第165話

 上空三万メートル。地上と比べて酸素の薄いはずの成層圏で、大爆発が起きていた。

 その中心から、小さな影が飛び出してくる。黒のロングコートとオレンジの瞳を持つ仮面に身を包んだ朱音だ。


 息は荒く、魔力も体力もかなり消耗している。コートの中で流れた血が、腕を伝い指先から落ちていった。


「誰かさんに似て頑固だね。いい加減にしないと死ぬよ?」

「死ぬつもりも、あなたと戦うつもりもありませんので……」


 対するは、魔術学院の制服に身を包んだ、おさげ髪の少女。呆れのため息を吐く魔女は、困ったように眉根を寄せていた。


「今のわたしは、朱音ちゃんの敵だよ? 憎くて仕方ない吸血鬼の仲間だよ?」


 挑発混じりの言葉は、忘れるはずもない笑顔と共に放たれた。


 魔女、桃瀬桃。

 朱音が救えなかった、助けることができなかった、大切な人。戦えるわけがない。桃だってそれは分かっているはず。

 分かっているからこそ、と言うべきか。


 グレイの味方と明言する以上、ここに来たのは朱音の足止めだろう。この隙にダンタリオンを逃すつもりだ。

 まあ、あの四人から簡単に逃げられるとは思わないが。


「今がどうであれ、あなたが桃さんであることに変わりはありませんが。だったら私は、あなたと戦いたくない」

「出会った頃は、織くんと愛美ちゃんにも剣を向けてたのにね。同一人物の言葉とは思えないよ」


 桃の周囲に五つの巨大な魔法陣が展開され、そこから魔力の剣が放たれる。

 仮面の奥で表情を苦しげに歪めながら、迫る大剣を迎え撃つ。

 正面の一本目は空色の刀身で斬り裂き、左右から同時に襲いかかる二本目と三本目は身を捻って躱し、ハンドガンの引き金を二回引いた。九ミリの小さな弾丸が大剣の刀身を穿ち、それだけで霧散する。剣を形作っていた魔力を吸収する。


 間髪入れず、四本目が頭上に。概念強化を纏った足で蹴り砕き、その勢いのまま背後に迫っていた剣を躱す。吸収していた魔力を解放し、銃口から放たれた砲撃で飲み込んだ。


 戦いたくない。だから攻撃しない。

 なんて、そんなことを言っていられる余裕すらない。たった五本の魔力剣を迎撃するだけでも、殆ど全力のスピードを出さなければ簡単にやられてしまう。

 お陰でさっきから、少しずつ余力を削られている。このまま戦闘が続けば、先に根をあげるのは朱音の方だ。


「ほらほら、休んでる暇なんてないよ!」

「くッ……!」


 ズバヂィッッッッッ!! 稲妻の迸る激しい音。紙一重で避けた先には、膨大な熱量の火球が。姿勢を整える余裕もなく、無理矢理短剣を振るい斬り裂く。

 余熱の残るその向こうから、今度は無数の氷柱が殺到した。躱し切ることもできず、何本かが手足に命中する。痛みに歯を食いしばるが、まだ終わらない。


「我が名を以って命を下す。其は氷輪の下に咲く絶世の徒花」


 虚空に咲き誇る巨大な花。弾けて舞い散る花びらは幻想的で美しく、それでいて明確な殺意が込められて朱音へ殺到した。


 鋭い刃から距離を取りながら、対応する術式をその場で創る。他の誰でもない、目の前の彼女から受け継いだ力で。


「我が名を以って命を下す! 其は月下で舞い遊ぶ紫の蝶!」


 展開した魔法陣から、夥しい数のアゲハ蝶が現れた。紫に輝きながら花びらの刃とぶつかり、消えていく。


 桃のそれに負けないほど美しい魔術は、しかし魔女から言わせればまだまだ未熟なのだろう。

 花びらはやがて蝶を食い破り、術者である朱音の元へと迫る。


 受け継いだ力は、なにも『創造』だけではない。その一端である力もまた、朱音に受け継がれている。

 すなわち、『略奪』。

 いくらか被弾して黒いコートの上から肌を裂きながらも、翳した右手の先にあった花びらは動きを止め、その矛先を本来の術者へと変える。


「撃たないの?」

「……ッ」


 しかしそれだけ。変えた矛先をそのままに、花びらは撃ち出されることなく止まったままだ。

 撃てない。撃ちたくない。


 その甘さは、弱さは、戦場において致命的なものとなる。


 視界の中にいた魔女の姿が、消えた。

 ハッとした時にはすでに遅い。懐まで潜り込まれ、魔法剣が振り上げられている。魔女のスピードは朱音と同等だ。今からでは回避も防御も間に合わない。


 なにも出来ずに立ちすくむ。けれど予想していた痛みは訪れず、見覚えのある魔力の刃が飛来した。

 まるで豆腐でも切るように魔女の腕を切断して、残り六つの刃も四方八方から殺到する。生まれた隙に距離を取れば、目の前に振袖姿の母親が現れた。


「誰の前で、誰に手を出してんのよ、桃」

「ありゃりゃ、愛美ちゃんが来ちゃったか。時間切れかな」


 意思を持ったように動く刃は、姫を守る騎士のようにして愛美の周囲を飛ぶ。

 複雑な感情を孕んだ表情で、殺人姫は魔女を睨んでいた。


「ダンタリオンは? ちゃんと殺した?」

「織たちに任せてるわよ。まあ、爪の甘い織のことだし、ギリギリで逃しそうだけど」

「んー、ちゃんと殺しといて欲しいんだけどな。あいつはわたしにとっても厄介で邪魔だし」

「なら自分で殺しなさい」

「それが出来たら苦労しないんだけどね」


 気安い会話が終わった直後、愛美の姿が霞む。気がつけば桃の頭上で刀を振り下ろしていた。

 空の元素魔術、グランシャリオの真価。

 北斗七星に隠された星の名は死兆星アルコル。その意味は"かすむもの"。


 前は刀を止めてしまった愛美だが、今度は斬る。側から見ていてそう確信させるだけのものがある。

 しかし空色の刀身が魔女を裂くよりも前に、横合いから襲った無形の衝撃が殺人姫の体を吹き飛ばした。


「そんな搦め手も使えるようになったんだね。緋桜にいつも同じ手でやられてたし、その真似かな?」

「冗談。誰があいつの真似なんてするのよ」


 笑い飛ばす愛美だが、その頬には冷や汗が伝っていた。

 僅かな交錯で思い知らされたのは、生前は知ることのできなかった、魔女が持つ真の実力。初見の魔術で完全に不意打ちだったにも関わらず、完璧に対応された。


 これは魔術の腕がどうと言う話ではない。長い年月で培われた観察眼に、復讐のために積み上げた研鑽と経験。

 戦闘という行為に関して、恐らくは愛美よりも慣れている。


「それで、その体はどういうことかしら? たしかに右腕は斬り落としたはずなんだけど」

「ああ、これ?」


 先程愛美が斬り落としたはずの右腕は、気がつけば元に戻っている。復元魔術による治療ではない。四肢の欠損は魔術で治せないこともないが、そもそも愛美の一撃は位相を乗せたものだった。


 殺人姫のレコードレスは、あらゆる超常の力を殺す。治癒や復元なんて不可能。そのはずなのに。


 なんでもないように右腕をプラプラと振る桃は、端的に一言。


「作り直した」

「……なるほどね。それがあんたの力ってわけ」

「朱音ちゃんとか翠って子も使ってたでしょ? 前までは自覚なかったけど、結構便利なものだよ、これ」


 桃瀬桃が持っていたキリの力。今もなお使えるそれは、『創造』の力だ。

 朱音も同じ力を使える。それは目の前の彼女から受け継いだから。しかし、現在の桃であってもその力を使えると言うことは。彼女にはまだ、キリの人間である資格が残っているということで。


「さて、ダンタリオンも逃げたみたいだし、わたしもそろそろ帰るかな」

「待ってください!」


 踵を返そうとした桃を、大きな声で呼び止める。口元には笑みを絶やさず、その視線でなにかと尋ねていた。


「目的は、なんなんですか……どうして私たちと敵対するんですか!」

「この前も言わなかったっけ。わたしは所詮、過去の亡霊。死んだはずの人間だから」

「答えになってません!」


 困ったように眉根を寄せる桃は、今も間違いなく未来を求めてるはずだ。じゃなきゃ、キリの力は使えない。

 だったら尚更、グレイの味方をして朱音たちと敵対する理由が見つからない。


「そうだね……強いて言うなら、みんなの選択を見届けるため、かな?」


 敵対する理由としては弱い。ただそれだけなら、味方してくれてもいいはすだ。

 なにか他の理由がある。嘘は言っていないのだろうけれど、本心を全て語っているわけではない。


「じゃ、そういうことだから。朱音ちゃん、次に会う時までには、ちゃんと覚悟決めときなよ」


 ──わたしを殺す覚悟を。


 笑顔で言い残し、魔女は姿を消す。朱音の胸中に、大きなしこりを残して。



 ◆



 まるで、悪い夢でも見ているようだった。


 目を覚ましたエリシア・アルカディアは、フラッシュバックする記憶に苛まされていた。

 見慣れた自室、ベッドの天蓋、足代わりの車椅子。視界に入ったなにもかもが、こんな自分には相応しくないものだと思ってしまう。

 それは、この世界すらも。


 それだけの罪を犯した。

 悪魔に唆され、両親も含めた親族全員を殺して、最愛の兄にすら手を上げた。

 今すぐに死んでしまいたい。どの口でルミのことを貶していたのか。今のあたしは、それ以下の存在だ。


「あ、ようやく目が覚めましたか?」


 ノックもせず扉を開いたのは、たった今頭によぎっていた兄の従者。名義上は家族の一人でもある混ざり物の半妖精ハーフエルフ。ルミ・アルカディアだ。


「どうして、あなたが……」


 ルミにも酷いことをした。まだ屋敷に住んでいた時も、今日も。本当に殺すつもりだったのに、どうして彼女がこんなところに。


「どうしてもなにも、エリシア様の看病ですよ。起きてるようだったら連れてこい、ってマスターにも言われましたしね」

「そうじゃなくて……! あたしは、あなたを殺そうとしたのよ⁉︎ 混ざり物だなんて呼んで侮辱した! あなたの主に手を出した! なのに、どうして……!」


 この場で殺されてもおかしくはない。そこまでの仕打ちをした自覚はある。許してくれなんて言える権利もなく、今のエリシアは罰を待つ罪人に過ぎない。


 けれど裁く側であるはずのルミは、顎に手を当てて首を傾げているだけ。


「んー、エリシア様、多分勘違いしてると思うんですけど。私、エリシア様のことは嫌いじゃないですよ?」

「──え?」


 信じられない言葉に、思考が停止する。

 脳が再起動するのも待ってくれず、ルミは言葉を続けた。


「エリシア様がマスターのことを本当に愛しているのは、私もよく分かってましたから。実の兄妹なんて関係ない。私はそれだけで、エリシア様を許せるんですよ」

「でも、あたしは……お兄様やあなただけじゃなくて、お父様やお母様も……」

「罪の意識があるなら、それだけで十分だってマスターも言ってました。一生その十字架を背負って生きていくことが、なによりの罰だって」


 向けられるのは優しい笑顔。敵意なんて微塵も感じられない。

 その優しさを受け取る権利が、果たして自分にあるのかどうか。


「そもそも悪いのは全部、人の心を弄ぶあの悪魔ですよ。聞けば学院の生徒もかなり被害に遭ってるみたいですし、本当酷いですよね。誰かが誰かを愛する心を土足で踏み躙るなんて、許されるわけがないのに」


 エリシアの逡巡を悟ったのだろう。ルミは戯けた様子でそう続けた。

 それからもう一度笑顔を浮かべて、こちらに手を差し出してくる。


「だから、エリシア様も一緒に戦いましょう。あの悪魔を倒すために、あなたと私の、マスターへの愛を証明するために」


 手を取った。

 自分がしたことは許されないのかもしれない。もう、兄を愛する資格はないかもしれない。

 それでも、エリシアの意思は決まった。


 ルミに手を引かれ、車椅子に乗る。押されながら部屋を出て、完全に修復された屋敷の中を進む。


「そういえば私、エリシア様にちゃんと名前で呼ばれたことないですね」

「そ、そうだったかしら……?」


 などと惚けつつも、自覚はあった。

 今まではルミのことを、兄を奪った憎き相手としか認識していなかったからだ。けれど、今は違う。


 はっきりと記憶が残っている。ダンタリオンの手により魔物と化してしまっていても、その時の記憶は頭の中にある。


 ジュナスだけじゃない。ルミも、家族として手を差し伸べてくれた。助けてくれた。


 しかし今更、どう呼べばいいのか。さん付けはよそよそしい感じが否めないし、かと言って歳上のルミを呼び捨ても気がひける。

 車椅子を押されながらもウンウン唸って考えていると、妙案を閃いた。


「ルミお姉様……?」

「お、おぉ……予想外の呼び方ですね……でも可愛いからオーケーです!」


 どうやら気に入ってくれたらしい。うん、同じアルカディア姓、家族の一員なのだし、兄の従者であっても姉と言うのが一番しっくり来る。


 平和なやり取りをしているうちに、食堂の前までたどり着いた。そこで車椅子を押す手を止めて、ルミは急に神妙な面持ちになる。


「食堂に皆さん集まってますけど、ひとつ忠告しておきますね」

「忠告?」

「はい。この先にどんな光景が待ち受けていても、決して目を逸らさないでください。エリシア様には、少し衝撃的だと思いますから」

「え、ええ……わかったわ」


 ゴクリと喉を鳴らす。わざわざ忠告してくるということは、余程のことが中で行われているのだろう。

 覚悟を決め、ルミが扉を開く。


 果たして、その先に待ち受けていたのは。


「おいメイド、お茶が切れたぞ。早くおかわり持ってこい」

「誰がメイドだ誰が!」

「お前以外にいないだろうが、自分の格好を忘れたか?」

「くそッ……! こんなやつに依頼するんじゃなかった……!」

「ちょっとジュナスー、おかわりまだー?」

「私もおかわりです!」

「はいただいまお待ちしますお嬢様方!」


 なぜかヴィクトリアンスタイルのメイド服を着用した実の兄が、探偵の三人に給仕している姿だった。


 悪い夢でも、見ているようだった。



 ◆



「ジュナスさんって中性的な顔ですし、メイド服似合いそうですよね」


 ことの始まりは、娘によって発せられたそんな無慈悲な一言。


 取り敢えず少しでもいいから借りを返したいと怪盗が仰るので、なら飯を用意してくれ、と頼んだ結果だった。

 愛美も朱音も、上空で魔女の相手をして疲弊しきっていたのだ。織としては是非とも今すぐ飯を用意してやりたい。

 しかし疲れているの織も同じなので、ならジュナスにお願いしようと思ったのだ。


 この屋敷には使用人も残っていて、先程の戦闘の際はどこぞに避難していたらしい。その人たちも戻ってきて、屋敷の修復も完了したので、ゆっくりとご飯タイム。

 使用人の人たちにジュナスが頼もうとしたその時に、朱音による無慈悲な一言。


 意外にも使用人の人たちは乗り気で、余っていたメイド服を嬉々としてジュナスに着せた。まあ、一番喜んでいたのはルミなのだが。


「僕はどうしてこんなことを……」

「その服に関しちゃ俺は悪くないからな」


 愛美と朱音の食事が終わり、ようやく解放されたジュナスは、椅子に座って机に突っ伏している。格好はメイド服のままだが。

 そんな哀れな怪盗を、頬杖ついて同情の目で見る織。いくら嫌っている男とはいえ、これはさすがに可哀想だ。


 さて、腹ごなしも終わったところで、話し合いを始めなくてはならない。


「んで結局、お前らは学院に協力するってことでいいんだな?」

「ああ。怪盗アルカディア、並びにアルカディア家は、魔術学院に全面的な協力を約束する」


 顔を上げたジュナスが、対面に座った妹へ視線を投げる。ぶつぶつとなにかを呟きているエリシアはその視線に気づき、こほんと咳払いを一つ。


「お兄様が決めたのでしたら、あたしは反対しません。そもそも、アルカディア家の当主はもう、お兄様なのですから」

「だそうだ。それで? 学院は僕たちになにをお望みだ?」

「魔物退治だけ、ってわけでもないんですよね? 聞いてますよ。悪魔の一人を倒したから、魔物の強さも数も減ってるって」


 ルミの言う通り。魔物の数が半減した今、そのためだけに怪盗の力を借りるわけではない。恐らくはそちらにも協力してもらうだろうが、それよりも重要なのは別にある。


 先程飯の前に、蒼と通信して聞いた内容を、そのまま三人に伝えた。


「お前らにしてほしいことは、二つ。まずは魔障EMPだ。あの魔導具を、学院の方でも使いたい」

「なるほど、たしかにあれがあったら、実力の足りない魔術師でもそれなりに戦えるか」


 魔力の動きを阻害する魔力。それが魔障。

 そんな魔障が込められた魔導具が、魔障EMPだ。適当につけた名称ではあるが、実際効果はその名の通り。


 球体のそれを作動させることで魔障を周囲にばら撒き、敵の魔力操作を阻害させる。

 織と愛美もその魔導具には苦しめられた。


「それで、二つ目は?」

「あんたたちがこれまでやって来たことと同じよ」


 答えたのは愛美だ。机の上に乗せられたデザートのプリンを食べ、その美味しさに頬をとろけさせながら、いまいち緊張感に欠ける表情で続ける。


「人間側の脅威を排除。殺すまではしなくても、無力化させてくれたらそれでいいわ」

「その際、使えそうな術式や魔導具があれば、盗んできてほしいですが。今は少しでも戦力を上げておきたいですので」


 朱音も同じプリンを食べながら補足した。

 二人とも実に美味しそうに食べている。可愛い。


「そういうことなら分かった。暫くは、ここを拠点にして動くよ。エリシアもこの足だから、自由には動けないし」

「そうしてくれ。いざと言う時に連絡できないんじゃ困るからな」


 これで怪盗については大丈夫だろう。

 ジュナス自身の口から、怪盗の誇りすらも賭けると言われたのだ。こいつらは信頼できる。

 問題は、この場にいるもう一人の協力者候補。


「で、亡裏のスタンスはどうなってるのかしら?」


 チロリと愛美が視線をやった先には、赤髪をウルフカットにした女性が。

 名前は亡裏縁。彼女はアルカディア家の裏に潜んでいた悪魔を殺すため、エリシアに雇われていた。


 亡裏はあくまでも中立。

 彼らの里で聞いた話ではそのはずだったのだが、明らかにこちらの味方として動いている。実際に縁は、ダンタリオンとの戦闘で共闘してくれた。


「状況が変わっちまったんだよ」


 男勝りな口調で肩を竦めて吐き捨てた縁は、まさに今現在の世界について言っているのだろう。

 世界各地に魔物が跋扈する状況。たしかに大きく変わってしまったが、亡裏が中立のスタンスを変える理由としては弱い。


 なにせ彼らは、元からグレイの目的を知っていた。

 人類の抹殺による世界の救済。

 それを知った上での中立ということは、彼らが参戦してきた理由に現在の世界は関係ない。


「グレイが手に入れた『崩壊』の力。あれはアタイらも予期していたことではあった。その力による影響もな」

「まさか、亡裏の里が?」


 愛美の問いに、縁は頷きだけを返す。


 亡裏の里は、位相の狭間に位置している。キリの人間しか出入りすることが出来ず、その出入り口すら現世には限られた数しかない。

 本来なら侵されることのない、ある種絶対的な安全領域。


 しかしグレイの『崩壊』は、亡裏の『拒絶』と同じ位相と直結した力だ。やつがその力に目覚めた時、なにかしらの影響を受けていた、ということか。


「安心しろよ、殺人姫。別の全壊したわけじゃねえ。ほんの少しずつ、崩壊の力に侵食されてるだけだ。犠牲者もいねえよ」

「それでも、中立を捨てる理由にはなった、ってわけね」

「加えて、クソふざけた悪魔のやつもな。若いのを外に偵察させてる最中、あのダンタリオンとか言うのとかち合ったんだ。なんとか逃げてこれたが、意図的に手を出されたとあっちゃ黙ってるわけにもいかねえだろ」


 またあいつか。

 そう思わずにはいられなかった。

 ソロモンの悪魔、序列七十一位のダンタリオン。一体どこまで手を広げているのか。多方面に恨みを買っているが、さすがに馬鹿だと思わざるを得ない。


「つまり、亡裏も俺らに協力してくれるのか?」

「まあ、あんたらの味方はしてやる。ただし、うちはうちで好きにやらせてもらうぜ」


 十分だ。亡裏の一族は、その全員が強力な戦士。愛美や朱音と同じ体術だけで、多くの魔術師を屠って来たのだから。


「話は纏まったか? 纏まったな? よし、なら僕は着替えてくる」


 勢いよく立ち上がるジュナスだが、残念ながらその足が踏み出されることはなかった。隣に座っていたルミが、しっかりガッシリ腕を掴んでいたから。


「もー、マスターったらどこに行くつもりですか? お楽しみはこれからじゃないですか」

「おいやめろルミ離せ、僕は一刻も早くこの服から解放されたいんだ!」

「いいじゃない別に、似合ってるんだし」

「そうですよジュナスさん! 可愛いから自信持ってください!」

「そういうことを言ってるんじゃないんだよ!」

「エリシア様も、しばらくこのままでいてほしいですよね?」

「え、ええ、そうね……お兄様、それを脱いでしまうのは勿体無いと思いますわ。ほら、記念撮影もしていませんし」

「妹が変な性癖に目覚めてる!」


 可愛いかどうかはさておき、意外に似合ってるのは事実。最初見た時は、織も感嘆の息を出したほどだ。


 しかし、これ以上はジュナスが可哀想だろう。普段いがみ合う敵とは言え、同じ男として同情してしまう。


「おいお前ら、その辺に──」

「そうだ! せっかくだし父さんも着てみなよ!」


 なんか、変な言葉が聞こえた気がする。

 錆びたロボットのようにぎこちなく首を巡らせた先には、純真無垢な瞳をキラキラと輝かせた娘が。


 冷や汗がダラダラと流れる。まずい。このままここに留まっていては非常にまずい。ジュナスと同じ格好をさせられてしまう……!


 織の決断は早かった。慣れた術式を一瞬で構築し、足元に魔法陣を広げる。転移魔術のものだ。行き先は、取り敢えず匿ってくれそうなサーニャのところ。


「悪い俺先生から他にも頼まれごとされてるから!」

「逃がさないよ?」

「ひぇっ……」


 朱音の瞳がオレンジ染まっていた。こんなことに幻想魔眼を使わないで欲しい。


 ジリジリとにじり寄ってくる朱音。その笑顔には、なにか、こう、根源的な恐怖を感じる。娘が変な趣味に目覚めてしまった……。


「まあ、諦めろよ探偵。僕も一緒に苦しんでやるからさ」

「嬉しくねーーー!!」


 探偵と怪盗。

 二人の間に妙な友情が芽生えたのは、この時だった。

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