探偵の矜持、怪盗の誇り
第161話
クリスマス、ないしは年末が近づいてきた。寒風に身を震わせながら、そういえばもうそんな季節なのか、と桐生織は感慨に耽る。
目の回るような一年が過ぎ去り、今年も残すところ二週間。クリスマスまでは一週間といったところだ。
世界がこんな状況でもなければ、十二月に入る前から街はクリスマスムード一色、人々は色めき立っていただろうが。
いつ魔物に襲われるかも分からない今、それだけの心の余裕はないかもしれない。
そんな風に思っていたのだが。
棗市の駅から南に広がる大通りを歩きながら、街路樹に飾りつけられたイルミネーションを見て、織は感嘆の息を漏らしていた。
学院本部での打ち合わせから三日後。
半ば日課になった、街の見回りの最中である。
「こんな時でも飾り付けはやるんだな」
「こんな時だからこそ、だし。いつまでも暗い雰囲気引きずってちゃダメだからねー」
「ま、さすがに四六時中電気つけてるわけにはいかないけど。朱音とかカゲロウも手伝ってたんだよ、これ。魔術やらなんやら使って、ちょちょいのちょいって」
「昨日どこに行ってたのかと思ったら、そういうことだったのね……」
日課とは言っても、いつもと違う点が。
今日は織と愛美の二人に、市立高校の生徒であり協力者でもある花蓮と英玲奈の二人もついてきている。
このJK二人組には織と愛美だけでなく、朱音やカゲロウ、サーニャまで色々と世話になっていた。
世界がこうなる前から織たちの正体を知っていたのもあるから、なにかと心配してくれるし、助けられることもしばしば。
「みんながみんな、楽しめるってわけでもなさそうだけどさ。ちっさい子供とかもいるんだから、こういうイベントは大事にしなきゃだし」
茶髪ギャルの花蓮が、道を走る子供達を笑顔で見つめながら言う。
まだ高校生で、織たちのように生き急ぐ必要もない一般人なのに。その笑顔には、ギャルという言葉からは程遠いような母性が伺えた。
面倒見のいいオカンギャルとやらか。最近流行りのギャップ萌えか。これはクラスの男子が放っておかないだろうなぁ。
「ていうか、うちから言わせれば織と愛美さんもだよ。せっかく朱音がいるんだから、家族三人でクリスマス楽しまないと」
「そんな余裕があればいいんだけどね」
一方で、愛美に憧れて黒い髪を伸ばしている英玲奈は、人懐っこく愛美にくっついていた。こいつ本当に愛美のこと好きだな。
しかし英玲奈の言う通り、朱音がいるのだからクリスマスは三人で楽しみたい。
というよりも、朱音にクリスマスを楽しんでもらいたい。彼女はきっと、未来でそんな経験をしていないから。
だが愛美の言うことも実にその通りで。
「俺ら今日からまた、しばらく街を空けるかもしれないんだよな」
「え、そうなん?」
「ええ。朱音は残るし、カゲロウとかサーニャも様子を見にきてくれるから大丈夫だとは思うけど」
そう、この見回りが終わったら、織と愛美は亡裏の里へ向かわなければならない。さすがに三人全員が街を離れるのはまずいので、朱音には残ってもらうが。
どこでなにが起きるのか分からない世の中だ。場合によっては、あちらで数日過ごすことになる。
なんなら、愛美が先走ってあちらの頭と殺し合う可能性が一番高い。
「大丈夫なわけ?」
「朱音が強いのはお前らも知ってるだろ。この街もお前らも、ちゃんと守ってくれるさ」
「そうじゃないし。織と愛美さんは、大丈夫なのかって聞いてんの」
「ちゃんと帰ってくるでしょ?」
心配、というよりも不安と言ったほうが正しいか。そんな感情を宿した瞳で見つめられると、言葉に詰まってしまう。
絶対、100%大丈夫だなんて、そんなことは織も明言できない。繰り返すが、どこでなにが起きてもおかしくはない世の中だ。
その上二人は、魔物の恐ろしさをよく理解できている。この街で魔物に殺された人たちの中には、二人の知人だっていたのかもしれない。
命が失われていく。死に直面する。
その恐ろしさを、怖さを。ただの女子高生にすぎない二人は、すでに経験してしまった。だから不安になる。見知った友人が、自ら進んで死地に向かおうと言うのだ。
魔術師の世界のことなんてなにも知らず、織と愛美の凄さも分からない二人からすれば、それは抱いて当然のもの。
即答できなかった時点で、ある種の答えになってしまっている。大丈夫だと一言告げるだけなのに、無駄に不安を煽ってしまう。
「大丈夫よ。私も織も、必ずちゃんと帰ってくるわ」
それでも愛美は、優しい声で自信満々にそう答えた。
必ずだなんて言い切れないことは、愛美だって分かっていることなのに。だからこそ、と言うべきか。どこまでも強くて優しい彼女は、大丈夫だと答えることができる。
「それに、早ければ今日中には帰ってこれるわよ。いつもみたいに戦いにいくんじゃなくて、ちょっと話し合いをしにいくだけだから」
「そっか……うん、なら安心かな」
「愛美さんがそう言うなら、間違いないし」
たった一言で不安を取り除けるカリスマ。
桐原が受け継いだキリの性質の一端、『繋がり』も影響してるそれは、けれど愛美自身が持つ生来の気質もあるだろう。
安心し切った二人を見ていると、一種の魔術や異能じみて感じる。
けれどそれが、桐原愛美という人間だ。
剥き出しなまでの優しさを人に向ける、どこまでも正しさを求めた少女だ。
「つっても、出るのはもうちょい後だけどな。とりあえずは一通り見回り済ませてからだ」
「そうね。街の安全の方が優先されるもの」
それからは他愛無い会話を繰り広げながら、街の大通りを四人で歩いた。
今までクリスマスになにをプレゼントされただの、朱音になにをあげるかだの。まさしく平和で平穏な会話。
気がつけば街の南側、ショッピングモールが見えてきたあたりまで歩いていた。
今日も棗市は異常なし。外を出歩く人たちはまだまだ少ないが、以前までに比べれば随分とマシになった。
子供は元気に走り回ってるし、店も開いてるところが増えている。
念のため見回りをしているとはいえ、葵たちが異能で張ってくれた結界もあるから、よほどのことがない限りは魔物も発生しない。
さて、そろそろ一度事務所に戻るかと愛美の方へ向いたその時。
真っ暗な夜空の下に、強烈な光が瞬いた。
「きゃっ!」
「なになに⁉︎」
「眩しっ!」
「……っ」
突然襲った閃光に、四人ともが目を覆う。反射的にシュトゥルムを取り出す織と刀に手をかける愛美。花蓮と英玲奈は困惑から立ち直れていない。
「織さんっ、愛美さん!」
光に目を焼かれてホワイトアウトした視界の中で、聞き覚えのある声がした。
傍に立つ愛美が警戒を解いた気配。声の主に心当たりがあって、織も銃を下ろす。
やがて視力が回復し、目に飛び込んで来たのは全身をボロボロにした金髪の少女。
怪盗の片割れ、ルミ・アルカディアだった。
「ルミ?」
「ひとりなんて珍しいわね。ジュナスはどうしたのよ」
尋ねれば、ルミは眦に涙を浮かべる。傷だらけの体も治療せず、切羽詰まったその表情を見て、ただごとでは無いと悟った。
絶対に厄介なことが起きる、と。
「お願いしますっ、マスターを助けてください!」
◆
花蓮と英玲奈の二人と別れ、織と愛美はルミを連れて事務所に戻ってきた。
今日は公園の猫のところに遊びに行っていた朱音も帰ってきており、三人でルミの話を聞くことに。
愛美が紅茶を淹れてソファに座ったルミの前に置くが、怪盗の少女は暗い表情のまま俯くだけだ。
数分の沈黙を経た後、中々話し出さないルミに気を遣って、愛美から口を開いた。
「それで、なにがあったのかしら。それを聞かないことには、あんたのマスターを助けようがないんだけど?」
「すみません……全部、話します」
紅茶を一口飲んでから顔を上げ、沈んだままの表情でルミは訥々と語り始めた。
「世界がこうなってから、魔術師たちは裏表関係なく魔物と戦っている。そう聞いてると思います」
「まあ、そうだな。この期に及んで馬鹿な真似する馬鹿はいないだろ」
「それがそうでもないんです。そんな馬鹿が、僅か一握りだけでも残ってる。世界の混乱に乗じて目的を果たそうと、悪事を働く裏の魔術師は残ってるんです」
唖然とした。人類全員が命の危機に立たされている。そう言っても過言では無いこの状況で、それでもまだ悪事を企てる馬鹿がいたとは。
いや、少し考えれば予想できたのかもしれない。共通の敵を持ったからと言って、これまで敵対していた人間が手を組むなんて。そんなのは夢物語であると。
事実、織自身もジュナスと手を組むことを拒んだ。
たしかに裏の魔術師のほとんどは、学院と休戦状態にある。己に降りかかる火の粉を払うことで手一杯だから。
しかし中には、むしろこの状況を利用しようとするやつがいた。
「私たちは、そんな魔術師たちを相手に盗みを働いてました。今この状況でも私服を肥やし、悪事を働けるのは、大抵がその余裕があるからです。そいつらから魔導具や術式なんかを盗んで、無力化していた」
「今まで大きな話を聞かなかったのは、あなたたちのおかげというわけですか」
「学院に恩を着せようっていうわけじゃないですよ。私もマスターも、盗みたい相手から盗んでいただけです」
それでも、これまで大ごとにならなかったのは、たしかに二人の尽力があったからだろう。そこは認めざるを得ない。
「その話を聞く限り、裏の魔術師のところに盗みに入ったら、ヘマしてあいつが捕まったってことか?」
「そうなんですけど……簡単な話でもなくて……」
煮え切らない答えに、三人は揃って首を傾げる。
そもそも、ルミがたった今語った状況自体が、簡単な話ではない、に該当する。
悪事を企んでいるのは、なにも裏の魔術師だけというわけでもないだろう。むしろこういう時、魔術師として正統な家ほど裏で何か企てていたりするのだ。
そう、かつての首席議会のように。
ただ、どうやら怪盗の陥っている状況は、本当にややこしいようで。
「私たちが盗みに入ったのは、マスターが生まれ育った家。ノルウェーにあるアルカディアの本家です」
「実家ってことか?」
こくりと頷くルミ。
段々きな臭くなってきた。普通に実家に帰るだけなら、なにも問題はない。実際愛美は朱音と二人でこの前桐原邸に帰っていたし、あそこの人たちは大歓迎してくれることだろう。
しかし、どの家も桐原の家みたいに、帰ってきてくれた子供を歓迎するわけではない。
それが怪盗ともなれば、尚更に。
「この世界で戦うのに、マスターはまだ力が足りないと考えたんです。もっと強くなるためには、アルカディア家の家紋が入った徽章が必要で、それを盗むために本家へ潜入したんですけど……」
「そこで本家の人間に捕まった、と」
完全に身内のいざこざだ。織たちを頼る意味がわからない。
どうぞ勝手にやっててくれ、と言いたいところではあるが、織はあの怪盗が、ジュナス・アルカディアがどういう人物なのかを知っている。
だから、ルミに話の先を促す。
「てか、なんで実家に捕まっただけでお前がそんなにボロボロになってんだよ。その辺の事情も話してくれないと、気持ちよく助けになんていけないぞ」
「あら、助けに行く気はあるのね」
「父さん、なんだかんだであの人のこと認めてるもんね」
「うっせ」
揶揄うような笑みを二方向から向けられて、照れ隠しにそっぽを向く。
「マスターはアルカディア家の長子、家督を継ぐ第一候補でした。でもあの人は妾の子で……それをよく思ってない連中がたくさんいたんです。それなのに私を拾ってくださって、そのせいで家の中での立場はより悪くなりました……だから今回も、マスターを排除しようとアルカディア家が……」
「捕まえたってことは、簡単に殺すことはないと思うけど。よくないことに利用されるのはたしかでしょうね」
妾の子といえど、家督を継ぐ長子だ。すぐに殺されることはない。それが分かっているから、ルミもこの場で腰を落ち着かせている。
「拾ったって……ルミさんはアルカディア家の人間じゃないんですか?」
「この姓はマスターからもらったものです。私は元々、ストリートチルドレンだったんですよ。異能を使って盗みを働いて、五年ほど前まではそうやって生きていました」
たしかにルミの異能なら、盗まれたことすら気づけない。愛美と正面から斬り合えるその実力も、路地裏で身につけたものなのだろう。
いや、本当にそうか? 路地裏で培った程度の力で、本当に愛美と斬り合えるか? 仮にアルカディア家に迎え入れられてから訓練していたとしても、殺人姫に届くとは思えない。
「なあルミ。お前たちの素性、本当にそれで全部か?」
「……はい」
「それにしたって、違和感が残るんだ。アルカディア家がどんだけでかい家系なのかは知らねえけどよ。本当に妾の子ってだけで、その家の長子を殺そうとするもんか?」
ジュナスの、あるいはルミの素性には、まだ隠された何かがある。
ルミの実力にしてもそうだが、異能にしたって疑問点はあるのだ。
人間の体を光に変える。それはいい。だが所詮は人の身。光の速度や温度に耐えられるのだろうか。思考速度はどうなる? その速さに追いつくのか?
そういうのも引っくるめての異能だと言われれば、それまでの話になってしまうが。
それだけでなく、二人が使っている剣も。
カラドボルグにクラウソラス。ともに伝説の中にある聖剣や宝剣などと言われるもの。その本物をどこかから盗み出し、使っている。誰でも使えるわけではない。なにせ神話の時代に伝説を残した剣だ。持ち主には相応のポテンシャルが要求される。
エクスカリバーのように、特別な使用条件があってもおかしくはない。
異能も剣も、一人の人間が扱うにはあまりにも強大な力だ。
そしてもっと重要な点が、ひとつ。
「ルミ。お前、賢者の石を持ってないだろ」
真意を突く告発じみた声に、ルミはピクリと肩を震わせる。
以前ジュナスと戦った時、あいつはどこからか盗んだ賢者の石を宿していた。それはグレイが異能で作った偽物だが、賢者の石としての機能は一部果たしている。
半永久的な魔力供給。
それがあるからこそ、ジュナスだけではなく織も、愛美や朱音だって、多少は無茶な戦い方も出来る。本来の自分よりも格上であるはずの相手と戦える。
特に織とジュナスに関しては、本当にただの魔術師だった。織には異能が、ジュナスには卓越しすぎている魔力操作技術があったが、それ以外は普通の魔術師。吸血鬼の相手なんか出来るわけがない弱者。
そんな二人が、並み居る強者と渡り合うために必要なもの。
ルミはそれを宿していない。
「色んな魔術師を今まで見てきたけどよ。だからこそよく分かるんだ。ただの人間じゃ、どうしても持てる魔力に限界がある。それこそ、賢者の石みたいな後付けのなにかでもないとやってられない」
蒼たちを始めとした転生者に、プロジェクトカゲロウによって生まれた半吸血鬼三人。緋桜にはキリの力があり、蓮は聖剣の魔力を持っている。
いずれも人間でありながら強大な魔力を持った者たちだが、ただの人間ではない。
賢者の石を宿していない、いや、石を必要としていないルミもまた、そこに該当するのではないか。
「織、その辺にしときなさい」
詰めるようなキツい口調を、愛美が諌める。なお沈んでしまったルミの表情を見るとバツが悪くなって、織は素直に頭を下げた。
「悪い、踏み込みすぎた」
「いえ、いいんです。私は怪盗で、織さんたちは探偵なんですから。織さんは間違ってませんよ」
おかしそうに笑うルミの顔には、彼女本来の明るさが少しだけ戻っていた。
けれど、その言葉は間違っている。
普段はたしかに探偵と怪盗。敵でしかなく、情けをかける理由も助ける義理もない。
「今のルミは怪盗である前に依頼人だ。依頼人のプライバシーに土足で踏み込むなんて、探偵失格だよ、俺は」
「依頼人の利益を守るのが探偵の仕事だものね」
「母さん、それ最近読んだラノベのセリフでしょ」
娘に茶々を入れられて唇を尖らせる愛美。可愛い。
しかしその言葉は、なにも間違っちゃいないと思う。
依頼人の利益を守るのが探偵の仕事。
なるほどたしかに、言われてみればその通りだ。探偵なんてのは、事件をスパッと解決に導くだけが仕事じゃない。
浮気調査やら人探しやら落とし物捜索やら、果ては家電が壊れたから直してくれだの子供の世話を任せたいだの、なんでも屋じみている。よろず屋織ちゃんじゃないんだぞ。
そんな多種多様な仕事にも共通していることといえば、やはり愛美の引用したセリフの通りになるのだろう。
カップの紅茶を飲み干し、膝を叩く。
立ち上がって自分のデスクから紙切れを取り、それをルミに差し出した。
「とりあえず、契約書にサインしてくれ。そしたら晴れて正式に、ルミは俺たち桐生探偵事務所の依頼人だ。まあ怪盗相手だから、お代は高くなるけどな」
「ありがとうございますっ……!」
嫌で嫌で仕方ないが、依頼とあらば動かざるを得ない。
あの馬鹿で鈍臭い怪盗を、助けに行ってやろうじゃないか。
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