第39話「VIPルーム」

 路面電車は無事に広島駅に到着し、俺は当然、そこから徒歩で球場に行くものと思って、勝手に歩き始めたが、


「あら、サトシ様。どこへ行かれるのですか?」


 クレナお嬢に引き止められてしまった。


「どこへって球場までは歩いて行くんじゃないの?」


「まあ一般のファンの方はそうでございましょうが、我々はお車で向かうのでございますよ、池川様」


 俺の問いに答えたのはクレナお嬢ではなくて、そごうさんだった。


「車? この程度の距離で車に乗るの?」


「フフフフフ、サトシ様。わたくしは別に横着したくて車に乗るわけではありませんのよ」


「じゃあ、なんで?」


「球場に着けばわかりますわ、オホホホホ」


 クレナお嬢は例の「ジュリせん」を口元に当てて高笑いしていた。


 俺はそれから数分後、広島駅前に突如現れた黒塗りの高級車に乗せられて、球場へ向かうことになった。


 車内ではやはりクレナお嬢とロバータ卿に挟まれた、後部座席の真ん中に座らされた。


 どうせ車で行くなら、平和記念公園から車に乗った方が早く着いたんじゃないかと思ったが、もちろんそんなことを言えるような空気ではなかった。


 そもそも、何もかもすべておごってもらっていて1円も出していない俺に、ああだこうだ言う権利などないのであった……






 俺たちの乗った黒塗りの高級車は球場の関係者入口のようなところから中に入り、関係者駐車場みたいなところに停車して、そこで車を降りるように言われたので、素直に降りた。


 そして、クレナお嬢やロバータ卿の背後を金魚のフンみたく、「いったいどこへ行くのだろう」と思いつつも、黙って着いていくと、たどり着いたのは、まるでホテルのスイートルームのような、広くて豪華な部屋だった。


「ここは?」


「ここは限られたごく一部の人間しか使うことのできない、ヤマダスタジアムのVIPルームですわ」


 俺の問いに、クレナお嬢は自慢げに答えた。


「え? VIPルーム?」


 言われてみれば、頭上にあるのは豪奢ごうしゃなシャンデリア、置いてあるテーブルはとても高級な木材でできたものらしく、美しい木目がピカピカに光り輝いていたし、革製のソファーはとても大きく、見た目からいかにもフカフカで、とても柔らかそうだった。


 さらに部屋の中にはドリンクバーみたいなところもあり、コンシェルジュなのか執事なのか知らねども、タキシードを着た男性が何人かいて「いらっしゃいませ、山田様」などと言っていた。


「そんなものが、ヤマダスタジアムにあったんだね、知らなかったよ」


「一般の方には情報公開していませんから、サトシ様がご存知ないのも仕方ありませんわ」


「でも、せっかく野球見に来たのに、室内から見るっていうのはちょっと……ていうか、この部屋の中から野球見れるの?」


「ご安心くださいませ、サトシ様。あそこからテラスに出れば野球はバッチリ見えますし、外の空気もちゃんと味わえますわよ」


 クレナお嬢はテラスにつながっている窓を指さして、鼻高々だった。


「そ、そうなんだ……」


「ええ、テラスでバーベキューでもしながら、のんびり野球を楽しみましょう。ちょうどお昼ですし、今からお食べになりますか? サトシ様」


 俺が腕時計を見ると、時刻は12時半頃だった。


「まあ時間的にはちょうどお昼の時間だけど、どうせなら野球見ながら食べたいかな……」


「なるほど、それでは食事は試合が始まってからということにいたしましょう……ところでサトシ様がお着けになっていらっしゃるその赤い腕時計。なかなかよさげな時計でらっしゃいますわね。どこのブランドの時計なのですか?」


「え? これ? 100円ショップで買ったやつだよ……」


 クレナお嬢に思いもよらぬ質問をされてしまって俺は戸惑ったが、嘘をつくわけにもいかないので、正直に答えた。


「ヒャクエンショップ? そんなブランドは聞いたことがありませんわね……最近新しくできたブランドですか?」


 いや、そこからかよ……


「いや、100円ショップってのはブランド名じゃなくて、お店の名前……」


「まあ、お店の……サトシ様はそのヒャクエンショップとやらによく行かれるのですか? そのヒャクエンショップとやらは防府ほうふにもありますの?」


「もちろんあるに決まってるし、月に何回かは行くかな……」


「まあ、では次に行く時はぜひわたくしも一緒に連れて行ってくださいませ」


「いや、お嬢様が行くようなお店じゃないと思うけど……」


 すごいなー……お嬢様は100円ショップに行ったことないどころか、その存在すら知らないんだー……


「ところでサトシ様、ずっと立ち話もなんですから、ソファーにおかけくださいませ」


「あ、ああ……じゃあ失礼して……」


 クレナお嬢に言われて、俺は広いソファーの真ん中に座った。


 車の中でずっと真ん中だったから、ついこのソファーでも真ん中に座ってしまったが、そのせいでまたしてもクレナお嬢とロバータ卿に挟まれることになってしまった。


 高級ソファーは予想をはるかに上回るほどフカフカで、お尻がソファーに埋まって抜けなくなってしまうんじゃないかと思ってしまうほどだった。



「Hey(ヘイ) Satoshi(サトシ) Summer(サマー) Baseball(ベースボール)ッテ、ドンナSports(スポーツ)ナノデスカ? Cricket(クリケット)トナニガチガイマスカ?」


「え? クリケッツ? バディ・ホリーですか? ザットル・ビー・ザ・デイ?」


「What(ワット)?」


 左隣に座ったロバータ卿によくわからない質問をされてしまった俺は、またしても的外れな返事をしてしまったようで、ロバータ卿は「何言ってんだ、こいつ」みたいな表情で俺のことを見てきた。


 いつも仏像みたいなアルカイックスマイルで、にこやかに微笑んでいるロバータ卿にそういう表情をされるのはなかなかにつらい。


 そして、当たり前のことだけど、ロバータ卿の発言の中に出てくる英語は、すべてネイティブの発音で、聞き取るのも一苦労だった。


「あらやだ、サトシ様ったら。クリケットっていうのはイギリスでは上流階級のスポーツとして有名なんですのよ。なんでも試合中にランチタイムやティータイムがあるとかなんとか……まあ、わたくしも詳しいルールは知りませんけれども、野球と同じようにバットとボールを使うスポーツらしいですわ」


「Yes(イエス)!! Batsman(バッツマン) Batsman(バッツマン)……」


「え? バットマン?」


 俺には、ロバータ卿がなぜ突然、アメリカのダークヒーローの話をし出したのかさっぱりわからなかった。


「あ、そうだ。十河そごう、サトシ様にあれを」


「はい、かしこまりました、お嬢様」


 バットマンに戸惑う俺を尻目に、クレナお嬢の命を受けたそごうさんが俺に、透明なビニール袋に入ったカーズのユニフォームを手渡してきた。


「これは?」


「吉永のサイン入りユニフォームですわ」


「え? マジで?」


 まさかのサイン入りユニフォームプレゼントに俺のテンションは急速に上がった。


「もちろんレプリカですけどね。でも吉永のサインは本物ですわよ」


「ど、どうしてこれを?」


「サトシ様が吉永がお好きとおっしゃったから、事前に吉永に頼んでおいたのです」


 クレナお嬢は扇子で口元を隠しつつ、得意げな表情をしていた。


「そ、そうなんだ。ありがとう、大事にするよ」


 俺は感激のあまり打ち震え、ビニール袋がバチバチと音を立ててしまった。


「フフフフフ、サトシ様は本当に吉永がお好きなんですのね」


「そりゃあそうだよ。俺にとって吉永は子供の頃からずっとヒーローなんだから」


 見えないから憶測でしかないけど、おそらく俺の顔は高揚で赤くなっていたことだろう。


「そうですか。それでは今日はそのユニフォームを着て応援なさるとよろしいですわよ」


「そ、そんなもったいないことできないよ。吉永のサイン入りユニフォームなのに……もったいなくて袋から取り出すこともできないよ」


「そうですか。それでは十河、サインの入っていない吉永のユニフォームを持ってきなさい」


「かしこまりました、お嬢様」


 そごうさんはすぐに吉永の背番号「44」が入った、カーズのホーム用の白いレプリカユニフォームを持ってきた。


「はい、サトシ様。サイン入りがもったいなくて着用できないのならば、こちらを着用なさいませ」


「うん、ありがとう」


 俺はクレナお嬢から受け取ったレプリカユニフォームに、すぐに袖を通した。


「フフフ、これで俺も吉永だぜ、ハハハハハ……」


 吉永のレプリカユニフォームを着ただけで、俺は子供みたいにハイテンションになっていた。


「ウフフフフ、サトシ様に喜んでいただけてわたくしも嬉しいですわ。他に何か欲しい物はございませんか? わたくしどもでご用意できる物ならなんでも差し上げますわよ」


 クレナお嬢の問いに、俺はしばらく考えたのちに答えた。


「それじゃあ、その、ちょっと小腹が空いちゃって……お昼ごはんの前だけど、カーズうどんの全部のせを食べたいんだ」


「カーズうどんですか?」


「うん、コンコースの売店で売ってるんだよ」


「そうなのですね。それじゃあ、十河、買ってきてくださる。わたくしとロバータ卿のぶんも含めて三つ」


「かしこまりました、お嬢様」


 当たり前なのかもしれないが、そごうさんはクレナお嬢の言うことには絶対に「ノー」とは言わなかった。


 至れり尽くせりとはまさにこのことか……


 俺は試合が始まる前から、上流階級のおもてなしに大満足してしまっていた。

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