第111話 Ray of Light(2)

(1)

 

 重い足取りで長い廊下を歩く。

 廊下に敷き詰められた毛足の長い絨毯は質が良く、消音効果が高いらしい。自分達だけでなく、慌ただしく擦れ違う者達の足音ですら吸収してくれる。それでも、元帥府内の騒然とした空気が変わることなど決してなかったが。

 誰もが各々の上官、もしくはリヒャルト直々に課せられた命に従い、忙しなく動き回っている。そんな中、肩を落とし、ゆっくりと廊下を歩くアストリッドの姿は異様ささえ感じられた。

 隣に並んで歩くウォルフィと歩調が全く合っていない。

 時折、行き交う軍人達と肩をぶつけるも謝罪を述べるでもなく、むしろぶつかった方がアストリッドを気遣い、謝罪を述べる始末。

 俯き、足を引き摺るように一歩一歩進む彼女に対し、ウォルフィは明らかに苛立っていた。


 長い廊下を間に、向かい合う形で並ぶ扉の内の一つ、アストリッド達から見て左側の扉の把手にウォルフィが手を掛ける。金属製の把手は鈍く輝き、扉も重厚な作りなので力を込め、押すようにして開ける。

 扉の向こう側、正面奥の窓は遮光カーテンで閉ざされ、陽も中天に差し掛かる時間帯になのに、室内は薄闇に包まれていた。薄暗い室内には窓の他、簡易ベッドが数台置かれているのみ。

 各ベッドに衝立が設けられている様から、まるで大部屋の入院部屋を想起させられるこの部屋は仮眠室だった。


 扉が開かれ、中へ入るよう促されてもアストリッドの足はびくともしない。ウォルフィの苛立ちは益々募っていく。

 せめてハイリガーが一緒であれば、彼女が優しく宥めながら室内に入れてくるだろう。だが、生憎、彼女も彼女でベックマン中将にクーデターとイザーク復活の詳細な報告をするため、取り急ぎゾルタールへ転移したばかり。


 人も景色も死の色で支配し尽くされた焦土、否、児童養護施設跡に転移。

 ヘドウィグだけは救ったものの、アストリッドの動揺はウォルフィにも計り知れない。

 程なくして駆け付けた部隊への説明と言う名の聴取、リヒャルトへの報告及びヘドウィグの安全のため元帥府への転移だけならば、まだ良かった。


 北方司令部の執務室より元帥府へ、イザークから電話が掛かってこなければ――







『僕はもう逃げも隠れもしませんよ。貴方は予想以上の強運と実力の持ち主ですから、今度は堂々と遊んでもらおうかと考えていましてねぇ』

「……つっ、ふざけるな!!」


 すぐさま回線を執務室から小会議室へと移動したリヒャルトに繋ぎ、同時に会話内容の録音も開始されているというのに。

温厚さをかなぐり捨て、受話器越しにリヒャルトは声の限りに怒鳴り散らした。

 激情に駆られれば駆られる程イザークを悦ばせるだけだと、頭では理解していてもそうせずにはいられなかったのだ。


『まぁまぁ、そう声を荒げないでくださいよ。ギュルトナー元帥閣下。そうですねぇ……、遊び場所は中央の王都にしましょうか。何の遊びがいいでしょうねぇ……、あぁ!勇者ごっこでもしましょうよ!!いいですか??僕が勇者で独裁政治を行う魔法使いとその魔法使いの狗の魔女に捕われた、美しき白雪姫を救出しに行く――、遊びですよ!!ちなみに僕は遊びも全力を尽くす質ですから、場合によっては国を滅亡に追い込んでしまう、かもしれませんが』

「……貴様の狙いは何だ。地位、権力、富には一切興味がない貴様は何を目的で、我らを」

『はっはっはっは!!!!』

「何が可笑しい」

『いやはや、ギュルトナー元帥閣下。貴方は本当に何も分かっていないのですねぇ』

「何だと」

『狙い??目的??そんなのある訳ないじゃないですか!!僕はただ、楽しい事を思いついたから試してみたいだけですよ!僕が遊びに飽きるの早いか、この国が亡びるのが早いかという賭けが』

「我々は貴様の玩具ではない!!!!」


 受話器を握るリヒャルトの手がわなわなと大きく震えている。

 白い顔は赤黒く染まり、頭から噴煙が上がりそうだ。

 彼を囲む側近達だけでなくハイリガー、アストリッド、ウォルフィですら、これまでにないリヒャルトの姿に恐れ戦いた。ただ一人、眉を寄せて冷ややかに見守っているフリーデリーケを除いては。


『そういう台詞を言うのは賭けに勝ってからにしてくださいよ。貴方達が玩具ではないという証明を、この僕に見せてもらえますかねぇ』

「望むところだ!今度こそ、貴様の息の根を止めてくれる!!」

『あっはは!大層威勢のいいことで!!まぁ、今の不安定な国軍の状態や魔女達との微妙な均衡状態でどこまでできるか、お手並み拝見といきますか!!あぁ、そうそう!どうせ半陰陽の魔女も近くに控えているのでしょう??代わってくれません??』


 リヒャルトは返事をすることなく、アストリッドに目線を送った。

 その鋭さにたじろぎながら、視線が意図する意味を汲み取ったアストリッドは速やかにリヒャルトの傍に歩み寄っていく。受話器を受け取り、一瞬の躊躇の後、耳に近付ける。


『この気配は……、半陰陽の魔女ですか』

「……自分に言いたいことは何だ……」


 一切の感情を捨て去り、吐き捨てるように冷然と告げるアストリッドに、その場に集う者全員が身を強張らせ、室内の空気が冷えていく。


『いつもながら生意気な口を叩いてくれますねぇ……、まぁ、いいでしょう』

「くだらないお喋りはやめろ。言いたいことをさっさと言え」

『まぁまぁ、そう急かさないでくださいよ』

「さっさと言え」

『やれやれ、せっかちなのは誰に似たのやら……。貴女に言いたいことはですね、白雪姫を僕に返してもらえませんか』

「なっ……」


 絶句するアストリッドの耳に、イザークの笑い声が聞こえてくる。


「返すも何も彼女は自分の従僕の妻だ。元よりお前のモノじゃない!」

『仕方ないじゃないですか。ナスターシャ様に代わって伴侶に近い魔女の存在が、僕には必要なんですよ』

「要は、お前に代わって直接手を汚してくれる魔女が欲しいだけの話じゃないか?!マリアやナスターシャ様と違って、彼女はお前なんかに従わない!!」

『そんなことは百も承知ですよ!大体、白雪姫は僕に反抗的でしたから、お仕置きも兼ねてのこと!!』

「……お仕置き??」

『二度と僕に逆らえないよう、この国だけでなく彼女の大切な者全て奪ってやるのです』


 秘密の悪戯計画を打ち明けるように、声を低めたイザークに再び絶句する。

 くぐもった笑い声が鼓膜を突き刺してくる。


『まぁ、せいぜい貴女達は勇者の僕に姫君を奪われないよう、かつ、国を守るよう、健闘してください』

「待て!」


 してください、の、『い』を言い切ると共に、電話は一方的に切られてしまった。

 アストリッドは、成す術もなく受話器を強く握り締めたまま、彫像のように固まり立ち尽くしていた――








(2)


 ドンッ!と背中に強い衝撃が生じる。

 勢いに押され、アストリッドはべしゃっと前のめりで床に倒れた。

 開けた扉はそのままに、ウォルフィが空いている手で思いっ切り背中を叩き、室内へと押し入れたのだ。

 しかし、いつもであれば上げる筈の「うぎゃん!」という悲鳴も、ウォルフィへの抗議も聞こえてこない。

 床に突っ伏した状態で起き上がろうとする気配もない。


「おい」

「…………」

「アストリッド」

「…………」


 扉を閉め、仮眠室内に入ってきたウォルフィの呼び掛けにも答えようとしない。

 ウォルフィは更に募っていく苛立ちを隠し、蹴っ飛ばしたい衝動を堪えて深く溜め息を吐き出す。


「休める時に休め、という元帥閣下の命に逆らうつもりか」

「…………」

「床で寝ていたければ寝てればいい。好きにしろ」

「…………」


 アストリッドは返事どころか、身じろぎ一つしない。

 ウォルフィの苛立ちは遂に頂点に達した。


 ウォルフィはアストリッドの首根っこを引っ掴み、床から無理矢理引き剥がすと、華奢な身体をブンッと宙へと振り上げる。

 流石に驚き、悲鳴を上げるアストリッドは再び床に叩きつけられ――はせず、近くのベッドの上に叩き落とされた。


「うぎゃん?!」

 ベッドの上とはいえ、勢いよく落とされれば痛いのは当然であり、もっと言えば通常のベッドよりもマットの質感が固いため痛みは割増す訳で。

 目尻に涙を薄っすら浮かべ、薄闇の中で鋭く見下ろす隻眼をキッと睨みつける。

「このっ……、ドS!!暴力反対っ!!」

「言ってろ。あんたがウジウジしているからだろう」

「だからって!……って、うわ!!」


 身を起こそうとするのを阻止するかのように、ウォルフィはアストリッドの上に覆い被さってきた。


「ちょ、ウォルフィ!近い近い近い!!近いですって!!」

「あんたが一番気に病んでいることを当ててやろうか」

「な、何のことでしょう……」

「リザだけでなく、ヤスミンとカシミラまで危険に晒される羽目になったと責任感じている――、違うか??」


 間近に迫った青紫の右眼から徐に顔を背ける。

 やはりか、と、呆れたように呟き、ウォルフィは身を起こしてベッド脇に腰掛けた。


「はっきり言っておく。あんたは何も悪くない」

「…………」

「これでも納得できないか??」


 無言を貫くアストリッドにウォルフィの眉間の皺は深くなる。


「……なら、護ってくれ」

「……え」

「国と国民だけでなく、俺の家族を、俺と共に護ってくれ」


 二つの鳶色と一つの青紫の視線がぶつかりあう。


 しばらく互いに見つめ合った後、アストリッドは横たわったままで深く頷いてみせた。

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