの存在が不可欠だ。

 この三週間というもの、ケイトは試合のたびにカヴァレッタとヴェルフィンの整備に忙殺され、人心地がつく暇もなかったのである。

 アゼトとレーカの技量もあって、二機ともに致命的なダメージを被ることはなかったが、それでも戦闘による消耗は避けられない。

 衝突によって生じたボディ・アライメントのわずかな狂いや、交換すべき部品の見落としが、試合においては生死に直結するのだ。どんな高性能機であっても、整備が不十分なら、たやすく撃破されてしまうのである。

 ケイトの卓越した整備の腕前がなければ、とてもここまでの戦いを切り抜けることは出来なかったはずであった。


「ま……アタシもたんまり稼がせてもらったから、文句は言えた筋じゃないけどさ」


 アゼトとレーカが試合で得た報酬のうち、およそ三分の一がマッチメイカーであるプリケルマ男爵の取り分となる。べつに暴利を貪っているわけではなく、闘技場における一般的な相場なのだ。

 チーム専属の整備士チューナーであるケイトにも、むろん相応の賃金が支払われている。

 そこからさらにテラせん――すなわち闘技場の管理・修繕費として運営に納めなければならない経費が引かれるため、最終的に二人の手元に残るのは、報酬の四分の一ほどにすぎない。

 長距離走行に耐えるトランスポーターを購入し、バスラル市を出ていくためには、もうしばらくのあいだ試合に勝ち続ける必要があるということだ。

 

「もっと報酬を稼ぐ方法はないのか」


 アゼトの問いに、プリケルマ男爵は小首をかしげる。


「そう言われましても、あなたたちは新人としては破格の報酬を稼いでいますからねえ。試合は相手がいなければ成り立たないものです。さすがにこれ以上短いスパンで試合を組むのは不可能ですよ」

「上のランクの闘士との試合を組めばどうだ」

「こちらが話を持ち込んでも、先方のマッチメイカーに拒否されればそれまでです。初陣からまだ一月ひとつきも経っていない新人に負けたとあっては、闘士のブランドに傷がつきますからね。ここまで八百長いっさいなしの真剣勝負セメントだけでやってきたとなればなおさら……」


 プリケルマ男爵はあくまで飄々と言いのけると、大仰な身ぶりで首を横に振る。

 これまでの試合で、対戦相手からように依頼されたことは何度かある。

 また、それとは逆に、と、頼んでもいないのにイカサマを申し出てきた相手もいる。


 いずれにしても、彼らが決まって口にするのは、


――それが闘技場ここのルールなんだ。従うのが身のためだぜ。


 という一言であった。


 言うまでもなく、アゼトとレーカはそのことごとくを一蹴してきた。

 戦場では、わざと負けてやることも、相手に頭を下げて勝たせてもらうこともありえない。

 殺すか殺されるか――いったん始まった戦いの幕引きは、そのいずれかだ。

 修羅場に身を投じてきた二人にとって、そうした盤外の駆け引きはいかにもバカバカしく、まともに取り合うに値しない茶番劇でしかなかったのである。

 二人の実戦さながらの戦いぶりは、真剣勝負セメントを求める観客をおおいに熱狂させる一方で、同業者からの憎悪を集めることにもなった。


――暗黙の了解を踏みにじる生意気なガキどもめ……。


 聞こえよがしに陰口を叩かれたこともあれば、面と向かって暴言を吐かれたこともある。

 アゼトもレーカもその程度では痛痒ともしなかったが、苦労したのはプリケルマ男爵だった。

 けっして八百長に応じず、真剣勝負セメントだけで勝ち上がってきた凄腕の新人は、ほとんどの闘士にとって積極的に戦いたくない相手である。それは闘士を抱えているマッチメイカーにしても同様だった。

 そんな苦しい状況のなかで、プリケルマ男爵は八方手を尽くして対戦相手を見つけ出し、どうにかここまでの二十試合を成立させてきたのだ。


 もっとも、ここまで上手くいったからといって、このさきも問題なく事が運ぶ保障などどこにもない。

 すでに下位から中位ランクの闘士にはアゼトとレーカに勝てそうな者はひとりも残っていない。

 上位の闘士に挑戦するにしても、彼らはいずれも闘技場の花形である。たんに強さだけでなく、個々人がもつ華々しいスター性によって観客を集めているのだ。

 そのような彼らにとって、危険な真剣勝負セメントはむろん、自分より下位の闘士に負けるなどもってのほかだった。

 さしものプリケルマ男爵も、上位ランクの闘士との試合をマッチアップするのは容易ではない。

 

「ま、方法がないわけではありませんが……」


 プリケルマ男爵はあるかなきかの小声で呟く。

 その方法とは、こちらがように、あらかじめ相手方と打ち合わせをすることにほかならない。

 ベテランが生意気な新人をぶちのめし、闘技場の掟を身体に叩き込む……筋書きとしては悪くない。

 上級闘士にとっては最初から勝ちが約束された試合であり、みずからのプライドを満たすことも出来る。

 もちろん殺さない程度にという条件をつけることは言うまでもないが、に慣れた上級ランクの闘士ともなれば、ウォーローダーだけを破壊する程度は造作もなくやってのける。

 いずれにせよ、上級ランクに加わるためには、アゼトとレーカもそうした演技力を身につける必要がある。

 それは闘技場において下位ランクほど試合中の死傷者が多く、上位ランカー同士の試合ではめったに死人が出ないでもあった。


「言っておくが、わざと負けろという話ならお断りだぞ。そんな卑劣な真似をするほど落ちぶれてはいない!!」

「はいはいはい。きっとそう言うと思いましたよ――――」


 きっぱりと言い切ったレーカに、プリケルマ男爵はわざとらしく深いため息をつく。

 これまでそれとなく八百長を勧めたこともあったが、そのたびにレーカが烈火のごとく怒り出し、話が流れるのがお決まりだった。

 

 甲高い電子音が響いたのはそのときだった。

 プリケルマ男爵はコートのポケットに手を突っ込むと、いかにも年季の入った情報端末を取り出す。

 もともとは戦前にひろく普及していた汎用型ハンドヘルドコンピュータである。

 戦後も複製品コピーが広く流通しているが、技術の後退によってもともとカラーだった液晶は粗いモノクロになり、プロセッサの処理性能も大幅に劣化しているという典型的な粗悪品だった。

 しばらく画面を見つめていたプリケルマ男爵は、やがて「げっ」と驚きの声を洩らした。

 

「どうした、男爵?」


 怪訝そうに問うたアゼトに、プリケルマ男爵は引きつった笑みを浮かべる。


「いやあ……まあ、いつかはこうなるだろうとは思ってはいましたがね……」

「いったいなんの話をしている?」

「百聞は一見にしかず。私の口から説明するより、ご自分の目で確かめたほうがいいでしょう」


 プリケルマ男爵は情報端末を掌のなかでくるりと回転させ、液晶画面をアゼトたちのほうに向ける。

 輝度の低い白黒画面を凝視したのもつかのま、三人はほとんど同時に目を瞠っていた。


――貴君らを真の強者とみとめ、チャンピオンへの挑戦権を与える。返答や如何いかん


 粗い画素で描かれた文字を追いながら、アゼトは文末に記された差出人の名前をおもわず口にしていた。


「レディ・M……」


 それは、チャンピオンからの挑戦状にほかならなかった。

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