第69話「母が恋しい」

「そ……そんなそんな。百合漫画読んでるからって、別に女の子が好きとかそういうわけじゃないと思いますけどねー、アハハ、アハハ……」


 いくら相手がナナの実母のカナさんと言えども、やはりアウティングをするわけにはいかないので、俺はとりあえず笑ってごまかすことにした。


「そうかしら?」


「そうですよそうですよ、心配しすぎですって、やだなカナさん、アハハハハ」


「でも普通、女子高生だったら、ジャニーズの誰それが好きとか、イケメン俳優の誰それが好きとか言いそうなもんなのに、よくよく思い返してみれば、今までナナがイケメン芸能人を好きだと言ってた記憶がまったくないのよね。むしろ美人の女性芸能人ばかり好きって言ってたような……」


 やっぱり「笑ってごまかす」なんて作戦がカナさんに通用するわけもなかったが、俺としてもここでナナの秘密を明かすわけにはいかない。


「いやー、今時、そういうの珍しくないらしいですよ。『かわいい女の子が大好きー』とか言って、女性アイドルばっかり好きになってるくせに、普通に男と結婚する女性アイドルオタクとか、世の中にごまんといるらしいですよー。ナナもそうなんじゃないですか?」


「そうなのかな?」


「そ、そうですよ、そうですよ。高校生の時は男に興味ないように見えても、大人になるとちゃんと男と恋愛する女子って、多いらしいですよ、今の時代」


「本当に?」


「本当ですよ。百合漫画だって、興味本位で読んでるだけかもしれないし、そもそも本人のじゃなくて、友達から借りたのかもしれないし……」


「そうかな……だったらわざわざ隠さなくてもいいと思うんだけど……」


「う……」


「堂々と読まないで、こそこそ隠れて読んでるってことはつまり、そういうことなんじゃないかなぁ……」


「いや、普通の百合漫画ならまだしも、エロ漫画を親の前で堂々と読む人なんていないと思いますけど……」


「うーん……」


 カナさんは俺の言葉に納得してくれなかったが、今、テーブルの上に置かれている百合エロ漫画を買ってプレゼントしたのが自分だということがバレたら、俺としても困るので、ひるむわけにはいかなかった。


 論戦を続ける前に、改めてよく見てみるに、カナさんはとても美人だった。


 正確な年齢は知るわけもないが、高校生の母親なのだからおそらくは40代のはずである。


 しかし、とてもそうは見えない、いわゆる「美魔女」で、長い黒髪が美しい。


 そして何より……おっぱいがとても大きかった。


 ナナの爆乳は偶然の産物ではなく、母親からの遺伝だったのである……


「ねえ、サトシくん? 話聞いてる?」


 俺が、こんな大事な時にも関わらずカナさんの大きいおっぱいに見とれていると、当然のように咎められてしまった。


「え? ええ、聞いてますよ」


「それでサトシくん。もう1回聞くけど、ナナのそういうことについて、何か心当たりはない? それっぽい話を聞いたりしてない?」


「いや、まったく心当たりはありませんし、特になんの話も聞いてませんね」


 俺はいつものごとく、息を吐くように嘘をついてしまったが、仕方がない、この嘘は必要な嘘なのだ……


「そう……でもね、サトシくん。サトシくんも知っても通り、ナナは私にとっては大事な大事な一人娘なの。だから別に、ナナが女の子のことを好きだったとしても、それでナナと親子の縁を切るとかそんなことするわけないのよ。するわけないのに、隠し事されてるのって、なんか哀しいよね……」


「え?」


 カナさんは悲しげにうつむいた。


「たった二人の親子なんだから、なんでも腹を割って話せるような関係になりたいのに、私はナナにそこまで信用されてないのかな? やっぱり思春期の子供ってのは難しいのね……」


「そ、そうなんですね……」


 俺はうつむくカナさんになんて言葉をかければよいのか、まったくわからなかった。


「ごめんね、サトシくん、急に押しかけて、変な話して」


「いえ……急に押しかけられるのには慣れっこですので……」


「え?」


「あ、いや、こちらの話で……」


 カナさんに、サアヤさんやクレナお嬢の話をしてもしょうがないのでしなかった。


「それじゃああんまり長居しても悪いから、私そろそろ帰るわね」


「あ、帰るならこれ持って帰ってくださいよ。そしてできれば、元あった場所に返してあげてください」


 俺はテーブルの上に置かれたままの百合エロ漫画を、立ち上がったカナさんに手渡した。


 このままここに置いていかれてはいろんな意味で困るので……


「うん、そうするわ。それとサトシくん、今日、私がサトシくんにした話は、ナナには内緒にしておいてね」


「え? ええ、そりゃもちろん……」


「私、ちょっと焦りすぎたみたいね。たった一人の母親なんだから、あの子が自分で打ち明けてくれるのを待つことにするわ」


「え?」


「それじゃあ……」


 カナさんはあっさり自分のうちへ帰っていって、俺は自分の感じた疑問を問うこともできなかった。


 なんということだ……カナさんはもう、ナナがレズだということを見抜いているんじゃないか……







 その日の夜、寝る前にベッドの中で、いろいろなことを考えていた。


 ひょっとして俺の行動や対応がまずくて、ナナがレズであるこもがカナさんにバレてしまったのだろうか?


 いや、おそらく違う……多分、カナさんはずっと、自分の娘がレズなのではないかという疑念を抱いていて、それが百合エロ漫画の発見によって、確信に変わったのではなかろうか?


 わざわざ俺の家に来て、質問してきたのは確認程度のことで、別に俺の対応がまずいからバレたとか、そういうことではないように思う……なんにも根拠はないけど、なんとなく、そう思う……


 どっかの高校生たちと違って、カナさんはさして追及もしてこず、さっさと帰ってくれたので助かったが、さて、どうしたものか?


 カナさんに口止めされている以上、ナナに「レズバレしてるぞ」などと忠告できるわけもないが、せめて百合エロ漫画の隠し場所には気をつけるようにと言うべきか?


 いや、すでに百合エロ漫画を所持していることがバレているのだから、それは無意味か……やっぱりこれは、国司くにし家の家庭の問題なのだから、所詮は赤の他人である俺は何もしないというのが正解なのかもしれない……


 それにしても、母親ってのはみんな、心配性な生き物なのだろうか?


 それは母親がいない……わけではないけど、物心つく前に亡くなられてしまったので、いないも同然の……俺には、よくわからないことだった。


 もし俺の母が病気にならずに生きていたら、自分がどの女の子が好きなのかもよくわからず、うじうじしながら生きている俺の相談に乗ってくれたりしたのだろうか?


 それとも、「もっと男らしく生きなさいよ」などと一喝されたのだろうか?


 母親がどんな性格だったのかも知らない自分には、何もわからなかった。


 もしも天国なるものが存在していて、そこから母が、俺の今の状況を見ていたとしたら、俺にどんな言葉をかけてくれるのだろうか?


 誰と付き合ったら幸せになれるのか、天国の母が教えてくれたらいいのにな……


 そんなことを思いながら気づいた時には寝落ちしていた。


 その夜に見た夢の中に、母が出てくることはなかった。


 その夜の俺が見たのは、なぜかバックネット裏で野球観戦をしている夢だった。


 ピンチを迎えたピッチャーのもとに内野手が集まって話をしているという、よくある光景を、なぜか夢に見た。


 なんでそんな夢を見たのかさっぱりわからないが、目が覚めた時に思った。


 もし、自分がピンチにおちいった時、内野手のように俺のもとに駆けつけてくれる人がいったい何人いるのだろう? と……


 まあ、親父とチカさんは来てくれるだろう、広島のおじいちゃんおばあちゃんも……そりゃあ身内だから当然だ。


 身内以外だと……まあ、準身内とも言えるナナは来てくれるだろうし、福原ふくばらさんもあの性格なら来てくれそうだ。


 それ以外の人たちはどうだろう?


 サアヤさんや、クレナお嬢、パーラー、マッチ、モエピ、ロバータ卿などは、俺がピンチを迎えた時、マウンドに来てくれるのだろうか?


 来てくれないのかもしれない……たしかにみんな仲良くはしているけれども、別に深い関係であるとも言いがたいし、うわべだけの付き合いとも言えるし……


 孤独……


 俺は日曜日の朝だというのに、なぜだか、この世に自分一人だけになってしまったような心持ちがして、なかなかベッドから起き上がることができずにいた。


 今まで特に思ったこともないのに、突然思ってしまっていた。


「母が恋しい」と……

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