第103話

 当然ながら。

 誰でも彼でも、キリを継承できるわけではない、という点は留意しておきたいところだ。

 直接の後継である織や愛美、緋桜。そのさらに一つ下の世代である朱音はともかく、葵も翠も、なにかしらキリとの繋がりがあるからこそ、そうなれる可能性が存在していた、という話であり、葵は実際にそうなった。


 例えば糸井蓮。彼がキリを受け継ぐことはできないし、位相の力を使うことはないだろう。黒霧家に婿入りすればあるいは、と言ったところか。

 もしくは小鳥遊蒼。確かに彼も転生者とはいえ、子供達の未来を守る、なんてことを口にしたりする。しかし、腐っても転生者。朱音とは違って純粋な。過去に縛られた彼では、どうあっても力を使えない。


 なら、出灰翠はどうか。


「あり得ません。わたしはネザーの、あのお方の駒、道具でしかない。そんなわたしが、未来を? 馬鹿げている……」


 震える声が、洞窟内に響く。

 誰かが、一つ息を吐いた。そのすぐ後に景色が歪んで、元の草原へ戻ってくる。翠を捕まえていた他の亡裏の人たちは見当たらない。それぞれの家に引っ込んだのだろうか。


「俺から話せることは、これで全てだ。この場所はいつでも来ていい。世界各地に、あの樹のような楔がいくつか存在してる。キリの人間なら簡単に出入りできるだろう。特に殺人姫、再戦はいつでも受けるぜ」

「上等よ。次はその首、刎ねてやるわ」

「それから、黒霧緋桜。お前はちょっと残れ」

「これから妹と家で仲良く飯食うんだが?」

「いいからさっさと行って来なよお兄ちゃん」


 葵からの冷たい言葉を受け、緋桜は泣きそうになりながら垓と家の中へ入っていった。

 残されたのは、まだ表情を歪めたままの織と、心配そうに父親を見つめる朱音。不満そうな愛美に、動揺を抑えきれない翠。

 その四人を見渡し、そっとため息を吐いた。

 とてもじゃないが、今は全員で話し合いなど、まともに出来る状況じゃないだろう。


「織、一度帰りましょう」

「あ、ああ……そうだな……」


 心ここに在らず、と言った織に、愛美が声を掛ける。一瞬愛美と目配せする葵。そのアイコンタクトで、詳しいところはまた後日話そうと伝わった。


 朱音と愛美から別れの言葉を受け、葵はもう一人に向き直る。


「翠ちゃん」


 名前を呼べば、俯いていた翠がハッと顔を上げる。

 織たちと話し合うのは、また後日。その方がいい。しかし、翠とは今、話をしておきたい。


「改めて聞くね。今日は、どうしてここに来たの?」

「どうして? そんなもの、簡単な理由です。ただ、黒霧緋桜に──」


 言葉が、途切れた。気づいたのだろう。その発言が果たして、どういう意味を持っているのか。

 目が泳いで、焦点が合わない。翠は戸惑っている。自分のその感情が、一体どういったものなのか。そもそも、なぜ自分はこんなところに来ているのか。理解できていない。


「お兄ちゃんに、なに?」

「わたし、は……」


 いっそ、緋桜もこの場にいてくれれば。こんな問い詰めるばかりにはならなかったのだろうけど。

 でも、葵はあんな風に、人を救うことなんてできない。ただ問い続けることしか。


「もう一度聞くよ。翠ちゃんは、なんのためにここへ来たの?」


 キッと鋭く睨まれるが、言葉は帰ってこない。そのまま踵を返し、翠は姿を消してしまう。呼び止めることは、しなかった。

 今ここで答えを急かしても意味がない。どうせまた、戦場で相見えるだろうから。


 その時の翠が、果たして答えを出しているのか、今と同じなのか。それは分からないけれど。


「私も帰ろ……」


 多くを知った。今後の不安が増えた。自分はこれから先、ちゃんと戦えるのか。血は繋がっていなくても、ちゃんとした後継じゃなくても。キリの使命とやらを、果たすことができるのか。


 翠と、分かり合えることができるのか。


 沢山の思考が脳内で交錯する。自分がやりたいことは決まっているけど、それを成し遂げられるのか、なぜか不安になって。

 無性に、蓮に会いたくなってしまった。



 ◆



「それで、俺だけ残された理由は?」


 垓の家に入り、胡座をかいて向き合う緋桜。あのメンバーの中だと、たしかにこの男との付き合いはまだある方だ。勿論愛美と同様、二度ほど殺し合ったことがあるだけだが。


 それでも、緋桜だけが残された理由がイマイチ理解できていない。

 他との相違点くらいは、理解できているつもりだが。自覚すれば自分に腹が立ってしまって、緋桜はその思考を追いやった。


「こいつをやる」


 亡裏垓の手渡して来たそれを見て、緋桜は息を呑んだ。


 賢者の石。

 かつて、そう呼ばれていた結晶のカケラ。垓の手のひらの上には、それが乗っている。


「どういうつもりだ。俺たちの味方にはならない、って言ってただろ」

「亡裏としてはな。俺たち個人間の話は、また別だ」


 一層疑問が深まる。亡裏垓個人として、黒霧緋桜の味方をする。正直自分たちは、そんな仲良しこよしをするような関係じゃないはずだが。


「お前には、もっと強くなって貰わないと困る。殺人姫よりも殺し甲斐のある相手になりそうだからな」

「なるほど……」


 善意からではなく、垓個人の欲求のために、ということか。

 なるほど、それなら納得できる理由だ。


「俺たち亡裏は、ある意味リタイアしたんだよ。魔術や異能を手放した。だからこそできることもあるが、やはりお前らに託すしかない」

「荷が重いな」


 苦笑しながら、緋桜は結晶のカケラを受け取る。

 魔女がその身に宿し、今は二人の後輩に託された石。その原点である力。


 あまりに重い。積み重ねられた年月と、込められた思いを考えれば、尚更に。

 だからこそ、これは他の誰にも任せられない。妹や後輩たちに、これ以上なにかを背負わせたりはさせない。


「世界を作り変える、か。そうなったら、俺もこの世界のことを忘れるんだろうな」


 今は亡き友人の笑顔が頭によぎって、緋桜は寂しげに呟いた。



 ◆



 亡裏の里を出た愛美は事務所に帰らず、一人実家である桐原組に顔を出していた。

 理由は勿論、キリの人間について父親から聞き出すためだ。


「そうか……亡裏のやつから話を聞いたか」

「お父さんは、織と葵の両親と知り合いだったのよね」

「ああ。表立って交流してたわけじゃねぇがな。あくまでも秘密裏に、ってやつだ」


 屋敷で久しぶりに夕飯を頂いた後、桐原一徹の私室で、己の父親と向かい合う愛美。遠い目をした一徹は、かつての友人たちを思い出しているのか。

 しかし愛美の目を真剣に見つめた後、勢いよく頭を下げた。


「すまなかった」

「ちょ、ちょっと、なんでお父さんが謝るのよ」

「今まで、なにも教えなかったからだ。オメェの出自も、キリのことも。もっと早くに教えるべきだったのかもしれねぇ」

「そんなの、気にしてないわよ」


 別に愛美は、キリの使命について聞いたからといって、なにか悩むようなことなどない。やることは変わってないのだから。


 家族を守るために戦う。

 正しいことを為すために、今よりもまだ、もっと強くなる。


 多少思うところはあるけれど、桐原愛美の根幹はなにも変わっちゃいない。


「私がどこで生まれようが、キリの人間がなんだろうが、なにも変わらない。私の家族はお父さんたち、この桐原の家のみんなで、家族を守るために戦うのが私だもの」

「そうか……さすが、俺の自慢の娘だな」

「でしょ?」


 優しく微笑んだ一徹が、立ち上がった。背後に掛けてある刀を手に取り、それを愛美に差し出してくる。


「こいつを持っていけ」

「お父さんのじゃない」

「いい。こいつには、桐原が継承して来たキリの力が宿ってる」


 繋がる力。

 愛美が持つ亡裏としての力とは、正反対のもの。

 垓が言うには、強すぎる拒絶の力を相殺させるために、愛美は桐原で育てられたらしいけど。相殺どころか、拒絶の力は強くなる一方だ。その上愛美は、それを自在に操ってさえいる。


「私に、使えるのかしら……」


 そういうのは、織の領分だと思っていた。

 誰かとの繋がりを作り、それを力とするなんて、あまりにも似合わない。

 実際に織は、一徹と似たタイプのカリスマを有している。学院の人たちや街の人たちを惹きつける魅力を。

 それは恐らく、桐原の家に拾われ、その家長である一徹に家族と認められたために、いくらか繋がる力を継承した影響もあるのだろうけど。

 なにより、桐生織という人間の、根幹にあるものがそうさせているのだ。


 それに比べて、自分はどうだろう。

 殺すことしか能のない殺人姫。繋がりなんてものとは無縁に思える戦いぶり。

 家族は大事だ。葵たち後輩や、緋桜たち年上の人たち、その仲間も当然。


 でも、今までの自分を省みると、その力を使えるとは到底思えない。


「大丈夫だ」


 そんな不安は父親の力強い一言と、優しい笑みに吹き飛ばされた。


「言っただろう。オメェは俺の、自慢の娘だってな。だから大丈夫だ、愛美。オメェにも、こいつは使えるさ」


 刀を、受け取る。

 重い。単純な重量よりも、更に重く感じる。キリの人間について聞いたからか、この刀に込められた思いと、積み重なった歳月が、愛美の手にのしかかる。


「織のことが心配なんだろう。ほら、さっさと行ってやれ」

「うん……ありがとう、お父さん」


 立ち上がって刀を背に掛ける。

 父親に礼を言い、部屋を出て棗市まで転移した。

 きっと彼は、まだ不安とか悩みとか葛藤とか、色々と背負い込んでるから。そういう時こそ、自分がそばに居てあげたい。



 ◆



 朱音に夕飯を食べさせて寝かせた後。時刻は二十二時を少し回ったところだ。

 どうやら亡裏の里でかなり時間を消費して居たらしく、帰って来た頃にはもう二十時を回っていたのだが。

 織は夜も更けてきたこの時間。事務所の明かりを消さずに外へ出て、一人夜空を眺めていた。


「どうしたらいいんだろうな……」


 今日聞いたことが、頭の中を駆け巡る。

 幻想魔眼とレコードレス、そして賢者の石。それらを使って果たすべきキリの使命。もたらされる結末。

 父親の遺言から、話だけは聞いていた。自分がキリの人間であることも、使命についても。しかし、その具体的なところまでを聞いてしまえば、果たしてそれは正しいことなのかと、他に道はないのかと考えてしまう。


 いや、正しいことなのだろう。他に道はないのだろう。分かる。分かってしまうのだ。

 魔眼とドレスを同時に持つ影響か、織は理解していた。

 グレイを倒す、朱音を救う、使命を果たす。その全てを同時にこなすためには、最早これしかないのだと。


 そして、もしも織が世界を作り変えたなら。

 新しい世界を生きる人々は、きっと今と変わらない暮らしを送る。誰も死ぬわけじゃない。でも、今の暮らしを捨てることに変わりはなくて。

 今の世界の記憶は、誰も残らない。


 魔眼の持ち主である織を除いて。


「なにやってるのよ、こんなところで」


 空を見上げていると、聞き慣れた優しい声が耳に届いた。

 月の光に照らされた淡い笑み。この夜よりもなお暗い漆黒の髪と、対照的に新雪のような白い肌。さっき別れた時には持っていなかった刀を肩に掛けて、最愛のパートナーが帰宅した。


「ちょっとな。色々考え事してた」

「亡裏の里で聞いたこと?」

「そんなとこだ」


 事務所の壁にもたれ掛かれば、愛美もその隣に立つ。二人で夜空を見上げると、いくつもの星が瞬いていた。


「お前そういえば、星座は詳しいのか?」

「ちょっとだけよ。空の元素使うのに、勉強したから」

「へぇ。んじゃ、今見えてる星座がなにか分かったり?」

「例えばあれ」


 愛美が指差したのは、南の空の低い位置に見える星。その星だけがポツンと強く輝いていて、少し寂しげな印象を受ける。


「あれは、みなみのうお座って言う星座の一等星。フォーマルハウトって呼ばれてるのよ」

「おお……なんかカッコいい名前……」

「あと夏の大三角も、まだ辛うじて見えてるわね」

「それなら俺も知ってるぞ」


 中学の時に授業で習った。もしかすると、十二星座の次くらいには有名なんじゃないだろうか。

 なんなら十二星座は名前だけしか知らなくて、実際どう言う形をしてるのか、どこにあるのかを知らない、なんて人が多いかもしれない。何を隠そう、織もそのうちの一人である。


「黄道十二星座なら、あそこにうお座、あれがやぎ座で、あっちがみずがめ座ね」

「よく分かるな……俺全然分かんねえわ」

「最初はそんなものよ。一度ちゃんとした形を見てみたほうが分かりやすいかも」


 クスクスと耳触りのいい音が聞こえる。こうしていると、さっきまで感じていた不安が嘘のように吹き飛んでいく。

 愛美が隣にいて、一緒に空を見上げて。

 そんな日常も、世界を作り変えればなくなってしまうのだ。


「どうかした?」

「いや……」


 黙ってしまったからか、心配そうに覗き込んでくる愛美。

 なんとか誤魔化そうとして、やめた。きっと正直に言うべきなんだろう。織のこんな心情を、この子なら受け止めてくれるから。


「……怖いんだ」


 ポツリと。小さく漏れた呟きは、これまで織が決して出さなかった言葉。

 どれだけの困難、苦しみや痛みを前にしても、その言葉だけは吐かなかったのに。


「世界を作り変える。それは俺にしかできない。もしも、もしもそれが叶った時。新しい世界は平和なんだろうけど。誰も、この世界のことを覚えていない。多分、俺以外は誰も。それが、怖い」


 ただ織だけが覚えているだけで済むなら、こんな言葉は吐き出さない。

 きっと、幻想魔眼を使い世界を作り変えた織は、その世界の基点として生きることになる。謂わば今の世界、旧世界の残り物。新たに作り変わった世界の中で、なにも変わらないただ一人。

 つまるところ。その世界に桐生織は、存在していなかったことになる。


 例えば、今の世界で死んでしまった人間が、生き返ってるかもしれない。桐生凪と桐生冴子が生きているかもしれない。

 それでもだ。その二人に、息子はいなかったことになっているだろう。


 グレイやネザーを打倒できたとしても。朱音を時間の牢獄から救えたとしても。キリの使命を果たせたとしても。

 待っているのは、過酷な孤独だけ。

 自分だけが覚えていて、自分だけがいない世界を目の当たりにされる。


 それが、怖い。


「お前に忘れられたくない。叶うなら朱音と三人で、ずっとこの街で、こうやって暮らしていたい」

「私も、同じよ。あなたのことを忘れたくないし、三人でずっと一緒にいたいわ」

「でも……それが叶わないっていうのも、分かっちまう」

「そう、ね……」


 腕を絡めるようにして、手を握られた。体重を預けてきて、その重みが、感じる体温が、この上なく愛おしい。

 きっと、織だけじゃない。愛美だって不安はあるだろう。それでも、そんな彼女に現実が合わせてくれるはずもないから。


「でも、私は大丈夫って信じるわ」


 だから愛美は、いつだって強がる。弱さを見せない。


「あなたのことを忘れたくないけど、きっと忘れてしまう。それでも、私は必ず、あなたとまた出会う。必ずよ」

「愛美……」


 ならば桐生織はどうだ。

 桐原愛美が、そのようにして弱さと向き合うのに対し、織はいつもどうしてきたか。


「そうだな……怖いのは怖いけど、運命の赤い糸ってのを信じてみるか」

「魔術や異能がなくなった世界で、運命の赤い糸なんてものが存在するのかは分からないけどね」


 茶化すように微笑んだ愛美と、小さくキスを交わす。

 いつかの未来、世界を作り変えた後に。この愛しい感触を忘れられたとしても。

 必ず、また出会う。


 今はそう信じていよう。

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