第23話

「あのさぁ父さん……」


 大阪で具体的にどの辺りをフラついていたのか、割と詳細に語った織の隣からは疲れたような声が。

 一体どこに不満点があるというのか。

 二人でウィンドウショッピングして、ゲーセンに入り馬鹿みたいにはしゃいで、家電量販店で漫画やらゲームやらを見て、最後にまたたこ焼きを食べて帰って来た。織からすれば、十分に充実した一日だったのだ。


 対面で話を聞いていた最強夫婦は、なにやら微笑ましいものを見る目でニコニコしているのみ。

 ただし隣の娘は違うようで。責めるような目で織を睨んでいる。


「やる気あるの?」

「なんの」

「むしろ、ヤる気あるの?」

「だからなんの⁉︎」


 おい14歳。その年齢で口走っていい言葉じゃなかったぞ今の。明らかに一度目と二度目でイントネーションが違ったぞ。


「もしかして父さんはあれなの? この前母さんが言ってた、量産型ラノベ主人公ってやつなの?」

「知識の偏りが凄まじいなおい! 誰が鈍感ヘタレクソ野郎だ!」

「織くん、誰もそんなこと言ってませんよ」

「被害妄想甚だしいね」


 大人二人はちょっと黙ってて欲しい。愛美のいう量産型ラノベ主人公とは、つまりそういうやつである。ここにハーレムまで加わったら最強になる。

 俺、またなんかやっちゃいました? とか織は断じて口にしない。なんなら愛美が言いそうなまであるのに。


「いいか朱音。お前は漫画でしか恋愛の知識がないと思うから言っとくが、現実はあんな綺麗に行くわけじゃないんだよ」

「漫画みたいな生活してくるくせに?」

「……」


 娘に速攻で論破された。

 全くもってその通り過ぎてなにも言えない。


 一般人からすれば魔術なり異能なりだけでも、十分フィクションの世界の出来事だ。織の場合はその上で、美少女に拾われてあっという間に一つ屋根の下。その上未来から娘が来た。

 おまけに周りにいる女子(一部女子とは言えない年齢)は、全員器量のいい人物ばかり。


 これなんてエロゲ? ってレベルである。


「結局、父さんがヘタレなだけなのと、現状に満足しちゃってるのが問題だよね」

「ソウデスネ……」


 どうして自分の娘から、こんなめためたに言われなければならないのか。いや、まあ、それこそ今朱音が言った通りの理由なのだろうけど。


 だって仕方ないじゃないか。織だって初めてなのだ。

 誰かのことを好きになって、こうして恋をするというのは。


 朱音のことは言えない。織も同じく、漫画やアニメなんかのフィクションの中でしか知らなかった。なにせかつての友人達はみんな、誰も彼もがモテない非リアばかりだったのだから。

 哀しいね。


「そもそも、織は愛美とどうなりたいのかな?」

「っていうと?」


 問いを投げたのは蒼。そしてその問いは、この話題の核心をついているものだ。

 織がそこをハッキリしない限り、いくら朱音が気を利かせて手を回しても意味がない。織自身も、愛美にどう接すればいいのか分からなくなる。


「だから。織は愛美のことが好きなんだろう? 家族云々以前に、ひとりの女の子として」

「ええ、まあ……」

「だったら、愛美と付き合いたいとか、手繋ぎたいなりキスしたいなり、結婚して子供作りたいなり、そういうのあると思うけど。そこのところどうなのかな」


 どうなのかな、と言われても。織だって年頃の男子なのだから、そういう欲求はもちろんある。

 ただ、実際にこうした言葉として聞いてみれば、それはどこか現実感のないものに感じられて。


「そりゃ、そういう仲になれたらとは思いますけどね。でも、なんというか。それよりも、あいつと一緒にいられたら、それでいいかなって」


 それこそ、朱音が言った通りの現状で満足している、ということなのだろう。

 家族として。兄妹のような存在として。そうして一緒に暮らしている今が心地いい。


 いつかの愛美も言っていた。朱音の存在があり、例え互いを定義する関係が変わっても変わらなくても、愛美にとって織は大切な存在であることだけは変わらないのだと。

 それは織も同じだ。


 ただ、この場にいる娘はどうやら、それで許してくれるわけでもないらしく。


「はー! これだから父さんは! これがこの時代で流行りの草食系男子ってやつ⁉︎」

「それ、流行りはもうすぎてるぞ」

「シャラップ! 女々しいこと言うのはこの時代からなんも変わってなかったんだね! もう面倒だから男らしく押し倒しちゃえばいいんだよ!」


 未来でも云々は気になったが、ひとまず置いておくとして。

 押し倒しちゃえばいい、はあまりにも話が飛躍しすぎだ。同意の上じゃないのなら普通に犯罪だし。


「まあまあ、落ち着いてください、朱音ちゃん。さすがにそこまで行くには順序が必要ですよ」


 興奮気味の朱音を諌める有澄。さっきは朱音よりもマシだったとは言え、結構似た感じのこと言ってた気もするが。彼女さすがに、いきなり押し倒すのはどうかと思ったのだろう。

 大人の女性として言ってやってくださいよ。


「まずは精神魔術で愛美ちゃんを操ってからですね」

「そういう問題じゃねぇよッ!!」


 ダメだ。この場にはまともな女性がいない。なんなら織以外にまともな人間がいない。


 これにはさしもの蒼も頭が痛くなったのか、コメカミを指で押さえつつも織に提案してくれる。


「とりあえず、今度学院祭があるだろう? その時一緒に回るよう誘ってみたらどうかな。その辺が手堅いと思うけど」


 案外まともな提案に、織はホッとする。魔術が絡まなければ、蒼もただの人間、ただの男。織に近い感性を有しているのだろう。


「あ、そういえばそんなこと言ってましたか。ゴールデンウィーク明けでしたっけ? それ、私も行って大丈夫なんですか?」

「その魔力さえ隠してくれてたらね。さすがに、僕や魔女級の魔力がもうひとり学院に現れたら騒ぎになるだろうし」


 この前騒ぎになりかけました本当にごめんなさい。

 あの時は朱音もちゃんと自分で判断して、いつもの仮面を付け魔力もある程度隠していたから良かったものの。そうでなければ学院が大騒ぎだった。

 魔力もそうだが、この容姿的な意味でも。


「先生たちも参加するんですか?」

「一応その予定。せっかくのお祭りなんだし、気晴らし程度にね」

「蒼さん、こういうの好きですもんね」

「今年は去年の愛美を参考にしようかなって思ってるよ」

「絶対人集まらないだろ、それ」


 去年の愛美といえば、グラウンドを貸し切っての桐原チャレンジたら言うものだろう。

 もしかしたら愛美へのリベンジに燃えているやつはいるかもしれないが、人類最強が相手となれば、誰もが逃げ出すに違いない。


「そもそも、グラウンドを貸し切れるかも分かりませんから。多分お祭り回るだけで、催しを企画することはないと思います」

「僕だって、たまには骨のある相手と戦いたいんだけどなぁ」

「じゃあ私とやりますか?」

「その場合、未来で世界が滅んだ理由が変わっちゃうけど、それでもいいなら」


 サラッと恐ろしいことを言わないで欲しい。

 蒼が実際にどの程度強いのか、朱音が本領を発揮できる程回復すればどうなるのか。織にはそのどちらも分からないが、世界が滅ぶなんてのはさすがに言い過ぎだろう。

 そうであって欲しい。


「とにかく、織は愛美を、学院祭で一緒に回ろうって誘うこと。いきなり告白したり押し倒したりに比べると、全然楽だろう?」

「まあ、そうですけどね」


 なんだか上手く誘導された気がしてならない。これが噂に聞く、ドア・イン・ザ・フェイス・テクニックというやつか。三人がかりでんなことやるなよ。


「さて。それじゃあそろそろ、僕たちはお暇しようかな。学院祭までに片付けないといけない仕事もあるし。織、ちゃんと愛美を誘うんだよ」

「分かりましたよ……」


 ここまで言われてしまえば、織も腹をくくるしかない。諦めたように項垂れながらも、ではどの様に誘おうかと早速考えていた。


「ああ、それから。最後に一つ、一応忠告しておきたいんだけど」

「忠告?」


 ソファから立ち上がった蒼の目が、鋭く細められる。先程までのふざけた色は消え失せ、真剣な話なのだとすぐに理解した。


「学院長、南雲仁には気をつけた方がいい」

「学院長って……そりゃまたなんで」

「あいつはなにか企んでる。魔女に聞いてないか?」


 そういえば、桃は学院長を信用していない、と言っていたか。

 昔、南雲がまだ若かく、強大な力を持っていた頃。暴れていた彼を桃が鎮圧した、とも言っていた。

 桃はその経験から信用していないのだと思っていたが、蒼の口からも出てきたということは、確実になにかあるのだろう。


「南雲はルーサーの正体を把握してる。今は静観してるけど、君たちとグレイのことにも、どこかで介入してくるかもしれない。いや、もしくは」

「最初からグル、っていう可能性もありますね。証拠があるかは知りませんが」


 蒼の言葉を継いだのは朱音だ。しかし、朱音自身は南雲の存在に関して、これまでなにも言及していなかった。

 だから仮に二人が協力関係にあるのだとしても、その目的はどちらも違うところにあるのだろう。


「そういうこと。南雲については僕たちが探るから、君たちはグレイの方だけを考えてくれていたらいい。なんにせよ、今のところは気をつけて、としか言えないからね」

「……分かりました。愛美にも伝えときます」

「うん、頼んだ。しばらくは僕も日本にいるから、なにかあったら魔女なり有澄なりを通して連絡するよ」


 蒼の言う通り、織たちが注視しなければならないのはグレイの方だ。未だやつの目的も、現在の足取りも不明なまま。

 そこに自身の所属している学院のトップが、実は敵とグルでした。なんて言われても、織てしてはキャパオーバーになってしまう。


「それじゃあ、お邪魔しました。織くん、気が向いたら図書室にも足を運んでくださいね。面白い魔導書が揃ってるので、力になれると思います」


 有澄が最後にそう締めくくり、二人は音もなくその場から消えた。

 魔法陣の展開すらない魔術行使。初めてそれを見た朱音は、驚愕で目を見張る。


「あの人、本当に人類最強なんだね……」

「あんなんでもな」


 そう。あんなんでも、人類最強なのである。



 ◆



 蒼が帰ってから朱音と二人でまったり休日を過ごす織。昼食はいつものように織の手作りで、朱音はそれを本当に幸せそうな顔で食べてくれる。


 それを微笑ましく見守りながらの昼食も終え、朱音と二人で織の持ってるゲームをやり、そうこうしているうちに外は薄暗くなっていた。そろそろ夕飯の支度をしに二階へ上がろうかと考え始めれば、事務所の扉が開いて愛美が帰ってくる。


「ただいまー」

「おかえり、母さん!」


 愛美の元へと駆け寄る朱音とアーサー。愛美は優しく微笑んで朱音の頭を撫で、次いでアーサーの頭を撫でる。


 いつもいつも、朱音は織や愛美が学院から帰ってきた時などは、必ず笑顔で出迎えてくれていた。

 いってらっしゃいと、おかえりの言葉。そんな当たり前の言葉ですら、朱音の胸を幸せで満たしてしまうのだろう。


 アーサーをもふっている愛美が、不意に織へと視線を寄越した。それだけならまあ、たった今帰ってきたばかりなのだし、おかしなことではないのだが。

 何故かなにも言わずに、ジーッと織を見つめるのみ。


 その意図が分からず首を傾げつつ、妙な居心地の悪さを感じつつ、とりあえずおかえりの挨拶はしておく。

 挨拶をしないのはスゴイシツレイに当たる。古事記にもそう書いてある。


「おかえり。遅かったな」

「サーニャのとこに行ってたのよ。葵が会いたいって言ってたから。本当は先生にも用があったんだけど」

「あの人ならうちに来てたぞ」

「は?」

「なんか様子見に来ただけって言ってたし、実際軽く話してすぐ帰ったけどな」


 滞在時間は一時間ほどだったが、実際にはかなりヤバめの話をした。愛美には聞かれたらヤバイ感じの話。

 朱音も、さすがに愛美本人に言うのはマズイと思っているのか、そこに関して教えようとはしない。


 見るからに不機嫌そうな愛美が舌打ちを一つ。まあ、見事な入れ違いになってしまったわけだし、その気持ちも分かるが。


「で、先生から伝言」

「南雲仁に気をつけろ、だってさ」


 帰り際に蒼から伝えられたことをそのまま全部話せば、愛美は顎に手を当て、瞼を伏せる。


「朱音の存在を知ってる、っていうのは、まあ分からなくもないわ。この前朱音が学院に来た時にでも気づいたんでしょう。あの敷地内は、学院長にとって庭。むしろ自分の国よ。その中で起きたことを把握してないわけがない」


 ただ尋ねてきただけならともかく、校門で乱闘騒ぎまで起こし、織たち風紀が出動する事態にまでなっている。

 何人かは朱音の手によってダウンさせられていたから、わざわざこちらから報告せずとも把握しているだろう。


 だが、その存在を把握しているのと、正体までも知っているのとでは話が別だ。


 まさしく、ついこの前までの織たちのように。


「どこで朱音の正体を知ったのかは分からないけど、向こうから介入して来ない限り、こっちからは手の出しようがないわ。あくまでも、私たちは学院の生徒。あの人は学院のトップだもの」

「ああ。一先ずは先生に任せるしかないな」

「とは言っても、変に朱音のことを隠す必要もなさそうね」

「だな。これで安心して学院祭に来れる」


 そもそも、朱音の身に何かが起きたとしても、本人だけで普通に対処できてしまう。それはグレイなり南雲仁なりが絡んでいなくても、だ。


「ああ、そう。その学院祭のことなんだけど」

「ん?」

「織、当日ちゃんと開けときなさいよ。アイクとか安倍とかに誘われてもついてかないように」


 おっと? これはもしや? まさかのまさか、自分から切り出すよりも前に、愛美の方から誘ってくれるパターンなのでは?

 でも待て待て、まだ心の準備が出来てないぞ。いや、誘われたらもちろんイエスと答えるだけなのだが。それにしたってドキドキしちゃう。


 二人の近くでは、朱音がおお! みたいな感じで目を輝かせている。心なしか、アーサーも興味ありげに織と愛美を見ていた。


 さあ、いつでもどんと来い!


「当日、風紀は見回りしなきゃダメだから」

「え? 風紀?」

「そう。私と葵と桃、それからあなたの四人ね。詳しいことはまた学院で話すけど、とにかく遊び呆ける暇はないわよ。……って、なに、どうしたの?」


 目の前であからさまに肩を落とす織を見て、愛美は小首を傾げる。織どころか朱音すら。なんならアーサーまで。


 さすがに自分以外が落ち込んでいれば戸惑うのか、愛美の頭の上では大量の疑問符が浮かんでいた。


「え、ちょっとなによ。なんかあった? 私、変なこと言ったかしら?」

「いや、そういうわけじゃないけどな……」

「母さん……」


 くぅん、とアーサーがちょっと悲しそう、というか哀しそうな鳴き声を上げる。


 なんだ。自分がいない間になにかあったのか。さてはあの人類最強(笑)がなにか吹き込んだ?


「な、なによ朱音とアーサーまで」

「いい。いいんだよ母さん。母さんはなにも悪くないから。これは仕方ないことだから」

「そんなこと言われると余計に気になるんだけど? ちょっと織?」

「……飯の支度するから、お前その間に風呂入って来い」


 結局愛美の疑問は解消されず、なんなのよもう、と若干拗ねた感じで先に二階へと上がっていった。

 多分、一人だけ仲間はずれな感じがして気に食わなかったのだろうが。


「そう来たかー……」

「うん、どんまい、父さん」


 朱音が織の肩に手を置き、あのアーサーまでもが憐れみからかポン、と織の足をタッチしてくる。


 いっそ全力で泣いてしまいたい織だった。



 ◆



 夜の棗市。綺麗な三日月が浮かぶ夜空には、幾多の星々が輝いている。街灯の一つもない港では、それらが唯一の光源だ。

 暗く、ほんの一寸先すらも闇に包まれたその場所に、狼の遠吠えが響き渡った。


 呼応するように、新たな光源が生まれる。その正体は、遠吠えの主でもある白い狼、アーサーだ。纏った雷が辺りを照らし、闇に潜んでいた魔物を浮き彫りにした。


 漆黒の体躯、悪魔の貌、真紅の瞳、凶悪な爪に一対の翼。ガーゴイルと呼ばれるその魔物は、しかし本来真紅の瞳など有していない。

 眼を含めた全てが黒に塗りつぶされていた筈だ。


 人ならざる二匹の獣は、互いに威嚇しあって向き合う。

 先に動いたのはガーゴイル。翼をはためかせ一度飛び上がり、上空から急降下する。同じ魔物と言えど、その爪は容易くアーサーの命を刈り取るだろう。

 だが、アーサーは冷静に雷撃を放つ。勢いを殺しきれずに直撃したガーゴイルは、醜い悲鳴を上げて地面へと落ちた。


 所詮は狂気に染まった、知性のかけらもない魔物だ。人語を解する程に発達した知能を持つアーサーの敵ではない。


 目の前の魔物が動かなくなったのを見て、アーサーは次の獲物を探す。近くでは己の主、いや家族であるあの三人がまだ戦っているはずだ。その手助けに行かなければ。


 特に、あの男。いつも主人の隣に立っている男は、アーサーよりも弱い。他の二人ならばこのような魔物にはてこずらないだろうが、彼は別だろう。

 癪ではあるが、助けに行かねばなるまい。彼が死ねば、主が悲しむ。主と似た匂いを持つあの少女も。

 敬愛する主を手篭めにしようとするあの男は気に入らないのだが、家族の一員であることに変わりないのだ。


 なにより、昨日はさすがのアーサーも哀れに思った。あれは主が悪い。思わず男に同情してしまうほどに。


 男、桐生織の居場所は匂いで把握している。そちらへ足を向けようとした、その時。

 背後から耳をつんざく叫びが。振り返った時には、殺したと思ったはずのガーゴイルがものすごい速さで迫っていた。


 油断した。仕留めそこねていたか。

 咄嗟に四肢を動かそうとするが、数瞬あちらの方が速い。一撃貰うことは覚悟したアーサーだったが、ガーゴイルの身体が突然真横へと飛ぶ。


 遅れて、アーサーの目の前を一陣の風が吹き抜けた。

 狼の動体視力を持ってしても追えないその動きは、主である桐原愛美のものだ。

 コンテナへと激突したガーゴイルの身体。追い撃ちに放たれた愛美の蹴りが、魔物の頭を潰した。


「ったく、誰の前で誰に手を出してると思ってんのよ」


 不機嫌そうに言いながら、ガーゴイルの胴体に突き刺さっていたダガーナイフを抜き取り、愛美はアーサーの元へと駆け寄る。

 最初にガーゴイルの身体が吹き飛んだのは、愛美が投擲したダガーナイフによるものだろう。その勢いで投擲したのなら貫通していてもおかしくないが、それだけガーゴイルの身体が硬かったということだ。


 そんな硬度を持つガーゴイルの頭を蹴り潰した愛美。我が主ながら恐ろしい。


「アーサー、大丈夫? 怪我してない?」


 しゃがみ込んでアーサーと目線を合わせる愛美が、頭を撫でる。大丈夫だと伝えるように、その手を舌で舐めた。


「大丈夫なら良かった。気をつけなさいよ。こいつら、案外しぶといから」


 言って、周囲へと注意を向ける愛美。夜目の利く愛美とアーサーには、先程殺したのと同じガーゴイルが自分たちを囲んでいるのを視認していた。


 どう動くべきかとアーサーが思案していると、足元に魔法陣が展開される。そこから現れたのは織と朱音だ。織は娘である少女に首根っこを捕まれていた。なんとも情けない。


「父さん連れてきたよ。母さんの言った通り、やっぱり危なかった」

「死ぬかと思った……」

「ありがと朱音。こいつら、思ってたよりも数が多いわ。分散するよりも、固まってた方が安全よ」


 蒼と有澄が事務所を訪れた翌日の深夜。更に日付が変わってから二時間ほど。今日の仕事は、主の生家である桐原組からの依頼という形になっている。

 この街の魔物討伐。元々棗市は、桐原組の管轄下でもある。魔術世界におけるこの街のあれやこれやを取り仕切っているのが桐原組。

 そこガーゴイルの存在を確認したので、討伐して欲しいと桐生探偵事務所に依頼があった。


 そして実際に来てみれば、ここにいたのはただのガーゴイルにあらず。アーサーの親の仇でもある、吸血鬼グレイの眷属にされた個体だった。

 しかも、予想していたよりも数が多い。


 三人と一匹がそれぞれ背中合わせに、魔物たちと対峙している中。


「いや、私が纏めてやるよ」


 一歩前に出た朱音が、軽く指を鳴らす。途端、自分たちを囲んでいた無数のガーゴイルが一匹残らずその姿を消した。

 いや、違う。すぐそこの海上に移動している。今の一瞬で、朱音が強制的に転移させたのだろう。


 指を弾いた右腕を海に向けて差し伸べれば、銀色の紋様がその腕に浮かび上がった。


「第四術式限定解放」


 濃密な魔力が現出する。海上に描かれる魔法陣。ガーゴイルたちはなぜ自分たちがそこにいるのかも分かっていないのだろう。なんとか翼で体勢を立て直しているが、戸惑うばかりで動けないでいる。


 突如、アーサーたちが立っている場所に冷気が漂った。しかしその中心地点はここじゃない。あの魔法陣だ。

 現出するのは、氷の薔薇の花弁。空を飛ぶ魔物を囲むようにして吹き荒ぶ。


凍て咲く薔薇の嘆きロサ・マエロル・コングラティオッ!!」


 氷の花弁が舞い、内部の魔物たちを斬り刻む。まるで薔薇の花弁による竜巻だ。風圧で波が起こり、停泊している船が揺れる。

 離れたこの場でも感じる冷気は、果たして内部だとどれ程のものなのか。

 そこから逃げることも叶わず、ガーゴイルたちは一体、また一体と力尽きて海へ落ちていく。

 途轍もない魔術だ。これが昨日織と話していた、賢者の石に記憶された魔術の一つか。


 いくら記憶された術式を引っ張り出すだけとはいえ、それを操るのに一体どれだけの技術が必要なのか。

 魔力は操るものの、魔術として使うことのできない狼には、想像もつかない。


「こんなものかな」


 氷の薔薇による竜巻が晴れた頃には、ガーゴイルは一匹残らず海の藻屑となっていた。


「相変わらずやべぇな……こいつもたしかに、使いどころに困るわ」

「殲滅できる技があるって便利よね。それより朱音、取りこぼしはない?」

「全部やったよ。そもそもあの中、絶対零度になってるし。まず凍え死ぬよ」

「ならオーケー。今日の仕事は終わりね」


 グッと伸びをする愛美。駆け寄って助けてくれた礼と労わりをなんとか伝えようと思ったアーサーだが、それより早く織が愛美に声をかける。


「今回はマジで焦ったわ。一体二体ならともかく、あいつらめちゃくちゃいるもんな」

「でも、今までの織ならガーゴイル一体だけでも手こずってたでしょ」

「たしかに」

「それなりに成長はしてるってことよ。ちょっとはその実感を持った方がいいわよ。それより私は、さっさと新しい得物が欲しいわ。これ、久しぶりに使うからいっそ素手の方がやりやすいのよね」

「そんなに違うもんなのか?」

「全然違うわよ。東映版とサム・ライミ版くらい違うわ」

「それは……全然違うな……」


 そのまま仲良く雑談を続ける二人。その距離も、心なしか昨日までより近く感じる。


 昨日は織にとってショッキングなことがあったとは言え、距離が近くなるような出来事があったわけではないのに。

 自分は限りなく人間に近い思考、心理を持っている自覚があるアーサーだが、その辺りの心の機微というのは理解できない。


 どちらにせよ、やはり織が気に食わないのはたしかなので、彼の邪魔をしてやるように二人の間へ割って入った。


「おっと。なんだアーサー、どうした?」

「今日はアーサーも頑張ったものね。よしよし」


 穏やかに微笑み、頭を撫でてくる愛美。彼女の手つきはとても優しい。言葉以上の信頼と親愛が伝わってくる。それは朱音も同じだ。

 とても心地よくて、この人が主で、家族で、本当に良かったとアーサーに思わせる。


 しかし、先程の会話を聞く辺り、織は強くなっているのか。それはいいことだ。

 彼にはもっと強くなってもらわないと困る。自分の主は自分が守ると心に誓っているアーサーだが、それでも、魔物であるアーサーにら成し得ないことだってあるだろう。


 なにより、織自身が自分の命を守るため。

 織のことは嫌いだが、それでも今は家族だ。死んで欲しくないと、そう思う気持ちがアーサーの中にも存在している。

 愛美や朱音ありきではなく、アーサー自身の感情として。


 それはそれとして、結局織のことは嫌いだし、愛美の隣にいることを認めたわけじゃないのだが。


 愛美に頭を撫でられ、どさくさに紛れて抱きついて来た朱音にされるがままになりつつも、アーサーは織の方を向いて鼻息一つ。


 どうだ、羨ましいだろう。


「喧嘩売ってんのかこの狼……!」


 まさしくその通りなのだが、アーサーはそれを織に伝える手段を持たない。

 だからいつか、自分を生んでくれた偉大な母のように、人の言葉を操れるようになれれば。


 その時は、もっと盛大に喧嘩を売ってやるとしよう。

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