卯の花腐し、五月雨、酒涙雨。

犀巛向葵

プロローグ

 



 とある日の事を僕は今でも思い出す。



 それは少し肌寒い店の前で、彼女と談笑していた覚えがある。僕は親の迎えを待っていたのだが、そう云えば彼女は何故居たのか後になって解ったもので、今の僕にそこまでの思考が出来なかった。

 扉の前で居た事もあり彩色豊かな物を持った人達が度々僕らの前を横切るが、邪魔にならない所に立っていたので僕はその人等を眺めながら彼女の話を聞いていた。


「一つ気付いたことがあるんだけど、以前あの人の好きな人が君と一緒なら、もしかして君は……」

 ぎくり、とする。去年彼女と遊びに行った時にそう云った話をしたのだが流石の記憶力だ。僕はそれを今聞いて思い出した。

「その気持ちは、まだ変わらないの?」

「さぁ、どうだろう。変わらないじゃないのかな」

 曖昧に答えてしまう僕をどうか許してくれ、この手の話は苦手なのだ。勘弁して欲しい。


「だったらさ……」

 僕は目の前の人を数える。ひい、ふう、みい。



「私と付き合う?」



 僕は彼女の顔を見るために横を見る。彼女は只管に眼前を凝視していた。その眼に僕は魅了されてしまったが、弱々しい言葉にもならない声を僕は吐き出し、彼女は言う。

「どうなの? 答えは?」

 イエスかノーかを急かされるが、僕がはぐらかしてしまう度に勝ち目がなくなってゆく。


「────」


 その台詞は雨の音でかき消された。土砂降りの雨が僕の肌を擽る。



 そんな雨の日だった。

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