幕間 探偵と殺人姫と怪盗
第71話
週に一度の休息日。
織と愛美はその日を、基本的にクリフォード邸で過ごすようにしていた。イギリス観光は殆どしてしまったし、今取り掛かってるアメリカなんて広大だ。わざわざ転移して観光しに行く気も起きない。
いや、それ以前に。なんだかんだで疲労が溜まっているのだ。
一週間ぶっ通しで戦い続け、その果てにようやく一日の休息。約一ヶ月前のあの時、ロイの提案を受け入れて良かったと心底から思うほどに。
だから休息日は使用人たちの手伝いとか、愛美のためにお菓子作ったりしていた織なのだが。今日は少し、事情が違った。
「ねえ」
「ん、どうした?」
「それ、楽しい?」
「楽しいぞ」
部屋のキングサイズのベッドに寝そべり、ゲーム機をポチポチしてる織。その隣で寛ぐように座り、画面を覗き込んでいる愛美。
なんと先日、ロイが織のためにこのゲーム機を手配してくれたのだ。たしかに使用人のひとりと、もう少しであつ森発売だ、みたいな話はしたけど。まさか用意してくれるとは思っていなくて、昨日の夜は何度ロイに感謝を述べたことか。
ポチポチと島の開拓に精を出していると、愛美がなにやら織の髪を触ってきた。多少擽ったくはあるものの、まあ好きにさせておくかと放置していたのだが。
それが十分以上も続き、やがて耳とか頬とかにまで細い指が及んでくれば、さすがに無視できなくなる。
「なに、お前どうしたの?」
「暇なのよ。構いなさい」
ムスッとした可愛い顔で言われれば、素直にゲーム機の電源を消してしまう。
とは言え、やることが特にないのも事実。お菓子作りをする時は、事前に使用人の人に伝えて材料を用意してもらってるから、今は多分無理だろうし。散歩に行くにしても、そもそも織的には外に出るのが億劫だ。
だが二人仲良くお昼寝というのも、せっかくの休日を無駄にするみたいで憚れる。
「なんかやりたいことでもあるか?」
「そう言われると思いつかないわね……軽く運動でもする?」
「屋敷の外周をランニングとかは嫌だぞ」
「私と組手」
「もっと嫌だな」
そんなことしても、手も足も出ずフルボッコにされるに決まってる。織は愛美や朱音なんかと違って、接近戦は苦手なのだ。魔眼があるので出来ないことはないけど。
「つーか、お前と組手して軽くで済むわけないだろ」
「桃は喜んで相手してくれてたけど」
「それ、本当に喜んでたか?」
文句言いながらも付き合って、思いっきり投げられたりしてまためちゃくちゃに文句言ったりしてたんだろうな。
今は亡き友人のそんな様が目に浮かんで、鼻の奥のツンとしたものは、無理矢理漏らした苦笑で誤魔化す。
けれど目の前の女の子が、それを見逃してくれるはずもなく。
「ほら、そうと決まれば庭に出るわよ。暇つぶしの運動程度なら、クリフォード卿も許してくれるでしょ」
ベッドから降りて、優しい微笑みと共に手を差し出してくる愛美。
敵わないなぁと、痛感する。思えば、出会って一年にも、半年にも満たないのに。こんなに自分のことを理解してくれる女の子が現れるなんて。
過ごした時間が、それだけ濃密なものだったということだろうか。
差し出された手を取り、織も立ち上がる。
はてさて、付け焼き刃の体術で愛美の相手が務まるかどうか。
部屋を出て廊下を歩いていると、なにやら使用人たちが慌ただしく動いているのが気になった。
庭への道中、織が特に親しくしている男性の使用人を見つけたので、少し捕まえて話を聞いてみた。
「なんかあったんすか?」
「実は、これからお客様がいらっしゃることになりまして……」
「今から? そりゃまた急っすね」
「ええ、丁度夕飯時にいらっしゃるので、こちらで食べていくとのことでして。その準備に追われているのです」
「あー、そんじゃ俺ら、外出てましょうか? 飯も外で済ませてきますし」
「正直、そうして頂けると助かります」
「分かりました。夜になったら適当に帰ってきますんで」
織と愛美は、元々よそ者だ。お客様とやらが何者かは知らないが、二人はいない方がいいだろう。
というわけで、予定変更。口を挟んでこなかったのを見るに、愛美も異論はないようだし。急遽デートすることになってしまった。
「客って誰だろうな」
「見た感じアポ無しで、これだけ慌ててるんだから、それなりの人なんじゃない?」
「首席議会の人だったり?」
「かもしれないわね」
その話題はここで打ち切り、二人はロンドンの街へと向かった。
◆
夕飯は外で済ましてくる、と言ったものの、現在時刻はまだ十四時過ぎだ。夕飯まで時間はある。
どこで時間を潰そうかと悩んだ織だったが、愛美に手を引かれてやって来たのはちょっと、というかかなりお高めの洋服屋。
富裕層が来るような店で、ドレスやスーツの仕立てなんかもしている。もちろん織も愛美もそれだけのお金を持ってはいるけど、日本から持って来た私服姿の織としては、店の雰囲気に全く馴染めていなかった。
一方で愛美の立ち振る舞いは堂々としたもので、着ているのは安物のシャツとジーパンのはずなのに、本人がモデル顔負けのスタイルと顔面偏差値なもんだから、まずは織の服を見立てることになってしまった。
「馬子にも衣装、だな」
目の前の姿見に映った自分を見て、ため息混じりに呟く。
試着室内で着替えた織は、ストライプ入りのスリーピーススーツを着ていた。色は濃紺。インナーは淡いブルーのダブルカフス。ドット柄のネクタイを付けていて、スーツの着こなし方としてはイマドキ風と言えるだろう。
その上からいつものシルクハットを被るのだが、どうにも服に着られてる感が拭えない。
まあ、たしかにオシャレだとは思う。織とて年頃の男子。身嗜みには最低限気を遣うようにはしているし、流行のファッションなんかも気にはしている。
ただこのコーディネートは、似合ってないことはないのだろうけど、ちょっと大人すぎるというか。
自分で見ているだけでも仕方ないか。
意を決して試着室から出ると、そこにいた愛美は見知った顔の少女と話していて。
「うちのマスターは私が見てないと、すぐに適当な服で済ませちゃうんですよ。こんな場所、無理矢理にでも連れてこないと、中々来ませんから」
「あんなのが主人だと、あんたも大変ね」
「あ、でもそりゃ勿論いいところもあるんですよ? 聞きたいですか?」
「いらないわよ。惚気なら他所でやってちょうだい」
「えー、愛美さんだって好きな人のカッコいいところとか、自慢したくないんですか?」
「自慢するまでもないのよ、私の織は」
金髪の怪盗少女、ルミ・アルカディアがそこにいた。
二人は試着室から出てきた織に気づいたようで。いや、より正確には、織ともう一人に気づいたようで。
隣を見れば、ライダースジャケットを羽織った金髪の怪盗少年、ジュナス・アルカディアの姿が。
「お前ら、なんでこんなとこに……!」
「おっと、ストップだ探偵」
両手を挙げるジュナス。咄嗟に腰のホルスターへ手をやったが、馴染んだグリップの感触はなく。この服に着替えた時に外したのを思い出した。
どの道、こんな場所で銃を取り出すわけにもいかない。
「どうもどうも、お久しぶりです織さん。こうしてゆっくりお話するのは初めてですね」
「毎度慌ただしかったからな。改めて自己紹介でもしとくか?」
「今更必要ないでしょ、そんなの。お互い休暇中なんだから、織もジュナスも喧嘩しないでよ」
どうやら、この場で会ったのは本当に偶然らしい。怪盗の二人はおろか、愛美にすら戦闘の意思はないようだ。
しかし、以前から不思議ではあったのだが。愛美はこの二人と、やけに親しげだ。単純に敵同士というわけではないのだろうか。
「お前、こいつらと仲良いのか?」
「仲が良いのかは分からないけど、何回も殺し合ってたらそりゃある程度親しくもなるわよ」
「そんなもんなのか……」
「そんなもんよ」
殺し合いで親しくなる、という感覚はよく分からないが、事実ルミとジュナスも、愛美に対する距離感は友人のそれだ。
しかし織としてはそうもいかない。この二人が愛美を攫ったことは、変えようのない事実だ。それを許すつもりもない。
が、どうやらジュナスも同じのようで。
「まあ、愛美さんの顔を立てて穏便に済ませてやるけどさ。お前がルミを傷つけたことは許してないからな」
「そっちこそ、愛美を攫ったこと忘れたなんて言わせねぇぞ」
あの時ジュナスたちが狙っていたのは、恐らくだが織の父が残したあのメッセージだろう。愛美ひとりを攫ったところでどうにもならないものだったし、結局愛美の異能でその辺りの機能は無駄になったし。
互いに睨み合っていると、愛美とルミが間に入って仲裁する。
「だから、喧嘩しないの」
「マスターも、せっかくの休暇なんですから、仲良くしましょうよ」
二人からそう言われてしまえば、引き下がるしかなくなる。
とっ捕まえて学院に引き渡してやりたいのが本音だが、ジュナスにはあの戦いの時、桃に味方してくれた借りがあるのだ。
渋々ながらも視線を外せば、愛美が織の着ているスーツの襟を整えたりネクタイをちゃんと締めたりしてきた。
不意に距離が近くなって、少し心臓が跳ねる。こういう不意打ちには、未だに慣れない。
「うん、ちゃんと似合ってるしカッコいいわ。私の見立ては間違ってなかったわね」
「そりゃどうも。俺的にはなんか落ち着かないけどな」
「その内慣れるわよ。それ一式、このまま買いましょうか。店員呼んでくるから、ちょっと待ってなさい」
てくてくと歩いていく愛美の背を見送っていると、傍から視線を感じた。そちらに振り向けば、ルミがやけにいい笑顔で織を見ている。
「いやぁ、織さん愛されてますねぇ」
「まあな」
「そこは謙遜するところじゃないか?」
「自覚があるんだから仕方ねぇだろ」
いっそ無防備なまでに剥き出しの愛情を向けられて、無自覚でいられるわけがない。
向けられる感情に違いはあるだろうが、愛美と親しい人間はみんなが同じことを思うだろう。朱音や葵、桐原組の人たちも。
一度懐に入れた相手に対して、全力の愛情を向け、全幅の信頼を預ける。
それが桐原愛美という人間だ。
「それより、だ。探偵」
「名前で呼べよ、怪盗」
「そっちにその気がないくせに、よく言う」
「で、なんだ?」
「悪かった」
頭を下げることはなく、けれどしっかりと織の目を見詰めて。ジュナスは謝罪の言葉を口にした。
主語がはっきりとしないそれは、一体いつのことを言っているのか。愛美を攫った時のこと、ではないだろう。これで三度目の邂逅とはいえ、織とジュナスはこんなにも嫌い合っているのだから。そのことを謝るのなら、愛美本人に謝るはずだ。
ならばひとつしかない。
故に、織は苛立たしくなってしまうのだ。
「謝るんじゃねぇよ。あいつが死んだのは、お前たちのせいじゃない」
「でも、僕たちにはまだ打てる手があった。あいつの眷属に、あるいはあいつ自身に、魔障を取り込ませたり、な」
「そういう問題じゃねぇよ」
たしかに、ジュナスの持つ魔導具、魔障EMPは強力なものだ。愛美はそれで一度無力化され、命の危機に瀕してさえいるし、織自身もその脅威を味わっている。
グレイに通じなかったとしても、その眷属たる魔物どもには通用しただろう。
そういう問題じゃないんだ。
ジュナスに謝って欲しくない理由は、もっと別のもの。なにもジュナスは悪くない、なんてお為ごかしを言うつもりはない。
「あいつが死んだのは、俺のせいだ。俺が弱かったから、俺がバカだったからだ。その責任を勝手に奪って、勝手に加害者ヅラしてんじゃねぇよ」
恨むべきは灰色の吸血鬼。けれどそれ以上に、己の無力こそを。
グレイを恨んで憎んで、全てをそこにぶつけるのは、彼女が望むところではない。
生きて、と。
弱くて惨めな自分を見せつけられて、それでも生きてと。
「桃が死んだことに、お前らは関係ない。謝られるのは筋違いだ。そんだけ殊勝なこと言うくらいなら、さっさと捕まっちまえ」
「ハッ、やっぱりお前とは仲良くできそうにないな、探偵」
「こっちのセリフだ」
こみ上げる苛立ちごと吐き捨てる。
怪盗なんてやってはいるが、ジュナスもルミも悪い人間ではないのだろう。じゃないと、謝ろうなんて考えもしなかったはずだ。
ただ、その謝罪が織の逆鱗に触れただけで。そもそもそう考えること自体、織とは相入れないなによりの証拠で。
「喧嘩するなって言ってるでしょ」
「いだっ!」
背後から頭を叩かれた。振り返れば、店員を連れてきた愛美が。
とりあえず服のタグを切ってもらい、店員さんは営業スマイルで去っていった。あの訓練された笑顔は万国共通なんだなぁ、と感心してしまう。
「仲良くしろとは言わないけど、揉める必要もないでしょ」
「だってあいつが」
「だってじゃないの」
まったくもう、とため息を吐く愛美。けれど実際、織たちだって今日は休暇で、そんな日にわざわざ揉め事を起こしたくはない。
「ごめんなさいね、うちの織が」
「いえいえ、うちのマスターもご迷惑お掛けしてます。それより愛美さん! さっき愛美さんに着てもらいたいドレスがあったので、ちょっと試着してくださいよ!」
「別にいいけど……」
チラリとこちらを伺ってきた愛美に、頷きを返す。元より次は愛美の服を見立てる予定だったのだ。それがドレスになるのは多少予定外ではあるものの、ドレス姿の愛美を見てみたい欲求が湧いてきた。
ルミに連れられて店の奥へと消えていった愛美を見送り、残されたのは男二人。
「時に怪盗よ」
「なんだ探偵」
「お前ら、どういう関係なわけ?」
「僕とルミか?」
ジュナスもルミも、織と同年代だろう。歳が近い上にファミリーネームも同じなのに、なぜルミはジュナスのことをマスターと呼ぶのか。
もしかしたら、それなりの事情とやらがあるのかもしれないけれど。織がそこを気遣う理由はない。
「見ての通り、主人と従者だよ」
「それ以上に見えるのは、俺の勘違いか?」
「いや、勘違いなんかじゃないさ。ルミは、僕の家族だ」
ルミと愛美が歩いていった方を見るジュナスの目は、とても優しいもの。その目に宿る光を、織は知っている。
愛美が織を見る時と同じ、最大限の親愛を込めたもの。
どこまでも愛おしく、なによりも大切な者へ向ける目だ。
ほんの少し、罪悪感が湧く。
家族が傷つけられるつらさと痛みは、織だってよく知っているのだ。
だからこそこの怪盗は、家族である従者を傷つけた織を許さない。
それでも、謝るつもりは毛頭なかった。
家族を傷つけられる。大切な人を奪われる。それはあの時の織も同じで。ここで謝ってしまえば、あの時のことを許すことになってしまうから。
「こんなこと聞いてどうするんだ?」
「いや、ちょっと気になっただけだ」
あるいは、愛美なら。
彼女が今の織と同じ心境に立たされたなら、ジュナスに謝罪するのかもしれない。その上で、許されようとは思っていないと、決して許すことはないと、ハッキリ口にしているのかもしれない。
それが正しいのだろう。誰よりも正しくあろうとする彼女は、そうするのだろう。
でも、織にとってそんなものは二の次、三の次。家族のためなら、正しさなんてものはクソ喰らえだ。
「それにしても、愛美さんが心配だな……」
「またなんで」
「ルミはああ見えて、なんというか、結構趣味が個性的でな……」
「は? なんだそれ?」
「いや、あんまり自分の従者に対して使いたくない言葉なんだけど、一言で表すなら変態なんだ」
「本当だよ。自分の従者に対して使う言葉じゃねぇよ」
なんなら、家族に対して使う言葉でもないのだが、ジュナスの苦み走った表情は、どうにもその言葉に真実味を帯びさせる。
そう言えばと思い返してみれば、この二人と初めて会った時。安倍家でジュナスが愛美の制服を着ていた時だ。あの時もルミは、ジュナスの女装に随分と興奮してる様子だったが……。
ダメだ、思い出したらムカついてきた。なんでこいつ平気な顔して人の恋人の制服着てたんだよ。あの時はまだ恋人同士じゃなかったけど。俺でも着たことないんだぞ。
いや、着たいわけでもないけど。そこまで性癖拗らせてないので。
けれどどうやら、その時のことを思い返しているのは織だけではないようで。
「一つお前でも分かりやすい話を出してやるけど……安倍家での時のこと、覚えてるか?」
「おう、覚えてるに決まってんだろクソ野郎。勝手に愛美の制服着やがってテメェその件も許してないからな」
「いや、あれは本当に悪かった……でも違うんだよ」
「なにが違うんだ言ってみろ」
事と次第によってはジュナスをこの場でニャルさんの餌にしなければならない。
どうでもいいけど、桃は一体なにを思ってあんな術式を作ったのだろうか。ふつうに怖いんだけど。
閑話休題。
織に睨まれたジュナスはやっぱり苦み走った、疲れてような表情で。当時のことを振り返ってくれた。
「元々は愛美さんじゃなくて、お前と擦り変わる予定だったんだ」
「俺?」
「ああ。緋桜さんの妹とか愛美さんの隙を突くより簡単そうだったから」
「まあ、あの時はそうだったろうな」
だからこそ、愛美と言う完全な盲点を突かれたわけだが。それにしたって難易度だけで言えば、当時の織はダントツで低かったはずだ。だというのに何故、わざわざ綱渡りするような真似をしてまで、愛美を選んだのか。
「愛美さんに標的を変えたのは、ルミの提案なんだよ」
「まあ、あの異能があれば不可能じゃないわな」
「いや、異能は関係なくて。ただルミが、愛美さんをひん剥いてやりたかった、ってだけだ」
「はぁ?」
なんだそれ。
いや、なんだそれ???
「お前に言うまでもないと思うけど、愛美さんは美人だ」
「そうだな。宇宙一可愛いな」
「そんな美人の身ぐるみ剥ぐのは、さぞ楽しいだろうなぁ、っていう、あいつのバカな考えの末に、標的がお前から愛美さんに移った。僕が今、愛美さんの心配をしてる理由、わかったか?」
低い声で酷く真剣に言われてしまえば、なんだか不安が増してくる。
いや、いやいや。でもここは公共の場だし、まさかそんな、まさかまさか。
「……大丈夫、だよな?」
「さて、どうだろうな。変な方向に暴走してさえなければ、大丈夫だと思うけど」
それはつまり、変な方向に暴走してる可能性もある、ということか。余計心配になって来たんだが。
暫く不安を抱えたまま待っていると、ようやくルミが戻ってきた。なぜかさっきよりも、どことなくボロボロになって。
「お待たせしました織さん! 愛美さんのお着替え終わりましたよ!」
「ああ、うん……なんでお前はそんなボロボロなわけ?」
「思わぬ抵抗に遭いまして」
「おい怪盗、これで愛美が変な格好させられてたら、お前が責任取れよ」
「任せろ探偵。あとで折檻しとく」
「なんでですか! そんな心配しないでも普通のドレスですから!」
愛美が待っているらしい、また別の試着室へと向かう。織とジュナスが使っていたものよりも余程豪華なそこは、ドレスやタキシードなんかの礼服専用の場所だろうか。
実際、周りにはそう言った服ばかりが置かれている。
ルミが中に声を掛ければ、カーテンが開いて愛美が姿を現した。
「……どう、かしら?」
真っ赤なマーメイドドレスに身を包んだ愛美。頬が薄く染まっているのは、胸元や背中が大きく開いているからだろうか。艶やかな黒髪は結い上げられて、うなじや鎖骨は惜しげなく露出されている。
背が高くスレンダーな愛美のボディラインは嫌でも強調されて、それら全てが合わさり、常にない色香を感じられた。
まるで、一枚の絵画から出てきたような。
この世のものとは思えぬその美しさに、織はおろかジュナスも、近くにいた店員すらも、見惚れて絶句していた。
何か言わなくては、と思っても、目の前の恋人に圧倒されて言葉が出ない。喉の奥で詰まってしまう。
それでも、濡れた瞳と視線がぶつかってしまえば、なけなしの勇気を振り絞らないわけにはいかず。
愛美の前まで歩み寄って、その肩をそっと掴む。ビクッと、僅かに愛美の体が震える。
それにかまわず、半ば強引に回れ右させた。
「すぐ着替えてこい……」
「え……似合って、なかった……?」
「んなわけあるかふざけんなめちゃくちゃ可愛いし似合ってるし最高に決まってんだろ。このドレスも購入決定だ」
「なら」
「だから早く着替えてこい。あんま他の奴に、この格好は見せたくない」
あまりにも醜い、独占欲じみたなにか。
そもそも、露出が多すぎる。背中とか胸元とか、白く綺麗な肌が剥き出しなのだ。
昨日の夜の痕が残ってないかとかちょっとヒヤヒヤしちゃったでしょうが。
それはともかくとして。
なにせ本当に肌の露出が多い。こんな格好、他の男に、いや仮に同性であったとしても、見せたくはない。自分だけのものにしておきたい。
ああ、本当にバカみたいで、愚かで醜い独占欲だ。
でも、それすら受け止めてくれると、知っているから。
一瞬惚けたような表情の愛美だったが、すぐに得心がいったのだろう。クスリと柔らかな笑みを一つ落とした。
「あなたがそう言うなら、仕方ないわね」
「おう、さっさと着替えてこい。これ以上そこの怪盗にその格好を見せるな。じゃないと俺はあいつの眼球を潰さないとダメになる」
「怖いこと言うな!」
傍から聞こえた非難の声。それを聞いて可笑しそうに笑った愛美は、再び試着室の中へと戻っていった。
「安心してください、織さん。マスターは元々私以外眼中にないので!」
「誰がいつそんなこと言ったよ。まあ、愛美さんに手を出そうとは思わないけどさ」
「マスターは! 私に! ゾッコンなので!」
「おい、なんかちょっと変わってるぞやめろよ僕が従者に手を出す変態みたいだろ」
そんな感じの夫婦漫才を聞き流しながら愛美を待ち、元の服に着替えた彼女を伴ってレジへ。織の服一式とあのドレスとで、相当な金額になってしまったが、今まで稼いだお金とロイから貰ったお小遣いを全部使えば、ギリギリ足りる程度だった。
愛美も払おうとしていたのだが、無理を言ってそれは押しのけた。たしかに愛美の方が貯金は多いし、そもそもお金は最早共有財産であるのだが、織の服は言わずもがな、愛美のドレスはこちらのワガママみたいなものだ。
それに、ドレスの一つプレゼントできないとあれば男が廃る。
廃るだけのものが残っているかはさておくとして。
店を出れば、当然怪盗の二人とはここで解散だ。織たちはこの後夕食の店を探さなければならないが、そこまで一緒に行動する理由もない。
「探偵、念のために一つ、忠告しといてやる」
別れ際、おもむろにそう切り出したジュナスは、今日一真剣で重い声を発した。
「学院の首席議会には、気をつけろ。奴らを信用するな」
「学院のトップを信じるなってか?」
「そうだ。お前たちが世話になってるクリフォード卿はまだいい。あの人は唯一信頼できる。だけど、問題はそれ以外のやつらだ」
魔術学院全体を統べる首席議会。それはつまり、現代の魔術世界の統治者と言っても過言ではない。
彼らの中に明確な上下は存在せず、しかし互いが互いに、隙あらば蹴落としてやろうとするような権力者ども。
そして誰もが、相応の実力を有している。
「薄々勘付いてるとは思うけど、お前と愛美さんの石を狙うやつもいる」
「なに、ジュナスは私たちの心配をしてくれるわけ?」
「そんなわけないだろう。やつらに石を奪われたら、僕たちとしても困るってだけだ」
怪盗としてあらゆる場所で悪事を働くこの二人からすれば、敵対している学院のトップが力を手に入れるなど、愉快なことではないだろう。
だがどうにも、それだけじゃないような気もする。怪盗の二人と実際に相対するのは、トップのお偉方などではない。織たちのような前線の現場に出ている魔術師だ。
言ってしまえば、首席議会のメンバーが石を手に入れ力を手に入れようが、ジュナスたちには関係ない。
それでもこうして忠告するということは、真意は他にある。
「二人が各地の石持ちを駆除して回ってるのも、元はその首席議会からの命令なんですよね?」
「まあ、そうだな」
「そうやって賢者の石の宿主を日本支部から引き離し、逆に人類最強を日本支部の学院長という役職に縛り付ける。なにか裏があるのでは、と疑いたくなりませんか?」
「結局なにが言いたいのよ」
ルミの言う通り、あまりにも状況が出来すぎている。ゆえに疑いたくなるのは無理もない。
けれど、織と愛美の二人が、各地の石持ちを駆除しなければいけないのは事実だ。日本支部の学院長についても、蒼以外に適任はいない。合理的と言ってしまえばそれまで。
だから、ジュナスとルミの言いたいことがイマイチ見えなかったのだが。
「学院のトップは、裏で敵と繋がっている可能性がある。僕たちとお前たち、共通の敵とな」
「……なるほど、そういうことか」
全く根拠のない話、と言うわけではない。
ルミが今語った話、織と愛美、それから蒼をそれぞれと役割に縛り付けることの目的が、やつの回復を待つための、時間稼ぎだとしたら。
それだけじゃない。裏の魔術師に賢者の石のコピーが出回るのが、あまりにも早すぎる。
なにも工場で生産している、というわけではないのだ。作っているのはグレイの異能。つまり生産者はやつ一人。
仮にあの戦いの以前から作っていたのだとしても、あまりにも早い。
権力者には汚職なんて付き物だ。首席議会の中に、裏の流通ルートに通じてる奴がいたとしたら。グレイがそこを利用したとしたら。
先日アメリカでは、裏の魔術師でもない、表の名のある魔術の家の娘ですら、賢者の石のコピーを持っていた。
疑わしいところはいくらでも出てくる。
「僕たちは僕たちの目的のため、グレイを利用していた。でも、今となっては邪魔者でしかない」
「お前らの目的ってのは、なんなんだ?」
そもそもジュナスは、緋桜よりも先にグレイを裏切っていた。桃への情報提供という形で。実際あの戦いの時にも学院側へ寝返ったと言うし、緋桜同様、グレイとはただあの時に限り、利害が一致していただけなのだろう。
なら、そんな怪盗の目的とはなんなのか。
なんのために、怪盗なんてやっているのか。
「僕たちの理想郷に、辿り着くためだよ」
答えたジュナスは、どこか遠い場所を見ており。その言葉はなぜか、寂しげな響きを伴っていた。
◆
怪盗の二人と別れ、夕飯も済ませた夜の九時過ぎ。流石にこの時間だと屋敷の客人も帰っているだろうと思い、織と愛美は転移を使わず普通に帰ってきた。
ジュナスとルミから聞いた話は、まず蒼にも相談しなければならない。定期的に三つ足のカラスを寄越してくるから、次にあの使い魔がやってきた時にでも伝えよう。
だが、ロイには話すべきか否か。非常に悩むところだ。
「しっかし、こうも敵が多いと嫌になってくるな」
「グレイにネザー、裏の魔術師に、挙句味方であるはずの学院のトップだものね。グレイはひとまず置いとくとして、それ以外が束になったとしても、今の日本支部に勝てるわけがないけど」
歩きながら吐き捨てるように言えば、隣の愛美もため息混じりに疲れたような声を出した。
彼女の言う通り、現状で殺す手段のないグレイを除けば、それ以外は人類最強ただ一人だけで事足りる。そうでなくとも今の日本支部には、過剰と言えるまでの戦力が集まっているのだ。
だが、それら敵を並べてみると、単純な話ではなくなってくる。
グレイは明確に、ネザーと敵対している。
一方でネザーは、学院とは比較的協力的な関係にある。あくまで表向きは、だが。
そしてグレイも、学院のトップと繋がりがあるかもしれない。
なるほど、ややこしい。
下手を打てば、日本支部がこれらの勢力図から孤立してしまう可能性だってある。
そうなってしまうと、更に面倒なことになる。いくら蒼を始めとした実力者が集まっているとはいえ、あそこにはそんな事情など知るよしもない生徒だっているのだ。
その上、学院のトップを敵に回すことになれば、それすなわち魔術世界の全てが牙を剥くことになる。
ただでさえ今の日本は、魔術世界と現代社会の境目が曖昧になっているのだ。そうなってしまえば、いくら人類最強とはいえ、どうしようもなくなるのではないか。
「日本の方は、みんなに任せるしかないか」
「ええ。私たちは、私たちにしか出来ないことがある」
現状、学院のトップである首席議会と最も近い位置にいるのは、織と愛美だ。その一員であるロイと共に暮らしていることもあるが、活動の拠点をロンドンに置いてある以上、情報収集は蒼たちより容易いだろう。
石持ちの裏の魔術師を狩る片手間に、グレイやネザーのことだって探れる。
「でも、目的を見失ったらダメよ」
「分かってる」
家族を守るために戦っている。そのために、灰色の吸血鬼を打倒する。
ネザーだの首席議会だのでややこしくなっているが、そこだけはブレない。
織も愛美も、戦う理由だけは決して見失わない。
しばらく歩いていれば、屋敷の門が見えてくる。そこに停まっている車と人影を見つけて、少しミスったかと織は後悔した。
どうやら、丁度客人の帰り際に出くわしてしまったらしい。
しかし後悔したところですでに遅く。人影は織たちを視認しており、門の前に辿り着くまで待っていた。
「ほう、貴様が殺人姫か。噂通りの器量じゃないか」
立っていたのは、小太りな中年男性。指輪やネックレス、イヤリングにブレスレットと、全身に派手な装飾を身につけているが、ただの成金趣味などではないことに、織も愛美も気づいていた。
身につけているその全てが、一級品の魔導具だ。それらを操るとなれな、当然術者の力も相当なものになる。
だが多少驚きはすれど、恐れるような相手でもない。自分たちの方が力は上だとも、同時に気づいていたから。
「クリフォードめには断られたが、こう言うのは本人の意思が大切だからな。どうだ貴様、私の元に来る気はないか?」
名乗りもせず、一方的に上から目線で告げられる言葉。
愛美が嫌いなタイプの人間だ。
下卑た笑みを浮かべる男が、手を掲げる。それを愛美の肩に置こうとしたところで、織が遮った。ブレスレットの嵌められた手首を掴み、握りつぶす勢いで力込める。
「汚い手で、俺の女に触ろうとしてんじゃねぇぞ」
「な、なんだ貴様は! 手を離せ!」
織、と。小さく呼ぶ声。愛美に咎められたとあれば、従うしかない。乱暴に腕を解放してやると、男は掴まれていた手首を抑えながら後ずさりする。
「誰かは知らないけど、礼儀もなってない相手について行くような趣味は持ち合わせてないの。さっさと消えてくれる?」
軽くひと睨みして、殺気を見せる愛美。
自分が一体誰と対峙しているのか、ようやくまともに理解出来たのだろう。男は逃げるようにして車に乗り込み、あっという間に去っていった。
まあ、殺人姫の本性を見ちゃえば逃げたくもなるよな。俺も未だに怖いもん。仕方ない仕方ない。
「なんだったんだろうな」
「どうでもいいわ。それより、さっきは中々カッコよかったわよ」
「そりゃ良かった」
カッコつけた甲斐があったというものだ。
殆ど反射的ではあったけれど、あんな下心丸見えの笑みを見せられたとあっては、恋人として黙っていられない。
織が手を出さなくても、愛美なら軽くあしらってたとは思うけど。
お陰で上機嫌な微笑みを漏らす愛美と共に、屋敷の中へと入った。あの男が何者なのかは、後でロイに聞けば分かることだ。
そもそも、あの程度の小物、歯牙にかけるまでもない。
だから、だろう。
なまじ強い力を持っているからこそ。にじり寄る悪意に、二人はまだ気づかない。
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