第87話「本来あるべきギャンブラーの姿」
「あ……もうレース始まっちゃった?」
「みたいですね……ちょっと、それ貸してください」
「あ……うん」
レイラさんとアオイちゃんに絡まれているうちに、3レースが始まってしまったことにガッカリしているカレンさんから、競馬新聞を受け取った俺は、3レースの馬柱を見たが、このレースもまた主役不在の大混戦で、パドックを見ずに当てる自信はまったくなかった。
続く4レースの馬柱を見てもやはり混戦模様、1番人気の単勝オッズが3倍を超えるレースを当てるのは容易ではなかった。
「ねえ、サトシくん、ずっと聞きたかったんだけど、なんで競馬新聞ってレース順に並んでないの?」
「え? どういうことですか?」
カレンさんの質問の意味がわからなくて、聞き返した。
「だから、一面が、今日一番大きいレースの記事なのは当然として、なんで、その次のページに1レースや2レースの記事が載ってないの?」
たしかに一番の次のページに載っているのは10レースや12レースなど、後半のレースの記事で、1レースの記事が載っているのは真ん中ら辺のページだった。
「なんでって言われても……俺は競馬新聞の人じゃないんでわかりませんね」
カレンさんの前で知ったかぶりはしない俺。
「そっか……サトシくんでも知らないことがあるんだね」
「お力になれず、申し訳ない」
「いや、別にいいけど……」
俺はカレンさんに競馬新聞を返却した。
「ところで、カレンさんはお腹空いてないですか? そろそろお昼ごはんにした方がよいのでは?」
「え? でも、まだ11時なんだけど……それに次のレースもあるし……」
「今、走ってる3レースの次の4レースのあと、お昼休みになって、飲食店がめっちゃ混むから、早めに食べた方がいいんですよ。もしくはお昼休みが終わった5レースのあとに食べるというのもありですけど……」
「5レースの発走時刻は……12時20分か……」
カレンさんは競馬新聞を読んで、5レースの時刻を確認したのち、俺に笑顔で語りかけた。
「そうだね、じゃあ先に食べちゃおっか。ここにはどんなお店があるの? サトシくんのオススメは?」
「そうですね……俺が子供の頃から大好きなのはチキンカツカレーですね」
「カレーか……いいね、カレー食べたい」
「じゃあ、行きましょうか」
俺が、当たり前のようにカレンさんの手を取って、連れていったのは2階の軽食コーナーで、俺がお店の列に並んで、チキンカツカレー……お店の看板などには「勝つカレー」と書かれている……を2つ注文した。
2レースでゲットしたお金で、カレンさんがおごってくれようとしたが、俺は親父からもらった3000円があるので断った。
軽食のカレーが高いわけもなく、650円ほどで、当然割り勘となった。
それをテーブルの前に二人で並んで、立ちながら食べた。
小倉競馬場の軽食コーナーに椅子はなく、立ち食いだった。
「わぁー、おいしそうだねー」
「ええ、おいしいですよ」
俺はプラスチックのスプーンで、ルーをご飯にかけながら食べた。
もちろん無難な日本のカレーで、そんな特別な味がするわけもなく、激辛なわけでもないが、それが俺は子供の頃からずっと好きだった、やっぱり俺は日本人であるらしい。
朝にラーメンを食べてお腹いっぱいになったはずだが、高校生は代謝がいいからか、あまり量の多くないカレーぐらい余裕で食べることができた。
「うん、おいしい」
カレンさんにもお気に召していただけたみたいで何よりだった。
「ところで、サトシくん。競馬場で食事できる場所ってここだけなの?」
「そんなことはありません。1階にも軽食コーナーはありますし、上の方に行けばレストランもありますよ、一人だと入る勇気ないですけど……」
「そうなんだ……じゃあ今度来た時はそのレストランに行ってみようか」
「え? 今度?」
「今度」があるのか? 期待しちゃってよいのか?
そうは思えども、カレンさんにそれを問う勇気はなく、大人しくカレーを食べ続けていたら、11時半発走の4レースが発走する頃に食べ終えてしまった。
しかし、カレンさんはまだ食べ終えておらず、4レースは軽食コーナーからも見える巨大モニターで見ることになった。
「うわー、大きいモニターだねー」
「そうですね」
親父のせいで、子供の頃から見続けているので、今さら巨大モニターや競馬のレースをVTRで見ても、カレンさんのように新鮮な気持ちになることはできずにいた。
簡単に言えば「飽きている」のだ。
好きは好きだけど、飽きてもいる……まるで倦怠期の夫婦のような気分で、競馬のことを眺めていた。
「ねえ、サトシくん。このレースの次のレースは何を買えばいいのかな?」
4レースの3歳未勝利(牝馬限定・芝1800メートル)のレース後、カレンさんが話しかけてきた。
「ひょっとしてカレンさん、このあとの全レース買おうとしてません?」
「え? 買っちゃいけないの?」
「ダメですね」
「なんで?」
「いいですか、カレンさん。ギャンブルってのは野球と一緒なんです。どんなにすごい野球選手でも規定打席に到達して、なおかつ打率10割でシーズンを終えることなど不可能です。どんなにすごい抑えのエースでも防御率0.00でシーズンを終えることはできません」
「あ?」
「それと同じでギャンブルも100%の確率で的中させることは不可能です。つまり、バカみたいに全レース買うと、お金を損するだけなのです。『このレースは絶対に当てる自信がある』というレースを厳選し、確実にリターンを狙えるレースにだけお金をぶち込むのが、本来あるべきギャンブラーの姿なのです」
「え?」
俺がまたしても早口で語るものだから、カレンさんは明らかに戸惑っていた。
「本来あるべきギャンブラーの姿って、サトシくんって未成年だよね? 未成年なのにギャンブラーなの?」
あ……いけない……俺って高校生だったんだっけ……
「あ、いや……これは俺じゃなくて親父が常日頃から言っていることで、子供の頃から何度も何度も聞かされているものだから、つい覚えちゃって……」
ここでそんなこと言うと、言い訳するために嘘をついているという風に思われてしまうかもしれないが、親父の受け売りであるというのは真実である、夕食の時などに何度も何度もこの話をされるから自然と覚えてしまうのである、「全レース買ったら絶対に損をするから、買うレースは選べ云々」
「そうなんだ……サトシくんのお父さんってギャンブラーなんだね。じゃあ苦労してるんじゃない?」
「え? 苦労って何がですか?」
「あ……いや、なんでもない……」
カレンさんは急に会話を打ち切って、カレーを食べることに集中し始めた。
そんなカレンさんのことを見ながら考えて気づいたが、「親父がギャンブラーだと、お金を無駄づかいされて、金銭面で苦労してるんじゃないのか?」ということをカレンさんは言いたかったのだろう。
ところがうちの親父は、一応、剣術師範だからか、無謀な勝負をすることは一切なく、池川家が金銭面で苦労することなどまったくなかった。
親父にとってギャンブルはあくまで趣味であり、家族に迷惑をかけるなんてことは一切なかった、むしろ「万馬券を当てた」とかなんとかで食事が豪勢になることがままあり、俺としては迷惑どころか、ありがたかった。
でも、そんなことをカレンさんに言っても仕方がないと思って、俺は黙ってカレンさんがカレーを食べ終えるのを待っていた、「そんなにジロジロ見られると食べづらいよ」などと言われたので、スマホをいじって、暇を潰した。
カレンさんがカレーを食べ終えた時は、まだ昼休み中で、パドックに行っても馬がいないので、場所取りしている椅子に戻って、カレンさんと談笑した。
その時に競馬新聞を改めて見て、気づいてしまったが、この日の小倉競馬はどのレースも大混戦で、いわゆる「グリグリ二重丸」と言えるような馬は、7レースのイェーガーオレンジだけだった。
これも、常々親父に言い聞かされていることだが、ギャンブルというのは「まず間違いなくこの馬、もしくは選手が勝つ」という「
特に競馬の場合は、単勝1倍台の圧倒的1番人気の馬が勝とうとも、2着が人気薄の馬ならば、3連単どころか、馬単でも万馬券になるので、なおのこと頭で穴を狙わずとも、儲けることができるらしい。
それ以外の、どの馬が勝つかわからないようなレースはなるべくなら買わない方がいいらしい。
俺は親父のその教えをカレンさんに伝授し、7レースまでは馬券を買わずにレースを見るだけにした方がよいとアドバイスした。
2レースで的中させているからか、カレンさんは俺の言うことに一切反発せず、素直に受け入れてくれた。
7レースの発走時刻は13時20分で、まだ1時間半ぐらい先だったが、カレンさんに延々と競馬やギャンブルのうんちくをたれていたら、一瞬で13時になってしまっていた。
どんな話をしても、ちゃんと受け入れて聞いてくれるカレンさんの前で話をするのは実に楽しかった。
自分の好きなこと、得意なことで、好きな人のお役に立てるというのは、この上ない喜びだった。
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