第34話 届かぬ祈り
「なっ……仲間を斬ったのか!?」
衝撃の展開に、エッドは思わず枕から背を浮かせた。
蒼い顔をした少女は早く話し終えたいのか、ただ淡々と語り続けている。
「あたしも一瞬、何が起きたのか分からなかった。たぶん、あいつは剣に精神を操られたんだと思う。クレアが倒れているのを見た時、我に返ったみたいで驚いてたから。それで錯乱して、今度は……あたしに剣を向けた」
「よ、よく無事だったな」
ぶる、と大きな身震いをしたアレイアは、エッドの言葉に力なく微笑んだ。
「無事じゃないよ。逃げようとしたら、背中をバッサリ斬られた。痛かったなあ」
「!」
一瞬、燃えるような魔力の放出を感じたエッドはそちらに顔を向けた。
「……」
そこには相変わらず、静かに壁にもたれている友の姿だけがある。珍しい現象に眉を上げたエッドだったが、再び口を開いた少女に向き直った。
「倒れて動けないあたしに、あいつはささやいた。この薄暗い場所で出血死するか、これから自分に絶対の忠誠を誓うか選べ――後者なら、止血して連れ帰ってやるってね」
「何だって!? そんなの……!」
「そんなの、選びようがないでしょ? あたしは……生きたかったんだ」
最後の言葉は、エッドに向けられたものではない気がした。
彼女の目には、斃れていった仲間の姿が映っているのかもしれない。エッドは自然に若者の肩をぽんと叩き、年長者としての威厳を込めて言った。
「それで良いんだ、アレイア。死んだら終わりだぞ。……まあ一部、“例外”もあるけど」
「なにそれ……でも、うん。ありがと」
少しだけ活気づいた蜂蜜色の瞳に、エッドは穴の空いた胸を撫でおろした。
子犬のように表情豊かな少女が落ち込んでいるのは、すでに見るに耐え難い。
「あいつは多少の聖術も習得してるから、約束通り止血してあたしを地上へ連れ帰った。でも、失血で気を失って……で、目覚めたらこの呪印の奴隷ってわけ」
忌々しそうに自身の口を指差し、アレイアは言い捨てる。
「もちろん、あいつの目を盗んでいろいろやってはみたよ。言葉では伝えられなくても、紙に書いたり舌を見せようとしたりね。でも、ダメだった。気づいたら、全然違うことをしてるんだ」
「それでも、やっぱり誰か気づいてもおかしくないと思うが……」
エッドが疑問を素直に口にすると、アレイアはやれやれといった風に頭を振った。
「んじゃ、あんたは分かった? あたしが服従してるって」
「あ……いや」
「言っとくけど、ログレスが術を見破ったのはすごいことなんだから。呪いってだけでも何百種とあるのに、加えて通常は使用されない“古術”ときてる。一発で言い当てられて、マジでびっくりしたもん」
賞賛の眼差しを窓辺に向け、若き闇術師は興奮した様子で言った。
ログレスはその熱っぽい視線を受け流すように窓の向こうを見つめ、ぼそりと答える。
「現代の操作術では、表面的な部分に常に何らかの影響が出ます。しかし貴女の意識はすこぶる明瞭でしたし、かといって広範囲に刻まねば意味を成さない呪詛の紋も見えない……つまり、かつて奴隷大国ニームで編み出されたというレンヴィル流派の――」
「そういう専門的な話は、あとで二人でやってくれ」
お手上げだという風に肩をすくめ、エッドは苦笑している少女を見る。
「ありがとう。そっちのことは大体わかった。ライルベルは、“聖宝”に精神を侵食されつつあるってことだな」
「うん。“願い骨の細剣”なんていう気障な名称は、あいつが付けたんだよ。結局、宝は破壊されていたとか何とかって、依頼主に嘘ついて持ち逃げしたっぽいし……。ほんと、なにもかも気味悪いよ」
ずいぶんと大胆な行動だと、エッドは驚いた。それほど難度の高い依頼に対する報酬はかなりのものだっただろうに、それ以上に危険な剣を選ぶとは。
いや――“選ばされた”のだろうか?
「あいつの話だと、“聖宝”が魔物を求めているのは間違いないって。でも魔物ってのは斬るための方便で、あたしは強い“魔力”に惹かれてるんだと思う。優秀な術師だったクレアを斬った時、まるで魔力を吸収したみたいに剣が強くなったのを感じたから」
もう一度身震いし、失った仲間を悼むように少女は目を伏せた。
エッドも追悼の意を示して頭を垂れ、無念だっただろう聖術師の冥福を祈る。
「……ありがとね。亡者に祈りを捧げられるとは思ってなかっただろうけど、クレアはのんびりした人だったから、大丈夫かな」
「そうだといいな」
和んだ空気に、さっと北風のように滑り込んできたのは友の声だ。
「穏やかになったところ悪いのですが……クレア女史はまだ、祈りの届く場所にいないのでは?」
「えっ」
二つの驚いた顔を見返し、ログレスは腕組みを解いて続ける。
「女史が斬られた際、魔力が吸収された――問題は、その前です。精神を操られた勇者は、不穏なことを口走りましたね」
「う、うん。たくさんの誰かの声で、“お前も、使命を果たせ”って……」
記憶を辿ったアレイアはいっそう蒼ざめ、ハッと口を押さえて黙り込んだ。腰掛けていなければ、卒倒していたかもしれない。
なんとか椅子の淵を掴んで身体を支えながら、少女は声を震わせた。
「そうか……そんな、クレア……!」
「門外漢にも分かるように説明してくれ、ログ」
「つまり、こういうことです」
ログレスは推測を披露する時の癖で指を立てる。この男が立てた推測がほぼ的中することを知っているエッドは、先を聞きたくないという衝動に駆られた。
「同じ属性を持つ聖術師の魂ならば、かの剣に取り込まれてしまったのではないか――という話です。天界へ旅立つことのできない哀れな魂たちが、目の前に浮かんだ新たな魂を安らかに逝かせるとは思えません」
「そんなことが――」
「あるのですよ。魂とは肉体の束縛を受けない、この世おける最も強い“魔力”です。……もちろん、怪談話で済めば良いのですが」
皮肉ではなく、本心でそう思っているらしいログレスは顔をしかめて言葉を結ぶ。
アレイアはシーツを見つめながら、ぶつぶつと呪文のように呟いた。
「だとしたら、まずいよ……“彼女”だって、そうなんだし……」
「彼女って――まさか、メリエールか!?」
エッドが勢いよく上体を起こすと、枕が滑って床に落ちる。
白い塊が床に横たわる姿は、何やら不吉な姿を連想させた。
「う、うん……。あんた達とライルベルのやりとりを、妨害術の外側からあたしも見てたんだ。彼女――メリエールは、確かに抜きん出た聖気を持ってる。話すのは平気だけど、闇術師としてはちょっと触れないかなーってくらい」
「ああ。ビリビリくるぞ、うっかり触ると」
エッドは首を傾げ、記憶を掘り起こす。
「でもライルベルは以前から、メル個人に手紙を送っていたんだろ。やっと手に入れた彼女を、さすがに斬ったりしない……よな」
「うん。のんびり屋のクレアとは反りが合わなくて、前から新しい聖術師を探してたんだ。“ディナスの聖女”の評判を聞いてからは、猛烈に勧誘してたな」
うんざりした顔で頭を振ったあと、アレイアは真面目な表情になって言う。
「でも、いきなりディナスへ渡るって言い出した時は、ちょっと強引だったかも。そこに剣の意思も作用してるとしたら……」
「まさか! だったら」
華奢な白い背中に、ぱっと紅いものが散る――そんな姿を思い描きそうになり、エッドは牙を口内に突き立てた。痛くはないが、異物感が嫌な想像を食い止める。
「……それならば、まだ心配ないでしょう」
「なんで分かるの?」
飛びつくように言ったアレイアに、エッドも追って発言者を見た。床板を軋ませずにこちらに歩いてきたログレスは、さらりと言う。
「分かりませんか。“契約書”です」
「あっ……そ、そっか! それがあった」
無知なのをこれほど歯痒く思ったことはない。苦々しい顔のエッドを見、アレイアは慌てて言葉を探した。
「えっとね、ちょっと前の質問に答えることにもなるけど――メリエールが署名したのは、特殊な契約書なんだ」
「特殊……」
ごく普通の紙に見えたが、という率直な感想が顔に出ていたのだろう。アレイアは頷いて説明を続ける。
「そう。清らかな生物である
「……それで、そのにぎやかな道具にはどんな効果があるんだ?」
疑問符を読み取り、答えたのはベッド脇に立ったログレスである。
「署名した者は、書面に記された内容を絶対遵守――つまり魔術の理を無視した、一種の“魔法”による契約です」
「何? じゃあ、“呪戒律”みたいなものってことか!?」
エッドの驚愕した声に、新鮮な“体験者”は重々しく肯定を示す。
「そんなもんだけど、ある意味……もっとタチが悪いね。あたしみたいな“呪い”じゃなくて、自分の意思でその契約に同意しちゃってるわけだから。だから、署名後は精神に影響が出てたでしょ」
「あれか……」
ライルベルの言動に従順になったメリエールを思い出し、エッドは呻く。
心ここにあらず、とはあのような状態のことを言うのだろう。
「しかし、今回に限ってはそれが光明となりました。そのような“魔法”を含んだ書簡は、もちろん製作者にも効果が及びます。ゆえにライルベルは、彼女を斬れないのです」
「!」
“私の命の保証……”
契約書を手にした時、確かにメリエールはそう読み上げた。
それは、勇者も守るべき契約が交わされたということに他ならない。
「ほかに住居や休息の契約も結んでいますから、彼女が劣悪な環境に置かれる心配もないでしょう。それらを与えなければ、勇者は“契約違反”と見なされます」
「……そうなったら、あいつの身に何か起こるのか?」
恐々と訊ねるエッドに、友は怪しげに口の端を持ち上げた。この男にとっては愉快なことでも、エッドは自分のために聞かないことを決める。
早々と新しい仲間に向き直り、亡者は話をまとめた。
「とりあえず、彼女は安全ってことでいいんだな?」
「だと思う。もしあいつの精神がすでに完全に剣に呑まれていたら、契約書なんか渡さないであの場で斬りかかってただろうし。でも、急いだほうがいい……契約書の効果は、人間の“意思”に対して働くんだ」
「ああ」
警告するようなアレイアの声に、エッドは頷いた。
さすがに今度は、どのような危機が迫っているか理解できる。
「期限はライルベル御坊ちゃまが、剣の怨念に取り込まれるより前。それまでに――彼女を取り戻す」
二人分の頷きを得て、エッドは窓の向こうを見た。
きちんと言葉にして伝えたい想いが、まだたくさんある。
「……今度は、ジャムを作っていかなきゃな」
甘い香りの風を吸い込み、エッドは決意と共に胸に閉じ込めた。
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