第122話 Ray of Light(13)

(1)

 

 小会議室の扉は重く厚みがあり、鉄製のドアノッカーが取り付けられている。王族の居城だった頃より重要な会議を行う部屋であり、外部に話が漏れないようにするため、なのだろう。


 草花模様の彫細工が施された、燻し銀の扉をドアノッカーで三度叩く。扉の向こうからは何の反応も、ない。

 もう一度、扉を叩く。やはり、扉は開かない。

 僅かな間でも誰一人席を立てない程議論紛糾しているのか。議論が白熱する余りにノック音が聞こえていないのか。

 鉄の輪を握ったままでウォルフィは頭を振った。

 例えそうであっても、リヒャルトや各将軍達に代わってフリーデリーケが対応してくれる筈だ。


 少し間を置き、三度扉を叩く――、扉は開かない。


 廊下に響く程の大きな舌打ちを鳴らす。こうしている間にも、あいつと娘達が――


 ドアノッカーから手を離し、扉の把手を掴む。躊躇している場合じゃない、と己に言い聞かせて一気に開く。


「…………」


 室内中央の円卓には誰一人として座っていなかった。


 中腰で席から立ち上がりかけている者、立つ途中で勢い余って椅子を倒した者。背もたれを掴んで立ち尽くしている者。


 ひゅう、と、少しだけ冷気を含んだ風が室内に流れ、長い前髪を乱していく。この風はどこから……、と思えば、大窓が全開に開け放されており、フリーデリーケが窓枠から身を乗りだし、しきりに階下を覗き込んでいた。

 円卓の中央にいるべき、否、この場にいなければならない人物達は姿すら見当たらない。


「……シュライバー元少尉」


 振り返ったフリーデリーケの顔色は少しばかり青白く、頼りなげに見えた。だが、ウォルフィの姿を認めると瞬時にして表情を引き締める。


「ポテンテ少佐、一体何が……」

「シュライバー元少尉こそ何故ここに来たの。リーゼロッテさんとヤスミンさんのところにいた筈では??」

「俺は、小会議室に来るようにとアストリッドから呼び出しを受けたのですが」

「アストリッド殿が??」

「はい」


 フリーデリーケを始め将軍達が一斉に、不審げに眉を寄せる。

 予想外な反応に不安で表情は曇っていく一方であった。


「アストリッド殿ならデモ隊を説得するために鉄橋へと出動したわ」

「は……」

 今度はウォルフィの眉間に皺が寄せられた。

「貴方にも出動要請するつもりだったら、小会議室ではなく鉄橋まで呼び出す筈よね??アストリッド殿ご自身から聞いたのかしら??」

「いえ、アストリッド本人ではなくゲッペルス少尉からです。俺が呼び出しに応じている間、ゲッペルス少尉がリーゼロッテ達の護衛を務めてくれると……」

「ちょっと待ちなさい!シュライバー君」 

 皆まで言い終わるより先に、将軍の一人がいきなり声を張り上げる。

「何か、問題が??」


 胸中で燻り続けている、確証はないけれど消えてくれもしない悪い予感。

 砂の塔が崩れ落ちてゆくような、ざらついた幻聴が耳の奥で鳴り出す。

 彼の名を叫んだ将軍の額には細かな汗の玉が浮かび上がっている。フリーデリーケもまた目を見開きウォルフィを凝視していたが、視線がかち合うとさりげなく逸らされた。

 彼女らしからぬ反応に更に喧しく幻聴は鳴り響く。


「……ゲッペルス少尉なら、デモの鎮圧部隊として出動しているわ」

「なんだと……??じゃあ、あれは贋物だと……」


 フリーデリーケが沈痛な面持ちで微かに首肯する。


「くそっ!!!!」


 ウォルフィは壁際へと無意識に近づき、拳を力一杯叩きつけブーツの爪先で蹴り飛ばした。

 見たことのない彼の剣幕に誰もが言葉を失っていると――、先程ウォルフィが入ってきた扉が――、厳密に言えば、扉の前が淡い虹色に発光しだした。


「何奴!!」


 フリーデリーケと将軍達が所持する拳銃をホルスターから引き抜く。

 即座にウォルフィも冷静さを取り戻し、魔法銃を構える。


 おぼろに浮かび上がる虹色の発光は二つ。全員の警戒心は跳ね上がり、弾が発射されるギリギリまでトリガーを引いている者すらいた。


「ちょ、ちょっ!タンマ!!撃つのはやめてくれよぉー!!って、いててててて!!猫助もいい加減暴れるのやめろってばー!!」


 虹色の中から間延びした口調で必死に訴えかける、というより喚き散らす声に、誰も彼もが首を捻り近くの者達と顔を見合わせた。

 誰の声なのかすぐに分かったウォルフィとフリーデリーケも互いに顔を見合わせると溜め息をつき、銃をホルスターに仕舞う。

 何やっているんだ、と非難がましげな視線を送り付けてきた一人に、フリーデリーケは軽く首を振ってみせる。


「銃を下ろしても問題はありませんよ。あれは……、敵ではありません」

 それでも銃を下ろす素振りを見せない人々に、ウォルフィもフリーデリーケへの同調の意で深く首肯した。

「ポテンテ少佐の仰る通りです。左の光の中が出てきているのは、北の魔女の従僕と少佐の飼い猫です。それと、右側の光は……」


 左と比べてやや遅れ気味に光りだした虹色から聞こえる泣き声は。

 泣き声の主を抱く影も見慣れたもの――


「カシミラ、と……、ヤスミン、か……??」


 徐々に大きくなる泣き声とはっきりしていく影は、彼の娘達のものだった。転移してきた者達の正体がはっきり分かるやいなや、将軍達は各々銃を下ろしていく。

 虹色がまだ完全に消失しきっていなかったが、ウォルフィは急いで娘達の許へ駆け寄っていく。

 虹色の残光がはらはら、ヤスミンの髪や肩、カシミラの頬に細かな粒子となって散った。


 床に膝を落とす。母親に似て細い肩に両手を添えれば、小刻みに震えている。

 肩に残る虹色の粒子を払ってやっていると、コートの袖口にぽとっ、ぽとっと水滴が落ちてきた。

 カシミラのものだろうか、と大して気にも留めずいたが、水滴はカシミラの顔の位置よりも高い場所から降ってくる。まさか――、と、思い、顔を上げる。


「……何が、あった」

「…………」

「何が、お前にそうさせている」

「…………ごめん、なさい…………」


 ぽろぽろぽろ、ぽろぽろぽろ。

 自分と同じ青紫の瞳から、あとからあとから涙が溢れ出してくる。

 姉の涙に影響されてかカシミラも泣き止む気配がない。



「あのな、怒らないでやってくれよぉー??チビッ子魔女のねーちゃん、めっちゃめちゃ頑張ってみたいだからさぁー」

「どういうことだ」


 そろそろと遠慮がちにズィルバーンがウォルフィに、ウォルフィだけじゃなく、フリーデリーケ達にも聞こえるよう、シュネーヴィトヘン達の現状について報告し始めた。



 


 


(2)

 

 再び振り下ろされた剣により、分断された爆薬はたちまち風塵と化していく。


 不発で終わったことにアストリッドやエドガー、鎮圧部隊だけでなく、爆薬を投下した側のデモ隊からも安堵のため息が漏れ聞こえてくる。

 殺伐とした状況から一転、何ともいえない奇妙な空気が流れる中、リヒャルトはシグムント・ゲオルグと共に地上に降り立った。

 背中を低めたシグムント・ゲオルグか鉄橋の地面に降りれば、靴底から無機質な冷たさが伝わってくる。


 眼前にて放心状態で立ち尽くす人々を右から左へ、順に視線を巡らせた後、上空を見上げる。

 結界外に集まった幻獣達は、さながら死骸に群がる蟻の群れのよう。

 厳しい顔付きは変わることなく、エドガーに凭れかかって両手を掲げ続けるアストリッドをちら、と振り返り――、そして、もう一度、正面からデモ隊と相対した。


「この姿を見ても、まだ、彼女を疑うというのか」


 淡々と穏やかに、それでいて、離れた場所にいる人々にも彼の声ははっきりと届いていた。

 清廉な美貌を血で赤く汚し、失血と痛みで顔面蒼白なアストリッドを視線で差し示す。

 人々は沈黙したまま、しかし、否定もしなければ肯定の声も上げようとしない。


「彼女程の力があれば、如何様にもこの場から逃走する方法など持ち合わせている。諸君らだけを結界外へと放り出すこととて可能だ」

「…………そ、そんな、ことは、しませんよ…………」

 呻くように小さく反論するアストリッドに肩を竦めてみせる。構わず、アストリッドは続けた。

「…………じ、自分は、この国が……、この国の、人達が……、好き、なんです……。全てを、諦めていた自分に、もう一度、もう一度だけ……、生き直す機会を、くれました、から……」


 最後まで言い切ると、苦しげに、はぁ、と大きく息を吐き出す。

 新たな罵詈雑言も石も爆薬も投げ込まれる様子は見受けられない。

 狂気的ともいえる興奮が鎮まってきたのも手伝い、誰もが項垂れ立ち尽くし、動き出した鎮圧部隊に抵抗することなく大人しく拘束されていく。


「ゲッペルス少尉、今から治癒回復を施す。アストリッド様をもう少ししっかり抑えつけてくれないか」

「はっ!」


 赤く染まった額に手を翳し、詠唱する。濃黄色の強い光がアストリッドの顔を包み込み、数十秒の間に出血が止まり、傷口に瘡蓋が張られていく。

 光が完全に消失し、リヒャルトの手が額から離れるのを見計らい、アストリッドはエドガーから身を離した。


「ゲッペルス少尉、リヒャルト様、ありがとうございました!」

 二人に向けて、ぺこりと頭を垂れ、ぴょんと跳ねるように姿勢を正す。

「いえ、礼には及びませんよ」

「ゲッペルス少尉の言う通り、当然のことをしたまでです」

「いえいえ、ひっじょーに助かりました!!もうですね、お礼を何回言っても言い足りないですよー??割とあっさり暴動も収まってくれてラッキーでしたし!……でもですねぇー」


 普段通りのアホ喋りに戻りつつ、視界の端ではしっかりと幻獣達を捉えていた。


「あれはひっじょーにマズいしヤバいです。国軍の皆さんだけでなくエヴァ様やヘドウィグ様にも協力してもらわなきゃです。まずはリヒャルト様、結界強化させちゃいましょう!」

「そうですね。あれだけの数の幻獣から王都全域守るには、一人二人の結界強化では厳しいかもしれません」

「ですです!!ってことで、エヴァ様とヘドウィグ様に声掛けなきゃですので、一旦元帥府内に下がります!!ウォルフィやヤスミンさんにも協力お願いしたいですし、あ、もしかしたら、ポテンテ少佐にもお願いするかもですー」

「了解です。では、鎮圧部隊の内、半数は憲兵司令部へのデモ隊連行に、残り半数は幻獣討伐にあてましょう。銃火器を魔法銃に変化させ、地上からの一斉攻撃を行います」

「それなら、ヤスミンさんに頼むといいでしょう。彼女、武器変化が得意みたいですから。あと、王都中の魔女達にも結界強化への協力要請を!」


 そこまで言い切ると、元帥府内へ戻るべく二人に背を向けた。


 デモの暴動に乗じ、もしかしたら――、あの男イザークが元帥府にまんまと忍び込んだかもしれない。

 一刻も早く、戻らなければ――

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