第7話 小鳥の囀りと、荏隈の想い。





 鳥のさえずりが聞こえる。木の良い匂いがする。昨日に降った雨の匂いがする。観光客の声がする。店員の呼びかけが聞こえる。コロッケの、温泉の良い匂いがする。

 あのファストフード店で起きた別れ話から一夜明けた今日、僕はなずな市の隣市にある躑躅つつじに遊びに来ていた。この躑躅は県内でも有名な温泉街であり、また観光地で在る為人がとても多い。周りを見廻してもここは日本なのかと疑うぐらい外国人が溢れている。とは言え僕は十数年生きていて躑躅に来るのは初めてである。珍しい店や普段することのない買い喰いを、僕は荏隈と歩きながら堪能する。


「楽しいか?」


 荏隈が話しかける。


「ああ、まあね。ここに来るのは初めてだし」

「そうなのか? なら俺の地元を案内するよ。まずははぎ湖だな」


 そう言い放った荏隈に、僕は付いて行く。店が多い通りから次第に樹々が増えていく。心地の良い風が吹き僕の肌を擽る。


「綺麗だな」


 萩湖に着いた途端に僕は口にしていた。見たままの景色をそのまま。


「湖って言ってもここは人工湖だけどね。底にパイプがあって、冬になると湯気が出るよ。ちょっと眼を凝らせばそれが見えちゃうから、少し残念かな。まあ今はシーズンオフで人が少ないけれど、多かったらこんなゆっくりはできないしなあ」


 僕は写真を撮りながら考える。昼過ぎと言うこともあって太陽が照り出していて、湖はそれを反射している。人工とは思えない綺麗な景色で、正直天然だろうが否だろうがどうでも良いと思えるほどである。鯉も泳いでいるし、確かに凝視すればパイプは視えるが然程気にならない。


「こっちに良い感じの神社ある。それも紹介するよ」


 石を踏む音がする。ざくざくと。心地良い。

 荏隈と共に鳥居を潜る。先程まで居た場所が遠く感じる。


「これって手洗ったほうが良いのかな」


 僕が質問する。


「さあ? 別にしなくて良いんじゃない?」


 礼儀としてはどうなのだろうか、とは思ったがハンカチを持っていなかったのでしないことにした。


「躑躅は観光地としては有名だけど、人が住むにはちょっとって感じかな。子供の遊び場もないし、外人だらけだし。……ここもよく来たよ。萩湖で友達を押して落とし合いをしたり……この神社でも色んな思い出があるなあ」


 躑躅は人が少ない。小学校も二クラスしかないようだし、此処のノリと薺市のノリとは大分違うようで、躑躅に帰ると水を得た魚のようだ。昨日の失恋もあってか、今日はよく喋る。


「俺がした選択は正しかったのかな」


 近くのソファに座っている荏隈に眼をやる。その眼は遠くを見ていて、何やら思い耽ている。荏隈が発したその質問に僕は真剣に返す。


「正しい選択だなんて有ったようで無いもんさ。酷いようだけど、遅かれ早かれ別れていたとは思うよ。荏隈が間違ったと思った選択も、正しいと思った選択もいずれ後になって自問自答するんだ。僕がした選択も、いまだに正しいかどうかなんてわからない」



 高一の丁度この時期のこと。思い出したく無い、あの記憶。



「わからないからこそ選択なんじゃないかな。テストでは答えが決まっているけど、人生に答えなんてないし、模範解答すらも無い。ましてや恋愛に模範解答なんて無いと言ったのは荏隈、君じゃないか。正しいか否か、それは僕だってわからないし、荏隈だってわからない。結局はわからないんだよ」


 樹々が風に揺られて音を鳴らす。昼過ぎの陽気な空気がする。


「彼女のことは好きだったんだろう?」

「今となっちゃよくわからんよ。なんで付き合ったのかも、それすらも」

「……それでも、何か理由があったんだろ」


 沈黙。彼が考えることは僕には理解できない。人の心を読めたらどんなに楽だろうか。



「俺は恋を……」


 荏隈が声を出す。



「恋を諦めなくても良いのかな」



 弱々しい声だ。でも少しだけ希望を持ったような、そんな声でもある。僕はそれに対して優しく、傷付かないように言う。



「わかんないよ。君以外」



 不思議と口角が上がったような、そんな感覚がある。

 とても良い匂いが僕の鼻を擽って、新しい季節の始まりを告げる。

 雨の匂いがするが、それは昨日の所為だと僕は自分に言い聞かせる。

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