3-3

 ラボスから教えられたアパートはサンクチェ通りから狭い裏路地に入った、日当たりの悪い場所にあった。

だが、想像していたよりはずっと悪くない環境だった。

建物はまともだったし、中庭にはアパート自前の井戸もあった。

その上、遊んでいる子どもたちはボロとはいえ靴を履いていた。

靴さえ履かせてもらえない子どもがロンディア市には大勢いるのだ。


「少々お尋ねしますが、マリアン・ベイクさんの住まいはこちらですか?」


 庭で洗濯をしていた奥さん連は一斉に俺のことを見つめた。

官服を着ているので不審者とは思われないだろう。


「マリアンの部屋なら二階のつきあたりだよ」


 浅黒い肌をした奥さんの一人が教えてくれた。

礼を言って立ち去ろうとしたら、後ろからまた声をかけられた。


「あんた、警察の人?」


 看守と警官の制服はよく似ているので、一般市民には区別がつきにくいのだろう。

警官が訊ねてきたとなるとマリアンにとって外聞が悪いかもしれない。

それは看守であっても同じことだろう。

まして、内容は不倫の幇助(ほうじょ)みたいなものだ。


「いえ、ちょっと届け物を頼まれただけですよ」


 当り障りのない返事をして、アパートの階段を上った。



 ドアをノックしてから、マリアンという女に夫がいるかもしれない可能性に気がついた。

いわゆるダブル不倫というやつだ。

マリアンが不在なら、ドアの隙間に手紙を差し入れて帰ろうと思っていたのだが、夫がいるならそれも考え物だ。

夫や別の恋人がラボスからの手紙を見たら大事になるのは間違いない。

それに、扉を開けて出てくるのが夫という可能性だってある。

男が出てきた場合はなにか言い訳を考えなくてはならないだろう。

こうしてみると1000ギールという値段は大して高くない手間賃のような気がしてきた。


「はーい、だれ?」


 気だるそうな声が響き、女が扉を開いたが、俺の姿を見るとギョッとした表情になった。

役人が訪ねてくることがよっぽど意外だったのだろう。

パジャマの上に薄物を羽織っただけのしどけない恰好をしていて、亜麻色の髪の毛はぼさぼさのままだ。

たった今まで寝ていたことがよくわかった。

年齢は20代後半くらいだろうか。

少しばかり目は釣り上がり気味だけど、十分美人で通る顔立ちだった。

はだけた胸元から形の良い胸の谷間が見えている。


「マリアン・ベイクさんですか?」

「そうだけど……」


 マリアンは俺の後ろを気にするように左右に目を配った。

まるで俺が仲間と一緒に来ているかを確かめているようだ。


「私はアルバン監獄からきた監獄役人でウルフといいます。貴方にラボスという囚人から手紙を預かってきたのです」

「ラボスから!?」


 差し出した手紙をひったくるようにしてマリアンは受け取った。

そして、鋭い目つきで手紙を読んだ。


「まったく……」


 手紙を読み終わると、マリアンはさも迷惑そうにため息をついた。

こうしてみると愛を言い交した恋人の反応とは思えない。

彼女が面会に来るかどうかは分からなかったけど、看守として一応面会時間だけは伝えておこうと思った。


「面会時間は風の5刻(こく)(午前10時くらい)から火の1刻(正午くらい)までです」

「えっ?」


 俺の言葉にマリアンは不思議そうな表情をした。


「貴女がラボスに面会をするならの話ですが」

「ああ……面会時間ね……」


 この様子じゃ、マリアンは面会には来ないだろう。

色恋には疎い俺でもなんとなくはわかる。

ラボスの恋は儚く消えたというわけだ。

さっさと、さよならを言って帰ろうとタイミングをうかがっていたら、マリアンが遠慮がちに質問してきた。


「あの、ラボスは私との関係をなんて言ってましたか?」

「恋人と聞いていますが」

「そうですか……」


 正確に言えば愛人なのだろうが、さっきからマリアンの態度を見ていると、どうにも腑に落ちない。

ひょっとしてラボスの妄想なのか?


「違うのですか?」

「それは……」


 わずかにたじろぎマリアンは言い淀んだ。


「その……客だったんですよ」

「客?」

「えーと……今はもうやってませんけど、以前、お金に困って体を売っていた時期がありましてね……本当に、今はもう普通の通い女中なんですよ」


 その言葉にようやく合点がいった気がした。

ようするにラボスは娼婦にとっての馴染みの客だったわけだ。

お気に入りの娼婦や酒場の女を恋人と勘違いする男は多いと聞いたことがある。


「じゃあ、恋人ではないと?」

「ええ……。だいぶ貢いではもらいましたけど」


 ここではじめてマリアンが笑顔を見せた。

なるほど、妙な色気のある女だと思った。

経験のない自分なんかすぐに虜(とりこ)になってしまうかもしれない。

ラボスがころりと騙されたとしてもおかしくないような気がした。

男とは勘違いを常態とする悲しい生き物なのかもしれない。


 それ以上は話すこともなく、こんどこそさよならを告げて来た道を引き返した。

この時点で俺は、マリアンについて何の疑いも持っていなかった。



 ラボスの手紙を届けたあと、かつて住んでいたサリバンズ家の屋敷へと寄ってみた。

あれからどうなったかを知りたかったのだ。

ひょっとしたらかつての同僚に会えるかもしれないという淡い期待もあった。

だけど、正面の鉄門は厳重に閉鎖されていて、中に入ることは出来そうもなかった。

邸内に人の気配はなく、かつてはよく整備されていた前庭には、痛々しく雑草がはびこりだしていた。

それでも垣根に絡まるツル薔薇は鮮やかに花をつけている。

俺は剣で咲き始めの薔薇を三輪切った。

これは勇者様へのお土産にするつもりだ。

香りの強い薔薇だから、地下監房の空気も少しはマシになるかもしれない。

すでに接収された家だけど、垣根に咲いている薔薇くらいなら取っても怒られないだろう。

今は住む人もいない無人の屋敷だ。


   ♢


 マリアンがアルバン監獄へラボスの面会に訪れたのは、バートンが手紙を届けた翌日のことだった。

本当は決して会いたくない相手ではあったが、手紙の内容から察するに、面会に行かなければ二人の関係を世間にばらすと脅迫してきたのだ。

会わないわけにはいかなかった。

要求はおそらく金だろう。

何事も慎重に事を運ぶマリアンはエミリアという偽名で面会を申請した。



 待合室は面会者で混雑していた。

やがて、名前を呼ばれて、小さな個室に通されると、そこにラボスが待っていた。

以前よりだいぶ痩せたような感じがしたが、憐みの心は湧かなかった。

看守が少し離れた席で面会の様子を監視していたが、マリアンの胸元をいやらしい目つきで見ているだけで、二人の関係には特段の興味は抱いていないようだった。


「よお、久しぶりだな」


 のんびりとした声をラボスは出したが、その暢気(のんき)さが却(かえ)ってマリアンの気に障った。


「どういうつもり? こんなところまで呼び出して」

「金が必要になった」


 それはマリアンの予想通りの答えだった。

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