第106話 Burn the witch(15)

(1)

 

 リントヴルムの鰐のごとく細長い口から咆哮と共に白光が迸る。

 白光はリヒャルト達の傍にある壁にぶち当たり、淡いクリーム色の壁紙は一瞬にして真っ黒に焦げついた。ぷすぷすと嫌な臭いが辺りを漂う。

 口から泡吹かんばかりに混乱しながらも、側近はリヒャルトの腕をきつく掴んでドアノブに手を掛け――、ようとしたが。

 扉に放たれた白光がほんの僅かに触れ、バチィッ!と金属製の把手に電流が走る。


「大丈夫か?!」

「わ、私のことなど構わずに!」


 側近はまだバチバチと鳴るドアノブをもう一度握り締めた。ドアノブを握る手だけでなく全身をも震わせ、額に青筋すら浮かべて力の限りに扉を開け放す。

 息を荒げ、廊下へとリヒャルトを押し出そうとしたが、再び緑竜は白光――、稲妻を二人目掛けて一直線に放った。

 辛うじて躱したものの、稲妻の余波に弾かれるようにして尻餅をつく形で側近諸共に転倒。全身にびりびり、強い痺れと痛みが生じる。稲妻が直撃した扉は、先程の壁同様に一部が黒く焼け焦げていた。


「閣下!!」

「銃撃を止めるな!!」


 振り返った護衛達を一喝し、よろめきながら立ち上がる。

 痺れと痛みで思うように立てない側近を引き起こせば、恐縮しながら彼もまた立ち上がった。

 間髪入れず、背後から短小弾が撃ち込まれる。弾は二人に当たることはなく、扉や近くの壁を蜂の巣状に穴だらけに変えていく。


「閣下!!我々が食い止めますゆえ、一刻も早くお逃げください!!」

「閣下!!」


 護衛達はリヒャルトに執務室からの退去を、喉が裂けんばかりに声を張り上げて口々に訴えかけた。彼らの叫びを邪魔するように銃撃音は激しく、緑竜の咆哮が喧しく室内に反響。止むことのない銃撃、緑竜が生み出す稲妻にも臆することなく、護衛達は緑竜諸共襲撃者を屠ろうと短機関銃で応戦し続ける。


 しかし、リヒャルト達の抵抗を嘲笑うかのように、緑竜は後足で立ち上がると執務机の上から宙に飛び上がった。

 幼体ゆえに小型とはいえ、その体躯は軍馬と同等の大きさを誇っている。翼もまだ小さく短いが、建物内で両翼を拡げればいかにも窮屈そうに見えた。

 実際、空間の狭さに苛立っているらしい。後足で執務机を二、三度蹴りかかっている。鋭く尖る鉤爪で天板は傷つき、いくつも引っ掻き傷が残った。

 緑竜の無駄な動きを御する為、手綱を持つ男の手が力一杯に引き寄せる。口の端に当たる銜が痛むのか、緑竜は頭を何度も振っては悲鳴じみた雄たけびを上げた。

 口の両端に薄っすらと血が滲み、更に緑竜の全身をよく見れば、太く頑健な四肢にも玉虫色に輝く鱗にも鞭打たれたような無数の傷痕が。


 緑竜リントヴルムは祖国の名を持つ聖獣。この国では守護神だと神聖視される存在。

 その守護神を虐げ、手荒に使役する暴挙は忠国心厚き者達――、リヒャルト含め彼の側近・護衛達の怒りを煽っていく。

 襲撃者及び首謀者は、リヒャルトの稀に見る強い正義感を見越した上で緑竜を利用したのだろう。彼が国の象徴を見捨てて逃げる真似など決してしまい、と。


「うわぁああ?!」

「閣下?!」

 アサルトライフルが男の手から床へと落下していく。

 リヒャルトの銃口から硝煙が漂っていた。

「……若かりし頃は、それなりに腕のある狙撃兵だったのでね」


 最も、剣はともかく銃に関してはウォルフィに遠く及ばないが、と内心で自嘲する。右手の指を数本失った男は血塗れの手を抑え、緑竜の背に跨ったままリヒャルトを睨み下ろした。


「下官の分際でいつまで最上官の私より高見にいるつもりだ」

「…………」

「降りる気がないのなら、強制的に引きずり降ろすまでだが」

「やれるものならやってみろ!」


 男は叫ぶと同時に緑竜の脇腹を、両側ともブーツの踵で思い切り蹴飛ばした。

 緑竜はまたも悲鳴じみた叫びを上げ、翼を震わせて暴れ狂う。


「やめろ!!」


 リヒャルト達は再び銃口を向けるが、暴れる緑竜のせい襲撃者達に上手く照準を定められない。振り落とされないようしがみつきながら、襲撃者たちは眼下のリヒャルト達を嘲笑い緑竜に命じる。


「貴様に与える痛みも苦しみはあいつらがもたらしているんだ!憎むならあいつらを憎むがいい!!」


 緑竜の赤い双眸に憎悪の炎が宿る。

 己よりも非力で下等な人間による、理不尽且つ暴力的な仕打ちの数々。

 玉虫色の鱗に朱が入り混じり、比較的細身の躰が二倍に膨れ上がり始める。

 躰が膨れる際に生じた風圧に押され、シャンデリアは今にも天井から落ちそうな程揺れている。

 風圧で流されてくる硝子片や木片から我が身を腕で庇いながら、リヒャルトは長い詠唱を訥々と詠いだす。


 媒介の魔法剣ブロードソードが手元にないせいで魔力を増幅できない。

 幼体とはいえ竜、しかも最大攻撃を仕掛けようとしている相手に、媒介なしでの防御結界はどこまで効力を発揮するだろうか。擡げる不安に飲まれないよう詠唱に集中する。

 身の内から湧き上がる怒り全てをぶつけるように、血が滲んだ緑竜の口から一際激しい稲妻が放たれる。




 室内が稲光で白く染まりゆく中。薄緑の結界が発動され、半開きのままだった扉が開け放された。

 扉の向こう側――、廊下に佇む人物の姿に一同が驚きで瞠目する。

 突きつけられる様々な感情が織り交ざる視線に怯むことなく、は結界強化の詠唱を口にした。

 結界の輝きは強まり、襲いくる白雷をたやすく弾き返した。弾かれた白雷は緑竜を横切り、窓枠すらも失った窓を突き抜けて遥か夜闇の彼方へと消えていく。


「何故、貴様がここにいるんだ!?」


 襲撃者は彼女の名を叫ぼうとしたが、結局口にすることはなかった。

 二人共々、ダガーが額深く突き刺さっていたからだ。


 自らの身に何が起きたのか。

 額に刺さっているものが何なのか。

 血走った眼を真ん中に寄らせ、白い刀身を確認しようとした――が。


 一人は横倒しに、もう一人は仰向けに倒れて落下し、床へと叩きつけられた。

 力を使い果たした緑竜は続けて攻撃することなく、ふらふらと宙を低く浮遊するのみ。


「生きたまま捕縛し、後ほど尋問にかけるべきでしたが……。閣下の御身を護る為です。ご容赦下さい」


 室内に足を踏み入れ、最敬礼を送る彼女の毅然とした物腰、切れ上がった群青の瞳に懐かしさが込み上げる。


 やっと、戻ってきてくれたか。


 彼女に応えるべく敬礼を送り返す。


「君が戻ってくるのを、長らくの間待ちわびていた。今後も君の働きには期待しているよ、フリーデリーケ・ポテンテ少佐」






(2)


 薄暗く殺風景な独房に一人残されたシュネーヴィトヘンは、しばらくの間所在なく房内を見回していた。

 清潔が保たれていた医療刑務所とは違い、じめじめと湿気の多い房内は不潔とまでは言わないまでも清潔とも言い難い。今日からはまたここが自分の居場所かと思うと、自然と気が滅入ってくる。しかし、これも犯した罪に対する罰の一つ。

 気が滅入るなんておこがましいにも程がある、と自らを叱咤し、固いベッドに腰掛ける。子を産んで少し肉がついた下腹部を擦り、太い鉄格子で囲まれた小窓から空を見上げた。移動の際は輝いていた筈の月は灰色の雲に隠されてしまっている。


 不安と共に、疼くように胸に痛みが生じる。子に母乳を与えられず、常に乳房が張って痛むせいだ。

 医療刑務所では痛む度に絞っては捨てていたが――、女性看守が見回りにきた時に一度話してみるべきか、と考えていたのですぐには気付けなかった。


 独房の隅で、虹色の光が淡く輝き出したのを。

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