第73話「サヨナラ」

「サ、サトシ様、どうしてそんなに帽子を目深に被っていらっしゃるのですか?」


「いや、ちょっとね……」


 そんなわけで、山口県大会の決勝戦が始まったわけだが、俺は以前、お嬢やロバータ卿と広島でプロ野球の試合を見た時、派手なガッツポーズをしてテレビ中継に映り込んでしまったばっかりに、サアヤさんに激しく攻撃されてしまったことを思い出し、今日は万が一、テレビに映っても大丈夫なように、野球帽を目深に被って、顔を隠そうとしたのである。


 まあ、高校野球の場合、テレビに映るのは応援団だけで、バックネット裏で見ている一般客はまず映らないと思うが……いや、やっぱりバックネット裏の最前列の席ってのは、試合中、常に映っているのかもしれないし、警戒するに越したことはない。


 こんなことになるなら、昨日の試合中、客席もちゃんと見ておくべきであった……ボールと選手しか見てなかったから、客席がどう映ってるのかなんて、まったく見当もつかないよ……


 とにかく今は、サアヤさん、パーラー、マッチの全員がこの試合のテレビ中継を見ていないことを祈るばかりだが、普通は母校が決勝進出したら、見るよなぁ……


「サトシ様、そんなに目深に被って、試合が見えるのですか?」


「うん、大丈夫、見えてるから気にしないで。試合に集中しよう、お嬢」


「そうですか。では、そうしましょう」


 我がヤマダ学園の決勝戦の相手は、これまた山口県大会上位常連の下関市しものせきしの私立高校だった。


 なんたって下関市は県都けんと・山口市よりも人口が多いことでおなじみの、山口県最大の都市である。


 いかな姉小路あねがこうじと言えども、簡単に勝てる相手ではなさそうだ。


 今日はヤマダ学園が先行で、最初にマウンドに上がったのは、対戦相手の先発投手だった。


 左投げの「佐藤」という、よくいる名字の投手の前に、1回表のヤマダ学園の攻撃はあっさり三者凡退に終わった。


 そして1回裏、姉小路がマウンドに上がったとたん、俺たちの周りに座っていたワイシャツ姿の大人たちが、次から次にスピードガンを取り出して構え始めた。


 こ、これがうわさの、プロ野球チームのスカウトの人たちなのか……って、あんまりガン見しちゃ悪いよな……


 俺がスカウトの方を見ていた目線をグラウンドに戻した時、たまたま目に入ったのだが、ナナと福原ふくばらさんはガッチリ手を握りながら、試合を観戦していた。


 福原さんがいい子だと知ってしまった今、それを見ても別に嫉妬したりはしなかった。


 むしろ、嫉妬以上に厄介な、「ナナは福原さんと付き合ったままでいいから、同時に俺とも付き合って、『私たち、3人で幸せになろうよ』とかいう展開にならないかな」などという、よこしま、かつ、不道徳な感情を抱いてしまっていた。


 こんな気持ちは、誰にも明かせやしないし、わかっちゃくれない……


 俺がよこしまな感情を心の中で恥じているうちに、姉小路は下関の高校を三者凡退に切って取っていた。


 ノーヒットノーランのせいで気づくのが遅れたが、昨日の姉小路は無四死球だったのである。


 プロも顔負けの球を投げられる上、コントロールもいいというのだから、姉小路目当てにスカウトが大挙してやって来るのも当然である。


 おそらく、ほぼ全チームの中国地方担当スカウトが、今日ここに集結しているのではなかろうか?


 そしてそのスカウトたちの期待に応える熱投を続けている姉小路は、プロ志望届を出しさえすれば、ほぼ間違いなく、2年後のドラフト会議で指名されることだろう。


 それも、複数の球団が1位指名して、抽選になること間違いなし……


 新聞によれば、姉小路のもとには日本全国の野球強豪校からスカウトが来ていたらしいが、すべて断って、ヤマダ学園に入学したらしい。


 姉小路なら、甲子園で優勝争いできるような強豪校に行ってもエースになれるはずだが、「ハーレム学園生活を送りたいんジャー」という不純な動機で、ヤマダ学園に入学したわけで……ちなみに俺の大好きなカーズの吉永は「寮生活だとテレビが見られなくなるのがイヤだ」という理由で強豪校の誘いを断り、自宅から最も近い、防府市ほうふしの県立高校に進学したらしい……やっぱり「天才」ってのは頭のネジが外れた人が多いのだろうか?


 ちなみに、姉小路がヤマダ学園に進学した理由、新聞では「どうしても地元の山口県で野球をしたかったから」ということになっていた、さすがに「ハーレム学園生活を送りたいんジャー」ってのを公言するほど、姉小路はアホではないようだった。


「あら、この曲、わたくしの好きな曲ですわ」


 などと、頭の中であれやこれや考えていた俺を現実世界に連れ戻したのは、クレナお嬢の一言だった。


 今、球場に流れているのは、下関の高校の吹奏楽部が演奏している「くれない」だった。


「え? お嬢、X JAPANが好きなの? 意外なんだけど……」


「わたくしというより、お父様が大ファンなのですわ。特に好きだったのがこの曲で、この曲はわたくしの名前の由来なんですのよ」


「え? 名前の由来?」


「はい。お父様は本当は『くれない』って名前にしたかったらしいのですけれども、それだとキラキラネームだと言われかねないので、やむなく『い』を取って、『紅麗那くれな』という名前にしたそうですわ。くれなの『く』が『紅』なのは、名前の由来が『紅』だったことの名残なのだそうです」


「ふーん、そうなんだ」


 大企業の社長が、娘の名前にしてしまうほどのX JAPANのファンとか意外すぎて、驚かずにはいられなかった。


「ところで、サトシ様の名前の由来はなんなんですの?」


「え? し、知らないな。聞いたことないから……」


「そうなんですの」


 なぜか、お嬢に自分の名前の由来がポ○モンであることを明かすのが恥ずかしくて、嘘をついてしまった。


「今度、お父様に聞いてみてはいかがですか?」


「う、うん……そ、そうしようかな……」







 試合は白熱の投手戦だった。


 余力充分の姉小路は今日も絶好調で、ヒットこそ早めに打たれて、完全試合とノーヒットノーランはなくなったものの、いわゆる「2塁を踏ませぬ」好投を続けていた。


 一方の佐藤投手もなかなかの好投手なのか、はたまたヤマダ学園が貧打すぎるだけか、こちらはこちらで「3塁を踏ませぬ」ピッチングを続けていた。


 午前中と言えど、暑い中での試合観戦だったが、そごうさんがこまめに麦茶を支給してくれたので、つらくなることはなかった。


 隣に座るナナが、ことあるごとにすっとぼけたことをぬかしてくるのにはほとほと参ったが……野球のルールをいくら説明しても、まったく理解してくれないし……


 両チーム無得点のままなのだから、試合は早い時間に終盤に突入していた。


 8回表のヤマダ学園の攻撃は1番打者から始まった。


 その1番打者はあっさり三振したが、続く2番打者が四球で出塁し、3番打者は迷うことなく、送りバントを決めた。


 ツーアウトながら、ランナー2塁で、打席には姉小路。


「ここでタイムリーヒットが出れば、甲子園出場はほぼ確定かもね」


「そうですわね、サトシ様。ここは大事なところですわね」


「え? 平将門たいらのまさかど?」


「うるせー、ナナ! 大事なところなんだから黙って見てろ!!」


「そんな……セイラちゃん、助けてー、サトシがいじめるー」


「おお、可哀想なナナちゃん、よしよーし……」


「タイムリーヒット」を「平将門」と聞き間違えるナナに、キツいツッコミを入れたら、ナナは福原さんに抱きつき、福原さんはナナの頭を撫でていた。


 そんな百合ップルのイチャイチャを見せつけられると、なんかイライラしてきたので、グラウンドに目線を戻した。


 姉小路以外は凡打者が並ぶヤマダ学園なのだから、敬遠も選択肢にあるかと思ったが、佐藤は勝負に出て、1球目はストライク、2球目はボールだった。


 いくらバックネット裏でも、客席から見て球種がわかるほどの選球眼を、素人の俺が持っているわけはなかった、球速がわかれば、推測することはできようが……いや、球速がわかっても直球か変化球かぐらいしかわからないかな、やっぱり……


 とにかく、3球目もストライクで、姉小路はあっさり追い込まれてしまった。


「ここで点が取れないと、なかなかヤバいよねぇ……」


「そうですわね……」


 俺とクレナお嬢が祈るように見つめた4球目はボール、5球目はファールだった。


 6球目もファール、7球目もファール。


「粘りますわね」


「まあ、大事なところだからねぇ……」


 カットで粘る姉小路にじれた佐藤が8球目にボールを投げて、フルカウントになった。


 2アウトでフルカウントになったのだから、2塁ランナーは佐藤が投球に入ると、迷わず走り出した。


 佐藤の9球目を姉小路は打った。


 それはいわゆる「センター返し」の鋭い打球で、1アウトだったらただのセンター前ヒットだったのだろうが、2アウトでランナーが走っていたがゆえに、センターの必死の返球もむなし、キャッチャーがタッチするよりも先に2塁ランナーがホームベースを踏んでいた。


 そう、ついに試合の均衡が破れ、ヤマダ学園が1点を先制したのだ。


「や……やりましたわね、サトシ様!」


「うん、やったよ!!」


 俺は拍手しながら立ち上がって、クレナお嬢と両手でハイタッチをした。


 ヤマダ学園の応援団たちも大騒ぎだったが、ナナと福原さんは特に騒ぐこともなく、完全に二人の世界に入っていて、「大昔のプロ野球珍プレー好プレーかよ」と思わずにはいられなかった。


 姉小路の次の打者はもちろん凡退して得点は1点だけだった。


 8回裏、9回表とも両チーム無得点で、試合は1対0のまま、9回裏を迎えていた。


「ど、ど、ど、どうしましょう、サトシ様。このままでは本当に我がヤマダ学園が甲子園に出場してしまいますわ」


「お、落ち着いて、お嬢」


 そうは言いつつ、俺もクレナお嬢と同じように、ガクガクブルブルと震えていた。


 グラウンドに立っている選手でもないくせに、なぜか緊張してしまっていた。


 震えるクレナお嬢は、俺とロバータ卿の手を握りながら、グラウンドを見つめていた。


 一方でナナと福原さんはずっと見つめ合っていて、試合なんかこれっぽっちも見ていなかった。


 今にもキスし出しそうどころか、福原さんがナナのおっぱいを揉み始めそうな勢いの百合ップルを横目に見つつ、クレナお嬢の手の感触に心地よさを感じつつ、俺は9回裏を眺めていた。


 9回裏の先頭打者は空振り三振、2番目の打者は見逃し三振だった。


「サ、サトシ様! あああああ、あと1アウトで、ここここここ、甲子園ですわ!」


「お、落ち着いて、お嬢」


 甲子園出場を目前にして、なぜか一番興奮していたのはクレナお嬢だった。


 ロバータ卿はイギリス人で、甲子園に出場する大変さとかわかっていないからか、冷静に試合を見ていた、ナナと福原さんは……もういちいち書くのもバカバカしい……


 俺としては、自分のクラスにこんなすごいピッチャーがいることに興奮していたが、クレナお嬢があまりにも動揺しているのがおかしくって、逆に落ち着いた気分になっていた。


 もし本当に甲子園出場が決まったら、クレナお嬢は俺を甲子園球場に連れていってくれるに違いない。


 関西なんて修学旅行でしか行ったことないから、クレナお嬢に連れてってもらえるのなら、ぜひ行きたい……そしてできれば、クレナお嬢の力で、甲子園だけでなく、なんばグランド花月に連れていってもらって、新喜劇や漫才を生で見たい……


 俺がそんなよこしまなことを考えているうちに、3番目の打者はフルカウントから四球を選び、出塁していた。


「サササササササ、サトシ様。ラララララララ、ランナーが出てしまいましたわ、だだだだだだだ、大丈夫でしょうか? ホホホホホホ、ホームランが出たらサヨナラ負けですわよ」


「だから落ち着いてって、お嬢。チャカ・カーンの名前を連呼するメリー・メルみたいになってるから……」


「え? チャカ? サトシ様、拳銃なんか持ってますの?」


「いや、そのチャカじゃねぇし、高校生の俺がチャカなんか持ってるわけがねぇ……」


 俺がクレナお嬢のボケにツッコんでいると、4番目の打者が姉小路の初球をとらえてセンター前ヒットを放ち、ツーアウトながら、ランナー1塁3塁になった。


「サササササササ、サトシ様。ここここここ、甲子園を目前にして、だだだだだだだだ、大ピンチでございますわよ」


「だから落ち着いてって。ここまで来たらもう、なるようにしかならないんだから……」


「そそそそそそそそ、そうですわねねねねねねねねね」


「ダメだこりゃ……」


 動揺するクレナお嬢の手を握りつつ、俺はグラウンドに目線を戻した。


 マウンド上の姉小路は額に流れる汗をぬぐったあと、ロジンバックを右手で強く握り、白い煙をあげてから、この回5番目の打者に初球を放った。


 そのボールはとても緩いボールだった。


 素人の俺が見てもわかった、「カーブがすっぽ抜けたのだ」と……


 5番目の打者は姉小路の失投を見逃さなかった。


 彼の放った打球は右中間を深々と破り、まず3塁ランナーがホームインして同点になった。


 さらにライトが打球処理にもたつき、焦ってボールを内野に返そうとしたら大暴投となり、ボールは誰もいないファールグランドを転がってしまった。


 もちろんその間に、1塁ランナーもホームイン。


 ついさっきまで、ヤマダ学園が勝っていたのに、あと1アウトで甲子園に行けていたのに、まさかの逆転サヨナラ負けで、夢は一瞬にして粉々に砕け散ってしまった。


「な……ななな……ななななな……」


 俺とクレナお嬢はあまりの出来事に呆然としていた。


「ねえ、サトシ。みんななんで騒いでるの?」


 そんな俺に話しかけてくるナナ。


「なんでって、試合が終わったからだよ」


「そうなんだ、勝ったの?」


「負けたよ……逆転サヨナラ負けでな……」


「え? サヨナラ? 何それ?」


 俺はナナに「サヨナラ」の説明をする気力もなく、クレナお嬢の手を握ったまま、椅子にもたれかかった。


 自分のせいでサヨナラ負けを喫したライトは号泣していたが、意外にも姉小路は涙することなく、そのライトのことを慰めていた。


 本当は悔しいはずなのに、あえて悔しさを押し殺し、仲間のことを気づかう……これがスポーツマンシップというやつなのか、姉小路、お前って実はいい奴だったんだな……なのになんで「ハーレム学園生活を送りたいんジャー」とか願うんだよ、おバカ……


 気がついたら、姉小路ではなくて、俺とクレナお嬢の方が泣いていた。


「サ……サトシ様……あと少しで甲子園でしたのに……でしたのに……」


「ああ、残念だったな……でも負けても、姉小路は爽やかな表情をしてるんだから、俺たちが泣いてちゃいけないんだよ、お嬢……」


「ちょっとサトシ、なんであんたが泣いてんのよ……」


 そんな俺のことを、ナナが冷ややかな目で見てきたが、それに対して、ああだこうだ言いたい気分にはならなかった。


「Oh(オー) フタリトモナカナイデー、Hush(ハッシュ) Little(リトル) Baby(ベイビー) Don't(ドント) You(ユー) Cry(クライ)」


「いや、なんでサマータイムなんだよ! たしかにイギリスは今、サマータイムなんだろうけれども……」


 泣いていても、ロバータ卿に的確なツッコミを入れる俺なのだった。


 試合は投手戦だったので、正午になる前に終わり、俺たちは午後には防府市に帰ってきて、解散した。


 せっかくこの夏は西宮や大阪に行けるかと思っていたのに、まさかのサヨナラ負けですべてはおじゃん。


 やはりエース一人だけの力で甲子園に行けるほど、世の中甘くはなかったのだ。


 でもまあ、仕方がない。


 姉小路は今日も精一杯、全力で投げて、それで負けたのだから悔いはなかったことだろう。


 だから試合後に泣かず、爽やかな表情をしていたのだろう、たしかに泣く必要はないのかもしれない、まだ2年チャンスが残っているのだから……今日の投球内容なら、プロの評価が下がるわけもないし……


 こうして見ると、俺の周りにはすごい人ばっかりいるような気がする……ウィメンズ・ティー・パーティーの連中は性格には難あれども、みんな楽器はプロ級の腕前だし、ナナも今日はイチャついてたけど、5万人のフォロワーが認める絵の腕前を持っている。


 福原さんは特進クラスだから俺より頭がいいし、お嬢は金持ち、ロバータ卿は貴族の娘、姉小路は間違いなくプロ野球選手になる逸材……ヤバいな……何も持ってなくて、ただフラフラ生きてるだけなのって、俺だけじゃん……


 そうは思えども、今さら何かを始めたところで、プロ級の腕前になるとは到底思えず、俺は気がついたら、カレンさんにラインしていた。


 つい最近、出会ったばかりのカレンさんに、いったい何を求めているというのかね……

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