第24話

「落差が激しいよなぁ」

「文句言わない」

「平和でいいじゃん」


 ゴールデンウィーク五日目。今日も今日とて、桐生探偵事務所の三人は元気にお仕事だ。術式を組み上げ、探知魔術を行使している織を先頭に、三人は街中を歩いていた。

 商店街から少し南へ下った辺り、比較的高いビルが建っている駅付近だ。


 そんな彼らの今日の仕事は、迷子犬探し。斡旋してもらったものではなく、昨日の昼に直接依頼を貰った。

 昨日の魔物討伐や、その前のネザー潜入との落差が酷い。まあ、朱音の言う通り平和な依頼でなによりなのだが。


 さて。そんな今日の依頼だが、依頼主は織も知り合いである商店街の住人から。一緒に住んでいる孫が最近飼い始めた犬が脱走してしまったらしい。

 本人たちも手を尽くして探したのだが、どこにも見当たらない。やがて藁にもすがる思いで、織たちを頼ったとのことだ。


「別に文句ってわけじゃねぇよ。困ってる人を放ってはおけないし、仕事として頼られたってなら尚更だ」

「あなたの言いたいことも分かるけどね。でも、織の両親も案外こんなもんだったんじゃない?」

「言われてみればたしかに」


 織の両親も織たちと同じように、街の人たちからの依頼と魔術絡みの依頼、その両方をこなしていた。今の織たちみたいに、血なまぐさい争いの次の日にはこんな感じの平和な依頼をこなしていたりしていたものだ。

 手伝いをしたことがあるとはいえ、織は主に平和な方の依頼ばかりを手伝っていた。

 両親たちも仕事の時、今の織と似たような心情になっていたのかと思うと、少し感慨深いものがある。


「それにしたって、探偵の仕事かって聞かれたら首を傾げるけどね」

「それを言ったら、ネザー行った時なんかスパイって言った方がしっくりくるぞ」

「そもそも、普通の探偵って具体的にどんなことしてるのよ」

「そりゃ浮気調査とかじゃね?」

「シャーロック・ホームズみたいなのは?」

「まあ、あれもスパイみたいなことしてるよな」

「ホームズはフィクションでしょ。参考にならないわよ」

「巨悪と戦う名探偵、みたいな感じは、やっぱフィクションの中だけだよなぁ」


 毒にも薬にもならないような会話をしながら、三人仲良く街を歩く。行く当てもなく、というわけではない。こう見えて、ちゃんと探しているのだ。ていうか、どこにいるのかも分かってたりする。


 そのための探知魔術だ。依頼主から迷子になった犬の使っていたリードを借り、それを元に探知をかければすぐにその居場所が分かった。


 相手が魔力を持っていれば、そのような触媒は必要としないのだが。今回は魔術のまの字もない一般人からの一般的な依頼。

 多少の面倒は目を瞑らなければならない。


 因みにリードは、アーサーに匂いを辿ってとらうと言って借りた。実際、アーサーは昨日のガーゴイル戦で頑張ってくれたので、家で休ませているが。


 俺も休みたいなぁ、とか呑気に考えてる織の探知魔術が、大きな反応を見せた。


「この辺りだな」

「……え、ここ?」

「おう」


 織が足を止めたのは、児童公園の入り口。長期連休中だからか、子供連れの家族が多くいる。もちろん、織たちくらいの歳の人間は一人もいない。


「明らかに場違いよね、私たち」

「そうか? 気にしすぎだろ」

「二人も子供連れみたいなもんじゃん」

「朱音がそれ言ってどうするのよ。まあ、間違ってはないけど」


 たしかに、子供連れという意味では間違いではないけれど。なんだか釈然としないままに、愛美は公園へと入って行く二人に続く。


 織の足取りに迷いはない。魔術の腕に関して、割と自虐的なところがある織だが、それは彼が自身の周囲と比べるからである。

 比べる相手を間違っている、と言わざるを得ない。


 たしかに魔力の量や質は平凡そのものであるが、それを扱う技術には目を見張るものがある。魔導収束なんて特異な魔術を使っていることもだが、以前のアーサーの一件では、一度見ただけの朱音の魔術を、本人は使ったことがないにも関わらず見様見真似で再現したりもしていた。

 いくら同じ魔導収束とはいえ、そうそうに真似できることではない。


 悲しいのは、本人にその自覚がないことだが。学院にも所属していなかった織は、そもそも比べる相手がいなかった。精々が師匠がわりである両親くらい。

 織の魔術は、今まで完全に本人の中だけで完結してしまっていたのだ。


「お、いたいた」


 多少の奇異の視線を受けながらも、公園内に生い茂っている木々の間を通り抜ければ、そこには目的のワンコが。柴犬だ。

 その柴犬はぐったりとした様子で地面に蹲っている。おかしく思った織が駆け寄ってみたのだが、犬の体調なんて素人の織に詳しく分かるわけもない。


「なんか病気か?」

「ちょっと見せて」


 織の隣にしゃがみ込んだ朱音が、険しい顔で柴犬の触診を始める。そんなことも出来るとか俺の娘マジ優秀すぎない? と思う織だったが、冷静に考えてみると、荒廃した世界でどうして獣医としての知識が身につくのだろう。


 不思議に思っていると、朱音の表情がホッとしたものに変わった。


「熱が出てるだけだね。大きい病気とか、そんなんじゃなさそう」

「脱走してからしばらく経ってるみたいだし、ここで力尽きちゃったのね」

「うん、だと思う。とりあえず、概念強化かけたら大丈夫かな」


 柴犬を中心としている地面に魔法陣が描かれる。無詠唱で発動した概念強化は、しかし以前愛美がアーサーにかけたものより強力だ。これでしばらくすれば、この柴犬の体力も元に戻るだろう。そうすれば熱も下がるはず。


「よし、あとは依頼主に届けたら仕事終了だな。しかしまた、なんで脱走なんかするかね」

「飼い始めたばかりなんでしょう? なにか気にくわないことでもあったんじゃないの」

「んなお前じゃないんだから」

「私は多少なら我慢するわよ。今の生活みたいに」

「え」

「冗談よ。だからそんなガチの顔で悩まないで」


 本気でビビった織だった。まさか食事で気に入らないところでもあったのかと本気で悩んでしまったじゃないか。いや、食事以外になんかあるだろ。一番に出てくるのがそれってどうなんだ。


「言っていい冗談と悪い冗談があるだろ……」

「それはごめんなさい」


 クスクスと楽しそうに笑う愛美だが、織としては勘弁願いたい。

 今の暮らしは、愛美が織を受け入れてるから成立してるものだ。もしも愛美が、今の暮らしに本当に不満を抱いていたとしたら、それで屋敷に帰ってしまったら。織には愛美を引き止めることが出来ない。


 この様子を見るに、当面の間は大丈夫そうだが。いや、そもそも愛美だったら、本当に不満があれば直ぐに織へと伝えるだろうけど。


「それじゃ、一回事務所戻ろっか」


 柴犬を抱いた朱音が魔法陣を展開させ、一行は事務所に帰ったのだが。

 朱音には魔術の秘匿についてちゃんと話した方が良さそうだなぁ。と頭の片隅で思う織だった。



 ◆



 本日唯一の仕事が終わった後、三人は東京の秋葉原までやって来ていた。さすがは東京。さすがは秋葉原。道には多くの人が行き交い、建物にはどでかくアニメなりゲームなりのキャラクターが描かれている。

 こういう街に来る人は、そういう格好をしているのだろう。なんて偏見があった織だが、実際はそんなことなく。

 意外にも外国人観光客が多い。あとなぜかチェック柄のシャツ着てるやつも多い。オタクの流行ファッションなのだろうか。


 さて。勿論こんなところにやって来たのは、それ相応の理由がある。


「その、先生の知り合いの鍛冶屋って、本当にこんなとこにいんのか?」

「ええ、本当にこんなとこにいるのよ」


 折れてしまった愛美の短剣。それを新調するために、三人は蒼の知り合いである鍛冶屋を訪ねに来たのだが。


 なぜアキバなのか。


「あ、もしかして龍さんのとこ行くの?」

「そうよ。朱音は知ってるのね」

「未来でお世話になったから。私の短剣と銃、二人の形見だけど、龍さんに頼んで色々改造したりしてるんだ」


 どうやら知らないのは織だけらしい。とはいえ、その龍さんとやらからすれば、朱音は見ず知らずの他人だろうが。


 と、織はここで一つ疑問を覚えた。

 いや、本来ならもっと早く気付くべきだったのだろうが、その後に色々あったお陰で全く気付かなかったことが。


「なあ。朱音の短剣って、愛美の折れたやつと同じだったよな?」

「……あ」

「そういえば気づかなかったわね……」


 歩く足をそのままに、愛美と朱音は考えるように顎へ手を当てる。こうして同じ動作をししていると、本当にそっくりだ。


 そのことに微笑ましさを感じつつも、織は続く疑問を口にした。


「これ、おかしくないか? 朱音が持ってるのは、紛れもなくあの短剣と同じだった。でもあれは折れちまったし、だからってそれで未来が変わって、朱音の短剣がなくなったり別のものに変わったわけじゃない」

「ねえ朱音。未来の私に、その短剣をどれくらい使ってたか、聞いたことある?」

「ずっと昔から、としか言ってなかったと思う。因みにだけど、母さんは新しいやつ、同じデザインにしようとか考えてた?」

「いえ、その辺は龍さんにお任せする予定だったわ。そもそも、ちょっと相談して色々と魔術的な機能を増やしてもらおうと思ってたのよ。でも朱音のそれ、元はただの短剣よね?」

「うん。魔力が通りやすくなってる以外は」


 それは折れてしまった愛美の短剣にもあった機能だ。つまり、未来で朱音が改造したとは言っても、やはり愛美が持っていたものと同じ短剣。

 朱音がいた時間の愛美は、過去にそれを折っていない、もしくは折っていても修理して使い続けている。


「未来は変わってない、のか……?」

「それとも、時間遡行してきた朱音は例外なのか、ね。どちらにせよ今考えても仕方ないことだわ。ただ……」


 足を止め、神妙な顔つきで朱音を見つめる愛美。いつの間にか辿り着いていた路地裏には、都内とは思えないほど人がいない。恐らく、人払いの結界でもかけているのだろう。

 つられて足を止めた朱音は小首を傾げているが、織には愛美がなにを言いたいのか分かった。


 そう、これも忘れていたことの一つ。

 あの場に朱音はいなかったとはいえ、しかし愛美の危機を察知出来ていたのだ。もしも朱音が彼のことを知っているのなら、愛美の相手をしていた彼に気づいてもおかしくない。


「あなた、緋桜のことを知らないわね?」


 黒霧緋桜。葵たちの兄で愛美にとって恩人たるその男。

 もしも未来で緋桜が生きていたのなら、朱音は知っていて当然だ。葵と碧のことは知っていたし、なによりあれだけの実力者。未来で戦っていた織や愛美たちが、助力を乞わないわけがない。


 今の緋桜が、果たして一体どんな目的で行方をくらませているのかは分からないが。それでも、世界が危機に瀕してまでその目的を優先したりしたいだろう。


 だが朱音の解答は、残念ながら二人の予想通りで。


「……誰?」


 キョトンとしたその顔は、本当に知らないのだろう。嘘の気配は微塵もしない。

 それはおかしなことだ。朱音は、織としても愛美としても生きたことがある。その当時が果たしてどんな一生だったのかは分からないが、いくら記憶が摩耗してるとは言っても忘れるわけがない。


 だって、黒霧緋桜は桐原愛美にとって、人生を変えるきっかけをくれた恩人なのだ。

 愛美の人生にとって、あれは必要な出会いだった。緋桜と出会わないままだったら、織を拾おうとすら思わなかっただろう。そもそも魔女との交流すらなくなるだろうから、あの夜あの場にいることもなくなる。


 愛美自身はそう思っているのだが、しかし織は少し違う見方をしていた。

 愛美からすれば、緋桜が関わってくるとどうしても主観交じりになってしまう。だが、緋桜と関わりのない織が客観的に見ると、別の可能性も思い浮かぶ。


「多分、緋桜さんがいようがいまいが関係ないんだろうな」

「どういうことよ」


 愛美の声には、若干の怒気が。いくら織が相手とは言え、自分にとって意味のあるものを否定されたからだろうか。

 逆に言えば、緋桜の存在は愛美の中で、それだけのものになっているということだ。


 織にとっては、少し面白くない。

 必死に頭を冷静にするよう努めて、説明を続ける。


「今の愛美にとって、緋桜さんとの出会いは大切で、重要だったのかもしれない。別にそれを否定するわけじゃないけどさ、あの人とお前が出会わなくても、どこかで帳尻は合うんだよ。未来は収束するんだろ? だったら、愛美は緋桜さんと出会わなくても、別のなにかしらの要因で桃と出会って、今のお前を形成することになるんじゃないのか?」


 だから、朱音の過ごした愛美としての一生の中で緋桜と出会わなくても、なんらおかしなことはないのだ。

 どこかで帳尻は合う。心を閉ざした桐原愛美に、桃瀬桃に踏み込む人間が、いつかどこかに現れる。


「馬鹿馬鹿しい。あんたはなにも知らないからそんなことが言えるのよ」

「なにも知らないからこそ、一歩引いて客観的な意見が言えるんだよ」

「私が、私自身が、違うって断言してあげる。黒霧緋桜との出会いは、桐原愛美にとって切り離せない重要なファクターよ」

「だから、それがお前じゃない、別の時間軸の別のお前にとっては、他の何かに取って代わってるって話をしてるんだよ。てかなにをそんなに意地になってんだ?」

「意地になってるのはあんたも同じでしょ。私がそうだって言ってるのよ? 別の私だろうがなんだろうが、それは変わらない。そもそも緋桜を知らない私がいたとして、葵たちとはどうなるの? 学院には? 桃は? その他の要素が絡みすぎるのよ」

「ちょ、ちょっと二人とも、落ち着いて? ね?」

「さっきも言っただろ。未来は収束するんだよ。葵たちとも、桃とも別の出会いを経て、学院でも違う過ごし方をする。風紀委員に入ってないお前がいてもおかしくはない。同じ説明をさせるな」

「なら緋桜にだって、同じことが言えるはずでしょ!」


 明らかな怒りを込めた声で、愛美が叫ぶ。


 本当に、面白くない。

 落ち着け、冷静になれ。頭ではそう思っていても、やはり感情は抑え切れず。口から漏れる言葉は止まってくれない。


「そうだな。でも逆に、葵や桃だって、お前にとって必ず必要とは限らないんだよ。そういう意味では緋桜さんと同じって言えるな」

「あんたいい加減に……!」

「俺だってそうだろ。いや、俺が一番そうかもな。桐生織なんてちっぽけな存在、桐原愛美にとってはいようがいまいがどっちでもいいんだよ」


 自嘲の笑みと共に吐き捨てた言葉が、鋭く自分の胸を刺す。

 ああ、今の俺は冷静じゃない。売り言葉に買い言葉、引っ込みがつかなくて、ヤケになって。思考を挟まず感情のままに言葉を吐き出している。


 頭のどこかで、冷めた自分がそう言ってくる。でも、一度その口から出た言葉を覆すことは不可能だ。


「いい加減に、しなさいよ」


 俯き、静かに声を震わせた愛美が、顔を上げて織を睨む。そこから決して目を逸らさずに睨み返せば、愛美は一歩織に近づいた。


 強く握りしめた拳が無造作に振るわれ、織の腹に突き刺さる。


「ぉっ、お、まえ……」

「朱音、その馬鹿連れて帰りなさい」

「ちょっと、母さん⁉︎」


 朱音の声も無視して、愛美は路地裏の先へと進んでいった。その背を見送り、隣で蹲る父親を見て、朱音は盛大にため息を吐いた。


「まあ、今のは父さんが悪いよ」


 いや、だからって腹パンはないだろ。こういう時、普通ビンタじゃないの?

 鳩尾に入り息も絶え絶えな織は、心中でそう呟くしかできなかった。



 ◆



 一人になってしまえば、怒りで逆上せた頭が冷静になるのは早かった。さすがに殴るのはやりすぎたか、と反省はするものの、しかし後悔はない。


 愛美にとって、織の発言はそれほど度し難いものだったのだ。


 緋桜の件に関しては、たしかに織の言うことも一理あるかもしれない。

 別の自分。緋桜と出会わなかった自分。今ここでこうして生きている愛美には想像出来ないが、どこか、別の時間軸を生きる愛美が、そんな人生を送っているのかもしれない。

 理屈で言えば、あり得る話だ。


 所謂、並行世界というやつ。魔術的には未だ確立されていない概念だが、朱音の存在が並行世界という概念を肯定させている。


 たしかに、緋桜や葵、もしくは桃や織と出会わない自分も、どこかの世界にはいるのだろう。細部は違えど最終的には、一つの終着点へ、荒廃し滅びを間近にした世界へと収束するのかもしれない。


 百歩譲って、そこは認めよう。

 さっきの自分はあまりにも感情的になりすぎていたし、主観でしか物事を捉えられていなかった。あまりにも視野が狭すぎた。


 だが、それでも。あの発言は許せない。

 ちっぽけな存在? いてもいなくても同じ?

 ふざけるな。そんなわけがないだろう。

 織は分かっていない。自分が、愛美にとってどれだけの存在となっているのかを。

 共に戦う相棒として、同じ家で暮らすパートナーとして、家族として。織のことを馬鹿にするやつは、たとえ本人だろうが許さない。


 なにより、織のあの発言は朱音の存在を否定するものだ。

 織と愛美の娘である朱音は、どちらか片方が欠けてしまえば存在し得ない。織と出会わない世界がどこかにあったとして、その世界では朱音が生まれないことになってしまう。

 それは恐らく、織だって分かっているはずだ。向こうも冷静じゃなかったから、今頃申し訳なさで死にたくなっていることだろう。


 と、散々それっぽい理屈を並べてみたが、愛美の感情はただ一つに集約される。


 織と出会わない世界なんて。

 そんなのは、嫌だ。


 理屈もへったくれもありはしない。ただ嫌なのだ。彼と出会わない、そんな世界が。


 たった一ヶ月半ほどの付き合い。それでも、愛美はそんな子供みたいな感情を抱いてしまう。どうしてかは分からない。この感情の源泉がどこにあるのか、本人ですら理解不能。

 それでも愛美がそう思っていることは事実で。


 そう言えば。

 どうして織は、あんなに感情的になっていたのだろう。

 恩人である緋桜の存在を否定された愛美は、まだわかる。自分で正当化させるようであれだが、理由がちゃんとある。


 でも、織にはその理由がないはずなのに。


 首を傾げつつも、愛美は辿り着いた先の扉に手をかける。人払いの結界がかけられた路地裏、その最奥。

 そこにあるのは、古ぼけた三階建てのビル。入り口に出ている看板には『剣崎魔導具店』と書かれている。

 そこへノックもなしに踏み入れば、剣やら杖やらが並んでいる店の奥、カウンターに一人の男が立っていた。


「人の家の前で痴話喧嘩してんじゃねぇよ」

「覗き見? 趣味が悪いわね」

「俺の結界内でやるお前が悪い」


 肩の辺りまで伸びた長い髪を後ろで纏めた、鋭利な雰囲気を纏う男。似合わないエプロンは相変わらずシュールに見える。

 彼がこの店の主人であり、愛美の短剣を作った蒼の友人。剣崎けんざきりゅうだ。


「で、今日はどうした?」

「龍さんに作ってもらった剣、折れちゃったのよ。だから新しいの作ってもらおうと思って」

「あー、外でそんな話もしてたか。しっかし、あれが折れるってお前、どんなやつと戦えばそうなるんだよ」


 ガシガシと頭を掻く龍に見向きもせず、愛美は興味深そうに店内の魔導具を見ている。

 剣や刀、槍などの武器の形をしたものもあれば、杖のようないかにもなものに、何の変哲もない紐や小箱なんかもある。

 それら全てが、龍の作った魔導具だ。


 そもそも魔導具とはなんなのか。

 簡単に言ってしまえば、魔術を行使するための道具。ただ、行使するとは言っても大きく二つに分かれる。

 それそのものに魔術が込められたものか、魔術の媒介となるものか。


 前者の場合、魔力を通すだけでその魔術を発動させることが出来る。炎の魔術が込められた剣なら、それに魔力を通すだけで剣に炎を纏わせたり出来るのだ。

 一方で後者の場合、剣であればただの剣と殆ど変わらない。しかし使用者に合わせて細かい調整がなされることもあり、そう言った魔導具は本人でないと魔術の媒介として使用できない。愛美の短剣はこちらの魔導具に該当する。


 もちろん、魔導具でなくとも媒介として使用することは可能だ。織や朱音の持つ銃がいい例だろう。あくまで、効率がいいと言うだけの話。

 だから今日は、織の銃も改造してもらおうとやって来たのだが。


「はぁ……」

「おい、ため息吐きながら売り物の刀振るな。使いたいなら買え」

「刀って私的にはイマイチなのよね。使いにくくない?」

「普通の剣と比べたらな。斬り方が独特だから、素人にはオススメしてない。それより、仕事の話させろ」


 持っていた刀を元の場所に戻し、愛美はカウンターの方に歩み寄る。懐から折れた短剣を取り出して、それを龍に見せた。


「ほら、これ。ポッキリいっちゃってるでしょ」

「あー、こりゃ直せねぇな。腹で強めの攻撃受けたか?」

「それもゼロ距離でね」


 言いながら、先日の戦闘を思い返す。

 我ながらよくあの攻撃を受け切ったものだ。二年前なら、確実にやられていた。向こうは殺すつもりなどなかっただろうから、直撃したとしても死ななかっただろうけれど。


「ともかく、新しい短剣が必要なのよ。出来れば魔力を貯蔵出来るようにしてくれたら助かるわ」

「お安い御用だ。一週間かかるが、問題ないな?」

「ええ。お金も出来る限り払うわ」

「そうしてくれ。客なんてお前か蒼以外に殆ど来ないからな。搾れるやつから搾り取っておかねぇと」

「他に言い方あるでしょ……」


 お金に困ったことのない愛美には理解できない感覚だ。それにしたって搾り取るは店が客に言うセリフではない。どうせ求められた金額は払うから、愛美としては構わないのだけれど。


「ところで、なんだけど」

「なんだ?」

「龍さん、外での私たちのやり取り聞いてたのよね?」


 脈絡のない質問に首を傾げる龍。たしかに聞いていた。龍が張った結界内に反応があったと思えば、異常な魔力を持つやつが一人いたのだ。気になって三人の様子を伺ってみれば、上客の少女が見知らぬ男と言い争いをしている。気になって盗み聞きするのも、致し方ないことだろう。


「聞いてたが、それがどうした?」

「じゃあ、なんで織があんなに不機嫌だったのか、分かる?」


 いくら首を捻っても、愛美には分からなかった。織がああまで感情的になるには、なにか理由があるはずだ。

 いつもの織なら、愛美の言葉を肯定はせずとも否定もしなかっただろう。けれど、先ほどの彼は愛美の言葉を否定し、ただ正論を振りかざすだけだった。


 そう、織の言葉はこの上ない正論だ。間違っているのは愛美の方。それは自分でもよく理解しているし、だから申し訳なさも感じている。


 なら一体、あんな言い争いになってしまうまで織を駆り立てたのは、なんなのか。


 愛美の問いを聞いた龍は、これ見よがしにため息を吐いた。


「お前もまだまだガキだな」

「なによそれ」

「自分で考えろってことだよ」

「考えても分かんないから聞いてるんでしょ」


 今日は分からないことだらけだ。織のことも、自分のことも。

 一つでいいからそれを解消したいのに、その糸口すら見当たらない。


「俺から言えるとしたら、男ってのは面倒な生き物なんだ、ってことくらいだな」

「意味わかんないんだけど」

「そのうち分かる」


 本当に助言をするつもりがあるのか分からない言葉を受け、愛美は再び頭を悩ませるのだった。



 ◆



「うん、それは織くんが悪いね。ていうか、緋桜に嫉妬してどうするの? もしかして織くんって馬鹿?」

「返す言葉もございません……」


 自分の発言がいかに愚かだったかを悟り、朱音に土下座したくなったのはもう数十分前の話。

 さり気なく自分の父親に自分の存在を否定された朱音は、それでも織を笑って許し、事務所には帰らず学院の桃の部屋へと織を連れて来た。


 そこで朱音から一部始終を聞いた桃の反応はご覧の通り。

 思いっきり白い目で見てくる桃に、織は返す言葉を持たない。


「そもそも、話が逸れすぎだよ。朱音ちゃんが緋桜を知らないっていうのが本題じゃなかったの?」

「いや、こう、途中から完全に忘れてたと言いますか……」

「はぁ……まあいいや。どうせ愛美ちゃんも、今頃死ぬほど後悔してるだろうし。放っといても仲直りするでしょ」


 今日の桃はやけに辛辣だ。いや、当然の対応か。織は自分が感情的になりすぎている、ヤケになっている自覚があったが、それにしたって愛美も酷かった。


 視野が狭まり、理屈も論理もない言葉ばかりを吐き出して、挙げ句の果てには腹パンで黙らせる。らしくない。最後の腹パンはまあ、普段でも用いそうな手段だが。

 あんなに剥き出しの怒りをぶつけられたのは、初めてだ。


「問題は、朱音ちゃんが緋桜を知らないってことなんだよね」

「とは言われましても、本当に知らないのですが……」


 そう、そこだ。元はと言えば、愛美として生きたことのある朱音がなぜ緋桜を知らないのか、から始まった。

 それがあんな口論まで発展してしまっていたのだから、何をやってるんだと自分に呆れるしかない。


「ま、織くんの説が有力だろうね。朱音ちゃんの時は、たまたま緋桜と出会わなかった」

「でも、この前は大まかな流れは同じって言ってたよな? 緋桜さんがいるといないじゃ、だいぶ違うんじゃないか?」

「だから、緋桜に代わる誰かがいたんでしょ。それに朱音ちゃんは、当時のことを殆ど覚えてないんだよね?」

「はい……」

「ああいや、別に責めるわけじゃないよ。朱音ちゃんにとっては、二人として生きた過去なんて、所詮通過点に過ぎない。覚えていようがいまいが関係ないことだろうし」


 桃の言葉に、朱音は気まずそうに顔を伏せる。図星を突かれたのだろう。

 織としても、それで構わないと思う。朱音の目的は、あくまでも未来を変えること。織と愛美に転生したのは、いわば失敗だったのだ。二人の力を手に入れたのは、怪我の功名のようなもの。


 それで構わない。通過点に過ぎない過去に固執して、目的を見失ってしまうよりもずっといい。


 ただ、それをわざわざ本人に言ってもいい理由はない。


「おい桃。あんまりうちの娘を虐めないでくれ」

「そういうつもりはなかったんだけどね」


 肩を竦める桃だが、視線は朱音に固定されたままだ。なにかを探るような目。

 朱音が織たちに全てを話していないのは、織も愛美も承知のことだ。それは朱音と一緒に暮らすようになった日の夜、愛美とも話している。


 少なくとも織と愛美に、そこを追及するつもりはなかったのだが。

 どうやら魔女の思惑は別にあるらしい。


 それも当然といえば当然の話だ。

 桃瀬桃は、織たちの中では一番の当事者とも言えるのだから。

 吸血鬼グレイと賢者の石。そのどちらにも因縁を持つ桃は、これから先の未来、そこに待つ選択次第で彼女自身が世界の命運を握るのだから。


「それより、緋桜さんについて教えてくれ」


 魔女の視線から庇うように娘の前に立つ織を見て、桃は苦笑気味に一つ息を吐いた。

 そういうところが、あの殺人姫の琴線に触れるのだろうな、と何気なく思う。


「別にいいけど、愛美ちゃんから聞いてるんじゃない?」

「愛美とお前にとっての恩人、としか聞いてないな」

「それが全部で、それ以外に説明のしようがないよ。緋桜はわたし達にとっての恩人。敢えて言うなら、わたしが愛美ちゃんの次くらいには情を移した相手、とかかな?」

「あ、もしかして好きだった、とかですか?」

「違う違う」


 朱音の言葉に、桃は苦笑して首を横に振る。すぐにそう言う話にしようとするのは、家にある漫画の影響か。恋愛云々なんてまともに知らなそうな朱音には丁度いいと思っていたのだが、その弊害がここで出るとは。


「わたしが今更誰かに惚れるとか、あり得ないよ。そもそも、あれは人間的には出来たやつだけど、男としては最低の部類に入るからね」

「俺様系?」

「蛙の子は蛙だねぇ……」


 しみじみと呟かれた言葉に、朱音は首を傾げるのみ。織は心の中で全力で頷いていた。


 しかし、黒霧緋桜が一体どのような人物なのか、織の中では未だ上手く像を結べない。

 人間的には出来たやつだが、男としては最低。いわゆるハーレムクソ野郎的なあれだろうか。少なくとも、先日見た限りでは俺様系って感じじゃなかった。


「緋桜はね、どうしようもないセクハラ野郎だったんだよ」

「は?」


 セクハラ、というと。あのセクハラだろうか。セクシャルハラスメント的な。

 二人にとっての恩人で、愛美があそこまで感情的になる男が?


「さすがにボディタッチがあったとかじゃないけどね。発言の一つ一つにデリカシーがないし、戦意を削ぐために服だけ剥いだりとかするし、平気で女子生徒にナンパしたりする」

「まさかお前らも?」

「わたしはやられる度に制裁してたけどね。愛美ちゃんは結構やられてたよ? それで怒った愛美ちゃんが緋桜に斬りかかって、簡単にあしらわれるのがいつものやり取りだった」


 織の緋桜に対する印象が地に落ちた。

 愛美が嫌に固執する相手だから、元々いい印象はなかったけれど。その上でこの情報。次に会ったら、もう一発くらいシルバーレイを叩き込まないとダメだ。


「女の敵ってやつですね。殺さなきゃ」

「朱音ちゃんが相手になると本当に死んじゃうからダメ。でもまあ、そんなやつではあったんだけど、わたし達には真摯に向き合ってくれたんだ」


 微笑む桃の瞳には、ほんの少し郷愁の色が。

 二百年を生きた魔女にとって、二年前なんてのはつい最近のことだろう。それでも、そんな感情を覗かせるほどに、緋桜に対して思い入れがある。


「緋桜と出会う前の愛美ちゃんはね、今よりももっと尖ってたんだよ。家族以外は誰も信じない。殺人姫って呼ばれるようになったのも、あの頃だし。兎に角魔術師を殺して殺して殺しまくって。本人もそれを楽しんでた」


 先日、島で少しだけ見た愛美と緋桜の戦闘。

 あの時の愛美は、たしかに今までと違っていた。人としての理性を捨て、本能のままに敵を屠る動き。

 まるで自分の命を顧みない、殺人姫としての本性が、あそこにあった。


 そんな歪な少女と向き合い、今のような真っ直ぐで優しい少女へと変えたのが、緋桜だという。


「緋桜が具体的になにをしたのかなんて、一々話すほどのものでもない。ただ、愛美ちゃんと何度もぶつかって、やがて愛美ちゃんが折れた。あの子はそれから、少しだけ周りを見ることが出来るようになって、時間の経過とともに今の愛美ちゃんが形成された。それだけの話だよ。わたしも似たような感じ」


 織の中の罪悪感が増す。言いすぎたとは思っていた。けれど、桃の話を聞いた今、罪悪感とともにとてつもない後悔も押し寄せていた。


 織が愛美に言ったのは、この上ない正論だ。話が不確定な未来のことであるなら、あらゆる可能性を考慮に入れるべきだし、そこに感情論が介入する余地などなかった。


 でも、緋桜は文字通り、愛美の人生を変えた男だ。織にとっての愛美と同じ。

 そんな相手があんなことを言われたら、怒りもする。結局、人は主観でしか生きられないのだから。


「そりゃ殴られて当然だよなぁ……」


 重いため息とともに漏れた呟き。本心からそう思ってのものだったが、それを聞いた桃と朱音は何故か目を丸くしていて。


「え、織くんそれ本気で言ってる?」

「桃さん、何を言っても無駄ですよ。父さんは本気でそれが理由だと思ってますから」

「ないわー。織くんないわー」

「えぇ……?」


 その言葉の意味が全く分からず、織はまた頭を悩ませることになるのだった。

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