老人の回想 高校2年生 春
24−1 蔦
春。僕らは高校2年生になった。桜の木々は、桜色の花弁を美しいでしょと言わんばかりにつけている。
「蔦く〜ん!!」
蔦莉が、僕の名前を呼びながらゆっくり近づいてきた。僕は、振り返って
「はよ。」
と、片手を上げた。高校2年生になって、蔦莉はメガネをしなくなった。少しだけ、自分に自信がついたのだろうか。僕も、いつか自分に自信を持てるようになりたい。
僕に追いついた蔦莉は、息を切らしながら
「おっはよ!」
と言った。病気にかかっていると分かった時は、明からさまに絶望感を抱いた顔をしていたが、今の蔦莉は・・・好きだ。より一層、輝いて見える。
蔦莉の後ろを歩いている本田さんに気づいた僕は
「おはようございます。」
と声をかけた。彼女は、
「おはようございます。」
と優しく微笑んでくれた。その彼女の笑顔を見て僕は、蔦莉にぴったりの介護士さんだな、と改めて思った。周りの空気さえも照らしてしまう彼女の笑顔は、僕の憧れそのものだった。
横に並んで歩く僕らを、朝の清々しい光が包んでいる。
「蔦莉、受験のことなんだけどさ。」
僕はそう言って、蔦莉の方を見た。
「うん。」
彼女は、少し顔を強張らせた。
「先生にも言ったんだけど、僕さ、しないよ。」
僕の言葉に、驚いた彼女は目を丸くさせた。
「え?」
「だから、受験しないの。」
僕は、もう一度そう言った。それでも理解できなかったのか、
「なんで?」
と、僕の腕を掴んだ。その瞬間、彼女からいい匂いがして、どきっとした。どんどん『大人の女性』に近づいていく彼女に、戸惑いを隠せなかったのだ。その感情を顔に出さないように
「もう、決めたんだ。」
と言った。
その理由を言ったら、きっと彼女は、何が何でも僕を大学に行かせようとするだろう。だから、僕は理由を言わない。
「もう、決めたんだ。」
僕は、まだ戸惑っている彼女に、もう一度そう言った。
「おはようございます。」
と校門に立っておられる先生方に挨拶し、校舎に入った。同じクラスの僕らは靴を履き替え、隣に並んで階段を登った。蔦莉が転びそうになり、後ろにいた本田さんが笑って彼女を支える。そんな光景が何度か見受けられた。本田さんの行動を見て、あの立場だったら、蔦莉は僕のことを好きになってくれるのかな、とくだらないことを考えた。蔦莉が僕を好きになってくれる事など、夢のまた夢なのに––––。
「蔦くん。」
蔦莉がそう呟いた。僕は「ん?」と言った。
「私もさ、行かないよ。大学。先生にも、ちゃんと言ったよ。」
囁くように、そう言った彼女は驚く僕を見て、ニコっと笑った。
ちょうどその時だった。廊下で担任の小森先生とすれ違った。僕らに気づいた先生は、
「おい、倉井!伊藤!大学、本当に行かないのか?お前らなら、高いとこ狙えるぞ。」
と振り向いて言った。僕らは顔を見合わせて、
「「いいんです!」」
と笑った。そんな僕らを見て先生は、
「伊藤。放課後、職員室に来い。」
と言って、忙しなく去っていった。僕らは、
「呼び出しだ・・・。何でだろ。」「ね・・・。」
と言い、顔を見合わせた。
その日の放課後、僕は先生の言う通りに職員室に行った。職員室のドアを開け、
「失礼します。1年の伊藤ですが、小森先生はいらっしゃいますか?」
と言った。すると「は〜い」と言いながら、小森先生が出てきた。僕の姿を見た彼は、
「おう。面談室行こうぜ。」
と僕を誘導した。面談室と言うのは、二者面談の時に使われる小部屋で、先生から呼び出しを食らうと、大体そこに連れて行かれる。
面談室に行く途中、先生が何やらぶつぶつ言い始めたかと思うと、
「蔦からビームが出た!アイビーム!」
と言った。そして、ひとりでに笑い始めた彼を見ながら僕は、あぁ親父ギャグだなと思ったが、面白いとは思わなかった。なぜなら、こんなことは慣れっ子だからだ。彼は僕らの歴史の先生なのだが、彼が授業の時は、毎回毎回面白くもない親父ギャグが発されるのだ。本人は面白いと思っているのだが、客観的に見ている僕ら生徒からすると、とんでもなく面白くないものなのだ。
やっと笑いが止まってきた小森先生は
「あれ?面白くなかった?」
と涙をぬぐいながら言った。僕は
「面白かったです。」
と棒読みで言った。そんな僕の態度を見た先生は
「おい〜!伊藤〜!冷たいじゃねえか!はっはっは!」
と、また笑い始めた。授業中に、この茶番を何回も繰り返すものだから、授業が進まない。彼の性格は、僕ら生徒の一つの悩みでもあるのだ。
小森先生の笑いが止まるころ、面談室に着いた。真面目な顔になった先生が
「入って。」
とドアを開けてくれた。
「ありがとうございます。」
と僕は言い、中に入った。それは、長机と椅子が六つほどしか入らない長方形の部屋だ。僕は、「座って」と先生が言ってから、一番ドアに近い椅子に座った。僕が座ったのを見た先生は、
「本当に受験しないのか。」
と改まった口調でそう言った。先生が止めるのも想定内だ。僕は、
「はい。もう決めたんです。」
と、はっきり言った。その僕の言葉を聞いた先生は、すぅと息を吸い込み、口を開いた。
「それは、お前の音楽活動に関係するのか?」
「いいえ、しません。僕の意志です。」
僕は、ちゃんと定期考査で1位を取り続けているし、Ivy・
「倉井は分かるんだ。病気だから。でも、お前はそんな理由もないじゃないか。」
先生がかすれた声を出した。僕は
「理由ならありますよ。」
と言った。先生は興味深そうに頷いた。
「僕は、蔦莉––––倉井と、一緒にいたいんです。彼女の限られた人生を、僕は共にしたいんです。僕は、蔦莉がパーキンソン病にかかったって分かってから、そのことを密かに考えていました。僕は、自分を優先して彼女が辛い思いをするのならば、僕は彼女を優先します。彼女が大学に行くと言っていても、僕は大学を受けない決意で、ずっと過ごしてきました。もう決心できています。」
僕は、一気にそう言った。その熱心さを見た先生は、堅く閉ざしていた口を開き、すーと空気を吸って言った。
「そうか。」
彼の眉間には、シワがよっている。僕は、「ごめんなさい」と呟いた。それを聞いた彼は、
「いや、いいんだ、謝らなくて。」
と早口で言った。
「本当にお前って・・・。倉井のこと––––」
そこで彼は言葉を切った。
「––––好きなんだな。」
その言葉に、自分の顔が赤くなるのが分かった。そんな僕を見た先生が
「そんなに赤くなられたら、こっちまで恥ずかしくなる。」
と呟いた。
「伊藤、お前の言い分は分かった。今日はもういいだろう。」
そう言って、小森先生は立ち上がり、「気をつけて帰れよ」と呟いた。僕は「はい」と言って、部屋を出た。
外は、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます