第139話
未来を引き寄せられない。
序列一位との戦闘が始まって数秒。織が実感したことだ。
攻撃を当てる、あるいは攻撃を躱す。そういった未来が見えない。
「カカッ! その程度か殺人姫!」
「黙れ!」
「くそッ、攻めすぎるな愛美! 一旦下がれ!」
何度も振るわれる空色の刀身は、その悉くが容易く躱されている。太刀筋には隠しきれぬ焦りが滲み、体術にはいつものキレがない。織との連携も考えずに突っ込んでいるから、援護射撃もままならない。
織の未来視は、1%でも可能性のある未来を引き寄せるものだ。それが見えないということは、すなわち可能性がゼロであるということ。
敵の強さもさることながら、愛美の動きも多分に影響しているだろう。
だが、逆に。
不可能であるからこそ、織の魔眼は存分に効力を発揮するのだ。
「集え! 我は星を繋ぐ者! 万物万象悉くを斬り伏せ、命を刈り取る者!」
詠唱が響き、魔力の刃が七つ展開される。愛美が持つ最大の手札。空の元素魔術。北斗七星の力を宿した刃は意思を持ったように動き、四方八方からバアルへ殺到した。
それだけに終わらない。殺人姫は続けて術式を構成し、悪魔の頭上に六つの魔法陣を展開させる。
「集え、我は星を撃ち落とす者! 万物万象悉くを斬り伏せ、命を刈り取る者!」
南斗六星を形作る六つの魔法陣それぞれから、光の柱が落ちる。膨大な熱量はヒトと変わらぬ姿の悪魔を一瞬で飲み込んでしまい、七つの刃は役目を果たしたのか愛美の周囲に戻ってきた。淡く光る刀身には赤い液体が付着している。
桐原愛美が持ち得る最強の魔術。幻想魔眼による必中も付与したが──
「愛美ッ!」
「ァ、カッ……」
愛美の体が、くの字に折れ曲がる。腹に棍棒が突き刺さっていた。貫通していないが、一体何本骨をやっているか。内臓も潰れてるだろう。
棍棒を持った悪魔、バアルは顔を満足げな笑みに染めて、愛美の体を蹴り飛ばす。
「テメェ……!」
オレンジの輝きが強さを増す。怒りに呼応するように織の魔力が増大し、賢者の石から引き出された複雑な術式が描かれる。
「術式解──」
「遅いわ」
胸に、槍が突き刺さった。
バアルが投擲したものだ。勢いのままに後方へ飛ばされ、落ちていた瓦礫に胸を穿つ槍が刺さった。
悪魔が手を翳せば槍は持ち主の元へ戻る。胸からは血が溢れ出し、それでも急所、心臓は辛うじて外していた。
なら大丈夫だ。致命傷じゃなければ再生できる。この身に刻まれた
傷を塞いで立ち上がり、口から血を吐き出した。見れば、愛美も立ち上がっている。その瞳には未だに強い光が宿ったままだ。
「ほう、立ち上がるか。賢者の石とやらの恩恵か?」
「ちげぇよ。そんなんじゃねぇ」
「友達から、あの子から託されたものがあるのよ、私たちには!」
「戦いに無駄な感傷を持ち込むとは。人間というのはいつの時代も変わらんな。理解し難い」
「お前なんかに理解してもらおうとは思ってねえよ!」
諦めず術式を構成する。放たれた魔力の鎖と、その隙間を縫って駆ける殺人姫。
相変わらず愛美の動きはいつもの精彩を欠いて連携なんぞ考えていないが、織がその動きに合わせてやればいいだけだ。
「徹心秋水!」
居合一閃。
空色に輝く刀身が抜き放たれるが、やはり容易く躱されてしまう。愛美であっても、やつの速さには敵わない。当たり前だ。なにせ光速以上の戦闘を涼しい顔でこなすのだから。
しかし斬撃を躱したその隙に、魔力の鎖がバアルの腕を絡め取る。
「望み通りの未来だよ、クソ野郎!」
魔導収束。
その魔術の特性は、相手の魔力を吸収すること。吸収した魔力が強力なほど、術の威力は比例するように上がる。
ソロモン七十二柱の序列一位。人類最強と互角以上のその魔力が、現状唯一見つけた攻略の糸口だ。
バアルを囲むようにして展開される魔法陣。織の意図を瞬時に理解した愛美は離脱してくれた。ならば後は、魔力を解放するだけ。
「小癪な技だ」
その魔法陣が、全て砕け散った。
なにが起きた? バアルが棍棒を天に掲げただけなのに、どうして?
「我が得物は撃滅と追放。本来ならば貴様ら程度、ただの一振りだけで殺せるのだぞ? しかし、それでは興醒めというものだ。
序列一位にそんな力があったか? いや、織の持ちうる知識の中では、存在しなかったはずだ。ならばその力はどこから来たものか。
考えを巡らせている間にも、悪魔の槍が矛先を二人へ向ける。
人類最強を一瞬で消し去った力が。
「しかし、貴様らとの死合いはもう飽いた。もう少し楽しませてくれるかとも思ったが、随分と期待外れよな」
なす術がない。
あまりにも圧倒的、絶望的な力の差。
賢者の石を持ち、幻想魔眼を駆使しても。序列一位の悪魔には敵わない。
だけど。
それでもだ。例えそんな敵を前にしていても、織の瞳はまだ未来を映している。
「むっ」
なにかに気づいたような声を上げるバアル。その一瞬後、悪魔の体が縦一文字に斬り裂かれた。
「誰の前で誰に手を出してるんですか」
二人と悪魔との間に躍り出るのは銀色の炎。長い漆黒の髪を靡かせた敗北者の少女。
戦闘中にも関わらず力が抜けたようにへたり込んだ愛美が、感極まった声で娘の名を呼んだ。
「朱音っ……」
「心配かけてごめん、二人とも。私は、もう大丈夫だから」
振り向いて笑顔を見せてくれた朱音のその瞳が、オレンジに輝いていた。自分と同じ、不可能を可能に変える魔眼。
「お前、その目は……」
「説明は後。あれで殺せたとは思えないし、ひとまず逃げるよ」
「逃すと思っているのか?」
声が聞こえ、朱音が構え直す。
織も愛美も、娘が無事だったことに安堵して力が抜けたせいか、これ以上の戦闘は望めない。いくら傷を塞ごうが潰れた内臓や折れた骨を元に戻そうが、ダメージは確実に蓄積している。
愛美はもう立ち上がれそうになかったし、織だって気を抜けば倒れてしまいそうだ。
再び姿を見せたバアル、やはり無傷の状態で立っている。そもそも、悪魔には死の概念が存在しない。幻想魔眼で付与した上で殺すか、契約を断ち切るかでしか倒せないのだ。
「契約者から聞いているぞ。貴様、ルーサーだな?
「元より楽に逃げられるとは思っていませんが。そうですね、蒼さんを追放したその槍は、今のうちに潰しておきましょうか」
「カカッ! 大層な口を叩きおる! 聞けば貴様、契約者には手も足も出なかったらしいではないか!
「出来ますよ。私たち家族に、不可能なことなんてなにもない」
朱音を中心に、力が渦を巻く。
魔力でも異能でも、ましてや神氣でもない。この世界の法則とも呼ぶべき、位相の力。
「
力ある言葉を唱え、少女の体が光に包まれた。それが晴れて現れたのは、見慣れたドレス。銀色のラインが入った黒のロングコートと、朱色のスキニーパンツ。敗北者の仮面を纏った姿。
けれど、そこに宿る力は違う。今まで朱音が使っていた力とは、明らかに。
「
仮面の目に当たる部分が、オレンジに染まっている。手に持つ短剣は、刀身を空色に輝かせていた。
朱音が新たに得た力の象徴。キリの力全てを扱うことができると言われた彼女の、真の姿だ。
「カカッ! それが貴様の本気か! さあ、さあ、さあ! 尋常にッ!」
「申し訳ありませんが、もう終わってますので」
バアルの右手にあった槍が、ひとりでに動いて朱音の手元に収まった。
訳がわからないと言いたげな表情の悪魔に、敗北者の少女は淡々と告げる。
「蓄積された時の略奪。一体何千年分かは分かりませんが、魔眼と銀炎、私のドレスがあれば不可能なはずありませんので」
こともなげに言ってのけた後、適当に放った槍は細かく斬り裂かれて消えた。朱音は短剣を振るっていないにも関わらず、だ。
すなわち、亡裏の持つ『拒絶』の力。
それを異能という形で最大限に発揮できる殺人姫と、同じ芸当。
「それで、どうしますか? まだ続けるようであれば構いませんが。あなたを殺してここから逃げるまでですので」
娘から感じられる力に、織は戦慄する。
位相から取り出した魔力なんてもんじゃない。朱音の許容量を遥かに超えた、あり得るはずもない力。彼女の感情に呼応してどこまでも増すそれは、黒霧が持つ『心』の力に起因するもの。
つまるところ、朱音は怒っている。
両親を傷つけた目の前の悪魔に対して。塔の上であぐらを掻いている吸血鬼に対して。
「カカッ! よく言う。ハナからそんなつもりは毛頭ないだろう。既に限界の二人をこの場に残して戦うなど、貴様のような人間がするはずもないだろう」
「見逃す、と?」
「見逃されてやる、と言っている」
仮面の奥から舌打ちがひとつ。
かと思えば、織と愛美の全身を銀炎が包んだ。次の瞬間には事務所の前に移動している。天を衝く巨大な塔もなければ、序列一位の悪魔もいない。
ひとまずの窮地を脱したことに安心して、二人はドレスを解いた愛する娘に駆け寄り抱きしめた。
「朱音、本当によかった……!」
「心配かけすぎなのよ……」
「うん、ごめんね」
腕の中の温もりがたしかなものだと感じて、織は堪えきれず涙を流していた。
◆
ボッコボコであった。
人類最強。その存在を魔術という概念へと昇華させた男、小鳥遊蒼が。顔をボコボコに腫れさせていた。
「いやあ、悪い悪い。ちょっと油断しちゃってね。まさか序列一位があそこまで強いだなんて思ってなかったよ」
「こっちがどんだけ焦ったと思ってんだよ……」
「朱音が来なかったらどうするつもりだったのかしら」
弟子の二人からシラっとした目を向けられているが、人類最強は苦笑するのみ。ちょっと油断しちゃって、で世界の命運を左右させないでもらいたい。
場所は変わって、というより戻って。
魔術学院本部のとある一室。前首席議会が会議室として使用していた広い部屋の中。
ひとまず状況が落ち着きを見せたので、一同はこの場に集まっていた。
とはいえ、未だに全世界で魔物は暴れ続けている。ロイ・クリフォードやアンナ・キャンベルが率いる学院の魔術師は各地で戦っているだろうし、散り散りになった日本支部の生徒たちも同じく。
棗市だってまだ予断を許さない状況だから、龍とルーク、緋桜とサーニャが残ってくれている。
この場にいるのは魔術学院のトップとなった小鳥遊蒼、そのトップに怒りの鉄拳を容赦なく何度もぶち込んだ彼方有澄、重症ゆえに離脱中の葵とカゲロウの代理として来た出灰翠に、織と愛美、朱音の三人。
加えて、新たな仲間が二人。
「とりあえず、改めて紹介しておこうか。僕の親友のアダム・グレイスに、アダムと有澄の師匠であるイブ・バレンタインだ」
「この馬鹿の弟子とは、お前らも大変だな」
「よろしくお願いします」
黒ずくめの少年と豪華な赤いドレスの貴婦人。この二人は、有澄と同様に異世界の住人だという。しかし有澄と同じ世界から来たわけではなく、様々な異世界を旅しているらしい。
規格外が服を着て歩いてる。
これまでの報告と実際に自分で見た光景から、織が受けた印象である。
「この二人に来てもらったのにはちゃんと理由があってね」
「やつにとってのイレギュラー、ですね?」
蒼の代わりに答えを出したのは朱音だ。
愛美の股座に腰を下ろして人形のように抱きかかえられながらも、その表情は至って真剣。
そして神妙に頷いた蒼の口からは、予想外の名前が飛び出して来た。
「16年前、凪さんから今回の事態が起こることは聞いていた」
「父さんから?」
「そう、あの人は全部視えてたよ。自分たちの運命も、その後に起こることも、あらゆる可能性を16年前の時点で把握していたんだ」
織の父親、桐生凪の異能は千里眼。
起こったかもしれない過去と、これから起こるかもしれない未来を見通すことのできる力だ。
そこに凪の推理力が合わされば、たしかに予見できないことはないのかもしれないが。
それでも、16年も前から。自分たちが死ぬことも、世界が危機に晒されることも、全てを見通していたなんて。
我が父親のことながら恐ろしくなる。
「僕が凪さんに聞かされた話だと、僕か、あるいは僕と有澄の二人かが、この世界から追放されること。そのためにアダムとイブの力を借りること」
「正直に言おう。俺たちが力を貸すのは、時間制限付きの裏技だ。俺には厄介な体質が付き纏っていてな、この世界には長居できない」
実際蒼がこの世界に戻ってこれたのも、朱音がバアルの槍を破壊した後にイブが異世界への孔を開いたから。
有澄はどうやら自分の世界にしかアクセスできないらしく、蒼はそもそもその孔を開くことができない。
朱音が槍を壊しただけだったら、蒼は戻ってこれなかった。
「もっと言えば、わたしたちはこの世界の深くまで干渉することができない。半分はこの世界の住人である有澄と違い、わたしたちは完全に異世界の存在ですから」
「それであなた方の情報が視えないのですね」
どうやら情報操作の異能を持つ翠にも、この二人の情報は視えないらしく。
その事実が、二人が異世界の存在であり文字通りの規格外なのだと、なによりも雄弁に語っていた。
「あの悪魔どもを殺す程度なら可能だろうが、灰色の吸血鬼とやらは殺せない。そこまで行くと、この世界に関わりすぎる。俺の体質の影響が深く広がってしまう」
体質とやらがなにかは分からないが、ともかく対グレイの戦力としては期待できない、と言うことだろう。
しかし、ソロモンの悪魔に対抗できる手段が増えた。それだけでも大きい。
今の織では、序列一位どころかそれより下位のやつらにすら勝てるか分からないから。
「さて、本題に入ろうか。まずは糸井蓮についてだ。みんな、話は聞いてるね?」
その場の全員が頷いたのを見て、蒼は改めて説明を始める。
序列七十一位の悪魔ダンタリオンの手によって、蓮は魂を反転させられ敵に寝返った。
黄金の聖剣は黒く染まり、葵とカゲロウに容赦なく攻撃したという。
「まさか私が寝てる間に師匠が……」
「これはわたしたちの責任でもあります。あの街に入り込んでいた残りの悪魔に気づけませんでしたから……」
「バルバトス一体だと思っていたんだがな。まさか他に二体も入り込んでいたとは」
ダンタリオンだけではない。有澄とイブが遭遇した序列七位、七つの大罪にも数えられたアモンまでいたと言う。
これで確認された悪魔は四体だ。
バアル、アモン、バルバトス、ダンタリオン。
いずれも強力な個体だが、バルバトスはアダムが、アモンは有澄が圧倒した。
蒼と互角以上だったバアル以外を単純に倒すだけなら、十分に可能な範囲。しかし、ダンタリオンに関してはその限りじゃない。
「ダンタリオンを殺して、それで蓮が戻りませんでしたじゃ話にならねえもんな」
「翠、あなたたちの異能ならどう?」
プロジェクトカゲロウによって生まれた三人の異能。そのオリジナルを有しているグレイは、魂の複製を可能としていた。
現状で見えている糸口といえば、そこにしかない。しかし翠の表情は暗いものだ。
「わたしやカゲロウでは、魂にまで干渉することは不可能です。わたしたちはあくまでも、オリジナルのコピーに過ぎない。しかし姉さんであれば、可能性はあると思います」
唯一プロジェクトの悲願にたどり着いた、位相の力を扱える葵なら、あるいは。
そんな理屈を抜きにしても。聖剣の担い手たる少年を解放するのは、彼女でなければならないだろう。
きっと本人がこの場にいても、自分がやると言って聞かないはずだ。
「蓮に関しては、葵が回復するのを待つしかないね。次に、幻想魔眼についてだ」
話を次に進めた蒼が、朱音へ視線を向ける。
そう、その話だ。織はまだその辺りのことをなにも聞いていない。
冷静に考えればおかしな話ではないのだろう。朱音はキリの力を全て扱えるという話だった。そして魔眼保持者の織の娘であり、この時代の人間ではない。
しかしそもそもの話として、幻想魔眼は数百年に一度現れる、と言う話じゃなかったか。
「実は眠っている時、意識だけが過去に遡っていたんです」
「……もしかして、16年前?」
「はい」
あの時か、と呟く蒼は心当たりがあるようだが、織からすると驚愕でしかない。朱音を抱きかかえている愛美も目を丸くしていて、織はまさかと思い恐る恐る尋ねる。
「父さんに、会ったのか……?」
「うん……桐生凪、私のお祖父ちゃんに会ったよ。父さんとそっくりだった」
朱音の口から語られるのは、16年前で凪と交わした会話の一部始終。
自分の願いを再確認し、力を自覚させられ、父である織のルーツを知った。
なによりも織を驚かせたのは、凪も幻想魔眼を持っていたということだ。
「可能性の前借りによるハリボテ。本人はそう言ってたけど、あれは間違いなく幻想魔眼だった」
「それは僕たちも16年前に確認してる。この前戦ったエルドラド、あれの本体と昔戦ったって言っただろう? 少なくとも、その頃にはもう使えてたよ」
「お祖父ちゃんが言うには、父さんだけじゃ足りない、らしい」
この世界から超常の力を消す。そのために世界を作り変える。
それは本来の幻想魔眼の使い方とは違ったものだ。元々その目的を達成するために用意されたのは、レコードレスだった。
魔眼の力を100%以上発揮するためのドレス。しかし、その両方を使っても。織の魔眼は、上手く発動されなかった。
「単純な出力不足だな」
早々に答えを出したのは、異世界出身のアダム。織の目をジッと覗き込み、黒ずくめの少年は語る。
「今まで巡った世界でも、その世界の有り様を変えてしまう力には何度か出会ったことがある。それらと比べて、お前の魔眼は決定的に出力が足りない。凪が言っていたのはそのことじゃないのか?」
「出力不足って……そんなのどうすればいいんだよ……」
魔力のように目に見えて増減の分かるなにかがあるわけじゃない。
織が不可能な事象をその瞳に映し、現実に投影する。それが幻想魔眼だ。そこには明確な数字なんて示されない。
「私がこの時代に来たのは、そのためだとも言われました。だから本当に必要なのは、幻想魔眼だけじゃない。私や翠、桃さんが持っていたキリの力」
「それって、略奪の力じゃないの?」
「ちょっと違うんだよ、母さん。略奪の力は、あくまでも桃さんが後から作ったものだから」
思い返せば、桃瀬桃の魔術の使い方にその片鱗は見えていたのだ。
彼女は術式を使い捨てる。その場その場で新しい術式を作り出し、基本的に同じ術式を使うことはない。
それは織以上に付き合いの長い愛美や、実際に彼女と戦ったことのある蒼がよく知っているだろう。
あれは桃の技術と賢者の石があればこそだと誰もが思っていたが、そうじゃない。
極め付けは、彼女が残した新しい元素。
既存の魔術体系のどこにも存在しなかった、空の元素魔術。
どうしてそんなものを作れたのか。
賢者の石やレコードレスの力があったとは言え、それこそ幻想魔眼でもなければ不可能に近い。
「『創造』の力。それが桃さんの力で、今は私たちに受け継がれた力、なんだと思う」
全て、辻褄が合うのだ。
桃の魔術や空の元素。織と愛美の中に残った呪いだって、致命傷以外なら例え体や内臓を欠損しても、瞬時に新しいそれを作り出す。最もオーソドックスなドレスを使っている織にすら不可能だった略奪も、あの魔女が作った力なのだと言うなら。
「ネザーの報告には、既存の四家以外で初めてキリに至ったのが魔女だとありました。彼女の力を直接使うわたしと、その石のカケラをそのまま宿した朱音であれば、受け継いでいてもおかしくはありません」
次世代のキリ、とでも言うべきか。
魔女が遺し、幼い少女である二人に受け継がれた力は、灰色の吸血鬼が持つ『崩壊』とは正反対で。
同時に、キリの目的を達するためには必要不可欠な力だった。
「魔眼の出力っていう話をするなら、多分父さんの方が上だと思う。あくまでもこの時代の魔眼保持者は父さんだし、『目』の力を純粋に受け継いでるから。私は色々混じりすぎちゃって、逆にそれぞれの出力はみんなに劣るかもしれない。だからお祖父ちゃんは、家族みんなで立ち向かえ、って言ったんだと思う」
「家族みんなで、か……」
自分の父親が言いそうなことだ。
やつの『崩壊』と正面からぶつかれるのは、愛美の持つ『拒絶』の力だけだ。桐原の『繋がり』があれば、恐らくは織と朱音でも。
そしてこの世界を作り変えるためには織の『目』が必要不可欠で、足りない部分を補うためには朱音が持つ『創造』の力に頼るしかない。
織と、愛美と、朱音と。
三人みんなで立ち向かう。どこにも記録されていない、新しい未来を創る。
「そのためにも、もっと強くならなくちゃ」
ギュッと朱音を抱く力を増した愛美が、低く呟いた。
そこに数刻前の不安定さなんてカケラもない。織が見慣れて見惚れた、強い意志の宿った声と瞳。
「そういうことなら、わたしに任せてもらいましょう。数日で倍以上の力はつけれます」
「えっ」
イブの言葉に反応を示したのは、なぜか有澄。赤いドレスの彼女は有澄とアダムの師匠だと言う。有澄の強さはよく知っているし、アダムは蒼に並ぶ規格外。そんな二人の師匠であるイブからの提案だ。織も愛美もありがたく世話になりたいのだが。
弟子の有澄は顔から血の気が引いていて、アダムは眉根を寄せている。
「おい馬鹿、お前の弟子だろ。イブに任せていいのか?」
「僕って実は、イブがどれくらいヤバいのかいまいち分かってないんだよね。だから判断しかねるかな」
「いやいやいや! やめておきましょう蒼さん! 師匠のスパルタっぷりは昔のわたしを思い出してくれれば分かるでしょう⁉︎」
「おや有澄、わたしになにか不満でも?」
「滅相もございません師匠!」
「それはよかった。ならついでですし、有澄も久しぶりに見てあげましょう。悪魔を二体も見逃していたこともある。修行し直した方がいいと思いますよ」
「わ、わたしはほら、蒼さんのお手伝いとかありますから!」
「アダム」
「柄じゃないんだが、まあ仕方ないか。仕事を寄越せ馬鹿。有澄の代わりに補佐するぞ」
「アダムさん……! 見捨てるんですか!」
「文句なら師匠と旦那に言うんだな」
「蒼さん!」
「まあ頑張りなよ。ドラグニアから持ってきた龍具の調整も兼ねてさ」
「そんなぁ!」
一気に賑やかになったやり取りを前に、織と愛美は顔を見合わせた。
そして、徐々に嫌な予感が這い寄ってくる。ただでさえ脳筋教育だった蒼と有澄だが、その二人(特に有澄)がここまで言うってことは、まさか相当ヤバいのでは? 織は訝しんだ。
「では行きましょうか。ああそれと最初に言っておきますが、弱音を吐こうものなら縛り上げるので、そのつもりで」
「……もしや死ぬのでは?」
「さすがにそれはないでしょ……多分……」
そんな想像すら甘かったことに気づくのは、これから数分後の話だ。
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