第112話
学院の校庭で、剣戟の音が響く。地面を蹴って土埃が舞い、剣と剣のぶつかる衝撃が風を巻き起こす。
蛇腹剣を巧みに扱う蓮は、焦りの表情を浮かべながらも、剣崎龍へ果敢に何度も斬りかかる。先程から、一撃たりともまともに攻撃が通らないのだ。
その特性上、蓮の得物は中距離以上でも存分に力を発揮できる。つまり、攻撃の選択肢を多く持つことができるということ。手数の多さは蓮の強みでもあった。
しかしそれだけでは足りない。
「どうした、そんなもんか糸井!」
「くッ、そ……!」
何度剣を打ち込もうが、全てを容易く防がれてしまう。しびれを切らした蓮が大振りの一撃を見舞おうとした瞬間。その隙を見逃さず、龍の鋭い一閃が剣を弾いた。
得物が手元から離れて宙を舞い、地面に突き刺さる。勝負ありだ。
「何度も言ってるだろう。動作は小さく、それでいて素早く鋭くだ。隙がデカすぎる。もう少し重心を意識しろ」
「すいません」
「それに、ガムシャラに剣を打ち込めばいいってわけじゃない。相手の隙を伺え。一瞬のチャンスを見逃すな。お前なら出来るはずだ」
「はい」
愛剣を拾い鞘に戻して、ふう、と一息。
トテトテと駆け寄ってくる足音が聞こえた。そちらを振り向けば、いつの間にか観戦していたらしい恋人の姿が。
「お疲れ様、蓮くん。はい、お水」
「ありがと、葵」
笑顔の葵から手渡されたペットボトルを受け取り、水を一気に喉へ流し込む。
同時に、龍から言われたことを頭の中で反芻していた。
もっと素早く、鋭く。最小の動きで、剣を振るう。出来ないことはないはずだ。龍の言う通り、重心をもう少し意識して、あとは腕の動き。腕全体より、肘から先をどう動かすか。
大丈夫。俺ならやれる。間違いなく、かつてよりも強くなれている。だけどもっとだ。もっと先を求めないと。
自分を鼓舞する蓮は、ジッとこちらを見つめる視線に気づいた。
頭一つ背の低い葵が、蓮の顔をジーっと見つめている。なにも言わず、ただ見ているだけ。なんだか妙に背中のあたりがむず痒くなっていると。
「連くん、ちょっとしゃがんでくれる?」
「あ、うん」
なんて言われたもんだから、特に何も考えず目線を葵に合わせる。
一体どうしたんだと思っていれば。
突然、ペロリと頬を舐められた。
「えっ、ちょっ、葵⁉︎」
「んー、汗が混じってちょっとしょっぱいけど、これはこれで美味しいかも?」
いきなりなんだと驚く蓮だが、一方の葵は味の寸評。いやなんの味だ。なんで頬を舐められたんだ。分からない。この小さな恋人様がなにを考えているのか全く分からない。
葵に舐められたところを手で触れると、ようやく気づいた。切り傷が出来ていたのだ。
なるほど、そこから血が出ていて、葵はそれを舐めとった、ということか。
「……せめて一言言ってくれ」
「あ、ごめんごめん! なんか、見てたら我慢できなくてさ」
えへへ、とはにかんだ笑顔の葵が可愛いから許すけど。蓮としては堪ったもんじゃない。そりゃ定期的に血を飲ませてあげたりしてるけど、それだって慣れたわけじゃないのだ。もっと言えば、恋人らしい振る舞いとやらにも慣れていない。
赤くなった頬を隠すようにそっぽを向けば、そっちにいた龍と目があった。
「お前ら、そういうのは帰ってからやれ」
「すいません……」
首の後ろをぽりぽり掻いてしまう。照れた時の癖だ。
しかしひとつ、不思議なことに気づいた。この場にはもう一人、蓮の親友がいるはずだ。というか、龍に稽古をつけてもらう時は、基本的に彼も一緒。
あいつならこういう時、真っ先にツッコミを入れるはずなのに。
不思議に思い、先程からなにも喋らないカゲロウの方を見れば。半吸血鬼の少年は、半ば心ここに在らずといった様子で、虚空を見つめていた。
「カゲロウ?」
「……ん、ああ。悪い、ちょっと考え事してた」
「カゲロウが? 珍しいね」
「おうどういうことだチビ。オレだって人並みに悩むわ」
「単細胞バカのカゲロウがねぇ……」
「誰がバカだ誰が!」
またやいのやいのと言い合いを始めてしまった二人を尻目に、蓮はなにか、引っかかるものを感じていた。
葵の言う通り、カゲロウが上の空になるまで考え事をしてるなんてのは珍しい。それはなにも、カゲロウがバカだから、というわけではなく。
即断即決の行動力。それこそカゲロウが持つ美点のひとつだから。
そんな彼が考え、悩むということは。それほどのものを抱えているのか。
「なにかあったら、相談してくれよ。俺も葵も、力になるからさ」
葵と互いのほっぺたを引っ張りあっているカゲロウが、呆気にとられた様子で蓮の顔を見る。そう言われることが意外だったのだろうか。
あるいは、蓮からそう言わせてしまったことこそが、意外だったのだろうか。
破顔したカゲロウは葵の頬から手を離し、蓮を安心させるようにかぶりを振った。
「マジで、大したことじゃねぇよ。お前らに相談するほどのもんでもない。ま、なんかあれば頼らせてもらうけどな」
大丈夫だろう。そう思いたいけど。残念ながら蓮は、それで一度後悔している。
だから、今度はちゃんと、助けになりたい。本当に必要な時、この親友を支えてやりたい。
「よし、んじゃやるか! 龍、今度はオレに付き合ってもらうぞ!」
異能も魔術もなしで純粋な剣術の稽古。ゆえにカゲロウは血を摂取しておらず、事前に龍から渡されていた西洋剣を構えた。
「大丈夫だと思うよ」
まるでこちらの心を見透かしたように、葵の言葉が耳へ届く。カゲロウへ向けられるその視線には、たしかな信頼が宿っている。
「カゲロウはたしかに単細胞のバカだけど、前までの私みたいに、弱くはないから」
「そう、だな……うん。ちょっとはカゲロウを信じてあげようか」
「だね」
ふふっ、と微笑んだ葵も、断じて弱いなんてことはなかったけれど。
自分でそう言えてしまう彼女は、たしかに強くなったのだろう。
◆
世界三大珍味、というからには。当然、魔術世界において地球の裏側まで広まっている、つまりは収穫するのに世界中を飛びまわらなければならない、ということになる。
だが幸いにしてというか、都合よくというか、三つとも全て日本で収穫できるものなのだ。
朱音、明子、翠の三人がまず向かったのは、マンドラゴラの収穫だ。これが意外と近場で、実は日本支部の位置する富士の樹海内に生えているという。
一度依頼主の元に向かい、大体の位置を聞いた三人は、学院を覆う結界の外、樹海のさらに奥深くへと足を進めていた。
の、だが。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!!!」
「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
樹海内に響き渡るのは、脳を揺さぶる不快な鳴き声と少女の悲鳴。
鳴き声は少女が手に持つ植物から発せられていた。先端は足のように二又に分かれ、悍ましく醜い顔のようなものも。人型に見えなくもないが、近しい野菜の形は人参だろうか。しかし色自体は白。
それこそがマンドラゴラ。世界三大珍味の一角だ。
そしてそのマンドラゴラを持つのは、迂闊にもなんの対策もせず引っこ抜いてしまった陰陽師の卵。土御門明子である。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛──」
「煩いッ!!」
一刀両断。
明子が手に持っていたマンドラゴラを、朱音が愛用の短剣で横一文字に斬り裂いた。
あまりにも煩かったから仕方ない。
「た、助かりましたわ朱音さん……あまりにもやかまし過ぎて、淑女にあるまじき声を上げてしまいましたの……」
「逆にその程度で済んでよかったと見るべきです、明子」
今も淑女にあるまじき言葉遣いだった気がするけど、まあ、マンドラゴラが煩かったショックで混乱しているのだろう。ならそんなこともあるはずだ。うんうん。
と納得して、同時に翠の言葉にも頷いた。
「はい。マンドラゴラの悲鳴は本来、聞けば発狂して精神を狂わされる、と言われていますので。翠さんの言う通り、この程度済んでよかったですが」
「うーん、しかし、でしたらどのように収穫致しますの? 先程のように殺してしまえば味は落ちてしまう、依頼主には届けられませんわ」
そうなのだ。マンドラゴラが珍味と言われるのは、やつらが生きている間に食した場合のみ。死んでしまったマンドラゴラは、そりゃもう不味い、らしい。
薬の材料にするならそれでも構わないらしいのだけど、今回は薬ではなく食材として収穫にきた。
せめてその方法くらい確立してから、依頼を回して欲しいところだ。
「私の銀炎を使いますか?」
「いえ、わたしの異能の方がいいかと。時間を止めてしまえば、食べる際に不手際が生じるかもしれません」
「たしかに……」
ということで、ここは翠の異能に任せることになった。
幸いにも、マンドラゴラはこの近辺にまだ埋まっている。ここで朱音たちが食べる分と、収穫して依頼主に届ける分と、十分以上にある。
「大丈夫ですよ、明子。もう一度引っこ抜いてください」
「お任せくださいまし!」
腕を捲り上げた明子が、勢いよくマンドラゴラを引き抜いた。
しかし、先程のような鳴き声は聞こえない。マンドラゴラ自体は口を開け、叫んでいるつもりなのだろうけど。
「おお、あの不快極まりない鳴き声が全く聞こえませんわ!」
「とりあえず、それは依頼主に届ける分ということで」
明子からマンドラゴラを受け取り、傷んでしまわないように銀炎で包んでから、時空間魔術によるロッカーへ放り込んだ。
その後は明子も、調子よく三つのマンドラゴラを引き抜き、全員の手に行き渡る。
土を洗い落としてから、いざ、実食の時。
「……あの、ちょっと待ってくださいまし。今更なのですが、本当にこれを食べるんですの?」
若干声が震えている明子。
恐らく、この醜悪な見た目のことを言っているのだろう。朱音も気持ちはよくわかる。食事事情に難のあった未来にいた頃ならともかく、今となっては朱音だって、出来れば見栄えのいいものを食べたいと思う。
しかしこのマンドラゴラ。見た目の話をすれば醜いの一言に尽きるのだ。
育ちのいい明子からすると、やはり躊躇ってしまうものらしい。
「毒があるわけでもありません。食べる分には問題ありませんよ」
「まあまあ、翠さん。食事っていうのは、楽しいものじゃないといけませんので。そのためにはやはり、食材の見た目も大切なんですよ」
とはいえ、だ。マンドラゴラは生きたまま食べなければならない。調理することができないのだ。
各種調味料は持ってきているから、味はそれで調整できるだろうけど。見た目に関しては、もうどうしようもない。
「仕方ありません。まずは私が食べてみますね」
「お願いしますわ、朱音さん!」
二人から見守られながら、今度こそ。
いざ、実食。
両手でしっかり掴み、二又に分かれた先端の片方を噛みちぎる。意外と固いわけではない。食感はキュウリに近いだろうか。十四歳の少女の顎でも、十分咀嚼できる程度の固さだ。
噛んでいると、若干の苦味が口の中に広がった。しかし不快なものではなく、どこかクセになる苦味だ。
総評すると。
「うん、美味しいです! キュウリの食感にピーマンの苦味、みたいな感じですね! 調味料なしでも十分いけますよ!」
おおー、と二人から声が上がる。
真っ先に躊躇わず食べた勇気への賞賛と、手に持っている未知の味への期待。その二つが綯い交ぜになった声だ。
朱音はそのまま、マンドラゴラを一匹丸々胃の中へ収めてしまった。うん、美味しい。この味を損なうことなく、炒めたりできたらよかったのだろうけど。
生には生の良さがある。
まだ食べたくてもう一匹引っこ抜いた時。体が、妙に熱くなっていることに気づいた。なんだか心臓の動きも早くなってきて、変な感覚だ。
「言い忘れていましたが」
頬を火照らせた朱音を、翠の無感動な瞳が見つめる。
その口から語られたのは、衝撃の事実で。
「このマンドラゴラ、どうやら媚薬としての効果があるらしいですよ」
「そういうのは先に言って欲しかったのですがッ!」
渾身のツッコミと共に、朱音は新しく引っこ抜いたマンドラゴラを地面に叩きつけた。そして全身を銀炎で包む。
危ない危ない。あのまま理性を失くしていたら、炎の展開すら無理だったかもしれない。この場にいるのは女の子ばかりなのに、どっちかに襲いかかってしまうところだった。
「翠さん、その情報最初から視えてましたよね⁉︎」
「あなたがどうしても食べたそうにしていましたから。明子が先に食べるようであれば、その時点で伝えていましたよ」
「視えた時点で教えて……!」
いや待てよ?
媚薬の効果があるというなら、これはこれで使い道があるかもしれない。そう、例えば、両親へのお土産にする、とか。
どちらかが食べてしまったその先の未来へ思いを馳せ、ぐふふと笑みを漏らす朱音。
一方で明子は、手に持っているマンドラゴラをどうしようかと悩んでいた。
「せっかくですが、わたくしは遠慮しておきますわ。お兄様に食べさせるのも一つの手ではありますけれど」
「では、次へ行きましょうか。ルーサー、いつまでも惚けている場合ではありませんよ」
「……ハッ! すみませんすみません。つい妄想が捗っちゃって。あと、私のことは名前で呼んで欲しいのですが」
そんなこんなで、世界三大珍味一品目であるマンドラゴラは、食べるな危険、という結果に終わってしまった。
珍味扱いされた理由を、その身でよく思い知った朱音である。
◆
三人が次に目指すのは、ミノタウロスの肝だ。
そもそもミノタウロスとは、ギリシャ神話で語られる怪物、アステリオスのことを指す。
ミノス王が神との約束を違えた結果生まれた、牛の頭を持った子供。ゆえに、
れっきとした伝説上の怪物ではあるのだが、現代ではそのミノタウロスと同じく、牛の頭に人間の体を持った魔物が存在している。その魔物を指してミノタウロスと呼称しているのだ。
アステリオスと呼ばれた伝説の怪物とは、あくまでも別物である。
しかし、その名を付けられた以上、伝説の影響も受ける。あるいは、伝説に近いからこそその名を付けられたのか。
ミノタウロスは基本的に、迷宮の中に出没する。魔術師が作り上げた人工の迷宮や、遥か昔から残された迷宮などなど。
そして、そのミノタウロスの肝こそが、世界三大珍味の一つであるというのだ。
魔物であるということは、個体によって強さも変わってくる。そしてこの肝は、個体の強さに比例して旨味が増すとのこと。
で、あれば。出来る限り難関の迷宮にチャレンジして、強いミノタウロスと出会わなければならない。
そして三人がやって来たのは、新潟県の日本海沿いの海岸にある、とある迷宮だ。
「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
そして迷宮内に響き渡るのは、誰あろう土御門明子の絶叫である。
淑女もクソもない、涙目で全力疾走。だって背後からは斧を持った大量のミノタウロスが、鼻息荒く追いかけてくるのだから。
「やばいですわなんなんですのこいつら! さすがに多すぎじゃありませんこと⁉︎」
「ネザーが確認していた中で、最も踏破難易度が高い迷宮です。恐らく、これでも少ない方だと思われますよ」
「学院もまだ見つけてない迷宮を、ネザーは把握してたんですね。これは後で蒼さんに報告かな」
明子の両隣では、特に焦る様子もなく並走している朱音と翠が。
そして朱音の中では、すでに明子に対する印象が変わりつつあった。上品なお嬢様だと思っていたのに、蓋を開けてみればかなりのお転婆お嬢様だ。
ミノタウロスに追いかけ回されているのだって、明子が警戒もせず先に進んで罠に引っかかったせいだし。
それを責めるつもりはない。この程度の魔物なら、朱音と翠の敵ではないからだ。
「これだけの数が一箇所に共生しているなら、どこかに群れのボスがいるはずですが」
「強さと旨味が比例するなら、狙うのはそいつがいいでしょう」
立ち止まり、ぐるりと回れ右。そのまま真っ直ぐ駆け抜けていく明子を放ったらかし、朱音はホルスターから銃を抜き、翠は背中に灰色の翼を広げた。
「ザコに構ってる暇はありませんので」
「道を開けてもらいましょうか」
魔法陣が二つ展開される。それぞれから放たれる魔力砲撃が、ミノタウロスの群れを容易く呑み込んだ。
光が晴れた迷宮の通路に、魔物の死体は一つも残っていない。
「む、少しやりすぎましたね。一つくらい試しに食べてみたかったのですが」
「先に進めばまだ出てくるでしょう。それまで我慢してください」
ほんの少し不満げな朱音に、相変わらず無表情な翠。その少し後ろで、開いた口が塞がらないでいる明子。
ややあって、明子が驚愕の声を上げた。
「な、な、な、なんですの今のは⁉︎」
「なにって、ただの魔力砲撃ですが?」
「この程度で驚いていては、この先身が持ちませんよ、明子」
「この程度⁉︎ そもそも魔力を砲撃として放てるほどの魔術師が、この世界にどれだけいると思ってまして⁉︎ 百にも満たないのですわよ⁉︎ それをこの程度って……とんでもないこと言いやがりますわね!」
「そうなんですか? これくらいは基礎だと思っていたのですが」
コテンと首を傾げる朱音だが、視線の先にいる翠は首を縦に振っている。
これでも一応、翠はネザーで魔術についての教育を受けていた。魔術世界の常識も、朱音よりかはある。
「ぐぬぬ、このままではわたくしだけ本当に役立たずのままですわね……」
「まあまあ、適材適所ですよ。明子さんには、食材の調理をお願いしたいので」
「しかし、道中を友人にばかり任せていたとあれば、土御門家の、延いては安倍家の名折れですわ! 次の戦闘はわたくしもお手伝いいたします!」
「友人、ですか」
ポツリと、翠が何気なく呟いた。
それに明子は胸を張って、自信満々な笑顔でこう返すのだ。
「ええ、そうですわ。こうして苦楽を共にしているのです。わたくしたちはもう、友人ですのよ」
その笑顔が、朱音にも翠にも、とても眩しく映った。
友人、と。堂々とそう言える関係の人が、朱音には少ない。翠に至っては、一人もいないだろう。
なにせ朱音の周りは、殆どが歳上だ。一番歳が近い丈瑠でも二つ上。当然彼も、朱音にとっては友人だけど。
明子のように同い年となると、一人もいないのだ。
だから、嬉しかった。
友達なんて、改まって口にしてなるようなものでもないから。彼女からそう言ってくれて、とても嬉しかったのだ。
「ですから、堅っ苦しいのはなしにしましょう。特に朱音さん!」
「え、私?」
ビシッ、と指差され、朱音は困惑してしまう。別に、堅苦しい態度を取っていたつもりはないのだけど。
「わたくしと翠さんはともかく、あなた、それが素の話し方ではないでしょう? わたくしの目は誤魔化せませんわよ」
「ええ、まあ、たしかにそうですが……」
朱音は基本的に敬語で話す。唯一の例外が両親だ。本人にもこれと言った理由は分かっていないが、気づけばこうなっていた。
まずはそれを辞めろ、と。明子はそう言う。
「歳上の方々にはそれでいいのかもしれませんが、わたくしたちの前でくらい、敬語じゃなくてもよろしいのですわよ?」
「そうですね。明子の言う通りです、朱音。その方が友人らしいと、わたしも思います」
「そう、ですね……いや、うん。わかった。友達、だもんね!」
明子が満足げに頷き、翠も、ほんの少しだけ口角を上げたように見えた。
朱音だけじゃない。翠にとっても、これはいいことのはずだ。姉と慕う葵以外に心の許せる誰かを、彼女は作るべきだから。
そして今の彼女は、それを望んでいる。
誰かとの繋がりを。誰かとの関係を。
「あ」
なんて話をしていると。
迷宮の奥から、追加のミノタウロスたちがやってきた。
今度は多いわけではなく、たったの三匹だ。
「明子、翠、あれで一回試食してみようよ」
「名案ですわね」
「異議はありません」
「よし、じゃあ秒で終わらせるから、ちょっと待ってね!
襲いくる三匹ミノタウロスに向けて、銀炎を纏わせた短剣を振るった。
ただそれだけの動作で、魔物の首が落ちる。
銀炎の力により過去を斬られたミノタウロスたちは、この場に現れた時点で既に首を斬り落とされているのだ。
その力の恐ろしさを、身をもって体験したことのある翠が、ちょっとだけ震えていた。
「デタラメな力ですわね……」
「こんなの序の口だよ。ほら、早速食べよう!」
ミノタウロスの死体へ駆け寄る三人。翠が異能で簡単に取り出した肝は、大体成人男性のものと同じくらいの大きさだろうか。
さすがにそれを一人一つずつは大きいので、一口サイズに切り分けて串で刺す。更に魔術で起こした火で簡単に焼く。最後に持参した塩胡椒を振りかけて、取り敢えず完成だ。
「ねえ翠。今回は変な情報視てないよね?」
「基本的には、牛のレバーと同じ栄養価のようですね。強いて言うなら、即効性の筋力増強があるくらいでしょうか」
「いいことじゃありませんの! それならわたくしも、戦力になりそうですわ!」
喜んだ勢いのままに、明子がパクリと一口。続いて朱音も。
ふむふむ。もぐもぐ。
噛みごたえがありつつも、しかし柔らかい。レバーというより、焼き鳥のハツに近い感じだ。塩胡椒も良く合っている。甘いタレをつけてもいいかもしれない。
「ただし、効果が切れた後は全身に倦怠感、関節痛、体温の上昇といった副作用があるみたいです」
「だから言うのが遅いんだってッ!」
渾身のツッコミと共に、串を地面に叩きつけた。石造りの床に突き刺さる串。非難の目を翠へ向けると、彼女は楽しそうな笑みを薄く浮かべていて。
「すみません、つい」
無表情、無感動がデフォルトの翠が、笑っている。きっと葵ですら、まだ見たことがないかもしれない笑顔を。
友人と認めてくれた朱音たちに、見せてくれた。その事実だけで、このお茶目な灰色の少女を許せてしまう。
「まあいいけど……次こそはちゃんと食べる前に言ってよ?」
「善処します」
ため息を吐きつつ、残ったミノタウロスの肝を保存しておく。これは依頼主に渡す分だ。一番美味しい個体は、ここで自分たちがいただいてしまうのだから。
「さあ二人とも! 迷宮の最深部を目指しますわよ! 今のわたくしは、誰にも負ける気がしませんわ! どっからでもかかって来やがれですの!」
この後迷宮の最深部に難なくたどり着いたのだが、そこにいたのは残念ながらミノタウロスではなく、巨大な蜘蛛の魔物だった。
肩透かしを食らった腹いせにそいつをフルボッコにし、三人は次の食材を求めて迷宮を後にした。
因みに、副作用は翠に消してもらった。
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