第164話

「やる気があるのは結構だが、具体的な手はあるのかよ」


 ダンッッッッ!!! と、強く床を踏む音が響いた。


 イソギンチャクの触手を一人で巧みに受けていた亡裏の女性が、四人の元に下がる。相手をしていたはずのイソギンチャクは、全身を触手の先端まで痙攣させていた。

 織も知っている現象。生体機能の波長を踏み込み一つで狂わせる技。崩震。


「この人は?」

「私の親戚」


 ジュナスの質問に短く答える愛美だが、それで全部伝わると思ってるのか。もしくは、今は彼女の正体などどうでもいいと考えているのか。


 ともあれ、雑に紹介された女性は気を悪くするでもなく、ニッと口の端を釣り上げた。


「亡裏えにしだ。ソロモンの悪魔を殺せるって言うから、あのお嬢様に雇われてたんだが。蓋を開けてみればとんだ厄介ごとで困ってんだよ。妹の教育はちゃんとしとけよ、お兄様?」


 ククッ、と笑えばえくぼが出来て八重歯も見えて、意外と愛嬌がある。どことなく愛美と似て、それでいてさらに鋭い雰囲気を纏った顔立ち。

 同じ数少ない亡裏の血筋だし、案外近い親戚だったりするかもしれない。


「あなたに言われる筋合いはないんだけど……まあでも、もうちょっとちゃんと、向き合ってやるべきだったかもしれない」


 後悔を滲ませた声。

 この怪盗がどんな人生を歩んできたのかなんて、織には知る由もない。ルミからその話をある程度聞いていたところで、結局は人伝に聞いていただけ。

 直接見てきたわけでもなく、ましてや彼の人生は彼だけのものだ。


 その時なにを思いなにを感じたのか。ジュナス本人にしか分からない。


 そして、今この時も。怪盗の胸の内なんて分かりっこない。

 それでもジュナスは依頼を出した。織はそれを受けた。探偵として戦う理由なんてそれだけで十分だ。


「で? もう一度聞くが、なにか手はあるんだろうな。悪いがアタイは魔術に関してサッパリだ。手伝いはするが、作戦はそっちで決めてくれよ」

「当然。とりあえず、あいつから怪盗の妹を引き剥がすぞ」


 動きを再開させたイソギンチャクが、人の体よりもなお太い無数の触手を蠢かす。鋭い刺突が何本も襲ってきて、五人は散らばるように避けた。


「だから、どうやって引き剥がすんだよ!」

「魂を変質させられて魔物化してるってことは、こっちからそこに干渉してやればいいんじゃねえの?」

「簡単に言ってくれるな、探偵」

「なんだ怪盗、お前じゃ無理か?」


 迫る触手を細剣で斬り落とすジュナス。しかし触手は斬られたところからまた生え出し、再生したその瞬間に、織の放った弾丸が触手を吹き飛ばした。


 フッと小馬鹿にしたような笑みを見せれば、露骨な舌打ちが返ってくる。


「魂の変質って言っても、元の形を損なうことはないわ。今回の場合、外付けで変なもんを組み込まれてるんでしょ」

「その変なものを取り除けばいいってわけですね。織さんの魔眼で」


 大前提として。魔術的にも異能的にも、完全なブラックボックスである魂へ干渉する術式は、完全な変質を不可能とする。

 例えば織と愛美が体験したように、魂の強度を上げたり。転生者のように、複数の魂を持っていたり。どちらも、元ある形を完全に変えているわけではない。


 一方で糸井蓮の場合。魂ごと精神を反転させられた彼だが、それだって元の形ありきだ。蓮の魂があまりにも正しく、光に満ちたものだったからこそ、あそこまで堕とされた。


 あるいは、裏の魔術師が使う禁術なんかは、魂を魔力へと変換する。それだって純粋な力に変換しただけで、その魂ひとつひとつによって魔力量は変わったりするのだ。つまり、形が変わるわけではない。


 エリシアにかけられた術式もそれと同じ。いくらソロモンの悪魔といえど、魔術の域を出ることはないはず。


「俺の幻想魔眼は、そいつを除去できるようにするだけだ。直接魔眼で取り除けるわけじゃない」

「なんにせよ、やることは決まりだな。おい探偵、さっさと魔眼使え」

「言われなくてもわかってる、けどっ」


 なにせ触手の攻撃が激しい。ドレスを顕現させる暇も与えてくれない。

 愛美やルミも斬り落とし対処しているが、再生が早いのだ。しかもかなりの長さを持っているから、全方向から襲ってくる。


「まずはこいつを止めるのが先だな!」


 シュトゥルムを手元から放り投げ、空中で分離させる。脳波でコントロールできる七つの遠隔誘導砲塔だ。

 それぞれが意思を持ったように動き回る砲塔は、全方位から襲いかかる触手へ魔力弾を放ち、撃ち落とす。


 正直中々操作が難しいのだが、手数が増えるメリットには変えられない。


「随分面白いお宝じゃないか。欲しくなる」

「友達から貰った大切な銃なんでな。盗ませるわけにはいかねえよ」


 空いた手には魔力剣を持ち、迫り来る触手を迎え撃つ。斬り伏せ、撃ち落とし、五人ともそれで手一杯。なにせやりすぎたらエリシアがどうなるかも分からないのだ。あまり本気を出すわけにもいかず、かと言って手加減しているままだと、現状を打破できない。


「こりゃ無傷で奪還ってわけにもいかなそうだな。愛美、頼む」

「仕方ないわね」


 殺人姫が魔力を解放した。無詠唱で概念強化を発動し、姿が消える。そう認識した時には既に、触手の全てが斬り落とされている。


 イソギンチャクが、触手を斬り落とされたことにすら気づかないほどのスピード。認識が遅れれば、それだけ再生の開始も遅れる。

 生まれた間隙に、残りの四人がそれぞれ動いた。


位相接続コネクト未来を創る幻想の覇者レコードレス・フューチャー!」


 裾の長い燕尾服を纏い、瞳をオレンジに輝かせる。不可能な事象をその目に映す魔眼を、愛美を介して


「来い、黒廟黒猫キャスパリーグ!」


 ジュナスが召喚するのは、巨大な黒い猫。かのアーサー王に傷を与えた化け猫だ。

 大きな口を開き、凶悪な牙がイソギンチャクの体を食い破る。それとほぼ同時に、一筋の光が迸り巨大を貫いた。光子化したルミだ。


 怪盗二人の攻撃で削れた体から、わずかに。エリシアの顔が覗いた。

 生々しくグロテスクな動きで傷が塞がり、エリシアの顔はまた見えなくなる。しかし大体の場所は分かった。


 勢いよく踏み込み、瞬く間に懐へ潜り込んだ亡裏縁が、拳を打ち込む。たった一撃で巨大を抉り、今度は少女の全身が露わになった。そこへ手を伸ばす縁だが、再生を終えていた触手に阻まれ距離を取る。


 分離できてる。このまま攻撃していれば、エリシアには傷をつけず、イソギンチャクだけを倒せる。


「合わせろ探偵!」

「お前が合わせるんだよ怪盗!」


 ジュナスの操る怪猫が真正面から突っ込むが、容易く触手に絡め取られた。次の瞬間には形を保てず霧散して、イソギンチャクの背後に無数の魔法陣が展開される。

 保てなくなったのではない。織が魔導収束でその魔力を吸収したのだ。


魔を滅する破壊の銀槍シルバーレイ!」


 銀の槍が降り注ぐ。防護壁が展開されるが、構わず砕いて容赦なく巨体に突き刺さった。それだけに終わらない。イソギンチャクに突き刺さったままの槍に、魔力で形成されたアンカーが引っかかる。

 制御権を横から無理矢理奪ったジュナスがアンカーを振り回せば、魔物の巨体がズタズタに引き裂かれた。


 織としては認め難いが、ジュナスとのコンビネーションは抜群だ。互いの力量をよく知っているから、安心して背中を預けられる。

 愛美ともまた違った信頼感。こいつならどう動くのかを、直感で理解できてしまう。


「もっと削ぎ落とすわよ、ルミ!」

「了解です!」

七連死剣星グランシャリオ!」


 顕現した七つの刃が、未だ蠢く触手をひたすらに斬り落とす。光と化して突撃したルミが、エリシアのいる位置より上を消し飛ばした。


「やるねえ、さすがは殺人姫に怪盗。噂以上じゃないか。こりゃアタイも負けてらんないよ」


 口笛すら吹きながら、縁が高く跳躍する。再生が始まりかけている巨体へ向けて、鋭い踵落としを見舞った。

 その一撃だけで再生が止まる。亡裏の体術は、あらゆる流れを操るのだ。魔術を使えない彼女らであっても、魔力すら自在に。


「ンンン〜〜〜、これ以上は見過ごせませんねぇ」


 あと一手というところで、癪に触る声が響いた。どす黒い魔力がイソギンチャクの体から溢れ出し、泥のような形で屋敷の床を染める。


 あれはマズい。触れたらダメだ。確信はないが、ピリピリと嫌な予感だけはする。

 四人それぞれが宙に浮かび、空を飛べない縁は愛美の作った魔法陣の足場に飛び乗っていた。


 全員の視線が、一箇所に集まる。

 上空からの狙撃で朱音が足止めしていたはずの悪魔、ダンタリオンへと。


『ごめん二人とも、ちょっと緊急事態』

「朱音⁉︎」

「なにかあったの?」

『桃さんが来た』


 短く告げられた事実。通信越しに激しい閃光音が響き、それを最後に通信は途切れた。


 内心で舌打ちする。まさかこのタイミングであいつが現れるとは。しかもよりにもよって、朱音のところに。

 多分桃は、朱音が自分と戦えないことに気づいている。だからこそ、ピンポイントに朱音を狙ってきた。


「おいおい、あいつは上から足止めしてるんじゃなかったのか?」

「ちょっとマズいことになってるっぽいのよ」

「まあいいけどな。元々あいつは、アタイの獲物だ。お前らはさっさとお嬢様を助けろよ!」


 遠慮なく殺意を撒き散らし、凄惨な笑みを浮かべながら、亡裏縁が足場を蹴ってダンタリオンへと突撃した。

 魔術を使えない彼女は宙を飛べない。地面は明らかにヤバい泥が溢れているのに、どうするのか。


 そんな心配も、一瞬で杞憂に終わる。

 ダンタリオンへ向けて放たれた蹴り。防ごうと腕を掲げる悪魔だが、衝撃は逆側の頭に。亡裏の体術が持つ最たる特徴。あらゆる状態から、どのような動きにも派生できる。

 、その動きを可能としていた。あれで魔術も異能も使っていないと言うのだから驚きだ。


 縁がダンタリオンの相手をしてくれると言うなら、あちらは任せてしまおう。

 織たちはエリシアを助けることに集中するべき。そうなると問題は、床一面に広がった泥だろう。


「明らかにヤバい色してるもんな。どうする?」

「やることは変わらないわよ。とにかくエリシアって子を完全に引き剥がすのが最優先。ジュナス、魔障EMPは持ってる?」

「持ってるよ。それをあのイソギンチャクにぶち込めばいいんだろう?」

「正解よ。隙は私と織で作るから、あんたたち二人があの子を助けなさい」


 魔物の体は魔力で形作られている。魔術師の間では一般常識だ。そして魔力の動きを阻害させる魔障なら、あのイソギンチャクを殺し切れずとも、エリシアを引き剥がすことくらいはできるだろう。


「愛美さんの方が速く動けるんですし、私やマスターより愛美さんの方が適任じゃないですか?」

「なに言ってんの、あんたたちの家族なんでしょ」


 至極もっともなルミの疑問に、愛美は真面目な顔でそう返した。

 ルミの言うことは正論だ。なんならこうしている間でも、愛美が本気を出せば、あるいは織が見様見真似の流星一迅ミーティア を使えば、直ぐにでもエリシアを救い出せるのかもしれない。


 だがそれは、ある意味において間違っている。誰よりも正しく優しい少女は、そんな解決方法を良しとしない。


「だったらあんたたちで助けなさい。私たちが受けた依頼は、あくまでも力を貸すだけなんだから」

「そう言うことだ。美味しいところはお前らに譲ってやるよ」


 泥の中から、大量の触手が伸びてきた。

 宙を飛び巧みに躱しながら、それらを撃ち落とし斬り落とす。


 探偵と怪盗。

 決して相容れない二人がこうして手を取り合っている理由は、やはり互いにその想いを、信念を、矜持を、誇りを理解できるから。


 家族のために戦うのなら、織と愛美はこの力を全て貸し出す。


位相接続コネクト死を告げ血纏う殺人姫レコードレス・リーパー


 振袖姿の殺人姫が、空色に輝く刀身を一振り。ただそれだけで、全ての触手が斬り落とされる。再生はしない。

 愛美のドレスは、あらゆる超常の力を殺し尽くすのだから。


 イソギンチャクへの道はできた。

 ならば後は、本体から中に取り込まれている少女を露出させるのみ。


「ドラゴニック・オーバーロード!」


 遠隔誘導砲塔に分離していたシュトゥルムが、力ある言葉に呼応して織の右腕に装着される。右肩から先を覆う鎧と、その背に広がる三枚の片翼。

 輝龍シルヴィアの力を宿した龍具シュトゥルム、その完全体だ。


 右腕を空に翳す。

 構成する術式は、シュトゥルムの力に空の元素魔術を掛け合わせたもの。

 以前空の元素を使った時は、魔眼の暴走を引き起こしてしまったが。シュトゥルムを持つ今なら、完全に制御できるはず。


 怪盗のことは気に入らないが、家族を想う心は、その輝きは、どれも嘘じゃない。ならばその輝きを力に変える。輝龍の力を授かった織には、それができる。


 翳した手のひらに光が灯り、それが剣の形を取る。


闇夜に輝く星屑の剣アマデトワール!」


 空に瞬く星々の輝きを、家族を想う心の輝きを、光の魔力へと変えた一撃。

 振り下ろされた剣は巨体の表面を焼き斬り、地面に満ちたどす黒い泥を蒸発せしめる。イソギンチャクの体内からエリシアの体が露出した。


「ジュナス、ルミッ! 行け!」


 後ろに向かって叫べば、イソギンチャクへ向けて光が奔った。怪盗の二人は織が焼き斬った箇所へと手を伸ばし、中から小さな少女を引っ張り出す。


「お兄様……?」

「ごめんな、エリシア。僕がお前のことをちゃんと見てやらなかったばかりに」

「謝らないで、ください……全ては、あたしの自業自得ですから……だから、あたしの方こそ、すみませんでした……」


 力なく笑みを浮かべて、エリシアは気を失った。死んではいないみたいで一安心。

 そして残ったのは、エリシアと分離させられたイソギンチャク。こっから先は遠慮なんていらない。思う存分、本気で戦える。


「ンンン〜〜〜、どうやらダメだったようですねぇ。その少女が持つ感情は、実に弄り甲斐がありましたが。やはり厄介なのはその魔眼。そして見たことのない魔導具。興味は尽きませんが……」

「よそ見してんじゃないよ!」

「亡裏の相手も、そろそろ疲れて来ましたねぇ。小生、肉弾戦は嫌いであるからして」


 大きく跳躍して、縁が四人の元まで下がってくる。ずっとダンタリオンの相手をしていたからか、さすがに息が上がっていた。

 やつは人の心を読むことができる。いくら亡裏の人間といえど、そんな相手と戦い続けるのはキツかったか。


「ルミ、エリシアを連れて下がっててくれ」

「分かりました。でもその前に、これを」


 ルミがジュナスに渡したのは、アルカディア家の徽章だ。

 織も事前にどんなものか聞いていたが、なにも特別な効果はない。魔術師の家にはよくあるもの。当主としての証であり、その家が積み上げてきた魔術の研鑽を受け継ぐもの。


 魔術世界の大きな家なら、なにも特別と言うわけではないが。しかしジュナスが力を手に入れるには、最も手っ取り早いものだ。


 胸に徽章を付けた途端、ジュナスの魔力が目に見えるレベルで増幅される。

 アルカディア家の歴史がどれだけのものかなんて知らないが、その魔力を見る限り、かなり古い歴史を持っているのだろう。


「さて、いい加減終わらせるぞ探偵」

「言われるまでもねえよ」

「私は上に行ってくるわ。こっちは頼んだわよ」


 上とは朱音のいる場所のことだろう。すぐに転移して愛美は消える。

 正直愛美がいなくなるのは大きな戦力ダウンだが、朱音が心配なのは織も同じだ。


「おや、おや、おや。小生も舐められたものですねぇ。殺人姫抜きで勝てるとでも?」

「当たり前だクソ野郎。うちの後輩に随分舐めた真似してくれたツケは払ってもらうぞ」

「僕の妹にも手を出したんだ。ただで帰すわけないだろう」

「ンンン〜〜〜、いいですねぇその怒り! そしていがみ合う二人の共闘! これだから人間は面白い!」


 老爺の顔を醜く歪めるダンタリオンを意にも介さず、ジュナスが細剣を上段に構える。

 洗練された魔力が怪盗を中心として渦を巻き、さしもの悪魔とまずいと感じたのか、幼女に変わったその顔から表情を消した。


捻れ狂う稲妻の劔カラドボルグ


 ダンタリオンが回避行動に移ろうとするが、遅い。目にも止まらぬ速さで伸びた刀身は、悪魔の胸を穿っていた。

 右肩までがごっそりと消し飛んで、青年のものへ変わった顔が苦痛に歪む。


 カラドボルグの恐ろしさは、その伸縮速度だ。光の速度に届かずとも、音の速度は簡単に超えてくる。いくらやつが人の心を読み、次の行動を予知しても。反応できなければ意味がない。


「やりますねぇ……! しかし、しかし、しかし! この子を忘れてもらっては困りますよぉ!」


 イソギンチャクのどす黒い泥が、塊となってジュナスに放たれた。剣を元の長さに縮めた怪盗の前に、探偵が躍り出る。鎧を纏った右手に光の剣を持ち、泥の塊は容易く両断された。


 織の背中から素早くジュナスが前に出て、ダンタリオンへ肉薄する。それを阻もうと魔物は泥の塊を再び放つが、再び織がジュナスを庇う形で動き両断する。


「もう一発食らっとけ!」

「ぬうぅ!」


 悪魔の懐へ潜り込んだジュナスが、ゼロ距離でカラドボルグの力を解放した。今度は防護壁に防がれるが、その勢いまでは殺せない。屋敷の崩れた壁から、外の空へと追い出されるダンタリオン。

 更にその頭の上に、織は転移していた。


「トドメは譲ってやるよ、探偵!」

「怪盗のくせに気前がいいじゃねえか!」


 右の拳で、ダンタリオンの頬骨を捉える。再び地上の屋敷へと落とされる悪魔は、そこにいたイソギンチャクに激突した。


 魔力を練り上げ、右手を前に突き出す。そこに魔法陣が展開され、龍神の娘たる輝龍の力が解き放たれた。


「そのイソギンチャクもろとも消し飛びやがれ! 天を堕とす無限の輝きパラダイスロスト!!」


 夥しい数の光の雨が、ソロモンの悪魔と魔物へ降り注ぐ。一つ一つはか細くとも絶大な威力が秘められた無数の光線は、その全てが敵を葬るために落ちていく。

 轟音が連続して響き、着弾地点からは煙が上がる。怪盗どもや縁が巻き添えになっていないか、撃った織自身が心配になるほど。


 しかし予想に反して、手応えが少ない。煙が晴れた先には、イソギンチャクの成れの果てが床に転がるのみ。ズタボロのグチャグチャに引き裂かれた、生々しくグロテスクな肉体。ダンタリオンの死体らしきものは見当たらない。

 つまり、逃げられた。


「おい探偵、結局悪魔には逃げられてるじゃないか。せっかくトドメは譲ったのに、詰めが甘いんじゃないか?」

「うるせえ、お前がトドメ刺そうとしても同じだったに決まってんだろ。俺に無理だったら、俺より弱いお前にも無理だ」


 地上に降りながらも、売り言葉に買い言葉で口喧嘩が始まってしまう。

 オーバーロードとドレスを解きながら、こちらを睨んでくるジュナスへと近づく。


「なんにせよ、これで依頼完了だ。お代はしっかりと頂くぜ」

「そんなこと言って、別に金を取ろうってわけじゃないんだろう? 僕たちになにがお望みだ?」


 分かっているくせに、わざわざ聞いてくるのか。いや、織の口から言わせたいのだろう。つくづく性格の悪いやつだ。

 徐に露骨なため息を吐き出しつつ、舌打ちも交えつつ、嫌で嫌で仕方ないけど。

 右手を差し出し、握手を求めた。


「グレイとソロモンの悪魔。あいつらと戦うため、俺たち学院に力を貸せ」


 今回の依頼で、怪盗の二人は探偵に大きな借りができた。断れるわけがない。

 しかし今の言葉を織から引き出すことにこそ、ジュナスにとっては意味がある。なにせこれでは、織がジュナスに懇願しているような形になっているのだから。実態はどうであれ、だ。


 満足げに馬鹿にした笑みを浮かべるジュナスは、握手に応じることはなく、差し出した手をパシンと叩かれた。


「分かった、利害の一致だな。人類最強を始めとしたお歴々を敵に回すより、うまく利用して立ち回った方が身のためだし」

「もうちょっと素直に言えよ。今回の感謝の証として、桐生探偵事務所の奴隷として一生働きますってな」

「寝言は寝て言えよ探偵。それともこの場で永眠するか?」

「やれるもんならやってみやがれくそ雑魚怪盗」


 まさに一触即発。しかし近くでエリシアを介抱するルミは、止めることもなく見守っているだけ。縁もなにやら面白いものを見るように眺めているだけだ。


 まあ、この方が俺たちらしいか。

 仲良しこよしなんてやるつもりは毛頭ない。精々、馬鹿みたいな足の引っ張り合いでもしていよう。

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