第21話「グルーヴィン 日曜日の午後」

 ウィメンズ・ティー・パーティーこと軽音部の皆さんのしつこい勧誘から逃れるために、モエピを軽音部に入部させようとした週の週末、日曜日。


 俺は例によって一人で家にいた。


 池川愛剣流の道場は日曜日だけお休みで、親父はチカさんと、防府市ほうふしのお隣の県都けんと・山口市にお出かけしていた。


 もちろん親父に「一緒に行くか?」と誘われたが、俺は断った。


 せっかくの親父とチカさんとのデートを邪魔するのは悪い……というのは建前で、山口県中部にある都市は山口市だろうが、周南市しゅうなんしだろうが、宇部市うべしだろうが、防府市とほぼ同じ規模の都市で、わざわざ出かけても、俺が面白いと思うものは特に何もなく、家にいた方がよっぽど楽しかったから、断ったのだ。


 これで出かける先が、広島市とか、小倉こくらとか、博多だったら、何がなんでもついていったけどな……


 日曜日の午後の俺の過ごし方はだいたい決まっている。


 まず25のクイズ番組を見て、そのあとは大好きなタツローおじさんのラジオを聴き、それが終わると競馬中継を見る。


 それが俺の日曜日の午後のお決まりコースだった。


 クイズはともかく、タツローおじさんと競馬は親父の影響を受けて、見聴きし始めたものだ。


「いやー、今日も知らない曲ばっかりだったなぁ」


 親父の薫陶くんとうを受けた俺は洋楽に詳しいという自負があったが、タツローおじさんのラジオで流れる曲はほとんどすべて、知らないアーティストの知らない曲だった。


 今まで知らなかったことを新しく知れるというのは、俺にとってはとても楽しいことだった。


 タツローおじさんのラジオを聴き終えた俺はパソコンから、テレビに目線を移した。


 ギャンブル好きの親父の影響を受けた俺は、公営競技を全部知っているし、ちょくちょく見ているが、その中でも一番好きなのは競馬だった。


 やっぱり走っているのが馬だから、何が起こってもおかしくないというのが競馬の一番の魅力だった。


 強い馬が強い勝ち方をすることもあれば、不可解な大敗をすることもあるし、人気薄の馬が勝ってあっと驚くこともある、とにかく何が起こるかわからないというのが、俺には楽しかった。


 それに多くの人が言うことだけれども、やっぱり馬は、サラブレッドは美しかった。


 だから俺は日曜日の午後に競馬中継を見るのが好きだった。


 今日のメインレースは、京都はマイラーズカップ、東京はオークスフローラステークスだった。


「やっぱ京都はイスラボニータかなぁ……でも東京はよくわかんないなぁ……」


 未成年だから馬券は買えないけど、一応予想だけはしていた。


 でもやっぱり当てるのは難しくて、たまにしか当たらなかった。


 まあ、お金を賭けていない「エア予想」なので、当たろうが当たるまいが、なんの得も損もしないのだが……


 そうやって、いつものように競馬中継を見ながら、平和な日曜日の午後を過ごしていると……


「ピンポーン」


 またしても、チャイムの音が聞こえ、俺はビクリとしてしまった。


 だって今日は日曜日で、郵便物や荷物なんか届くわけもない。


 それ以外に訪ねてくる人もまずいない。


 ということはつまり……


 俺はもう嫌な予感しかせず、居間から動くことができなかった。


「ピンポン、ピンポン、ピンポーン!」


 平和な日曜日の午後を乱す訪問者は、俺が動けずにいると、チャイムを連打した。


「あれ? おかしいですねー! 出かけてるんですかねー!? おーい!! 池川くーん!!」


 嫌な予感はやはり的中した。


 このでかい声と、ですます調。


 間違いなくパーラーだ。


 あいつら、また押しかけてきやがったのだ。


 この、グルーヴィンな日曜日の午後に……


 どうする?


 居留守を使うべきか?


 あ、でも玄関の鍵かけてなかったような……


「あれ? この玄関、鍵がかかってないですよ。不用心ですねー。池川くん、昼寝でもしてるんじゃないですか? サアヤさん、マッチ、中に入って起こしてあげましょう!」


 ああ、そうだ、パーラーはこういう奴なんだ……


 諦めた俺は重い腰を上げて、居間から玄関に向かった。


 玄関ではパーラー、マッチ、サアヤさんの3人が靴を脱いで、まさに無断で家にあがろうとしているところだった。


「あのー、君たち……」


 俺はおそらく、顔に怒筋を浮かべながら、3人に話しかけていたことだろう。


「ああ、池川くん! いるんじゃないですかー! いるなら、もっと早く出てきてくださいよー!!」


 平和な日曜日の午後に聞く、パーラーの大声はなかなかに不快だった。


「いったい何しに来たの?」


 だけど俺はキレたりしないように、努めて冷静に質問した。


「えー、言わなくてもわかってるでしょー、サトシくーん。私、言ったよね。サトシくんが軽音部に入部してくれるまで、何度でも来るって」


 俺の質問に答えたのはパーラーではなく、サアヤさんで、いつもはかわいいと思うその微笑みも、今日ばかりは悪魔の笑みとしか思えなかった。


「だからって何も日曜日の午後に来なくても……」


「だって平日の夕方じゃ時間が足りないんだもん。今日は時間がたっぷりあるから、覚悟してね、サトシくん。必ずや、軽音部に入部させてみせるからね、フフフフフ……」


「諦めなさい、スケベ野郎。狙った獲物は逃さないのがサーちゃんなのよ」


 この瞬間、俺の平和な日曜日の午後は、終了したのだった。





 だからと言って、3人を追い返す度胸もない、弱い俺は、3人を居間に通した。


 でもむかつくから、飲み物を出したりはしなかった。


「およよ、サトシくん、競馬中継なんか見てるんですか? おじさんですねー!」


 パーラーに居間に入るなりそう言われてカチンと来た俺はテレビを消した。


 そして、居間のテーブルで、サアヤさん、パーラー、マッチの3人と向かい合って座った。


 このテーブルは、冬はこたつになるやつなので、椅子などはなく、みんな畳に直接座っていた。


 俺の向かいにサアヤさん、サアヤさんの右隣にパーラー、左隣にマッチ。


 3人並んで、俺のことを威圧してくる。


「今日も池川くんは一人でお留守番なんですか?」


 休みの日でもポニーテールのパーラーが俺に質問する。


「うん、そうだよ」


「そうですか、今日は日曜日だから、親御さんにご挨拶できるかと思っていたんですが……」


 やはり市長の孫娘だから、そういうのは気にするのだろうか?


 これで人んちに勝手に入ろうとさえしなければ、「礼儀正しい、いい奴」だと思えたのだが……


「ところでウーター先輩は今日もいないの?」


「あの人は一匹狼気取ってるから、私たちとは群れないのよ。今日も一人どこかで、ゲリラギターライブやってるんじゃないの? 逮捕されるのも時間の問題ね……」


 俺の疑問に答えたのはマッチだった。


「それで、サトシくん。入ってくれるよね? 軽音部」


 一通り質問が終わったあと、ついにサアヤさんが本題を切り出してきた。


 なぜだか知らないが、今日のサアヤさんはヤンデレ女子のような雰囲気だった。


「いや、その件なんですけど……俺以外に軽音部に入りたいっていう女子がいて、今度紹介しようと思ってたところだったんですよ」


 軽音部入部をどうしても回避したい俺は、今日もまた嘘をついてしまった。


「そうなの?」


 俺の嘘を聞いたサアヤさんの表情が少しだけ柔らかくなった。


「そ、そうですよ。だから俺は入らな……」


「それはそれとして、サトシくんにはぜひ軽音部に入ってほしいな」


「え?」


 モエピを巻き込んだ俺の策は、早々に失敗に終わることが確定したらしい。


「な、なんでですか? 何度も言っているように、俺は楽器ができない……」


「それでもいいよ」


「いや、よくないでしょう! だって軽音部ですよ! 楽器弾けなきゃ意味ないでしょう! そして俺はすでにギターもベースもキーボードも挫折済みです! 俺には楽器演奏の才能はありません!!」


 どうしても軽音部に入りたくない俺は、自分の恥ずかしい過去を明かすこともいとわなかった。


「サトシくん! 1回挫折したぐらいで、すぐ諦めるのよくないよ!!」


「う……」


 サアヤさんにド正論を言われて、俺はひるんでしまった。


 まあ、挫折したの1回じゃなくて、4回か5回ぐらいなんだけれども、それは言わずにおいた。


「とにかく、軽音部には……私にはサトシくんが必要なの!」


「え?」


 俺とサアヤさんは今日も押し問答を繰り返し、時間が無駄に流れていくだけだった。







「あのー、すいませーん。ボク、トイレに行きたくなっちゃったんですけどー」


 そんな押し問答を、しばらく黙って聞いていたパーラーが突然口を挟んできた。


「あ、ああ、トイレならあそこの小さいドアだよ」


 俺は居間から見えるトイレを指差した。


「じゃあ、すいません。ちょっと失礼して、拝借しますね」


「私も借りるわね、スケベ野郎」


 ええー? 学校でもないのに、連れションかよ……


 そう思ったけど、これ以上、話をこじらせたくないので、余計なことは言わずにおいた。


 それにしても、マッチはいつまで、俺のことを「スケベ野郎」と呼ぶ気なのだろうか?


 もういい加減、勘弁してほしいんだけど……


「ちょっとサトシくん、まだ話は終わってないよ!」


 俺がパーラーとマッチに気を取られているうちにも、サアヤさんによる説得は続いたが、俺はもう真剣に話をする気力もなくなり、生返事をしながら、聞き流すのみになっていた。


 サアヤさんはただ「なんでもいいから入部してほしい」の一点張りで、なぜ入部してほしいのかの理由を説明することは一切なかった。


 だから俺としても、なぜにこんなに固執されているのかがわからず、ただ戸惑うのみだった。


 今はただ、サアヤさんが折れて帰ってくれるのを祈ることしかできなかった。






「うわー、この部屋すごいですねー! 本がいっぱいありますよー!!」


 トイレに行ったパーラーとマッチがなかなか居間に帰ってこないものだから、不安に思っていた矢先、パーラーの大声が聞こえてきて、俺は2人がどこにいるのかすぐに察した。


「あ、あいつら、人んちを勝手に……サアヤさん、ちょっと失礼しますよ」


 俺はサアヤさんに断りを入れて、居間から書斎に直行した。


「CDもいっぱい置いてあるのね、この部屋」


 俺が書斎に着いた時、パーラーとマッチは書斎にある本やCDを手に取って眺めていた。


「あのー、君たち、何してるのかなー?」


「ああ、池川くん。すごいですねー、この部屋。本とCDがいっぱいですよ。これ全部、池川くんのですか?」


 パーラーは俺の質問には答えなかった。


「そんなわけないだろう……だいたい親父、もしくはおじいちゃんが買ったやつだよ」


 そう、文学や音楽が好きなのは親父だけではなく、おじいちゃん……14代目 池川新兵衛いけがわしんべえこと池川貞雄いけがわさだお……もそうで、池川家には親父やおじいちゃんが収集した本やCDがたくさん保管してあった。


 おじいちゃんは去年まで生きていて、俺の人生や趣味嗜好に多大なる影響を与えたが、去年のお正月に突然、くも膜下出血で倒れ、そのまま意識が戻ることはなく、1月末に70歳で亡くなってしまった。


 ちなみにおじいちゃんの奥さん……すなわち、俺から見たら父方のおばあちゃん……は、俺が生まれた時にはすでに亡くなっていたので、例によって写真でしか見たことがない。


 閑話休題、おじいちゃんが生きている間この書斎……いや、元は書斎だったらしいが、今は本棚とCD棚だらけで、もはや「書庫」と呼んだ方がふさわしいような気がする……はCDだけでなくレコードもたくさんあったが、親父はCD世代で、レコードの聴き方がよくわからないという理由で、おじいちゃんの死後、すべてのレコードを中古レコード店に売却してしまったので、今はCDしかない。


 おじいちゃんは持っているレコードのほぼすべてをCDでも持っていたので、売っても問題なかろうという判断だったらしい。


「そうなんですか。こんなにたくさんの本やCDに囲まれてるなんて、池川くんは幸せ者ですねー!」


 それは本当にパーラーの言う通りだと思う。


 親父は寛大な人で、俺はこの書庫にある本やCDを自由に読んだり聴いたりすることができた。


 タダで世界の文学や音楽の名作に触れられるこの環境は実に幸せだと思う。


 けど、今ここで、パーラーの言うことに同調するのはなんだかシャクで、俺は黙っていた。


「ポール・ヴェルレーヌの詩集を持っているだなんて、あなたのお父さんはセンスがいいのね。なのに、なんで息子はおっぱい星人のスケベ野郎なのかしら?」


「あのー、いい機会だから言うけど、もういい加減、おっぱい星人とかスケベ野郎って呼ぶのやめてほしいんだけど……」


 俺はついに意を決して、マッチに対して常々思っていることを言ってみた。


「やめてほしい」と言って、素直にやめてくれるようなマッチではないだろうなとは思いつつ……


「そうね、私もいい加減、おっぱい星人やスケベ野郎って呼ぶのにも飽きてきた頃だし、呼び名を変えるのもやぶさかではないわ」


「ほ、ホントに?」


 俺はマッチが望外の返事をしてくれたのが嬉しくて、思わず笑顔になってしまった。 


池川愛剣流いけがわあいけんりゅうのホームページを見るに、あなたのお父さんは池川新兵衛って名前なのよね」


「まあ、名前っていうか、池川家の当主が代々受け継いでる通称が新兵衛なんだけど……」


「そんなのどっちでもいいわよ。とにかく、今日からあなたのことはスケベ野郎じゃなくて、池川助兵衛いけがわすけべえって呼んであげるわね、ありがたく思いなさいよ」


「いや、スケベ野郎とほぼ一緒じゃねーか!! 俺は花房職秀はなぶさもとひでじゃねえ!!」


 期待を裏切られた俺は自分でも驚くほどの大声でツッコんでしまった。


「何よ? あなたが呼び名を変えてほしいと懇願するから変えてあげるっていうのに、いったい何が不満だっていうの? 助兵衛が嫌なら、ドスケベゴミクズ無価値不人気おっぱいクソ野郎とでも呼んであげるけど?」


 うん、やっぱりマッチはドSだった。


 ドSにデレることを期待したことが、そもそもの間違いだったのだ。


 今はもう、すべてを諦め、受け入れよう。


「ああ、もういいよ、助兵衛で! そんなことより君たち、許可なく人んちを家探しするのはやめたまえよ。国家権力でさえも令状がないと、家宅捜索なんてできやしないんだぞ」


「国家権力だなんて大仰おおぎょうな。ボクたちはただ、友達の趣味嗜好を知ろうとしただけですよ、ねえ、マッチ」


「ええ、友達がどんな性癖を持っているのか知るのは大事なことよね」


 パーラーはともかく、マッチが俺のことを友達だと思っているというのは意外だった。


 友達だと思っているのなら「助兵衛」とか呼ばないでほしいのだが……って、そんなことより、今はするべきことがある。


「ここには俺の性癖がわかるようなもんてないよ!!……とにかく、もう居間に戻ってくれよ……お願いだから……」


「わかりましたよ、そんなに哀願されたら、戻らざるを得ないですねえ、マッチ」


「私はまだいろいろ見てみたかったけど、助兵衛がそこまで言うなら戻ってあげるわ」


 あれ? どう考えても悪いのは、勝手に人んちをあさるこいつらの方なのに、なんか俺の方が悪いことしたみたいになってないか?


 そうは思えども、そんなこと言ったら、またややこしいことになる気しかしなかったので、黙って2人と一緒に居間に戻った。


「ずっと気になってたんですけど、ここに置いてある漫画って百合漫画ですよね。池川くんは百合漫画が好きなんですか?」


「あと、このパソコンのこのショートカット、明らかにエロゲよね。高校生のくせにエロゲをやるとか、いい度胸してるじゃない……」


「いや、それは親父のパソコンで……」


 居間に戻るなり、パーラーとマッチに不意打ちされた俺は、わかりやすくあたふたしてしまった。


 突然の訪問に百合漫画を片付ける暇もなく、パソコンをシャットダウンするのを忘れていたのを後悔した。


「でもお父さんのパソコンに入ってるエロゲを勝手にプレーしてるのが助兵衛なのよね」


「う……」


 例によって、マッチに図星を突かれた俺は黙らざるを得なくなってしまった。


 たしかに、たまにエッチシーン回想を見てしまうのは事実だからだ。


「うわー、女の子同士でキスしてますよ、この漫画。これを男子が読んでるって、なかなかヤバいですねー!」


 マッチの度重なる精神攻撃で疲れ果てていた俺は、パーラーのあおりに対して何かを言う気力もなく、黙り込んでいた。


「サトシくん……サトシくんってそういう趣味があったんだね……」


 あ、サアヤさんが引いてる?


 これで失望したサアヤさんは俺を軽音部に勧誘することを断念してくれるのではなかろうか……


 これがいわゆる「災い転じて福をなす」というやつか……だとしたら、ありがとう、パーラー、マッチ。


「でも大丈夫! 私、サトシくんがどんな変態性欲を持っていたとしても、全部受け入れてあげるからね! さあ、入ろう、軽音部に!!」


 俺の淡い期待は一瞬にして打ち砕かれた。


 そんなところに……


「サトシー! 今月号のリリプリ買った!? 買ったんなら見せてほしいんだけどー!!」


 まさかのナナのご登場。


 いつものようにドアを勝手に開けて居間に入ってきたものだから、サアヤさん、パーラー、マッチの3人と鉢合わせることになってしまった。


 さあ大変。


 俺は生き延びることができるのだろうか?


 待て、次回……

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