老人の回想 高校3年生 夏

25 蔦莉 

 病気になってから、当たり前がそうじゃなくなった。今まで、簡単にできていたことも、お医者さんに確認を取らないといけなくなった。薬を飲んでも、手足が震えて何もできない日があったり、薬を飲めないほど動けない日もあったりする。病気にかかる前が、いかに不自由が何一つなかったかが分かった。いかに、幸せな環境にいたのかを。



 無機質な消毒液の匂い。私は、病院ここが嫌いだ。

「先生。ライブしていいですか?」

「そうですね。今のところ薬を飲めば大丈夫だから、いいでしょう。一応、本田さんには付き添ってもらってね。」

「はい。ありがとうございます。」

「じゃ、また来週。」

「ありがとうございました。」

「はーい。」

そう言って私は、診察室をでた。

「飯田さーん。飯田武さーん。待合室でお待ちください。」

遠くから看護師さんの声が聞こえる。元気だな。

 外に出ると、生ぬるい空気が私を温めた。毛穴から、汗が吹き出す。その汗が顔を伝い、地面に跡を残す。普通の人ならば汗をかかない運動量でも、私は汗でびちょびちょになってしまう。

「ただいまー。」

玄関のノブに手をかける。

「おかえり。」

お母さんがキッチンから、パタパタと音を鳴らして歩いてくる。

「どうだった?」

「ライブしていいって。」

「おぉ、良かったね。」

家に帰るとお母さんが出迎えてくれる。幸せだ。

「お母さん。有給いつまで使えるの?」

「そうね。来週までかしら・・・。」

計、1ヶ月2週間。

「・・・・いっぱい溜まってるね。」

「そうよ。お母さんは、真面目だから。お昼ご飯できてるわよ。」

「ありがと。それにしても、家綺麗になったね。」

「うっ・・・今までごめんね–––。」

お母さんは素直になった。だから、ちょっと、いじめたくなる。

「はい。」

「わぁ、ありがとう。美味しそう。いただきます。」

お母さんは私の病気がわかってから、毎日必ず手作りの温かいご飯を食べさせてくれる。幸せだ。母の手料理でしか味わえない味、と言うものが分かった気がする。

「ふぉいふぃい!」

「そう。良かった。でも、飲み込んでから、しゃべろうね。」

  ごっくん

「うん。でも、お母さんには伝わったね。」

「そりゃ、母親ですから。」

そう言って2人で笑い転げた。お母さんがこんなこと言うなんて、なんかへんな感じ。

 この時間が、いつまでも続けばいいのに。


「つ,た,く,ん,へ。ラ,イ,ブ,で,き,ま,す。は,や,め,に,し,ま,し,ょ,う。」

お昼ごはんを食べてお腹いっぱいになった私は、自分の部屋に行って蔦くんにLINEを送った。

『まじ‼︎』

返信がきた。速い。

「うん。」

  グーグーグーグ グーグーグーグ

 スマホが振動した。蔦くんから電話だ。

「もしもし。」

[ライブできんの?]

「うん。」

[やった!僕も出させて。]

「もちろんだよ。」

[・・・・。]

「私、その時、顔出しするじゃん。」

[うん。]

「それと同時に、病気のことも、話す。」

[・・・。お前、大丈夫か?]

「何が?」

[顔出しだけでも、結構プレッシャーなのに。]

そう。それは思った。でも、今の私ならできる気がする。

「・・・大丈夫。大丈夫。」

私は、半ば自分に言い聞かせるように言った。

[そっか、まぁ、お前が大丈夫なら良いんだけど。『澄〜』あっ、はーい。今行きます。ごめん、呼ばれたから行くわ。]

ふじさんの声だ。行っちゃうのか。さみしいな。

「うん。じゃあね。」

[おう]

  ぷっ ぷーぷーぷーぷー

 機械音がなる。電話は虚しくなる。話している時は楽しいのに、切れた途端、夢が冷めてしまう。直接話してたら、もっとだ。楽しい時間はすぐに過ぎる。いくら、永遠に続いてほしいと願っても。


「みなさん、歌えますか?」

蔦くんが叫ぶ。

「「「きゃー」」」

会場が、熱気に包まれる。

「次が最後ですよ!」

私も思いっきり叫ぶ。汗が滲み、頬を伝うのを感じられた。

「「「きゃー」」」

割れんばかりの声が響いた。

「僕らの学生生活を元に作った歌です。聴いてください。」

蔦くんとアイコンタクトし、二人で言った。

「あの頃の思い出」

「「「きゃー」」」

曲が流れ始める。



––––隣で笑う いつもの顔 そこらではずむ いつものこえ

慣れ親しんだ いつもの教室ばしょ 前に立つのは いつもの先生ひと

「じゃあ 明日あしたね」 笑顔が咲き またここで明日あすが 始まるよな

もう何もすることは ないのに やり残したことばかりのような

また会おう 今は寂しいけど いつか笑って会えますよに

共にすごした 日々と胸に “さよなら”じゃなく“行ってらっしゃい”––––


 一番が終わり、セリフに入る。

「ついにきてしまった、この日が。」

蔦くんがそう言った。私も深呼吸して

「一緒だったメンバーと離れるのは心残りだけど、きっと新しい出逢いが待ってるよ。」

と語りかけるように言った。客席に目をうつすと、一人の女の子と目があった。目には涙が溜まっていた。それを見て私は、ああついに人を泣かせることをできたんだな、と感じた。私はその子に笑かけた。泣かないで、ライブのあとは笑って帰ってほしい。私は切実にそう思った。

「さあ。」

蔦くんの声に我に帰り、私は彼の方を向いて頷いた。

「「行こう。」」


––––また会おう 今は寂しいけど いつか笑って会えますよに

共にすごした 日々と胸に “さよなら”じゃなく“行ってらっしゃい”


続く道は 決して甘くない くじけるだろう 涙するだろう

でもいつか 全部 笑えるからさ ふんばり たえろ 時には逃げろ

かっこ悪くったていい それも人生 大丈夫 いつか笑えるからさ


またみんなが集まる その日まで “さよなら”じゃなく“行ってらっしゃい”––––



「「「きゃー」」」

会場が熱気に包まれる。私は深呼吸してから言った。

「実は、皆さんに私からお伝えしないといけないことがあります–––––」

会場がざわめく。ペンライトの光が眩しい。私は、暴れる心臓を抑えて言った。

「––––私は・・・パーキンソン病という病気にかかってしまいました。詳しくは、調べてもらったら、いいんですが手足が不自由になる病気なんです。数年前、長くて16年、短くて6年と診断されました。今日、顔出しをしたのは、私の命があとわずかだから。死んでも、みんなに私のことを、ずっと覚えていてほしくて、今、必死なんです。」

微かに、誰かの泣く聲が聞こえた。泣かないで、私はそう強く思って続けた。

「ネットで言わなかったのは、ファンの方々の顔を見て話したかったから。今日は、来てくれてありがとう。」

私の言葉に、ありがとう!と誰かが叫んだ。私は笑って、

「みんなの顔を見れて本当に良かった!」

と叫んだ。

「改めて今日は」

「「ありがとうございました!」」

二人でそう言って、

「バイバイ!」「また来てね。」

手を振りながら退場した。会場は、熱気に包まれていた。

 楽屋に着く道を歩いているその時だった。急に立ちくらみがした。

 怖い。そう私の本能が言っている。

「蔦莉!」

蔦くんに呼ばれた気がした。しかし、もう遅かった。


 無機質な白い天井。消毒液の匂い。

 病院か・・・。

「蔦莉。」

蔦くんがこちらを見ている。

「つたくん。」

私は、力を振り絞り、震えながらも手を伸ばした。

「良かった。生きてる。」

「無理しないで」と彼は呟き、私の手をベッドに降ろした。

「そんな、私弱くないよ。」

その時、ドアが開いた。

「倉井さん。どうですか?」

主治医の藤原先生だ。

「おかげさまで。」

私は、寝たまま言った。

 先生が、深刻そうな顔で口を開く。

「倉井さん。実は・・・あなたの病状が進行しています。」

シ・ン・コ・ウ?言葉の意味が分からなかった。

「この速さで病気が進行するのだとすると–––」

  ドクンドクン

「–––あなたは、あと3年で亡くなってしまいます。」

 目の前が真っ白になった。

 3年。これがどのくらい短い時間なのか、この時の私はまだ知らない。

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