3-2

『というわけで明日は非番で私はいないんですよ。でも、食事はブラックベリー所長が運ぶことになっていますから安心してくださいね』


 相良布由の監房前の通路にモップをかけながら、バートンは天上語で喋りまくっていた。

布由は無反応のままだったが、構わずに話し続けている。

勇者はもう何年も人と会話をしていないと聞いて、バートンはいたたまれない気持ちになったのだ。

天上語だったら言葉を返してくれるかと期待したが、いまのところ成果は上がっていない。

それでも、何も話さないよりは布由の慰めになるのではないかと考えて、バートンは話し続けていた。

どういう理由でここに閉じ込められているかは知らないが、布由のおかげで魔王が倒されたことは事実であったし、世界は四年前よりもマシになっているとバートンは感じている。

飢えて死ぬ人は未だにたくさんいるけれど、その数は確実に減っているのだ。

この国に住む者として、バートンは勇者に感謝と尊敬の気持ちを持っていた。


『それにしても人は見かけによりませんね。そのラボスって男は決してハンサムってわけじゃないんですよ。それでも愛人がいるなんてびっくりです。恋愛経験が薄いせいか女の人の気持ちはさっぱりわかりません。どうすればモテるんでしょうね?』


 ちょっと通俗的に過ぎる話題かなと考えながらもバートンは休みなく話し続けた。


『ふぅ、通路の清掃は終わりっと。本当は監房の中も綺麗にしたいんですけど、看守の俺でもここを開けることはできないんです。ごめんなさい』


 布由のいる監房の鍵は所長のブラックベリーが持っているだけだ。

鍵がどこにあるかはバートンも知らない。


『そうそう、街に出るついでに入り用な物があれば買ってきますよ。勇者様のお金は38万ギールも貯まっているそうです。それだけあればお好きな物を召し上がれるでしょうし、冬用の寝具だって買えると思いますけど』


 布由に用意されているのは薄い毛布一枚だけだ。

だが、布由は今日も正面を見つめたまま微動だにせず、バートンの方へ視線を向けることはなかった。


『わかりました。またご入り用の物がある時は申し付けて下さい。今日はこれで上がりすますね。失礼します』



 扉の閉まる音がして、布由は肩の力を抜いた。

ウルフという看守は任務に就いた二日目からのべつ幕無し喋っていた。

よくもまあ言葉が続くものだと呆れたが、黙れと言う気にはなれなかった。

しばらく会話というものから遠ざかっていたせいか、とりとめのないバートンの話でも、布由にとっては面白いものだったのだ。

特に今日の話に出てきた件(くだん)の愛人がラボスという囚人に会いに来るのかは気になった。

布由だって恋愛経験など皆無だから、男と女の事情など想像もつかない代物だったのだ。


 ずっと正座で疲れた足を延ばそうと、布由は立ち上がった。

ふと通路の片隅に黄色い何かが見えた様な気がして布由は首を曲げた。

そこは先ほどまでバートンが何かをしていた場所だ。


「あっ……」


 通路の隅に陶器の花瓶があり、黄色い花が活けてあった。

アスカ国でアキノキリンソウと呼ばれる小さな花びらの野草が幾本か飾られていた。

特別な花ではない。

そこいらの野原に行けばいくらでも見つけることのできる花だ。

だが、布由にとって花を見るのは実に四年ぶりのことだった。

小さな野の花が布由の記憶と感情を激しく揺さぶり、花を見つめる布由の瞳に、我知らず涙が溢れだしていた。

胸の奥底で眠っていた感動が、うねりを伴ってこみ上げた瞬間だった。


「う……うぅ……」


 布由は久しぶりに声をあげて泣いていた。

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