第125話

 アリスがこちらの世界に来てから、一週間が経っていた。

 魔術に関してはまだ完全ではないものの、殆ど問題ないレベルで行使可能になっている。蒼の作った魔術がきっかけになり、吸収した魔力がアリスの体に馴染みだしたのだ。

 こちらの世界の魔力で、あちら側の世界の術式を構成し、魔術を使っている。

 その魔術につけられた名は魔導収束。


 あちら側の世界では魔術師が魔導師と呼ばれているから、なんて安直な理由だが、この世界の魔術における名前とは重要なものだ。

 アリスの世界にゆかりのある言葉を使うことで、アリス自身に良い影響を与えるかもしれない。


 クラスにも徐々に馴染み始め、アリスを奇異の視線で見るものは誰もいない。今も教室ではクラスメイトの久井聡美とルークの三人で、なにやらこの後行くらしい買い物について話し合っていた。


「いやぁ、美少女が仲良くしてる様ってのはどうも絵になるね」

「うち二人の人格が破綻してても、見てくれだけはいいからな」


 三人の様子を、というより楽しそうにしているアリスの様子を微笑み混じりに見守る蒼と、身も蓋もないことを言う龍。

 本当、見てくれだけはいいのにな、あの二人も。中身があれだからな。

 ルークは小柄で可愛らしい顔をしているから、男の庇護欲を駆られるだろうし。聡美は服装に目を瞑ればスタイルがいいし。

 しかし実際はどちらも色んな意味で狂人。もうずっとルークの相手をしている龍は本当に尊敬する。


「で、収穫はどうなんだ」


 徐に龍へと尋ねたのはアダムだ。

 この一週間、龍とルークは二人で動き、黒龍についての調査を行なっていた。やつがこの世界に来た時に発した魔力の残滓を足がかりに、世界中を回って探してくれていたのだ。ルークの異能があるから移動自体は楽なものとは言え、一週間で世界一周旅行。疲労もそれなりのものだろう。アダムの声にもトゲはなく、どこか労わるような色も感じられる。


「生憎、収穫はなしだ。やっこさん、マジで足取りを消してやがる。各地の学院にも当たってみたが、それらしい報告はなかった」

「どこかに潜んで、力を蓄えてるってわけだ」

「あるいはアリスのように、まだこの世界に順応できていないかだな」

「あれでまだ順応できていないって? 冗談じゃねえな」


 一週間前の軽い戦闘を思い返したのか、龍の口元には苦い笑みが。

 蒼が戦闘に参加できなかったとは言え、あの黒龍エルドラドは日本支部の最高戦力を簡単にあしらってしまった。

 当然ルークは本気じゃなかっただろうし、本格的な攻勢を仕掛けたわけじゃない。それでも、十分に強敵と言える相手だと理解できた。相手が異世界の存在である以上、異能だってどこまで通用するかは分からない。

 虎の子である転生者の炎すらも。


 そんな相手が、まだ万全じゃなかったなんて聞かされたら、そりゃ笑いの一つも出てしまう。


「とりあえず、俺はまだ調査を続けるつもりだ。ルークには休ませるけどな」

「珍しいね。ルークが簡単に休みを受け入れたのかい?」

「アリスと遊んでこいって言ったら、案外素直に聞いてくれた」


 ルークはここ一週間学院にいなかったから、アリスとは出会った初日以降関わっていない。彼女も異世界からの来訪者に興味があるのだろう。

 その興味が変な方向に向いていないかだけが心配だが。


 いや、さすがに大丈夫だと信じたい。いくらルークでも、これから友人になる相手にいきなり喧嘩ふっかけたりしないだろう。

 むしろこれから友人になるからこそなのか……? まあ龍が特に口出ししないということは、大丈夫ということなのだろうけど。

 でも不安だなぁ……。


「お前らはどうするんだ?」

「俺は俺で、伝手を使って探ってみる。そっちの馬鹿はお姫様のエスコートだ」

「マジか。ご愁傷様だな」

「酷い言い草だね。可愛い子たちとデートだぜ? 男なら垂涎ものだろう」

「あの二人がいなかったらな」


 龍に本気で哀れみの視線を投げられた。聡美はともかく、自分の嫁に対して随分な反応だ。ルークに知られたら怒られるぞ。



 ◆



 東京はいつでも回れるから大阪にしよう。

 そう言い出したのはルークだ。実際アリスは東京にある小鳥遊家に住んでいるので、この一週間の間にも少し家の周りを散策したりはしている。


 だから関西方面、大阪の街を案内しようということで、女子三人と蒼の四人は大阪難波の道頓堀へとやって来ていた。


「賑やかな街ですね……」

「煩いとか騒がしいとか、もっと素直に言ってもいいんだよ」


 時刻は夕方。仕事帰りのサラリーマンが居酒屋で一杯引っ掛けたり、若者たちが羽目を外し始める、街が一番活気付く時間帯だ。

 学院で昼以降に行われてる魔術の講義にアリスが出たいと言ったので、それを待ってから大阪へやってきた。


「お姫様にこの街は刺激が強すぎたんじゃない? ボクだったら速攻で帰ってるね」

「クラウンはお姫様なんて柄じゃないんじゃないかー?」

「ははは、その名で呼ぶなようっかりぶち殺しちゃったらどうするんだ?」


 前方を歩く二人が一触即発で、隣のアリスは目に見えてオロオロしていた。可愛い。


「いいかいアリス、本当に仲が悪いってのはああいうことを言うんだ」

「止めてくださいよ!」


 あの二人の間に入るとか嫌に決まってる。蒼はまだ死にたくないので。


 アリスが慌てて仲裁に入れば、さすがの二人も矛を収めるらしい。まだ日も出てる時間にこんな街中でドンパチせず済んだ。アリス様々である。


 道頓堀を特に目的地も決めずふらふらと歩いていると、ルークがたこ焼きを食べたいと言い出した。

 たこ焼き屋なんて大阪には吐いて捨てるほどあるので、適当な店で適当に買って適当なベンチに三人娘を座らせた。

 十二個入りを二つ買ったから、蒼とアリス、ルークと聡美でそれぞれシェアだ。

 こういう時普通にシェアできるのを見ると、ルークと聡美は実は仲が良いのではと疑いたくなる。


「これが、たこ焼き……」

「熱いから気をつけなよ」


 家で食事をする時、アリスは特に驚いた様子を見せなかったから、食文化は異世界でも似たようなものかと思っていたけど。

 どうやらさしもの異世界にも、たこ焼きはないらしい。

 蒼の手元にあるたこ焼きを爪楊枝に刺して、いざ実食。

 思い切って一口でパクリと言ったアリスは、案の定熱さに悶絶しだした。


「あっ、あふっ、あふいでふっ」

「あーほら。言わんこっちゃない」


 あふあふ言いながらたこ焼きを飲み込んだ後、若干涙目のアリス。魔術で口の中を冷やして、恨みがましそうに蒼を見上げてきた。


「どうしてそこで僕を睨むかな」

「いえ、なんとなく」


 僕はちゃんと忠告したのに。理不尽だ。

 しかし美少女から睨まれるというのも悪くはないな。うん。


 なんて馬鹿なことを考えていると、アリスが爪楊枝を再び蒼の手元に伸ばしてきた。


「待て待て。また同じ目に遭っても知らないよ?」

「口の中は冷気でコーティングしたので問題ありません」

「問題しかないよ……そんなんじゃあ美味しく食べれないだろう」


 じゃあどうすれば、と言いたげな視線が見上げてくる。そりゃ当然、たこ焼きの方を少しでも冷ましてやればいいのだ。

 こんな時のために、店から割り箸をもらってきている。

 たこ焼きを半分に切ってふーふーと息を吹きかけてやり、箸で摘んでアリスの口元に運んでやった。

 またもや勢いよくパクリといくアリスだが、今度は熱がる様子がない。


「はふ、まだちょっと熱いですけど、美味しいです」

「それは良かった。たこ焼きは熱い方が美味しいからね」


 飲み込んだのを見て、もう半分のたこ焼きを口に運ぶ。なんだか餌付けしている気分だ。相手はお姫様なのに。


 そうやって甲斐甲斐しくアリスの口へたこ焼きを運んでいると、隣からニヤニヤと下卑た視線を感じた。

 言うまでもなく、ルークと聡美だ。


「へいへい旦那ー、鼻の下伸びてんよー」

「蒼の女好きも困ったもんだよねぇ。大昔からちっとも変わってない。パパは悲しいよ」

「パパとか言うなよルーク……今の君に父親面されるのはちょっと複雑だ」

「女好きは否定しないんですね」


 ルークが蒼の父親だったのなんて、まだ彼女がケルトの太陽神だった頃の話だ。同級生の女の子から父親と言われる思春期男子の気持ちを考えて欲しい。


 そして眼下からは、アリスの蔑んだ目。他に突っ込むところあると思うのだけど、二人が転生者であることを知っているアリスは父親云々をガン無視だ。


「この世界には英雄色を好むって言葉があるんだよ」

「自分のことを自分で英雄だなんて言う人に、英雄たりえる資格なんてないと思いますけど」

「別に自分で言い始めたわけじゃないさ。思うがままに生きてたら、後の時代でそう呼ばれてただけ」


 それこそ転生者がどうこうと絡んでくるので、アリスは結局なにも言えずに押し黙り、可愛らしく睨んでくる。

 自然と上目遣いになるので、可愛らしさが普段の百倍だ。これは凶器だな、なんて考えてみる。


「色を好むとは言えど、誰でもいいわけじゃないさ。例えば今この状況とか」

「聡美もルークさんも美人じゃないですか」

「そうだそうだー」

「龍に言いつけるぞー」

「少しは自分を顧みろ」


 怠惰が服を着て歩いているようなぐうたら女に、生粋の戦闘狂で大昔父親だったやつ。

 どうやって女として見ろと?

 元神様にだって不可能なことはあるのだ。


「なんだよー、両手に花どころかもはや花畑にいるような状況の癖して」

「約二名ラフレシアが混ざってるじゃないか」

「蒼って不能なの?」

「口を慎めよクソ親父……」

「残念ボクはもう蒼の父親じゃありませーん!」


 殴りたい……! 殴りたいけど、ルークの言ってることはなにひとつ間違ってないので、迂闊に手を出せない……。


「言い方を変えてやる。僕にとっては君らよりもアリスの方が魅力的に映るんだよ」

「ヒューヒュー」

「お熱いねー」


 やっぱり殴ろうかなこの二人。この前アリスのために作った、新しい魔術の実験台にしてもいいかもしれない。そう言えばあの魔術から派生する術式を、まだ考えていなかった。


 話を逸らすためにもアリスに何かいい案がないか聞こうとして、少女の異変に気付く。

 真っ白な髪と肌ゆえに目立つ、紅潮した頬。視線はあちこちに泳いでいて、蒼の方を向こうとはしない。


 ははーん、さては照れてるな?


 実はこの一週間、似た反応を何度も見ていた。

 例えば起き抜けに、今日も可愛いねと言った時。はたまた朝食時、箸の使い方が上達しているのを褒めた時。あるいは魔術を教えている時、飲み込みの速さや筋の良さ、そこから見られるこれまでの努力を褒めた時。


 今更ながら、アリス・ニライカナイは、褒められることに慣れていないのだ。


 真っ赤な顔でキッと睨んでくるが、残念なことに全く怖くない。むしろ可愛い。


「何度も言ってますよね。あまり過剰に褒めないでください」

「この国では言論の自由が認められてるんだ。その上僕は、思ったことをそのまま言ってるだけ。悪いことはなにひとつしてないだろう?」

「わたしが恥ずかしいんです! それに、聡美の方が美人ですし、ルークさんの方が可愛らしいじゃないですか……それに比べるとわたしなんて……」


 言葉尻につれてどんどん小さくなっていく声は、全く自信のないもの。自分の魅力に無頓着とは、いやはや恐れ入った。

 元いた世界では、余程厳しい環境で育ったのか。


「結局は僕の主観でしかないけど、紛れもなく、アリスはこの中で一番綺麗で可愛い、魅力的な女の子だよ。そもそも、過ぎた謙遜がどうやらって、出会った日に君が言ったんじゃないか」

「そうですけど……」


 自分の発言を引用されると弱るのか、アリスはやがて諦めたようにため息を吐いた。これ以上蒼になにを言っても無駄だと悟ったのだろう。

 ご理解頂けたようでなにより。アリス本人になにを言われようと、この白い少女のことを褒めてやると決めたのだ。

 それに嘘はひとつも吐いてないし。


「もういいです。好きにしてください」

「言われなくても」



 ◆



 たこ焼きを食べ終えた後、アリスの服を見繕うとかで、聡美とルークの先導で街を歩き、それなりの数の店に入った。

 意外なことに、聡美は結構服のセンスが良かったのだ。自分はボサボサの髪にダボダボの服を着ていて、オシャレなんて全くする気もないくせに。

 あるいは、アリスがなにを着ても似合う、というのもあっただろうけど。


 そうこうしている間に、空は真っ暗闇に包まれていた。今日は天気も良かったから、星もよく見える綺麗な夜空だ。

 気温もかなり下がっていて、蒼は思わず服の上から腕をさすった。


「さすがに冷えるな」


 もう少しちゃんと着込んで来た方が良かったかと後悔する。

 なんだかんだで十二月も中旬に差し掛かろうとしていた。聖人の誕生日まで、年が変わるまで、ほんの数える程度しかない。


 クリスマスも正月も、おそらく異世界にはないものだろうし、アリスにも楽しんで貰わないと。


「寒いの、苦手なんですか?」

「いや、苦手ってわけじゃないよ。ただもう少し着込んで来れば良かったって後悔してるだけ」

「軟弱だなー小鳥遊は」

「君には言われたくない」


 普段ぐうたらしてるせいか、聡美は体力がないのだ。仲間内では唯一お手本のような魔術師、つまり戦闘においても魔術しか使わず、接近戦なんて持っての他、みたいな感じだから、体力の必要性を感じていないのだろう。


 ただ、そんな聡美も今日はちょっと元気に見える。こんなでもアリスと出かけられて、テンションが上がっているのだろうか。

 明日以降反動でぐうたらが加速する未来しか見えないけど。


「おっと」


 不意に、ルークが声を上げた。なにかに気付いたような、そんな声。ニヤリと口元を歪め、舌舐めずりすらしている。


 思わずため息を漏らした蒼は、三人に提案した。


「少し道を変えようか」

「帰っていい?」

「ダメ」


 帰宅を即却下され、聡美は肩を落とす。なぜ許されると思ったのか。

 唯一話についていけてないアリスは、不思議そうに小首を傾げるのみだ。そもそもが目的地なんて決めていないのだから、道を変えると言われても理解できないだろう。


 説明するよりも、まずは動く方が先。薄暗く人気のない通りに出て、蒼は素早く結界を張り巡らせた。ついでルークが剣を取り出し、振り返って徐に振るう。


「えっ、どうしたんですか⁉︎」

「お客さんだよ」


 蒼の結界とルークの空間断裂により、この通りの周囲一帯は、完全に隔離された。今からこの結界内で起こることは、他の誰にも知覚できない。


 つまり、そうしなければならない相手が現れた、ということだ。


「一週間か。思ったよりも遅かったね。学院本部が情報統制をちゃんとしてるのかな?」


 語りかける先。暗闇の中から現れたのは、一人の少女。黒い髪をお下げに結って肩から垂らし、蒼たちとそう歳の変わらなそうな、仄暗い瞳を持つ少女だ。


 ただ、その身に宿す魔力は絶大の一言に尽きる。転生者である蒼でも届かないほど強力な魔力。


 いつかはアリスの身を狙う魔術師が現れると思っていたが、まさか初っ端からこんな大物が現れるなんて。


「それで、君はどこの誰かな? 裏の魔術師か、案外異能研究機関あたりの資格か」

「学院本部から」


 短く告げられた言葉は、予想していた中でも最悪のもの。

 この少女は、学院本部のお偉方、首席議会の勅命を受けてこの場に立っている。学院本部のアリスへと対する姿勢は、その事実がこの上なく示していた。


 しかし、最悪はそれだけに終わらない。


「誰、と聞かれても、今は名前なんて特にないけど。魔女って言えば分かるでしょ」


 今度は完全に予想外で、蒼は目を瞠って驚いた。初っ端から大物どころではない。

 その身に賢者の石を宿し、百八十年を生きる復讐者。その時間全てを己の研鑽に費やした、正真正銘の化け物。

 魔術世界における最重要人物が、先陣切ってやって来たのだ。


 前世で一度見かけたことがあったけど、その時とは姿が違う。体を作り替えて生きている、というのは噂話じゃなかったらしい。


「……要件を聞こうか」

「言わなくちゃ分からない?」

「分かりたくはなかったね」


 頬に汗が伝って、自分が緊張していることを自覚した。いや、緊張して当然か。

 魔女の持つ力や術式は、現代魔術の最先端と言われるほどだ。彼女が残した魔術式は数多く、今日の魔術世界に多大な影響を与えている。

 まちがいなく、これまで相対した中どころか、今この世界に生きている人類では最強の魔術師。


 色のない表情、仄暗い両の瞳が、蒼の背後にいるアリスを捉えた。まるで感情のない無機質な声で、魔女は淡々と告げる。


「異世界からの来訪者。その身柄を渡してもらう。逆らうならすなわち、学院本部を敵に回すってことは、分かってるでしょ?」

「だからって、はいそうですかとなるわけないだろ」

「じゃあ他の三人には、死んでもらおうかな」


 瞬間、体が重くなった。上から何かに押し潰されそうになる。


 魔女がなにかしたわけではない。彼女はただ、魔力を解放しただけ。それだけで、身動きできないほどの重圧プレッシャーに襲われた。

 それは蒼のみならず、他の三人も同じだ。真っ先に斬りかかりそうなルークが一歩も動かないのだから。


「転生者が二人に、稀代の錬金術師か。まあ、ギリギリ不足はないってとこかな」

「へえ、随分舐めた口をきいてくれるじゃないか!」


 誰よりも早くプレッシャーから解放されたルークが、西洋剣片手に肉薄する。音を超えた速度は常人であれば反応することもできない。

 だが相手はあの魔女だ。


「我が名を以って命を下す。其は悉くを断ち貫く不浄の刃」


 術式構成に行使された魔力の余波だけで、ルークは体勢を崩してしまう。一瞬できた隙に、魔女が作り出した魔力の剣が迫った。


 咄嗟に振るわれた西洋剣は空間を斬り裂き、魔女の剣はそこに吸い込まれていく。しかし、魔力剣の構築は止まらない。次々と出現する刃はやがて、未だ動けないでいる蒼たちにも牙を向けた。


「くっそ……!」


 迫る剣を前に無理矢理体を動かし、アリスの体を咄嗟に抱き寄せて横に転がった。聡美も自分でどうにかしたようで、無傷のまま離れた位置に移動している。


 大丈夫、体は動く。腐っても元神だ。それも魔術の頂点に位置する神。これ以上、あんな醜態は晒さない。


「アリス、大丈夫かい?」

「わたしは大丈夫ですけど──」

「安心してくれ、君は必ず守る。あいつには渡さない」


 アリスがなにか言葉を続けようとしたのを遮り、強く、優しい声音を意識して言い切った。

 この少女は未だ、本来の力を発揮し切れていない。この世界の魔力に馴染めていない。


 なら戦うのは、蒼たちの役目。

 しゃんとしろ、転生者だろう。後悔を積み上げて来たんだろう。それはもう懲り懲りだと、意地汚く何度も転生しているんだろう。


 なら今日も同じだ。

 また同じ後悔を重ねるわけにはいかない。


 長く息を吸って吐き、少女の形をした化け物へ視線を向けた。


「ソウルチェンジ・クーフーリン」


 力ある言葉が紡がれる。

 朱い槍が手元に出現し、魔力が形を持ち、青い稲妻となって体の周囲に迸っていた。


 ケルトの大英雄。太陽神ルーの息子。朱槍を持つクランの猛犬。


 クーフーリン。


 それが、小鳥遊蒼の持つ魂のひとつ。


「へぇ……」


 魔女の視線と興味が、蒼へ向けられた。無限に湧いて出てくる剣の全てが、その矛先を転生者の少年へ変える。


「久井、アリスを頼む」

「はいよー」

「え、ちょっ、聡美⁉︎」


 聡美がアリスの前に立ち、二人の体を包むように金属のドームが現れた。天才錬金術師による、どんな砦よりも堅固なものだ。


「ちょっと蒼、一人で楽しむのは無しだ。ボクも混ぜてくれよ。ソウルチェンジ・ルー」


 ルークの金髪が、燃えるような色へと変化した。纏うは太陽に由来する魔力。

 ケルトの太陽神ルー。

 クーフーリンの父親でもあるその神は、様々な武具を持っていたと言われる。

 彼女が何気なく使っている西洋剣ひとつしても、神の力が宿った武器だ。


「なるほど、これが転生者。魂の上書きってやつ? 大昔の神だか英雄だか知らないけど、生きた化石がよくもまあ元気に動き回るものだね」

「ブーメランだぜ、それ」

「違いない」


 魔女が初めて見せた笑顔は、苦み走った自嘲混じりのもの。

 そんな隙ひとつすらも見逃さず、蒼とルークは大地を蹴った。二人に反応して飛来する大量の剣は、しかし素早い動きに全て躱される。


 途中で動きを止めたルークが宙に飛び上がり、蒼はスピードを緩めず魔女の懐へ飛び込んだ。


炸裂せよ、穿ちの朱槍ゲイボルクッ!」


 朱い槍が唸りを上げる。心臓めがけて放たれる不可避の刺突は、魔女の展開した防護壁を容易く貫通し、その肩を貫いた。


「……ッ」


 小さく歯噛みする。

 外した。


 狙ったのは心臓だ。しかし命中したのは肩。なにかしらの魔術的干渉があったのだと思うが、その正体が掴めない。


 だが槍の真価はここからだ。

 突き刺さった肩の、その内側から。無数の刺が飛び出して、魔女の肩を破裂させた。


 これがゲイボルク最大の特徴。

 通常の武器にはあり得ない破裂を引き起こす。


「こっちも忘れないでくれよ!」


 上空から声。

 飛び上がったルークが体を弓なりに逸らしているのを見て、蒼は急いで槍を引き抜きその場を離脱する。


 あれに巻き込まれるなんて冗談じゃない。


殺戮せよ、雷鳴の絶槍アラドヴァル!!」


 片腕を失った魔女へ、膨大な熱量を伴う槍が投擲された。

 都市一つを融解させるとまで言われた槍が、大気を焼きながら華奢な体向けて突き進む。あの槍に貫かれ、体を溶かす敵を何度も見てきた。蒼の槍とは違い、擦りでもすれば終わり。

 さあどう対処するかと、その後のことまで見据えて身構える蒼だったが。


術式接続コネクト


 槍が、宙空でその動きをピタリと止める。

 投擲した本人のルークも、その様を見ていた蒼も、一様に目を瞠っていた。


 なにが起きているのか分からない。

 唯一分かるのは、目の前に立つ敵の変化だ。


 アウターネックの黒いドレスと三角帽子ウィッチハット。胸には埋め込まれた半透明の石が露出している魔女。


 得体の知れない力が、結界内で渦を巻く。


君臨せし魔の探求者レコードレス・ウィッチ

「……っ、ルーク逃げろ!」


 持ち主であるはずのルークへ切っ先を向ける槍が、とてつもない速度で放たれた。咄嗟に叫ぶが、遅い。音が届くよりも前に、太陽神の槍は華奢な体を穿つ。


「チッ……ボクの槍を奪うとは、いい度胸じゃないか」


 いや、ギリギリで命中していない。白い炎が槍の穂先と体の間に割り込むようにして広がっているのだ。


 ルークが持つ転生者の炎。その性質は、変幻と侵食。

 真っ白な炎はそこからどのような色にも染まることができる。ゆえに、現存する全ての炎の力を、白炎は行使することが可能なのだ。

 既に色のついたものを白く塗り潰すことだって出来る。

 蒼が知る中で、恐らく最強の炎。


 そして、突破口はそこにある。

 魔女は魔術世界において最強だ。ならばアプローチを変えなければならない。魔術同士の激突なら、いくらオーディンの転生者とは言っても分が悪いだろう。

 ルークの槍だって、本物のアラドヴァルとは言えど、そもそもその本物自体に魔術の力が関わっている。だから通用せず、制御権を奪われた。


 なら、異能はどうだ。

 その仕組みも成り立ちも全く不明な異能の力なら、魔女に太刀打ちできる。


「なんて、そんな風に考えてるんじゃない?」


 蒼とルークのソウルチェンジが解除された。二人が自分の意思でしたわけではない。強制的に、というよりかは、勝手に解除された、といった方が正しい。

 驚きでなにも出来ない二人に、魔力で作られた剣が殺到する。最初の術式はまだ生きていたのだ。


 何もないところから抜身の刀を取り出した蒼と西洋剣に持ち替えたルークが必死に対処するが、魔力剣による弾幕は信じられないほどに濃い。


「アリス・ニライカナイと行動してるんだから、知ってるものだと思ってたけど。転生者も所詮こんなものか」


 漏れるため息は、失望が滲んだもの。

 やがて剣の雨が降り止み、満身創痍な二人の足元に、魔法陣が展開される。


「期待外れ」


 容赦のない一言と共に、光の柱が夜空の下に聳え立った。



 ◆



 外の戦闘音が止んだ。

 蒼たちが勝ったのだろうか。真っ先にそんな思考へ至り、彼らが負ける可能性を考えない自分にアリスは内心苦笑する。


 だが事実として、彼らが負けるなんて考えられないのだ。蒼の力は、その一端ながら見せてもらったことがある。ルークはそんな彼と並ぶ実力を持っているというのだ。

 魔女なんて呼ばれていたが、そう簡単に負けるはずがない。


 しかし、隣に立つ聡美の表情は、とても苦しいもので。


「アリス、今すぐ逃げるぞ」

「それって」

「あいつらが負けた。ここに隠れられてる今のうちに」

「させると思う?」


 二人を覆っていた金属のドームが、なんの前触れもなく消えた。術式ごと、根っこからごっそりと。


「久井聡美。その子を渡してもらうよ」


 数分振りに見た外の景色は、未だ慣れてはいなかった異世界の街並みをめちゃくちゃにしていた。

 コンクリートの地面は至るところがひび割れ、鉄の柵はひしゃげて曲がり、建物は倒壊している。


 そんな中で倒れている二人の転生者。

 ほとんど反射的に動こうとした足は、けれど地面に縫い付けられたようにピクリともしない。


「この世界の魔力に随分馴染んでるみたいだね。お陰でわたしのドレスでも御しきれる」

「アリスは渡さないぞ」

「邪魔」


 か細い一筋の光が、聡美の腹を貫いた。

 友人の名前を叫ぼうとして、声すら出せない。体を完全に支配されている。


 鋭く睨む先にいるのは、自分よりも華奢な体をした少女。

 そんな少女ひとりに、二人の転生者と天才と呼ばれた錬金術師は、軽くあしらわれてしまった。


 自分が満足に力を使えたら。

 それだったら、こんなことにはならなかったのに。蒼たちの手を借りず、魔女を一人で撃退できたのに。

 けれど体内に宿る龍神の力は眠ったままで、アリスが持つ本来の魔導はそのカケラ程度しか使えない。


 悔しさに震え、倒れていく友人を見ることしかできない。

 わたしは、世界を守る龍の巫女なのに。


「それじゃあ、ちょっとの間寝ててもらうね。大丈夫、殺しはしないから」


 なにもできないまま、アリスの意識はだんだん遠くなっていく。

 それでも意識を失う最後まで。蒼から守ると言われたことだけは、頭の中に残っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る