第6話 涙を溜めた彼は、最後の最後まで想い続けた。




 異様な光景とはまさに今のようなことを云うのだろう。僕の隣にはカーディガンを着たみなみ朱莉あかり荏隈えのくまはじめ。その目の前には俯向く桃園ももぞの菖蒲あやめ。そしていつの間にか不意に現れた上野丘うえのがおか沙羅さらが彼を逃げ道を防ぐように僕の目の前に座っている。まさに異様な光景だ。

 ここに荏隈肇が現れたのは、外が少し雨が降り出した頃で、とても急いでいた様子が見受けられた。深刻な顔をしているのは荏隈だけでなく、桃園は彼と眼を合わせようともせず、ただ只管ひたすらに俯向いていた。先程の桃園の話を聞く限り、荏隈自身がう云った話をするのかは知らないが、今にも泣き出しそうな雰囲気がして嫌気がさす。


「先生たちに話を聞いてもらったんだ。俺は何て事をしたんだろうって、何て事をやらかしたんだろうって……。そう考えたらもう……俺は取り返しのつかないことをしてしまったんだ……とか今更後悔して……。こんな事を言うのは間違っているかも知れないし、許してもらえないかも知れない……。……こんな俺を許してくれないか。もう一度、もう一度……」


 荏隈は「このまま付き合ってくれ」とも「別れないでくれ」とも言わず、大人しく訊いていれば意味不明な言葉を泣きながら言う。


「荏隈はこう言っているけど菖蒲はどう?」


 だから何故お前が仕切っているんだ、南。


「私は……」


 桃園は顔を上げる素振りを見せない。


「今日みたいな事……ずっと怖かった……。まさかあなたがあんなに怒鳴るなんて……思いもしなかったし、悲しかった……。すごく悲しかった。きっとあなたはこのまま変わらず過しても構わないんだろうけど、私は何だかそんな気持ちになれないな……。あなたと遊んだ日々、一緒に過した日々は私にとってはいい思い出だよ、荏隈。いつも心配してくれてありがとう。いつも隣りにいてくれてありがとう。私を好きで居てくれてありがとう。だからね、だから……」


 ようやく顔が上がる。荏隈と桃園の眼が合う。荏隈は次の言葉を聞きたくないと言わんばかりに眼を逸らそうとするが、覚悟を決めたのか真直前を向く。



「友達に戻りたいなって……」



 桃園の口から出た言葉は全くモテない僕にとっても理解できる言葉だった。関係を築くのは大変だが、関係を崩すことは簡単である事を今更ながら痛感する。荏隈と桃園は辛い事は有っただろうがそれでも楽しそうだった。荏隈は毎日顔が緩んでいたし、桃園の方も本当に好きなんだろうなと云うのが伝わってくるほど、いいカップルだったと思う。そんなカップルが別れるのは少々関係のない僕も悲しくなる。



  ♣︎



「よしっ、じゃあカラオケ行こうかーーー!!!」


 南が突然拳を高く突き上げ叫ぶ。皆一斉に席を外すが、結局行くのは僕と南と荏隈と桃園の四人で、上野丘は用が有ると言い放ち急ぎ足で帰って行った。学生料金で安く歌えるカラオケ店へ行き、先程の口論を思い出す。

 始めの頃は好き同士だった奴が何故この様な状態に陥っているのだろうかと必死に考える。付き合うとは一体何なのだろうか。別れが嫌なら、泣くぐらいなら、付き合う事とか恋をするとか、そんな事を辞めれば良いのだ。財布の金が底をつくまで桃園に奢り、それを執拗なまでに問い詰める荏隈とそんな荏隈の好意を踏みにじっている桃園とは何方どちらが悪いのだろう。


 ──ここで考えても仕方がないか。


 僕は荏隈を見る。丁度桃園が歌っており、荏隈の瞳は潤んでいる。人の気持ちは読み取れないが、今だけは荏隈の気持ちがよくわかる。




 彼女の歌声を聞けるのも今日で最後だと言う事で、彼はそんな桃園を好きで居続けたのである。

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