第79話 Sullen Girl(20)

(1)


 ベランダの手摺に銃身を固定させ、結界越しに黒竜へと銃を撃ち放つ。目を潰しさえすれば、と、赤く輝く瞳に狙いを定めて光弾を連射させる。

 一直線に向かってくる青い光線を、黒竜は絶えず頭をぶるぶると振っては紙一重で躱し、小癪な、と、内心苛立つウォルフィをよそに施設に背を向けた。

 こちらを見ろ、とばかりに、離れていく背中に何度も光弾を撃ち込む。黒鉄くろがねのような鱗が剥がれ落ち、血が噴き出していても黒竜の動きはちっとも鈍らない。 それどころか、施設近隣への火炎放射を再開しているではないか。


 己にも魔法が使えたのなら。

 今すぐにでも結界外へ飛び出し、イザークに立ち向かっていくのに。

 苦々しげに地上を見渡したウォルフィの目に、衝撃的な光景が飛び込んでくる。

 ウォルフィと同じ銃を手に、リヒャルトの側近達とヤスミンが結界の外へ出てきたのだ。


「あの、馬鹿……!」


 無謀な行動に出た娘に思わず憤る。

 構えていた銃を戻し、柵から身を乗り出して辺りを見回してみる。ベランダの手摺の端から程近い壁際に沿って、太いパイプ配管が取り付けられていた。

 安全装置を装着した魔法銃を片手に、手摺の上に飛び乗る。手摺の上からパイプ配管へと飛び移り、外壁と配管を伝って地上ヘと降り立つ。

 その間にも、ヤスミンは防御結界を発動させつつ、イザークに魔法銃での攻撃を開始していた。

 施設を守るように、と、リヒャルトから命を受けたが、娘が自ら危険を冒しているのに見過ごせる訳がない。後で命令違反の罪に問われるかもしれないが、そんなことは構っていられない。


 施設の建屋から運動場を急いで駆け抜ける。

 一分一秒でも早く駆け付けてやらねば。

 施設の門前まで走ったところで、ウォルフィの視界いっぱいに虹色の光が大きく拡がった。光の眩さに、反射的に腕で目を覆い、立ち止まる。

 光はすぐに消失し、ウォルフィの眼前にてアストリッドが姿を現した。


「あれ?!何で、ここにウォルフィがいるんですか?!」

 虹色の残光を手で払い除けながら、アストリッドは目を丸くして叫ぶ。

「それはこっちの台詞だ。あんたこそ……」


 何でここに、と言い掛けて、はたと口を閉じる。

 アストリッドの隣には、レダーホーゼンを着た小柄な少年、否、よく見れば少女、が立っていた。痩せぎすで青白い肌、榛色の大きく鋭い猫目の。

 獰猛さを湛えた山猫の表情には見覚えがあり、右の袖口から覗くはずの手がない。


「……どういう了見だ、北の魔女……」

「ま、待ってください!ウォルフィ!!」

 殺気を纏わせ、エヴァに銃口を向けるウォルフィをアストリッドは慌てて止め立てた。エヴァは怯むことなくウォルフィをじっと見つめている。

「事情は後で話す。言っておくが、私は貴様の主と共に、ギュルトナー達を助けに来てやっただけだ」

「…………」


 口調や表情こそ真摯ではあるが、反逆者であり逃亡犯でもある凶悪な魔女など信用できるのか。しかも、エヴァはアストリッドに瀕死の重傷を負わせたことさえあるのだ。


「ウォルフィ、エヴァ様は確実に自分達の味方になってくれました。ですから、銃を下ろしてください」


 露骨なまでに不信も露わなウォルフィに、アストリッドは命令を下す。それでもウォルフィは、一向に銃口を下げようとしない。

 アストリッドは困ったように肩を竦め、エヴァに視線を送る。同じようにエヴァも肩を竦め、彼女の場合は煩わしげに見えたが――、軽く苦笑いさえしてみせた。

 エヴァの反応を肯定の意と捉えたアストリッドは、先程解決させた魔笛事件の顛末を、ごく手短にウォルフィに語った。


「……と、言う訳でして。エヴァ様を信用して欲しいのですよー、ね??」

「…………」

「それにですね……、ぐだぐだと揉めている間にも……」


 アストリッドは、結界外の光景を差し示す。

 そこには、リヒャルトが降らせた大雨の中で暴れ、飛び回る黒竜と、攻撃を仕掛け続けるヤスミン達が。


「今は劣勢に追い込まれているように見えますけど、アレのことですから。油断は禁物です」

「…………」

「二度目の命令です。ウォルフィ、今すぐ銃を下ろしてください」


 決して、エヴァを完全に信用した訳ではない。

 イザークを倒す為にも、娘の身を守る為にも、今は時間を無駄にする訳にはいかない。


「……御意……」


 渋々といった体で、ウォルフィはようやく銃口を下げた。

 すると、手にしていた魔法銃が、短機関銃型から元の拳銃型へと戻ってしまったのだ。


 もしや、ヤスミンの身に何かが起きたのか。


 強い焦りと不安に居ても立ってもいられない。


 ウォルフィはアストリッドとエヴァを押しのけ、ヤスミンの元へ駆けていく。置き去りにされた二人も彼の後に続いた。






(2)


 抵抗する間もなく、闇色の表皮は白銀に侵食されていく。

 上空を浮遊していたエヴァは、氷像と化したイザークの頭頂部に着地した。

 シュネーヴィトヘンだけでなくエヴァまでが姿を見せた。アストリッド達の背後ではリヒャルトを始め、側近達が色めき立つのが肌で感じられた。

 ウォルフィに抱えられるシュネーヴィトヘンはともかく、氷結化した竜の上で堂々と見下ろしてくるエヴァは的として狙いやすい。結界の中から、銃口を構える音が聞こえた。


「ギュルトナーよ!私はもう、逃げも隠れもせん!!私は軍に投降するべく、半陰陽の魔女と共にここへ来た!!だが、その前にこいつを片付けるのを手伝わせてもらおう!!」


 大衆の前で演説するかの如く、エヴァはリヒャルト達に訴えかける。ついでにイザークの頭を二、三度爪先で蹴とばしながら。

 エヴァの味方宣言に戸惑い、銃口を引き下げた側近達は皆、リヒャルトを見返した。


「エヴァ殿!その言葉、確かに信じていいんだな?!」

 リヒャルトは厳しい表情をエヴァに向け、叫ぶ。

「二度も同じことを言わせるな!!」

「元帥に向かって何という口の利き方を!」

「あの女を信用するのは危険です!」


 国への反逆罪を犯したあげく、数か月間逃亡していたエヴァを簡単に信じていいものか。リヒャルト自身も正直迷うところだ。

 しかし、エヴァの魔力はアストリッドよりは落ちるものの、戦闘力に関しては国境守備の魔女の中でも群を抜いている。この窮地を脱するのに彼女の力は必要不可欠だろう。


『アストリッド殿が引き連れてきたのであれば、信用に値するのではないでしょうか』


 聞き馴染みのある、凛とした中低音が耳の裏で響いてきた。

 声の主は今、傍にいないというのに。


 喚く側近達を視線ひとつで制すと、リヒャルトはエヴァに叫び返した。


「ならば、エヴァ殿に命令する!アストリッド様と共闘し、必ずやイザークを仕留めろ!!」

「はっ!言われなくとも元よりそのつもりだ!!」


 エヴァはにやりと笑い、空高く飛び上がると、軽い身のこなしで地上に降り立った。着地とほぼ同時に、彼女の背後で氷漬けの竜が青白い炎に包まれた。アストリッドが地獄の炎を発動させたのだ。

 水蒸気と白煙、肉が焼ける悪臭を発生させながら、氷と共に竜の身体は小さく溶けていく。


「ウォルフィ、今のうちにロッテ様を連れて、リヒャルト様とヤスミンさんの元へ」

「あぁ……」


 容赦なくイザークを焼き滅ぼそうとするアストリッドに、ウォルフィは珍しく動揺していた。腕の中のシュネーヴィトヘンも、今までと違い、一切の躊躇を見せないアストリッドに言葉を失っている。二人だけでなく、リヒャルトとヤスミンも。


 シュネーヴィトヘンを抱きかかえたまま、ウォルフィはアストリッドが張った小さな結界から、駐車場の入り口、リヒャルト達を守る結界へと移動した。途中、ウォルフィは何度か振り返ったが、アストリッドが彼を振り返ることはなかった。


 この五十年、不殺ころさずを誓ってきたアストリッドが、遂に、自ら禁忌を破ろうとしている。好戦的なエヴァ以外、誰もが戦慄する中、燃え盛っていた炎が急速に勢いを落としていく。


「エヴァ様!今すぐ結界の中へ!!」


 ほとんど溶けかかっていた氷が内側から破裂し、水蒸気と白煙が周辺に立ち込める。霧のように拡がっていく煙幕に視界を遮られながら、エヴァは慌ててアストリッドのいる結界へ駆け込んだ。

 ピンと張り詰めた空気の中、崩れ落ちた筈のイザークが、ゆらり、立ち上がる。僅かな残り火は焼け焦げた身体に吸収され、元の美青年の姿へと戻っていく。


「いやはや、助かりましたよ!半陰陽の魔女!!わざわざ僕の魔力の源になる炎を与えてくれるとは」

「……こっの、化け物がっ……!」

「僕に流れる血の半分は悪魔なんですよ??僕の息の根を止める方法は、頭を吹き飛ばすか、心臓を抉り取るか、はたまた……」


 憎々し気に吐き捨てるアストリッドを挑発しながら、イザークは腕を拡げてみせる。ドーランを厚塗りした顔と同じくらい白い歯を剥きだし、ニンマリと笑いながら。


「……そうやって笑っていられるのも、あと少しだ……」


 普段とはまるで違う、低く抑えた声が自然と口をついて出てくる。

 隣に立つエヴァが、ぎょっとした顔で見返してきたが気付かない振りを決め込む。


「……エヴァ様、もう一度、貴女の力を貸してもらえませんか」

「何だ」


 アストリッドは独り言を呟くように、ぼそりとエヴァに何かを伝えた。雨風の音やイザークの笑い声にかき消され兼ねない程の小さな声だったが、エヴァは確かに頷いてくれた。

 二人の様子を見咎めたイザークは、片眉をほんの少しだけ吊り上げたが、「何を企んでいるか知りませんが……、無駄ですよ!」と、口元に弧を描いて赤銅色のワンズを頭上に掲げる。


 だが、ここでイザークの顔から笑みがさっと消え失せることになった。


 掲げたワンズをアストリッド達に翳し、イザークが詠唱したのと、アストリッドがダンッ!と、地を蹴飛ばしたのは同時だった。 

 ワンズの先端からチリッと火の粉が散り、猛火が放出され――、ない。

 赤の双眸を大きく瞠り、イザークはもう一度だけ詠唱するが炎は発動されない。


「魔力封じ、ですか」

「…………」


 真顔で問うイザークにアストリッドは口を閉ざし、答えようとしない。

 けれど、沈黙が質問の答えを物語っていた。


「無駄な足掻きをまた……」

「それはどうでしょうか」


 唇を歪めて笑おうとするイザークの言葉を遮り、アストリッドは冷ややかに告げる。構わずイザークは、魔力封じを解除するべく、ワンズを振り上げた。

 しかし、アストリッドの隣でエヴァが小さく詠唱すると、振り上げた腕を中途半端な位置で止めた。


「お前の魔力と自分の魔力の強さはほぼ同等。なので、自分だけで魔力封じを行えば破られる可能性は高い。でも、自分とエヴァ様とで二重に魔力封じを仕掛ければ……、お前の力を超えることは可能だ」

 ヘドウィグ様もいれば三重に魔力封じを仕掛けられるのですがね……、と、非常に残念そうな口ぶりでアストリッドは語る。

「……それで、これからアイス・ヘクセ様と一緒に、僕の魔力を封じた上で嬲り殺すつもりですか」

「あぁ、少なくとも私はそのつもりさ!」


 エヴァは即答するなり短く詠唱。

 空を覆う雨雲――、イザークの頭上が薄青に発光し、黒い雲が青白く輝き出す。

 青白い光を湛える雨雲から、雨と共に鋲に似た形の氷柱が大量に降り注いだ。


 氷柱はイザークの頭頂部、四肢、胴に深く突き刺さり、衣服の上から皮膚を、肉を切り裂いていく。瞳や髪と同じ色の赤が彼の全身をくまなく染め上げていく。

 悲鳴を上げ、痛みにのたうち回るといった醜態は晒さないまでも、イザークは上半身を折り曲げ、唇を噛んで痛みと屈辱に耐えている。だが、両腕で隠した顔はあくまで笑っている。


「半陰陽の魔女。アイス・ヘクセ様ばかりに攻撃させて、貴方は黙って高見を決め込むだけですか」

「…………」


 指先から血が滴り、炎に焼かれて炭化した下生えの草の上に垂れ落ちていく。一滴、二滴、三滴……、黒く変色した葉に朱が入り混じる。

 入り混じった朱と黒は雨で流されていき、黒い灰と泥だらけの地面へと吸い込まれていく。


「こんな時まで不殺 を貫くつもりですか!それとも、嫌な役割をアイス・ヘクセ様一人に押し付けるつもりですか!」

「まだ、無駄口叩く元気があるのか!!」


 エヴァは怒鳴るように詠唱し、イザークの上に新たな氷柱が次々と落としていく。雨と血の臭いが漂う中、アストリッドは崩れ落ちていくイザークを黙って眺めていた。地に膝をつくイザークを見据える瞳は異様に醒めきっている。


「自分が本気を出したら、お前を殺す位、訳などない」

「……ははは、やはり僕を殺す気など」

「はい、端からありません」


 アストリッドは結界を消失させ、イザークの元へと足を一歩進める。

 背を丸めたままイザークは顔を上げて大声で笑い出した。


「ははは……!やはり貴方は腰抜けだ!!殺す気がないのではない、殺せないだけでしょう?!」


 氷柱が当たるか当たらないか、ギリギリの位置で立ち止まり、雨に濡れながら見下ろしてくるアストリッドを、イザークは嘲笑した。


「はい、自分は貴方を殺せません」

「はっはっはっは!!皆さん、今の台詞を聞きましたか?!ここまで僕を追い詰めておきながら、何と情けないことでしょう!!」


 イザークとアストリッドの応酬を見守るリヒャルト達も、アストリッドの発言に耳を疑った。

 アストリッドなりに考えがあっての事だと、リヒャルトやウォルフィ、エヴァ、ヤスミンは察したものの、リヒャルトの側近達やシュネーヴィトヘンは、一気に彼女への不信感を募らせた。アストリッドを取り巻く空気は益々持って緊張感が増していき、様々な意味合いが込められた視線を一身に浴びせかけられる。


 五十年前――、マリアの首を手にゴードン達の前に飛び出した時の状況と、少し似ている、と、胸中で自嘲した。


「勘違いしないでください。お前を殺せない理由は不殺の誓いを守るためではありません」

「はは……、では何のため」

「直に分かりますよ。エヴァ様」

「何だ」

「そろそろ攻撃を止めて下さい」


 反抗するかと思いきや、エヴァはすんなりとアストリッドに従い、雨雲から光が儚く消えていく。パラパラと氷柱が降る音が止むと、入れ替わるようにして全く別の音が聞こえてきた。

 その音が近づいて来るにつれ、この場に集った者全員がアストリッドの真意を理解することとなった。

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