第8話 ごめん!愛してる!

 ぱちり、とその大きな目をまばたかせ、マカナちゃんは両手で持っていたスマホをテーブルの上に伏せた。

 ミイルたちの高校の最寄り駅にある駅ビルのドトール。放課後とあって、ミイルやマカナちゃんと同じ制服を着た子たちが何組か見受けられた。


「全央さんって、けっこうなクズですね?」

「とは?」

「わたしの知り合いがいるかもしれないこんなところで別れ話って悪趣味すぎません?」

「……」


 毎度毎度マカナちゃんの言うことは、一理どころか百理くらいある。俺はクズだ。

 ぐ、と黙り込んだ俺に、マカナちゃんはくすくす笑った。それから、人差し指を伸ばして俺の眉間にできていただろう皺をぐりぐりと揉んだ。


「まあ、別にいいけど全央さんって……」


 そこでマカナちゃんがちらりと店の入口に視線をやる。つられてそちらを見て、あ、と思う。ミイルが、お友達数人と入ってきたところだった。

 でもまあどうせ。


「いいんですか?」


 マカナちゃんに聞かれて、それはきっと、これからする別れ話をミイルに聞かれていいのか、というような意味合いだと思ったけど、もういいのだ。

 俺が何をしたってミイルには届かない、響かない。

 だからもう、嫌われたってかまわないのだ。俺がどれだけマカナちゃんを丁寧にお姫様みたいに扱ったところで、ミイルの俺に対する気持ちは育たない。


「うん……もういいんだ」

「もういい、って?」

「あきらめたの。俺はもう、これからクズ人生を満喫する」

「……告白しないんですか?」


 んん、と思う。どこかでその言葉、最近聞いたな。と。

 あ、ヒカルだ。


「なんか……みんなそう言うけどさ。告白って何? 何その謎文化? 告白したら俺にいいように転がるならいくらでもするけどさ、そうじゃないじゃん」


 マカナちゃんが、またぱちりとまばたきした。


「ヒカル……ミイルの兄ちゃんにも言われたんだよ、潔く散ってこいって。あ、そこまで言ってないか……。でも今更だと思わない? 俺がどんだけミイルに尽くしてきたと思ってんの? どんだけ愛情そそいできたと思ってんの? 今更すぎて引くわ」


 告白して何かが変わるんなら、そんなに楽なことはない。

 マカナちゃんが、いつの間にか狭いテーブルに頬杖をついて、じっとこちらを目を猫のように丸めて覗き込んでいた。


「……全央さんって、もしかして」

「なに」

「ああ、いや……うーん……今まで誰かに、分かりにくい、って言われたことないですか?」

「……? あんまりないなあ……」

「ま、そうですよね」


 たぶんマカナちゃんの「もしかして」に続く言葉はこれじゃないなとは思ったが、問いただすのもなんだか変なので放っておく。

 ちらりと見れば、ミイルは俺たちに気づいているのかいないのか、離れた席でお友達とわいわいおしゃべりしている。


「で? 告白はしないんですか?」

「……一応するけど」

「一応」

「あーえーと、する……」


 渋々ながら、すると宣言させられてあとには引けなくなった。こっそりため息をつくと、マカナちゃんがまたあの嫌な笑みを浮かべて呟いた。


「当ててあげる」

「へ? 何を?」

「全央さん、泣いてわたしに感謝することになりますよ」

「……?」


 わけが分からなくて、思わず飲んでいたコーヒーから口を離した。カップの入口のところに茶色い液体がとどまり、戻っていく。


「わたし、イヴサンローランのリップ、ほしいなあって思うんですけど」

「……女子高生には早いんじゃない」

「ミイルがつけてる、お兄さんにもらったグロスはシャネルですけど」

「ヒカル……」


 妹を甘やかすなよ……大人になって自分で稼ぐようになってもしミイルがシャネルやサンローランを買えないような生活になったらどうするんだよ……人は一度上がった水準から落ちるのはかなりキツイんだぞ……。


「……それ、全央さんが言います……?」


 あきれ返った顔で言われる。ぐうの音も出ない。俺たちはミイルを甘やかしすぎである。

 ミイルの生活水準を上げた、というか、人からものをもらうことに慣れさせてしまったのはどう考えても兄のヒカルと幼馴染の俺だ。これでミイルの未来の旦那が物より思い出とか言い出したらミイルは耐えきれないのでは…………。


「わっどうしたんですか!?」

「……ミイルの将来の旦那のこと考えたら悲しくなった……」

「も、妄想で泣かないでくださいよ……」


 ぽたりと一粒涙を流すと、マカナちゃんが驚いて、手元のペーパーのウェットタオルを差し出してくれた。ありがとう、でもそのウェットタオルでさっきテーブル拭いてたよね……。

 たぶんはたから見れば、近所の高校の制服を着た清楚系美少女が、バチバチにピアスを着けたいかついお兄さんをしくしく泣かせている、奇異な光景だったろう。しかし俺はそんな周囲の目を気にせず、ぽろぽろと泣いた。

 どれだけ諦める、もうやめると啖呵を切ったところで、どだい無理な話なのだ。

 俺は、生まれたときからずっと一緒にいて、おむつも変えて(変えてない)、離乳食を手ずから食べさせて、一緒に遊んでたくさん甘やかしてきた、大好きなミイルのことを、ずっと一生忘れられない。

 きっと、告白して「チカくんのことそんなふうに見たことない」とばっさり言われても、それが覆ることはないのだろう。

 俺はミイルに一生縛りつけられて、それでも生きていくしかないのだ。


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