殺意

第151話

「ぐッ……ァ、ァァァァ!」


 魔術学院日本支部跡地に聳え立つ塔。その中の一室で、床にうずくまり悶え苦しむ少年がいた。

 髪は灰色に、持っている聖剣は黒に染められた糸井蓮だ。


 ソロモンの悪魔、ダンタリオンによって魂ごと精神を変質させられた彼だが、それでもわずかに正気は残されていた。

 悪魔の洗脳に対して必死に抗っている。彼の持つ正しい心は、まだ死んでない。


「おや、おや、おや。まだ抵抗しているのですかぁ? さすが小生に選ばれただけありますねぇ」


 癪に触る声が聞こえた。歯を食いしばり見上げた先には、蓮をこんな姿に変えた張本人が、老爺の顔で下卑た笑みを見せている。


「お、前……だけはッ……!」

「ン〜〜〜、その怒りは見当違いというもの。カゲロウとシラヌイを攻撃したのは、あくまでもあなた自身であるからして?」


 どこまでも神経を逆撫でする。こんなに苦しくても、全身が怒りで支配された。剣を杖代わりに立ち上がり、正面から幼い男児の顔を睨む。


「いい、いいですねぇその目! 一欠片も諦めてなどいない曇りなき目! あなたは本当に小生の琴線に触れてくれる!」


 怒りや憎悪、そう言った負の感情が溜まっていくのを自覚する。目の前の悪魔を今すぐに殺したくて堪らない。

 こんな感情を抱いたのは初めてだ。

 たしかに葵とカゲロウを傷つけたのは、蓮自身の手によるものかもしれないけど。それでも、こいつを許せるわけがなかった。

 人の心を弄び、あまつさえ自分好みに変えようとする下衆に、断じて屈するわけにはいかない。


「しかし、これ以上の抵抗は面倒ですねぇ。肝心な時に使えなくなっても困る。本当ならゆっくりじっくり、その心を汚していきたかったのですが」

「ガッ……」


 悪魔の腕が、蓮の胸を貫いた。

 血は出ない。けれど、自分の中のなにかに触れられていることは分かる。あの時、こいつと遭遇した時と同じだ。

 大切ななにかが、失われていく感覚。


 徐々に意識も薄らいでいく中。もうダメかと諦めかけたその時。


 突然、悪魔の体が無形の衝撃に吹き飛ばされた。


「その辺にしときなよ、ダンタリオン。これ以上はグレイが黙ってないよ」


 支えを失った蓮は床に倒れる。顔を上げる力ももう残されていなくて、この声が誰のものなのかも判別がつかない。


 味方、というわけではないのだろう。けれどどこかで聞いたことのある声は、ダンタリオンへたしかな敵意を向けている。


「棗市にも変な術を施したみたいだし、あいつとの契約は人類の抹殺でしょ? 人で遊ぶことじゃない。それはグレイも望んでいない」

「ン〜〜〜、おかしいですねぇ。あなたは小生が蘇らせた。ゆえに小生の支配下にあるはずですがぁ?」

「ああ、あの杜撰な契約? 適当に書き換えた」

「は?」


 間抜けな声が響く。

 人心を弄ぶ下品な悪魔の、完全に想定外だと言う声が。


「お前はもうわたしのご主人様でもなんでもない、目障りな蛆虫程度。今のわたしはグレイと結んでるから」

「な、な、な、なにをバカなことを! たかだか人間の魔術師風情が、小生の術に干渉し、その上書き換えたと⁉︎」


 叫ぶダンタリオンも無視して、声の主が蓮のそばに立つ。肩にソッと手を置かれれば、優しい光が流れ込んできた。


「さすがに手遅れかな……でもまあ、これだけやってればあとはあの子達がなんとかするか」


 ぽっかりと穴の空いた心に、その光が埋まるのを感じる。闇に飲み込まれそうな蓮の内側で、それでも僅かながら光は灯った。


「ありえないですねぇ……ただの人間に可能な芸当ではない……貴様は一体何者なのですか?」

「バカなことを聞くんだね。蘇らせたのはお前のくせに」


 クスッと、嘲りを含んだ笑みがひとつ。けれどその先に続く言葉を聞くこともなく、蓮の意識は深い闇へと落ちていった。


「わたしは魔女。その言葉の持つ意味を理解しないから、足元を掬われるんだよ」



 ◆



 異世界へ繋がる孔から出た先は、相変わらずの夜空が広がる棗市。桐生探偵事務所の前。

 グッと伸びをして深呼吸。久しぶりに元の世界の空気を吸えば、帰ってきた実感が湧いてきた。


「さて、これからどうするか」


 ずっと維持したままだったレコードレスを解き、元の制服姿に戻って振り返れば、一人欠けていることに気づく。


「愛美は?」

「あれ? 私と一緒に戻ったはずだけど……」


 大切な相方がこの場にいない。

 愛美が朱音と共に扉を潜ったのは、織も確認している。まさかこちらの世界に戻ってくる途中で、なにかハプニングがあったのか?

 有澄とイブの方に視線をやるも、二人ともその表情は明るくない。


「扉は正常に開いていたはずです。そもそも、あれに干渉できるのはアダムさんか師匠くらいのものですよ」

「扉自体に位相の力は関係ない。レコードレスやキリの力を持っていても同じです」


 この二人が言うなら間違いないのだろうが、なら彼女は一体どこに行ったのか。織たちよりも先に扉を潜ったとはいえ、こっちの世界に戻ってくるのに大きな時間差はなかったはず。

 なら考えられるのは、愛美自身の意思でここを離れたということだが。それだって理由が見当たらない。


「扉は正常、あなた達にも問題はなかった。となれば、おかしいのはこの世界の方だと考えるべきだ」

「どういうことっすか?」

「わたしが初めてこの世界に来ようとした時、一度位相に阻まれたことがある。わたしではフィルターを通過できなかった。それと同じことが起きているかもしれません」


 十六年前、イブが初めてこの世界を訪れた時には、アダムの体質で位相に綻びが生まれたからだ。有澄やエルドラドがこちらの世界に来れたのも同じ理由。

 それから時が経って、位相の綻びは完全に修復されていた。アダムが再びこの世界に来たことで多少の綻びはまた生まれてしまっているだろうが、それでも以前のように勝手に異世界の人間やドラゴンを迷い込ませることはない。


 愛美がこの場にいないのも、それと似た理由。つまり位相に阻まれたか、その他の異変がこの世界の根幹に起きていることで、強制的に別の場所へ移されたか。


「……魔力探知にも引っかかりません。桐原愛美はこの街にいないと思われます」

「とりあえず、高校の方に向かうか。葵たちはそこにいるんだし、案外愛美もいたりするかもだ」


 そうと決まれば善は急げ。

 もしもの時のために魔力の消費を抑え、翠の異能により市立高校へと転移する。


 街の人たちは徐々に自分たちの家に戻っているらしいが、やはり元の日常を取り戻せたわけではない。

 中には絶対的な安全圏の高校から出たがらない人もいたみたいだし、当然ながら授業が行われることもない。


 移動した先の市立高校は結界と紅い炎で覆われている。カゲロウと龍の異能だ。それでも織たちは普通に入ることが出来た。

 とりあえず誰か探すかと思っていると、校庭にツインテールの少女と灰色の髪の少年が。

 刀と大剣で打ち合っているのはリハビリだろうか。金属音が鳴り止んだのを見計らい、織は声をかけた。


「葵、カゲロウ」

「あ、みなさん帰ってたんですね。おかえりなさい」

「おう、無事だったか」

「ただいまです姉さん、カゲロウ」

「ところで、母さんは来てませんか? 一緒に帰ってきたはずなのですが」

「母さん?」


 朱音の質問に、なぜか二人は怪訝そうな顔をする。

 やはりここにも来ていないのか。ならどこを探すべきかと考え始めた織の耳に、信じられない言葉が飛び込んできた。


「お前の母さんって、誰のことだよ?」

「は?」


 そう言ったカゲロウは、本当に知らないと言わんばかりの顔をしていて。それは隣に立つ葵も同じだった。


「いや、なに言ってるんですかカゲロウ。母さんは母さんですが」

「あの、朱音ちゃん? 私たち本当に知らないんだけど……」

「知らないって……愛美のことを覚えてないのか?」

「もしかして、殺人姫のこと言ってんのか? あいつならまだ殺せてねえぞ」

「最近姿も見ないし、私たちもこんな状態ですから」


 二人の口からは立て続けにあり得ない言葉が飛び出す。

 どう言うことだ。殺せてないってなんだよ。そんな、まるで敵に対して言うようなセリフを、どうして愛美に向けて。


 世界が遠くなっていく感覚。葵とカゲロウはまだなにか話しているが、それもどこか遠くに聞こえる。


「そんなことより、みんなの情報がよく視えないんですけど……」

「そんなことってなんだよッ!」


 突然叫んだ織に、葵が肩を震わせて驚く。

 他の誰よりも大切な家族の一人が、覚えられていない。それどころか敵として認識されている。そんなこと、なんかで済ませていいはずがないだろ。


「あいつは、お前らの先輩なんだぞ。お前らのことを本当に大切に思ってたのに、なんでっ……」

「桐生織、少し落ち着いてください」


 ハッと我に帰り、怯えた目で見つめてくる葵に気づいた。

 理解不能からくる恐怖。目の前の後輩は、織の言葉も、怒りの理由も、なにも理解できていない。

 そこには第三者の悪意が介在している余地もなく、葵は正気を保ったままだ。


 罪悪感が込み上げてくる中、脳内に翠の声が響いた。


『二人の情報を視ましたが、何者かの攻撃を受けた様子はありません。洗脳されているわけでもないようです。ただ、桐原愛美のことは本当に敵として認識している。ここは姉さんたちだけではなく、他の仲間にも当たってみましょう』


 どうやら織だけではなく、異世界から帰ってきた他の四人全員にも聞こえていたらしい。有澄とイブは小声で一言二言交わし、なにを言うでもなくどこかへ転移してしまった。


「……悪い、ちょっと頭に血が上ってた。緋桜さんとサーニャは?」

「お兄ちゃんなら学校のどこかにいると思いますよ」

「サーニャは朱音の代わりに、丈瑠と猫の面倒見てる」


 聞くや否や、朱音もどこかへ姿を消した。恐らくはサーニャと丈瑠のもとへ向かったのだろう。となれば、残った織と翠は緋桜に当たるしかない。


 礼と謝罪をもう一度だけ告げ、二人は校舎の方へ向かった。

 学校のどこか、と言われても、市立高校の敷地は意外と広い。まずは校舎内から適当に探し始めるが、緋桜の姿はどこにもなかった。


「翠、緋桜さんの魔力を辿れるか?」

「……校舎裏にいるようですね」


 転移でそこに移動すれば、たしかに緋桜の姿があった。

 校舎の壁に背中を預けてタバコをふかしている。高校の校舎裏で喫煙とか、まるで昭和のヤンキーだ。


「緋桜さん」

「おう、帰ってたのか」


 まだ結構残っていたのに律儀にもタバコの火を消した緋桜だが、そんな彼を見る翠の視線は厳しい。


「緋桜、タバコはやめるようにと姉さんに言われていたはずでは?」

「そんな頻繁に吸ってるわけじゃないから大丈夫だよ。で、翠はまだしも織までどうした、俺になにか用か?」

「桐原愛美のことは知ってますよね」

「そりゃもちろん。敵の名前くらい覚えてる」


 やはりダメか。

 学院生時代、愛美や桃と絆を深めた緋桜ならあるいは、とも思ったが。


「なにせあいつは、桃を殺したんだ。忘れるわけないだろ」


 憎しみのこもった声で吐き出されたのは、またしてもあり得ないはずの言葉だった。

 それだけは、本当にあり得ない。


 だって、魔女は殺人姫の親友だった。家族を、仲間を、友達を、本気で大切に思うあの少女が、親友を殺すだなんて。


「あいつがどうかしたのか?」

「いや……なんもないっす。それじゃあ、俺は事務所に戻ってるんで」


 覚束ない足取りでその場を去る織。緋桜は不思議そうな目でなにか聞きたそうにしていたが、織の方には質問されたとしても答えられる余裕がない。


 翠も連れて一度学校から出る。行く当てなんか事務所以外にはないが、ふらふらと街中を歩いていた。

 さすがに出歩いている人はいない。みんな家の中に引きこもっているか、まだ市立高校に避難しているか。


 魔物の気配もしないから、街は随分と寂れた雰囲気に包まれていた。


「くそッ、なんでだよ……!」


 近くの電柱を力任せに殴る。魔力を帯びた拳はコンクリートを容易く凹ませた。

 それで怒りや焦りが消えるはずもなくて、ただなにも分からないこの状況に歯噛みするしかない。


「この様子では、恐らくはサーニャたちも彼女を敵と認識しているでしょうね」

「そもそも、愛美がどこにいるのかも分からないんだ。みんなは愛美のことを覚えてた。なら消えたわけじゃない。あいつはどこかにいるはずだ……」

「まずはこうなってしまった原因を探るべきでしょう。桐原愛美を探すのはその後の方が賢明かと」


 焦ることなく無表情で無機質な声の翠。その存在がありがたかった。今の織ではきっと、愛美を探すことばかりに気を取られていただろうから。


「織くん! 翠ちゃん!」


 なにもない場所に突然現れたのは、どこかに消えていた有澄だ。イブはいないから、別行動を取ったのだろう。


「有澄さん、そっちはどうでした?」

「本部に戻ろうと思ったんですけどダメでした。龍さんとルークさんも、愛美ちゃんのことは敵だと思ってましたね。電話も通信も遮断されましたし、この街は完全に隔離されてます」

「やはりですか……しかしわたしの異能には、この街に異変が起きているとは映りません」


 だが事実として、異変は起きている。

 姿を見せない愛美に、認識を改変されてる仲間たち。情報操作の異能を掻い潜る手段でもって、明確に攻撃を受けている。


 考えても埒があかない。情報が少なすぎるこの状況では、打てる手も限られていた。


 瞳を橙色に輝かせる。もし愛美の持つキリの力が生きているなら、彼女の視点から未来が見えるはずだ。


 果たして織の目に映されたのは、今日一番信じられない光景だった。


「なんで……愛美と朱音が戦ってるんだよ……⁉︎」



 ◆



「サーニャさん!」


 棗市の北。一軒家が立ち並ぶ住宅街の中にある公園まで転移した朱音は、そこにいた銀髪の吸血鬼の名を呼んだ。隣には友人である大和丈瑠とアーサーの姿もある。

 見覚えのある猫達に囲まれた二人は、朱音を見てひどく驚いた表情をしている。


 それもそうだろう。今の朱音には、一目で分かるほどに鬼気迫るものが感じられるから。


「丈瑠さんも、いいところにいました! 二人とも母さんのことは、桐原愛美のことは覚えてますよね⁉︎」

「当然覚えているが……それがどうした?」

「えっと、桐生。その桐原愛美って人は、敵じゃなかったの?」

「そんな……」


 愕然とした。この二人もダメなのか。愛美のことを敵と認識してるのか。


 葵もカゲロウも、サーニャや丈瑠だって、彼女の優しさに触れたことのある人なのに。どうしてそれを忘れてしまっているんだ。


 目眩がして額に手を当てる。

 落ち着け、これは敵の仕業だ。グレイが召喚したソロモンの悪魔達が、なにか術をかけているに違いない。

 そうじゃなきゃ、みんな愛美との思い出を忘れてしまうなんて、あり得るはずないのだから。


 必死に自分にそう言い聞かせて、二人のことを強く見つめる。

 朱音の瞳に察するものがあったのか、サーニャは真剣な表情で尋ねてきた。


「なにか、あったのだな?」

「はい……今の二人には信じられないかもしれませんが。桐原愛美は、敵なんかじゃありません。私の母さんで、大切な人なんです」

「そうか、分かった。貴様を信じる」

「え?」


 即答。考えることすらなく、サーニャは至って真剣に答えを返した。言われた朱音が逆に信じられないほどだ。


 けれどサーニャからすれば、なにもおかしなことではない。


「普通なら、貴様は敵の魔術か異能にかけられていると疑うところなのだろうがな。その目を持つ以上、その可能性はない。なにより、貴様が家族のことで虚偽妄言を吐くはずがないだろう」

「サーニャさん……」

「僕も、桐生のことを信じるよ。難しいことは分からないけどさ、僕はもう、桐生を疑いたくはないから」

「丈瑠さん……」


 アーサーも足に擦り寄って来て、自分も味方なのだと言ってくれている気がした。


 思わず目頭が熱くなる。私の周りには、優しい人ばかりいてくれる。無条件で自分のことを信じてくれる。それはなんて幸福なことなんだろうか。


「我が貴様を疑うわけないだろう。そこを不安に思われるのは心外だな」

「べ、別に不安だったわけではありませんが! 状況的に信じてもらえないと思っていただけですので!」

「まあよい。それで、これからどうする? 殺人姫が本来は貴様の母親で、我らの味方というのは信じる。だが、そうなると今後は我らの認識を信じない方がいいだろう。なにがどのまで改変されているのかも分からぬし、そもそも我にはその自覚すらなかったのだからな」


 吸血鬼であるサーニャに情報操作を持つ葵とカゲロウ。恐らくは緋桜や龍、ルークも。

 それぞれが簡単に敵の術に落ちるような人たちじゃない。だとすれば、これは直接洗脳の類を施すものではないだろう。


 認識の改変。それに伴う歴史の改竄。小規模でありながら世界を作り変えるような術。

 イブの言葉を思い出すなら、世界になにかしらの異変が起きたからこそ、愛美は姿を消し、敵として認識されている。


 しかしいくらソロモンの悪魔とはいえ、そのようなことが可能なのか。


「とにかく、今は母さんを探すのが先ですが。もしかしたらこの街にはいないかもしれませんので」

「いや、どうやら探すまでもないようだぞ」


 サーニャが視線を向ける先。公園の入り口を朱音も釣られて見てみれば、見慣れた少女が立っていた。


 長い漆黒の髪を夜風に靡かせ、刀を手に持つ殺人姫。


 しかし喜んで駆け寄るわけにもいかない。彼女から発せられる強い殺意が、朱音の足を踏みとどまらせた。


「母さん……?」


 様子がおかしい。彼女は断じて、家族や仲間に殺意を向けるような人間ではない。

 朱音自身が愛美に転生したこともあるから分かる。彼女はその身に狂気じみた殺意を秘めているし、その中には当然のように、親しい相手を殺したいと言う欲求すらも含まれていた。

 それでも、その欲求を理性で制し、どこまでも正しさを求めるのが桐原愛美だ。


 あんな、純粋な殺意の塊みたいな存在ではなかった。


「おい朱音。やはり貴様、嘘を言っていたのではないだろうな」

「ちょっ、それはなしですが! 信じてくれるって言ったじゃないですか!」

「冗談だ。それより構えろ。貴様の知っているやつがどのような人間かは知らぬが、今の我にはあの姿こそ見慣れているよ」


 一歩。殺人姫が踏み出す。

 初速から既にトップスピード。瞬く間に肉薄して来た少女は、朱音へ向けて容赦なく刀を振りかぶっていた。咄嗟に短剣を抜いて防ごうとし、寸前で右の脇腹を守る。両腕に衝撃。刀は囮だ。本命はその体術による鋭い蹴りだった。


 同じ体術を使っていなかったら、今の一瞬で勝敗が決していただろう。

 概念強化をかけて腕に魔力を集めても、その威力を殺しきれなかった。


「アーサー、丈瑠さんを連れて逃げて!」


 朱音の知っている愛美じゃない。偽者とは思えないけど、かと言って本物とも言えないのが現状だ。

 朱音の指示を聞いたアーサーが、丈瑠を背に乗せて風のように駆けて行った。狼の後を追おうとした殺人姫だが、殺到した氷の刃がそれを阻む。


「よそ見をするなよ殺人姫。貴様の相手は我らだ」


 着弾地点から凍結が広がり、敵の足を凍らせた。動きを止めた殺人姫へ、朱音は躊躇いなく短剣を振るう。

 刀で受け止められたが、確かめたかったことは確かめれた。


 切断能力。亡裏が持つ拒絶の力。

 目の前に立つ愛美の姿をした何者かは、たしかにそれを持っている。


「どうする?」

「捕まえます」

「出来るのか?」

「出来ますが。私は母さんよりも強いので」

「頼もしい限りだ」


 フッと信頼の笑みを浮かべ、銀髪の髪を払うサーニャ。その信頼に応えるために、朱音は銀の炎を纏う。


 二つの銀色と殺意の塊が激突した。

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