第87話 I Know(7)

(1)


「時間が来た。今日はこれで終わりだ」

 丸テーブルを間に向かい合っていた憲兵が、腕時計で時間を確認しがてらシュネーヴィトヘンに告げる。

「明日も、今日のように大人しく質問に答えてくれれば助かるんだが」

「…………」


 憲兵からかけられた言葉を、シュネーヴィトヘンは無言で受け流す。憲兵は特に気を悪くする風でもなく、椅子から立ち上がると肩を竦めてみせた。美しくも反抗的な被疑者の不躾な態度に、いい加減慣れてしまったようだ。

 調書を書くもう一人に『さっさと帰るぞ』と目配せし、部屋を出ていく憲兵達に続き、監視役のウォルフィとエドガーも順に退室する。

 頑なだったシュネーヴィトヘンの態度も、近頃では変化が生じていた。ここ三日程は黙秘権を一度も行使せず、きちんと尋問に答えている。彼女は確かに、己が犯した罪と向き合い始めているように思えた。





「ママの言う通り、ナッツとシナモンを多めにして粉砂糖の分量を減らしたら、この前より美味しくシュネッケを作れたわ」


 今夜もまた、ヤスミンとシュネーヴィトヘンとで夜のお茶会が始まった。

 微妙な感情の温度差、距離感はまだ残りつつ、ヤスミンお手製の菓子と紅茶をお供にした母子間の交流を、監視の名目でウォルフィが終始見守っている。

 すっかりお馴染みとなった習慣、けれども決して永久には続かない習慣。

 嫌でも理解しているからこそヤスミンは殊更はしゃいでみせ、シュネーヴィトヘンも戸惑いながら娘を受け入れる。


 互いに情を深め合えば合う程、後々が辛くなってくる。

 そう危惧する反面、だからこそ思い残すことのないよう今の内に……、とも思う。


 何が正しくて、何が間違っているのか。

 ウォルフィには少し、分からなくなっていた。


 ただ、目の前のヤスミンが見せる笑顔は、誰でもない、シュネーヴィトヘンが引き出していることだけは確かである。


「……パ??」

「…………」

「ねぇ、パパってば、聞いてるの?!」

 ヤスミンの大声と袖口を引っ張る力で、思考の海を漂っていたウォルフィは一気に現実に引き戻された。

「……あぁ、悪い。少し、考え事をしていた」

「パパがボーッとしているなんて珍しいね。そろそろ私、寝る時間だから支度してくる」


 それだけ言い残し、着替えと枕を取りにヤスミンは一旦自室へと戻っていく。

 ヤスミンに続き、シュネーヴィトヘンを振り返ることなくウォルフィも退室しようとした時だった。


「待って」


 平静さを保っているようで、どこか必死さを感じさせる声が、出て行こうとするウォルフィの背に突き刺さる。声に引き寄せられるように、ゆっくりと振り返れば、張り詰めた固い表情、もの言いたげな黒曜石の瞳と視線がぶつかり合う。

 いつの間にか席を立ち上がり、表情と同様、固い声でたどたどしくシュネーヴィトヘンはウォルフィに詰問した。


「貴方に、確認したいことが、あるの」

「何だ」


 自らとは対照的に、落ち着き払ったウォルフィの口調、態度に怯みつつ、シュネーヴィトヘンは続ける。


「ヤスミンから聞いたの。貴方とアストリッド様との『契約』方法だけど……。性愛術じゃなくて魔血石を利用している、というのは……、本当なの??」

「…………」

「逃げずにちゃんと答えて」

「…………」


 一瞬、何故ヤスミンがこのことを知っているのかと疑問が湧きあがったが、おそらくはフリーデリーケかリヒャルト辺りから聞かされたのかもしれない。

 ヤスミンが自分を父と認めてくれたのも、従僕契約のためとはいえアストリッドと性的な関係を一切結んでいないことも一因なのだろうか。


「あぁ、そうだ。眼帯の下には、アストリッドの血で作られた魔血石が埋め込まれている。アストリッドが石に指を差し入れて生気を与えることで、魔力供給している」


 ウォルフィは医療用眼帯を外し、上下の瞼が切除され、眼窩の一部が剥き出しになった左眼を晒してみせた。右と同じく青紫の光彩を持つ眼球ではなく、禍々しくも美しい血色の石が輝いている。

 シュネーヴィトヘンの表情は益々強張り、ごくりと喉を鳴らして息を詰める。


「……納得したか??」

「…………」


 正視するに耐えない醜悪さゆえに絶句しているに違いない。眼帯を嵌め直し、左目を元のように隠した。

 そして、依然、金縛りにあったかのように固まったままのシュネーヴィトヘンに再び背を向ける。


「待って」

「まだ何かあるのか」


 声に若干の苛立ちを滲ませ、再び振り返る。

 シュネーヴィトヘンは何か言おうとしては口を開くも、言葉にならずにまた口を閉ざした。そんな仕草を何度か繰り返した後、喉から声を振り絞るようにして、言った。


「……左目を失ったのは、私のせい、なの……??」


 ウォルフィに向けて、ではなく、独り言を呟くように、ぽつりと漏らした。

 よく見れば、ただでさえ白い顔が病人のごとく色を失い、唇も真っ青だ。


「……昔の話だ」


 絶句するシュネーヴィトヘンに三度背を向けようと――して、向き直り、逆に彼女との距離を詰めていく。

 ウォルフィに迫られ、シュネーヴィトヘンは思わず後ずさるも、後ろにはテーブルが置かれているせいでこれ以上は下がることができない。構わずウォルフィは彼女の髪に、頬に、触れようと手を伸ばした――、が。

 びくりと肩を大きく震わせ、目を固く瞑るシュネーヴィトヘンの姿に、触れるか触れないかで手を引っ込めた。


 身を小さく竦ませる様は、まるで捕食者に捕われる寸前の小動物のよう。

 高慢な言動を重ね、数々の大罪を犯してきた凶悪な魔女だとは俄かに信じ難い怯え様。

 演技ではと疑念を抱くも、苛烈で人一倍気位の高い彼女が弱い女をあえて演じてみせるだろうか。ましてや、尋問役の憲兵相手ならまだしも自分相手に演じてみせたところで何の意味もなさない。

 

 か弱い女を苛めているようで、激しい罪悪感が胸中を支配し始める。

 そぅっと薄目を開け、こちらの動向を窺うべく上目遣いで見上げてくるのが気まずさに拍車をかけていく。

 

「……あ、まっ……」


 何度目かの制止は喘ぐような弱々しい――、けれども振り返ることなく、今度こそウォルフィはシュネーヴィトヘンの部屋から足早に出て行った。









 ――数時間後――






 音を立てないよう、慎重に扉を開ける。

 扉から見て左側にあるベッドの枕元へ、やはり足音を忍ばせて近付いていく。


 一つのベッドに身を寄せ合い眠るシュネーヴィトヘンとヤスミンの姿を、ウォルフィはただ黙って眺めていた。母の胸に顔を埋めるように眠るヤスミンの長い髪を、そっと優しく撫でながら。

 シュネーヴィトヘンの艶やかな黒髪にも手を伸ばし――、伸ばしかけては躊躇い、それを何度か繰り返した後、結局触れることなく。

 最後に二、三度、ヤスミンの髪を撫でて、入ってきた時同様、静かに立ち去っていく。


 その一部始終を、ヤスミンが眠った振りして見ていたことに気付く由もなく。









(2)


 石炭コンロにかけた鍋から、野菜が煮える香りが漂っている。

 くつくつと煮え立つ鍋の中に茶色い顆粒を落とし、レードルでぐるぐるとかき混ぜていく。

 まだ早朝とはいえ夏が本番に近付きつつある時期、火を使用する厨房内は熱気が籠り、蒸し暑い。レードルで鍋を掻き回すヤスミンの、半袖から覗く白い腕はすでに汗ばんでいる。


「おー、朝からご苦労さんだねぇ、チビッ子魔女のねーちゃん」

「だ・れ・が、チビッ子ですってぇ……??」


 自分だって子供みたいな見た目の癖に……、と、声を掛けてきた人物を振り返り、ギロッと睨み付ける。振り返った先――、ヤスミンより少しだけ背が高く、額に掛かる長い黒髪の隙間から、はしっこそうな茶色い瞳が見下ろしていた。


「おはよ、ズィルバーン。言っとくけど、今朝はあんたがつまみ食いできそうなものは何もないわよ」

「えぇー、ヴルストは?!」

「残念でした、まだ貯蔵庫から持ってきてないわ」


 なんだよー、と、不服そうに舌打ちするズィルバーンに、「皆が起きてくるまで待ってなさいよね」と、シッシッと鍋から出したレードルを振って厨房から出て行くよう促す。


「へいへーい、邪魔したなー」


 促されるまま、ズィルバーンは唇を尖らせて厨房を立ち去っていく。

 全くもう、と呆れながら、ヤスミンはレードルを鍋の中へ戻し、スープ作りを再開した。野菜も大方煮えたし、あとは細かい味付けの調整のみ。

 完成したら冷却系の魔法で冷製スープにすれば……、と考えていると、また背後で人の気配を感じた。


「ちょっとズィルバーン、大人しく待っててって言ったでしょ……」


 しかし、再び振り返ったヤスミンを見下ろしていたのは、ズィルバーンよりも頭一つ分以上高い位置にある、鳶色の瞳だった。


「ア、アストリッド様!お、おはようございます!」

「えへへー、おはようございます。ヤスミンさん」

「あ、あのー……、ヴルストはまだ用意してませんけど……」

「あららー……、って、自分はつまみ食いしに来た訳じゃないですよ?!」

「え、違うんですか?!」

「ヤスミンさん……、そんな驚かれると地味にショックなんですけどー」

「あぁ!申し訳ありません!つい……」


 つい……って、何ですか、と、ツッコミたいのを堪え、アストリッドは気を取り直すように軽く微笑んでみせる。


「そう言えばウォルフィとロッテ様の様子はどんな感じです??」


 折が良いのか悪いのか、湯の圧により勢い良く鍋が噴き上がる。

 慌ててヤスミンは石炭コンロから鍋を引き上げた。


「相変わらず……、ですね」

「……ですか」


 沈痛な面持ちで唇を噛むヤスミンを、アストリッドは労わるような視線で眺めていた――、が。


「ねぇ、ヤスミンさん」

「はい??」

「ちょっと提案があるんですけどー」


 厨房には二人だけしかいないのに、アストリッドはわざわざヤスミンの耳元に両手を宛がってこそこそと話を切り出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る